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4d 6h 25m

 潰れた夕日に照らされ、地獄が赤く彩られた。

 人の形をした別のナニカが、地面に膝を着けている。まるで腹を空かせた獣のように、顔を擦りつけて食事を行う。

 食べられているのは、まぎれもなく人だ。

 人のようなナニカが人を食す。皮膚を、筋肉を、頭髪を、血管を、神経を、内臓を。咀嚼音に混じり悲鳴が上がる。それは生きたまま食われるという状況に恐怖し、自らの体が減っていく痛みに恐怖し、誰にも助けてもらえない事実に恐怖していた。

 形容しがたい協奏曲は村の至る所で響いていた。楽器は村人の数だけある。

 数時間前、村の入り口にふらりと現れた人影を、村人たちは受け入れた。折しも村では若人の結婚式が開かれ、晴れやかな雰囲気に包まれていた。いつも清貧に暮らす村人たちも、前途ある若者たちを祝福するためと祝いの品を苦心して用意し、門出を祝っていた。

 その為か、外部の旅人にも参加してもらおうと呼びかけたのだ。ところが、東の道からやって来た人影は様子がおかしかった。

 衣服は泥と煤で汚れ、顔も血色が悪く、歩くのも覚束ない足取りだった。式に参加しないかと呼びかけた村人たちも、ただ事ではないと気が付き、大慌てで近づいた。

 村人達の脳裏に山賊や盗賊の二文字が躍る。一大観光地である聖地が近くにあるとはいえ、この辺りは旧街道と呼ばれ、人通りはめっきり減った。人が居なくなると寂れるのは村だけでなく、山賊も似たような物がある。ここ数年ではめっきり現れなくなった山賊に追われたのかと問いかけるも、来訪者は全く反応を示さない。目の前まで近づいても、呼びかけに応じなかった。

 村人の一人が手を伸ばした瞬間、それまで無反応に近かった来訪者は襲いかかった。

 晴れやかな結婚式に不似合いな悲鳴が上がる。手を伸ばした村人の指先が、来訪者の歯に噛み切られたのだ。

 悲鳴を上げ、距離を取る村人。入れ替わるように別の村人が来訪者に対して、態勢を低くしながら飛びかかった。来訪者の腰にタックルすると、二人はもつれるように転がった。

 上手く馬乗りの姿勢を取れた村人は、村の仲間に対する蛮行を咎めるも、言葉に詰まった。自分が組み敷いている来訪者の顔が常軌を逸していたのだ。

 目は白濁し、皮膚は濁った茶色に変色し、三日月のように開いた口からは牙のような歯がむき出しになっている。てらてらと光る口内は赤く濡れ、指の先端が舌で踊っている。

 あまりの悍ましさに、村人は反射的に拳を握った。机の上に見つけた虫を潰すように、拳の側面を来訪者の顔に叩きつけるも、手ごたえは無かった。むしろ、拳に伝わる肌の異常な冷たさに身震いした。

 これは人間なのだろうか。

 そんな疑問に気を取られ、自分の背後に忍び寄ってきた影に気が付かなかった。

 首筋に熱い痛みを覚えて振り返ると、白濁した瞳が目と鼻の先にあった。驚きから絶叫する。なぜなら、自分の首に歯を突き立てているのは、指を喰われた村人だったのだ。

 どうして、村の仲間がこんな事をするのか。まったく見当が付かないまま、絶叫は次第に萎んでいった。指を無くした村人は顎に力を入れると、噛んでいる首筋の肉を引き千切る。

 血管が切れたのか噴き出した生暖かい血を浴び、顔は血化粧を施された。

 失血死相当の量を流した村人は、組伏している来訪者に重なるように倒れて絶命した。だが、ほんの数秒後にはばね仕掛けの絡繰りの如き勢いで跳ね起きた。

 その双眸は白濁し、口元には牙を思わせるほど伸びた歯が覗かせていた。

 それが、地獄の始まりだった。

 そこから夕暮れ時に到るまでの僅か数時間の間に、村人は死に、多くが人の形をしたナニカに変えられてしまったのだ。

 いま、村で起きている地獄は、村人だったナニカが村人の死体を食している光景だ。

 それを僅かな生き残りたちは教会の屋根裏から覗き見ていた。手が届きそうな距離で起きている現実を現実と認識できないでいた。

「こんなのは夢だ。ありえない、ありえない、ありえない。人が死んで、生き返るなんて、そんなのおとぎ話だ。だから、これは夢なんだ」

「嘘だろ。あそこで親父を喰ってるの、お袋と妹だぞ。ああ、なんてこった。妹は足をどこに置いて来たんだ」

「皆、見て! 村長の家に逃げ込んだ人たちが!」

 誰かの悲鳴まじりの叫びに視線がそちらを向いた。村の中では教会を除いて一番大きな村長宅。そこに人間の形をしたナニカが詰め寄っていた。彼らは痛覚を無くしたのか、自らの腕を鞭か何かのように振り回して村長宅の外壁を壊した。中に避難していた一家を引きずり出した。

