08
夜の帳が折り、人々が眠りに着く時間だと言うのに、聖地に微かに反響するのは獣じみた唸り声。人の形は辛うじて保っているが、その内側は大きく変質した怪物らが我が物顔で闊歩する。どこかに行く当てがあるのか、それとも何かを判断するだけの知力も書けたのか。歩みを止めずに彷徨う彼らは、時折道端に転がっている死体へとかじりついていた。
人の形を保ちながら怪物になるのと、原型を留めてはいないが人として死ぬこと。どちらが幸せなのか。
答えの出ない問いを考えつつ、疾風隊の隊長は屋根から屋根へと移動を続けていた。
幸運にも、建物が密集していた地区の為、屋根の上を渡って行くのに支障はなかった。時折民家の中に戻り、通りを横断して、また建物の中を通って屋根へと出る事はあるが、その際に怪物と遭遇しないように細心の注意を払った。
何しろ、噛み付かれた時点で怪物になるのは不可避なのだ。
戦闘は出来るだけ回避。避けられない場合は、速やかに。
今も室内で遭遇した怪物の首が手斧によって落ちた。木の床を転がる子供の生首を前にして、供養してやろうなどの人間味ある感情は湧かない。落ちた時の音で外の奴らが反応していないか、それだけが気がかりだった。
どうやら、気づいていないようだ。
問題ない事を仲間内で確認して、屋根へと上る手段を探していく。
聖地に向かうまでの道中と、聖地に到着してからのここまでの間に、怪物との遭遇は十を越えていた。
初めて遭遇した時は、ある村が奴らに飲み込まれている最中だった。火の手が上がり、悲鳴が山間を木霊していた。到着した時には、全てが手遅れだと察した。
一つの村を救うのに、何もかもが足りなかった。物資も、人員も、時間も。
自分たちの無力さに打ちひしがれながらも、何が起きているのかだけでも観察している中で、噛まれた村人が奴らへと変貌していくのを目の当たりに出来たのは幸運だった。
あれが無ければ、自分たちもどうなっていたのか。
その後、村から離れていく奴らの内、一体を捕獲。調査を開始した。
意思の疎通は計れるのか、モンスター化する事で身体能力にどのような変化が起きるのか、肉体に再生能力はあるのか。そして何より、どうすれば殺せるのか。
幾つかの実験を経て分かった事は三つ。
奴らの弱点は首だ。
人間だったころは、手足が千切れれば失血死したり、あるいは頭部から中身が零れれば死に至るはずだが、奴らにその手の負傷は意味が無い。心臓を抜き取っても、なお拘束を解こうともがく姿は恐怖だった。
頭部や心臓といった分かりやすい弱点が消えた代わりに、首を断つことで殺す事が出来る。もっとも、人間としては既に死んでいるので、殺すと言うよりも活動を停止させると表現するべきか。
ともかく、首を落とせば動かなくなる事が判明し、後に遭遇した数体を用いた実証を経てそれは事実だと証明された。
(とはいえ、首を落とすというのは言うほど簡単じゃない。まず、相手を動けないように拘束してからでないと、反撃に遭う可能性もあるからな)
先程遭遇した怪物相手でも罠が必要だった。ドアに縄を張り、おびき寄せた所で転倒させ、相手の動きを封じた上で首を落とす。形が子供であっても、容赦しない。
「隊長。ありました。上に出られます」
隊員の一人が見つけた梯子を使い、屋上へと昇る。途端に、壁で遮られていた怪物らのうめき声が風に乗って微かに聞こえてきた。
「行くぞ。目的地まで僅かだ」
隊長の言葉通り、疾風隊の目的地である神殿まであと僅かだった。
ただし、そこに行くまでに問題が一つ、彼らの行く手を阻む様に現れた。
「どうしましょうか、コイツは」
神殿に最も近い建物の屋根の縁に足を掛けた隊員が、下を睨みながら呟いた。それに対して隊長は鷹揚に頷いたが、悩む気持ちは同じだ。
彼らの行く手を阻むように現れたのは、神殿をぐるりと囲む様に広がる堀と、城壁だった。
勇者人気によって一大観光地となったリーンカーンではあるが、やはり神殿は重要施設。気軽に立ち入れないように堀と壁で覆われている。
「唯一の出入り口である跳ね橋が上がってますね。多分、中からじゃないと動きませんよ」
「姐さんの言う通りでしょうね。こりゃ、中に入るのも一苦労だ」
