気になる疑問
事件が発生してから、一週間が過ぎた。誠一の息子が亡くなった、ということで、マスコミは大きく取り上げて報道していた。
宏明はこのニュースが流れる度に、新しい情報を仕入れる事にしているが、ほぼ同じような内容であった。谷崎警部の元にも何度か足を運ぶ宏明だが、今回ばかりは大物政治家の息子の事件だということで、谷崎警部は多くは語ってはくれなかった。
途方に暮れた宏明に、中谷教授から大学まで来て欲しい、という連絡がきた。
宏明が大学の中谷教授の部屋に行くと、史学科の生徒も来ていた。
「みなさん、お揃いで…」
「ここに座ってくれ」
中谷教授は数日前とは違う表情で、宏明を迎えた。
「今日はどうされたんですか?」
宏明は座ると同時に、中谷教授に聞いた。
「うん、ちょっとな…」
「教授…?」
中谷教授はいつもと違う声のト―ンに、心配してしまう宏明。
「今回の件で、私に非があってな。違う大学へ異動になったんだ。来週に行く予定だ」
最後はわざと明るく言った。
「そんな…。別に教授が悪いわけじゃないのに…」
「理事長からの命令だ。仕方ない」
「どうにかならないのですか?」
有沙は必死に聞く。
「どうにもならないよ」
中谷教授は悲しい表情で呟いた。
――犯人のせいだ。なんとかしなくては…。
宏明は心の中で呟いた。
「二葉さん、犯人を捕まえて下さい。光一のためにも…」
庸子は中谷教授から宏明に向きを変えて、すがるように言った。
「警察じゃないんでなんとも言えませんが、なるべく早く事件を解決したいと思ってます」
宏明は庸子だけじゃなく、全員に伝えた。
「教授がいるうちにね」
続けて、付け加えたて言った宏明。
「ところで、光一が亡くなった時、警察の人といたけど、どういう関係で…?」
健が宏明と谷崎警部の関係を聞いてきた。
健は二人がどういう経緯で知り合ったのか、ずっと気になっていたのだ。
「事件で知り合いになって…」
宏明は遠回しに答えた。
「あ、そうなんですか」
健は笑って納得してくれた。
内心、宏明はホッとした。
ここにいる全員からしたら、いくら宏明がいくつかの事件を解決しているからといって、警部と知り合いだなんて、普通では考えられないと、宏明自身思っていたからだ。
「光一の事で何かわかったんですか?」
庸子は心配そうに聞いた。
「いや、全く…」
宏明は光一のダイイング・メッセージの事を伏せて答えた。
「そうか。何かわかったらいいのにな」
庸子は光一の事を思ってか、一人呟いた。
庸子の横顔は、どこか寂しげな表情をしていた。
「そんなに気を落とさないでよ、庸子」
有沙は庸子を元気づける。
でも、庸子は頷くだけだった。
「薬丸さん、右手の怪我はどうしたんだ?」
中谷教授は庸子の右手の甲に巻かれた包帯に気付いた。
「家で怪我しちゃって…」
庸子は苦笑しながら答える。
「ドジだな」
健も苦笑している。
そう言われて苦笑したままの庸子。
「事件の話に戻るけど、あの警部さんは何か言ってこないんですか?」
有沙は話題を事件に戻して、宏明に聞いてきた。
「特に何も…。今回は元山さんが亡くなった、ということで、警部もなかなか話してくれないもんで…」
途方に暮れた口調の宏明。
「大物政治家の息子だから警察も話せない、ということか。それで、二葉さんは行き詰まってるというわけですか」
「ニュースから流れる少ない情報で、なんとか事件解決してみせますけどね」
強気の宏明。
しかし、強気で言ったものの、どうしようか考えていた。今回の事件は、自分にとって厄介な事件である。
「とにかく、早く事件を解決してもらいたい」
中谷教授はなぜか少し怒り口調で言い、立ち上がった。
大学を出て、中谷教授達と別れると、宏明は光一の家へと向かった。まだ色々と聞きたい事があるからだ。
