7d 4h 43m
「聖地にモンスターが出現しただと!?」
静謐にして厳粛を旨とする主会議場に女王ロゼッタの凛とした声が響く。居並ぶ重鎮たちが一斉に色めき立った。
席を囲む彼らに対して跪く兵士は、自分が叱責されているかのように体を震わせた。
「も、申し訳ありません! ですが、東の関所からの報告では、おそらく間違いはないかとの事です」
王都から東に街道を進み、関所を超えた先に聖地リーンカーンはある。風光明媚な観光都市は、魔王軍の戦略目標地になりにくいという想定の元で兵はさほど置いてなかった。今回の姫の勇者召喚に当たって、多少増強したが、それでも多くは無い。
それが裏目に出たかと女王は臍を噛む。
王国は小国である。
北に連合王国、南に帝国が君臨し、聖地の向こう側は海、そして西の地平は魔王軍が占領した地域が広がっている。
現在、連合王国と帝国との間に軍事に関する協力関係が結ばれている。具体的言えば、互いに領土侵犯をしないと三国同盟によって誓い合った。破れば、多額の賠償金と領土の割譲を求められる。事実上の不可侵契約だ。
これが締結されたのは魔王の侵略戦争が複数の戦線を生み出したのが原因と言える。王国から見れば北北西に位置する国を奪った魔王は、そこから南進を開始。真っ直ぐに南へと領土を拡張していく様は、地図上で魔王の舌と呼ばれている。
その舌の縁に沿って隣接する国々と魔王軍は戦争を行っている訳だ。魔王軍は王国を西から攻め立て、連合王国、帝国とも戦争を継続中である。
仮に、その二国の腹や背中のような位置にある王国が魔王に敗北し、蹂躙を受け入れればどうなるのか。どちらの国も、魔王との戦線を一つに絞り、そこに全戦力を投入してどうにか互角に戦っている。それが、王国が陥落すれば側面から攻撃を受ける事になる。
それを避けるべく、王国には自国の護りに集中してもらう必要があった。場合によっては二カ国から派兵もありえた。
南北の憂いを無くしたことで、王国は西にある城砦に多くの兵を投入する事が出来た。山脈の切れ目を塞ぐように存在する城砦は、この十年近く破られることなくモンスターの侵入を阻んできた。
ところが、ここに来て反対側の場所でモンスターの侵入を許してしまう事になったとは。
それも姫が勇者召喚に挑戦する時を見計らったかのように。
「いや、それを知ったからこそ、あえて狙ったのか。アーデリアの無事は確認できたのか」
「それが……脱出できた兵は神殿外の警備に当たっていた者でして。姫や親衛隊。神官たちの安否は不明です」
「……ならば、勇者の召喚に成功したかどうかも不明という訳か」
「その通りです。情報が錯綜し、何が起きているのか不明ですが、兵が脱出した時点で被害は甚大。民にも死亡者が多数出ているとの事です」
女王は最悪の事態に頭を抱えそうになる。娘を二人産んだとは思えない、完成されたプロポーションを持ち、成熟された色香を放つ女王の悩ましげな溜息に男たちは状況を忘れてしまう。
親衛隊隊長の咳払いが無ければ、現実に帰ってくることは出来なかったかもしれない。
「私の責任だな、これは。あの子が嫌がっても、ここ王都で勇者召喚を実行させるべきだった」
「いえ、女王陛下。姫の提言に賛同したのは我らです。かつて、勇者が舞い降りた地で、伝説を再現することで民の戦意向上に繋がるという姫の考えに協調し、賛成を投じました。我らの手抜かりです」
大臣の言葉に居並ぶ重鎮からも詫びの言葉が飛ぶ。勇者召喚において重要なのは、儀式をする乙女が清らかなことと、満月の夜という事だ。場所に関しては特に指定は無かった。
下手に観光都市で行うと宣伝しなければ、このような事態にはならなかったのではと考えていた女王だが、固く瞼を瞑ると、後悔という名の時間の浪費を捨て去った。
「状況は非常に逼迫している。リーンカーンにて異常事態が発生してから、すでに七日あまり経過しているのだ」
いまだ狼煙や早馬が情報伝達の手段である王国において、七日で非常事態が発生したと伝わったのは幸運な部類に入る。リーンカーンまで馬で十日は掛かるのだ。脱出した兵士や、関所から伝えに来た兵士たちは馬の足を折るほどの無茶をさせたそうだ。
それでも七日。
近隣の都市から応援が駆けつけたとしても、間に合っているかどうか。いや、そもそも初手からして敗北しているのだ。間に合っているも何もない。
モンスターが都市の中央に聳える神殿から出現したというのなら、防衛戦の余地もない。ただ、内部から蹂躙されたのだろう。リーンカーンは今頃、モンスターの住処となっているはずだ。
「戦略図をここに持ってまいれ」
女王の言葉に待機していた兵士たちが素早く反応する。王国の重職に就く者達の前に大きな地図が広げられた。
それは王国の精細な地図である。村や街は勿論のこと、それらを繋ぐ街道や、山の一つ一つ、川の一本一本が細かく描かれている。
同時に国境にて隣接する国の一部もそこに描かれている。北には連合王国。南には帝国。そして西に魔王軍を表す黒い領地が。
「リーンカーンの付近にて魔素の出現は確認さたか」
「そのような報告はされていません」
「……だとしたら、まだ取り返す事は可能……なのか?」