「い、嫌だ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ! こんな、こんな死に方だけは絶対に嫌だ! 食べられて死ぬなんて、そんなの人間の死に方じゃない!」

 必死に抵抗する村長だが、彼はサバトに捧げられる供物のように取り囲まれると、一斉に襲いかかれた。死にたくないという悲鳴は徐々に小さくなっていき、比例するように村長の体も小さくなった。

 教会の屋根裏からその光景を目撃していたグスタフは、凍り付いたように動けなくなった。共にここに逃げ込んだモニカは気分が悪くなったのか顔を背け、親友のアンネに背中をさすられていた。

 この教会に逃げ込めたのは全部で七人だ。結婚式を上げたばかりのグスタフとモニカ。それぞれの付添人であるマルコとアンネ。神父であるコンスタンツに村で最年少である赤子のククルスを抱えた母親のジョアンヌだ。

 彼らがこの騒動に巻き込まれずに済んだのは、モニカの父親の判断だ。フラフラとおかしな足取りをする人影たちに違和感を覚えた彼は、新郎新婦とその付添人。そして神父と、赤子を抱えたジョアンヌらに教会へ行くように促した。

 最初は、難色を示していた彼らだが、近づいた村人の悲鳴に背中を押されるように教会へと駆けこんだ。村では珍しい石造りの教会の屋根裏から状況を見下ろしていた。

 あっという間の惨劇だった。

 一人がナニカに変貌したら、あとは芋づる式だ。助けに入ったり、止めに入った村人から噛まれ、彼らもナニカへと変貌していく。中には、ナニカに変貌せずにそのまま食料として食われていく者もいた。彼らは不幸ではあるが幸いであるだろう。あんな人間の形を人外にならずに、人として真っ当に死ねたのだ。

「ありゃ、何なんだよ。魔王軍が送り込んだ、新しいモンスターか何かなのか!?」

「俺が知る訳ないだろマルコ。仮に、モンスターだとしても、どうして人がモンスターになっちまうんだ。モンスターってのは、魔王が生み出しているんだろ。なあ、コンスタンツ様」

 グスタフの問いかけに神父であるコンスタンツは返事をしなかった。一心不乱に現実から逃れようと神に祈りへと捧げていた。いつもは穏やかながらも理知に富んだ、村の相談役の頼りない姿に舌打ちしてしまう。

「あいつら、随分とマメだな。どの家も、きっちり漁られてやがる。一番、デカかった村長の家も襲われたんだ。下は全滅だな」

 何気なしにマルコが言うと、モニカが堰を切った様に泣きだした。慌ててグスタフが慰めるのと入れ替わってアンネが眉をつり上げた。

「ちょっと! いくらなんでも、そんな言い方無いでしょ!」

「うっ……うっせえな。どんな言い方しても、全滅には変わんないだろ。俺の家族も、お前の家族も、モニカの親父さんだってきっと!」

「マルコ! それ以上は言うな!」

「うるせえ! お前は良いよな、家族を亡くして、いまはモニカだけなんだ。モニカさえ守っていれば、それでいいんだろ」

「いい加減にしろ!」

 グスタフの鋭い声にマルコは罰が悪そうにすまないと短く謝った。

「大丈夫だよ、モニカ。親父さんならきっと生きているさ。なにせ村一番の狩人だ。こうなるのを肌で感じて、俺達を安全な場所に行くよう促してくれた人だ。あんな奴らに負けるはず無いだろ」

「ほ、ほんと。本当に、そう、思う」

「もちろんさ。だから、モニカ。涙を拭いて、笑ってくれ。じゃないと親父さんと会った時に俺が殺されちまう。昨日の夜、親父さんに、君を泣かしたら生かしておかないぞと脅されたばかりなんだよ」

 おどけた風に言うと、モニカは頬を緩めた。

「なにそれ、お父さんのばか。……うん、きっと大丈夫だよね」

 愛しい新郎の胸に頭を預けたモニカ。グスタフは大丈夫さと返したが、内心では彼女の父が生きているのは難しいだろうと考えていた。

 人の形をしたナニカが凶暴だと気が付いた村人たちは応戦しようとして出来なかった。なぜなら、人の形をしたナニカは村の同胞なのだ。例え人ならざる者に変貌したとしても、それに武器を向けられるような覚悟は、普通の村人には無かった。

 結局、その躊躇いが生死を決定づけた。最初から逃走を選んでいれば、あるいは半数ぐらいの村人は生き残ったかもしれない。なまじ、戦おうと足を止めたせいで、中途半端な行動を取ってしまい、多くの村人が食われた。

 大人から子供まで。男も女も関係なく。どう考えても死んだと思われるほどの傷を負いながら、再び起きあがる者達。

 神父が常々口にしていた天国へと向かうはずの魂が、地上に舞い戻ってしまい、死んだという事実を忘れ生者のような振る舞いをし、地獄を作っている。

 そんな中で、村一番の狩人といえど生き延びられているかどうか。

(こんな現実を彼女に話しても意味は無いな。余計に悲しませるだけだ。だから、今考えるべきなのは、いかにして生き残るかだ)