――元山さんの家族に質問はあるけど、個人的には中谷教授にも聞きたい事がある。
光一の家に向かう途中、そう思っていた宏明。
中谷教授が他の大学へ異動になったこと。
光一が殺害されただけで、日本史の展覧会に連れていった中谷教授に、非があるとは考えにくい。確かに、日本史の展覧会に行った事も殺害する動機になるといえば、そうなのかもしれない。だけど、そのことが中谷教授の異動の直接的な理由になりにくい。
――他に何か理由があるはずだ。オレらには語らなかった別の理由が…。きっと中谷教授は何かを隠してる。
と、感じていた宏明。
それと、さっきの少し怒った口調の言い方。普通、自分が犯人ではなければ、そんな言い方はしないはず。むしろ、犯人が誰だか知りたい心情のはずだ。その二つの事を気になりながらも、宏明は光一の家に到着した。
光一の家の前には、何人かの記者が張り込んでいた。「光一さんの友人ですか?」と、記者に聞かれて、「はい」と手短に返事をし、インターホンを押し家の中へと通された。そして、この前通された来客室へ入った。
「二葉さん、でしたっけ?」
誠一が紅茶をすすった後に聞いた。
「あ、はい、そうです」
宏明は慌てて返事をする。
「警部さんとはどういった関係で…?」
本日二度目の質問を受けた宏明。
「事件で知り合いになったんです」
「そうでしたか。で、今日は何の用で…?」
「光一さんの事で少し聞きたい事がありまして…」
「なんでもお聞き下さい」
誠一は快く言ってくれた。
「光一さんが亡くなる前に、悩み事や何かに怯えていた、ということはありませんでしたか?」
宏明の質問に、誠一は少し考えてから、
「わかりませんな。何しろ、私や妻は何かと忙しいもんですから…。それに、光一はいつもチャラチャラしていて何を考えているのかわからない、といったところです」
前と変わらず同じ口調で答えた。
――あまり自分の息子には興味がないってところか…。
誠一の答えを聞き、そう思ってた宏明。
「そうですか。光一さんは一人っ子なんですか?」
「いや、四人姉弟です。一番上が娘で、残りが三人が息子で…。光一は末っ子なんです」
誠一は警察じゃない宏明に心許して答えてくれる。
「二葉さんは?」
「三人兄弟で、オレも末っ子です。オレのところは、兄が二人いますけどね」
「そうでしたか。あ、すいませんね、話がそれて…」
誠一は頭をかき謝った。
テレビで見るより気さくな人だと宏明は思った。
「事件当日に警部から色々お聞きしたので、最後の質問になりますが――」
宏明は一旦言葉を切ると、紅茶を一口飲んだ。
誠一は宏明の顔をまじまじと見ている。
「薬丸さんと付き合ってたと聞いたんですが、どんな感じの付き合いだったかわかりますか?」
宏明は庸子本人には聞きにくいので、誠一なら何か知ってるかもしれないと思い尋ねてみた。
「何度か家に連れてきましたね。見かけによらずいい娘さんですよ。付き合いっていっても、よくわからないんですが、今どきの子とは変わらない付き合いだったと思いますよ」
誠一は庸子を連れてきたことを思い出しながら答えた。
「わかりました。ありがとうございます」
誠一の答えを聞くと、礼を言って立ち上がった。
宏明につられて、誠一も立ち上がる。
「二葉さん、ちょっと待って下さい。渡したい物が…」
誠一は早口で言うと、来客室から出て行った。
二、三分すると、小さな袋を持って戻ってきた。
「これは…?」
宏明は袋を受け取ると、首を傾げた。
「妻が作ったクッキーです。なんでも料理教室のほうで作り過ぎたらしくて…。良かったらもらってやって下さい」
「ありがとうございます」
袋に入ったクッキーをカバンの中にしまうと、玄関のほうへと向かって歩いて行った。