「どうなさるつもりですか、隊長」
副官が部下の考えを代弁するように尋ねた。四人の視線を浴びる隊長は顎髭を撫でながら、
「通常なら、街の方にある詰め所に行き、かがり火を付ければ跳ね橋が降りる。そういう取り決めだったな、副官」
「その通りです。彼方に生存者が居る事に賭けて試してみますか」
「そうしたいのは山々だが、流石に下がこれではな」
隊長が眼下の光景を一瞥して首を横に振った。堀の周りには多くの怪物達が集まっていたのだ。押し合いへし合いの末に堀へと落ちる者も居た。
その中を突破しつつ、詰め所に向かうのは危険すぎる。
「そうだな……堀の向こうまでは跳ぶことは出来るか」
「この距離ですか? いや、流石に難しいかと」
身軽さを信条にしている隊員が手と共に首も横に振った。
しかし、隊員は一拍置いてから、
「でも、まあ、やれなくもないかもしれません」
「どっちなんだよ、ハッキリしな!」
ばちん、と。隊員の背が弾けたのではないかと思う強い音が響いた。衝撃の凄まじさから隊員は目尻に涙を浮かべていた。
「痛いっすよ姐さん! まったくも、馬鹿力なんだから」
「あんだって?」
「何でも無いっす。だから、そんなに睨まないでください。……とりあえず、皆さんの手を借りたいんですけど、いいっすか」
「構わないが、どんな事をするつもりなんだ」
隊長の質問に、隊員は悪戯めいた笑みを浮かべた。
「どんな事をするのかと思えば、こんな曲芸じみた方法とはな。恐れ入ったよ」
「全くです。……ですが、私達の中でこれが出来るのもアイツだけかと」
「同感だ」
呆れ半分、感心半分といった視線を向けるのは、自分たちが抱えている梯子だ。屋根に出るために屋内に設置されていた梯子を回収し、持っていた縄で軽く止めた代物。それが屋根の上から空へと伸びていた。
「それじゃ、作戦のおさらいっす。俺が一番上に着いたら合図をするんで、皆さんは梯子を神殿の方へと倒してください。頃合いを見て、あっちの城壁へと飛び移ります」
防具や道具など、最低限のもの以外を外して身軽になった隊員が身ぶりを交えて作戦を説明する。その滑稽な仕草と、風に揺れて軋む梯子が不安を増していく。
「無事に向こう側に落ちたたら、この縄を向こう側に巻きつけます。そしたら渡ってきてください」
隊員の体には縄がタスキのように巻いてある。反対側の先端はこちら側の屋根に結びついている。隊員の説明通りに上手く行けば、神殿の城壁まで縄で繋がる事になる。
「後はその縄を伝ってこっちに来てください」
「……とまあ、先輩はやる気十分のようですが、本当にやらせるんですか」
隊の中では最年少の隊員が不安そうに耳打ちするが、正直な所打てる手はこれしかないのだ。
仮に、向こう側に生存者が居たとしても、跳ね橋は降りない。
何故なら、あの跳ね橋が上がった時点で、あそこは陸の孤島。安全な場所なのだ。跳ね橋を下ろせば、その安全を溝に捨てる事になる。
つまり、疾風隊が神殿に侵入するにはこれしかないのだ。
「本当に、成功するんだな」
「させてみせまよ。疾風隊の名に懸けて」
堂々とした返事に隊長は任せる事にした。胸板を軽く突いて、
「ならばやってみせろ。お前が大言吐きじゃない所を証明してみせろ」
「了解です、隊長!」
隊員は気合も十分といった様子で梯子を昇り出した。あっという間に最上段まで昇る身軽さは瞠目に値する。
「お願いしまっす!」
「合図だ! 降ろせ!」
隊長の号令と同時に、梯子が唸るように斜めに傾いた。当然、最上段に居る隊員には細田減の風圧が掛かっているはずだ。
だが、それを物ともしないように、男は跳んだ。梯子を蹴り飛ばし、腕を振って距離を稼ごうとする。
元から縄だけで固定された梯子だ。地面に叩きつけられた衝撃であっけなく砕け散った。その際に下敷きになった奴らは無視した。
それよりも、
「どうだ。無事に着いたのか!?」
隊長の焦りに対して副官が目を細めると、呟いた。
「やりました」
その一言で十分だった。堀を挟んだ向こう側で、無事をアピールする隊員の姿に、全員が拳を握った。
神殿探索
仲が不自然なほど静か
儀式の間にある秘密の通路を下った先で生き残りの神官と合流
神官の口からあの日に起きた事が分かる