 グスタフは自らに体を預ける愛しい人を抱き締めつつ、辺りを見回した。

 教会の天井裏は埃と蜘蛛の巣が我が物顔で居座っているだけの簡素な空間だ。とてもじゃないが、戦う道具は無い。

 いまだに祈っているコンスタンツを無視して、グスタフはマルコに尋ねた。

「おい、マルコ。ここって確か地下室があったよな」

「ん? ああ、あるな。村の備蓄庫を兼ねた地下室。親父たちが若い頃に掘ったって話していたアレの事だろ」

「そこなら、身を守る道具くらいあるんじゃないか。それに、ここで籠城するなら食料を運んだ方が良い」

 グスタフの言葉に、それまで赤子を抱いていたジョアンヌが顔を上げた。

「ま、待ってください。ここで、籠城するのですか」

「そうだ。ここは石造りの教会。唯一の出入り口である扉には閂を掛け、椅子とかで押さえつけてある。アイツらがどれだけ叩いても、破れるとは思えない。それにここに来るには梯子を使わなければならない。つまり、梯子さえ引き上げるなり、壊すなりすれば上って来られないだろ」

「そうね。グスタフの言う通りだわ。いまは、とにかくやり過ごしましょう。……アイツらが村から去るか、あるいは異変に気が付いた兵士たちが来るまで待ちましょう」

 アンネが同意するとマルコも頷いた。ところがジョアンヌは嫌だと髪を振り乱して叫んだ。

「冗談じゃないわ! あの化け物たちが扉を突破しないとも、壁をよじ登らないとも限らないわ! 一刻も早く、この村から脱出するべきよ!!」

「声が大きいぞ。反響して耳が痛くなる。……ジョアンヌ。あんたが子供を抱えて不安になっているのは分かっているつもりだ。それでも、冷静になってくれ」

「冷静? 冷静ですって!? この状況で!!」

 髪を振り乱して叫ぶ母親に対して、グスタフは辛抱強く言い聞かせる。

「この状況だからだ。いいか、外は化け物だらけな上に、直に夜を迎えるんだ。松明もなしに山に入る危険性は、ここで生まれ育った人間なら説明しなくても分かるよな」

 例え満月の夜だとしても、木々が生い茂る山の中は濃い闇に包まれてしまう。月の光を遮ってしまい、足元すらおぼつかない。それこそ、段差や窪みに落ちて大怪我する恐れもある。

 逃げるにしてもこの時間は危険すぎた。しかし、理論的に説明しても感情的になっている人間には届きにくい。ジョアンヌは金切り声を上げて、脱出をと叫ぶ。

 辟易するグスタフたちだったが、その金切り声に別の反応を示した男が居た。

 それはコンスタンツだった。木の床に顔を押し付けるようにして現実逃避していた男が、

「……あります」

 と、短くもはっきりした声で呟いたのだ。全員の視線が神父に集まるのも気づかないまま、言葉は続いた。

「地下の備蓄庫に、有事の際にと掘り進められた地下抗があります。そこを使えば、山の向こう側に出られるはずです」

「お、おい、それって本当かよ! 間違いないんだな!」

「え、ええ。ここに赴任した時に、村長から聞かされました。隠し扉の開け方も、その時に」

 外の化け物たちに負けない程の剣幕で詰め寄るマルコに怯えつつも、コンスタンツは確信を持って答えた。

 元々、この教会は村に危険が訪れた時に立てこもる為にと石造りの建設をされた。出入り口を一つに絞り、籠城しつつ、村人を外へと逃がせるようにと秘密の抜け道を用意してあるのは自然な流れだった。

 こうなると話は変わる。グスタフが籠城を提案したのは、脱出が不可能だという前提があったからだ。彼とて、この村からモニカを連れて逃げたかった。

「よし。なら、ここでまごついている暇はない。急いで、地下の備蓄庫に行こう」

 抜け道の存在が、屋根裏に積もっていた陰鬱な雰囲気を吹き飛ばす。誰もが助かる事に安堵の表情を浮かべる中、グスタフは異変に気が付いた。

 屋根裏の通風孔から差し込む西日を遮る影が出来ているのを。

 首筋をひんやりとした何かに掴まれたような感触を味わった。グスタフは喜色に湧く仲間達から顔を背けるように、通風孔の方を向いた。

 そこには人ならざる者へと変化したナニカが姿を現していた。それを見て、グスタフは絶句した。

 影の正体がナニカという可能性は、瞬時に思いついていた。彼が言葉を無くすほど驚いたのは、その正体がよく知る人物だったからだ。

 変わり果てた姿になったモニカの父が通風孔に足を掛け、白濁した瞳で屋根裏に隠れていた者達を睨みつけていた。


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