光一の家を出ると、入る前にいた記者達はいなくなり、しんと静まり返っていた。宏明はホッとしつつ、バイクに乗り自分の家へと向かった。
まだもう一つ聞きたい事があったのだが、この事件の間にまた会えると思い、聞くのを止めた。別に聞いても良かったのだが、特に今すぐではなかった。
宏明にとって、光一の両親が光一に関心がないのか? と、いう疑問があった。
――なんで、あんなに関心がないのか? 自分の息子だというのに…。
宏明はこの事を聞こうとしていたのだ。だが、他人の親子関係を聞くのは失礼だと思い聞けなかった、というのが、宏明の心境だった。いくら、事件の事だとはいえ、自分は警察官でも何でもない。ただの大学生でしかないのだ。谷崎警部の知り合いだというだけで、光一の両親には事件の質問をさせてもらっているだけなのである。宏明はそんな自分をもどかしく思っていた。
そして、自分の家庭と光一の家庭をリンクさせていた。
その日の夜、宏明のケ―タイに谷崎警部から電話があった。宏明は谷崎警部の声を聞くとホッとした。
「久しぶりだな、二葉君」
谷崎警部は疲れている様子だった。
「そうだな。事件のほうは進んでるのか?」
「色々と聞き込みをしているんだがね」
「なかなか成果が上がらないんだな」
宏明はため息まじりで言う。
「今日、教授に呼ばれて大学まで行ったんだけど、教授が違う大学へ異動になったんだ」
宏明は昼間の事を思い出して、谷崎警部に伝えた。
「今回の事件の件が理由だそうだ」
「いつ行くんだ?」
「来週には行く予定だって言ってたけど…」
宏明の脳裏には、わざと明るく言った中谷教授の顔が浮かんだ。
「そうだったら早いこと事件を解決しないとな。犯人もわからないまま異動になるのは、心残りだろうからな」
「まぁな。で、今日の電話の目的はなんだよ?」
宏明は電話の意図を聞いた。
「光一さん家庭の事で聞きたい事があるんだ」
今まで今回の事件の事をあまり話したり聞きたい事があっても答えてくれなかった谷崎警部が、さっきとは違うト―ンで聞いてきた。
それほど、捜査が行き詰まってるんだろうと思った。
「光一さんの兄弟とかはわかるか?」
「四人姉弟らしいぜ。姉が一人、兄が二人だ」
宏明は今日、誠一に聞いたことを話した。
「光一さんは末っ子か」
電話の向こうで、谷崎警部は自分が調べた事とは矛盾していると感じながら呟いた。
「この事は本人に聞いたのか?」
続けて、谷崎警部は質問する。
「いや、違う。実は大学の帰りに元山さんの家に行って話を聞いてきたんだ」
「話はしてもらえたのか?」
「してもらえたけど…。なんでそんなこと聞くんだよ?」
宏明は逆に聞いた。
「大学の友人に“オレは一人っ子だ”と話してたそうなんだ」
谷崎警部の言葉に、宏明は自分の耳を疑った。
「だから、今の二葉君の話を聞いて隠す必要があるのかなと思ってな。一応、二葉君は何か知ってるんじゃないかと思って電話してみたんだ」
「一人っ子か…。なんで、一人っ子なんて言ったんだろう」
「さぁな。我々も今調べてる最中だ」
「一人っ子だと言った理由が何かあるんだろうけどな」
そう言いつつ、宏明は次の事を考えていた。
「そういえば、今日、紀美さんが署に来たよ」
谷崎警部は話題を変えた。
「紀美が…?」
宏明は自分の心が動揺したのがわかった。
「うん。深刻そうで話を聞いたが…何かあったのか?」
「ちょっと色々あってな」
宏明は言葉を濁してしまう。
「事件が解決すれば、紀美さんの側にいれやれ。かなり不安そうだったからな」
宏明は少し考えてから、
「うん、わかった」
と、手短に答えた。
宏明はケ―タイを切ると、紀美にメールを打つことにした。
そう、紀美の心の中にある不安を打ち消すためにも…。事件が解決したら、紀美に本当の事を話すためにも…。