女王の自信の無い言葉に、軍を統括する将軍が頷いた。
人ならざる怪物、モンスター。それは大型から小型、定型から不定形まで様々な種類が存在する。その多くはきちんとした戦闘訓練を受けた兵士が複数人掛かりで挑めば、決して倒せない相手ではない。それこそ、最下級のゴブリンやコボルトならば、力自慢の農村の若者でも倒す事が出来る。
ただし、それは魔素が無い、日の当たる土地ならば、だ。
魔素。
魔王軍が占領した土地にモンスターが長期間住みつくと自然と発生する黒い霧は、人の視界を狭めるだけでなく、モンスターの戦闘力を向上させる効果がある。
こうなると、最下級モンスターであるゴブリンやコボルトですら、兵士の鎧を手にした石斧で砕くようになる。
つまり、モンスターに占領された土地も、短期間の内なら取り返す事も可能なのだ。問題は、そのための兵力を何処から調達するかだった。
「将軍。西の城砦から兵をどれだけ捻出できる」
「……三割、四千までなら。ただし、これは傷病兵や新兵同然の者らです」
「冗談を言うでない。そのような兵で都市奪還が可能だと思うのか?」
女王の言葉に将軍は岩を削った様な表情を変えることなく、淡々と答えた。
「申し訳ありませんが、西の城砦から捻出できるのは、兵として数えていない者達ぐらいです。残りは防衛に回して、どうにか凌いでいるのが現状なもので」
戦の専門家から飛び出したのは、王国の守りが限界寸前にまで達しようとしている現実だった。その現実があったから、勇者召喚という賭けに挑むことになったのだと、居並ぶ重鎮たちは思い出した。
「近隣の都市、村から兵を徴募したとして、六千。一万の兵と言えば聞こえはいいが、素人と素人同然と傷病兵の集団ではとても。戦うどころか、隊列を組むのもままならないでしょうな」
「……それに、リーンカーンの状況が不明な今、下手に一万の兵を出して返り打ちにあう方が危険なのでは。まずは、小規模な偵察隊を派遣して、情報を得る事に徹するのは」
親衛隊隊長からでた提案も一理あった。このまま闇雲に徴募して、投入した戦力が無駄死にするのは厳しい戦況を更に悪化させる。女王は彼に偵察隊の編制を任せ、その間に打てる他の手を考えようとする。
だが、動揺と混乱する頭脳では良き案は生まれない。
彼女は早々に自分の状態が万全では無いと認め、専門家に任せる事にした。
「将軍。貴方はこの状況に置いて、どのような戦い方をするのが最善か、答えられるか」
「僭越ながら。戦略図を用いて説明しましょう」
まるで打ち合わせしていたかのように、将軍の背後で控えていた副官らが、戦略図にコマを配置する。白と黒の駒は、おそらく王国兵と、魔王軍を表しているのだろう。
「白を王国軍と。黒を魔王軍として、現在の戦況を現すとこのようになります」
王都を挟んだ東西両方に黒の駒が置かれ、防壁として機能する白の駒は西に集中している。
「リーンカーンを落としただけの戦力だと現状の東の関ならばあっという間に抜かれてしまいます。そのためには近隣から兵を徴募し、集結させます。例え、平地では案山子にしかならずとも、関所の防衛線ならばある程度は戦力になるはず。それでまずは時間を稼ぎます」
将軍の説明により、白の駒が関所に置かれる。
「時間を稼いでいる間に並行して、情報収集を行うのは私も賛成です。この場合、重要なのは二点。敵の戦力と、侵入経路です。いくら兵の数が少ない観光都市とはいえ、それなりの警戒はしてあった場所を攻め落としたのならば、相当な戦力が投入されたはず。だというのに、決行されるまで、いえ、決行されてもなおそのような軍列を見たという報告が無いのは不自然です」
「将軍の仰る通りですな。奴らがどのようにして聖地へとモンスターの軍勢を送り込んだのか。それを知らなければ、対策を立てられない」
将軍の言葉に女王も同意した。聖地で起きたことの原因を解明し、対抗手段を講じなければ、それは王都でも起こり得るのだ。
「説明を続けます。この集団が都市を動こうとしないのなら、南北の二カ国から兵を借り、包囲戦という手段が妥当かと。……この国に他国軍を招くというのは、軍を司る者としては耐えがたい屈辱ですが」
「堪えるんだ、将軍。それで、リーンカーンを制圧した集団が移動を開始した場合は、どのような手段を取るのだ?」
女王の質問に答えようとして、将軍は一瞬言葉を止めた。そのまま、何かを探すように一、二度口を開いたが、結局何も思い浮かばなかったようで諦めてそのままを口にした。
「東の関所が突破される前に、王都を放棄するのです」
王都で将軍が博打じみた戦略を説明するよりも三日前。
東の関所から更に街道を東へ、つまり聖地の方角に進んだ所にある、小さな村ではちょっとしたイベントが行われていた。
「結婚、おめでとうモニカ」
「綺麗な嫁さん貰って、幸せ者だな、グスタフ」
出席者から惜しみない祝福の言葉を浴びせられているのは、この村の若き新婚夫婦だった。純朴そうな青年と、野花のような地味ながらも整った容姿をする女性。仲睦まじそうに、照れくさそうに笑い合う姿に参列者はますます囃したてる。
この村は、関所からリーンカーンまでを結ぶ、三つの街道の一つに隣接している。だが、その街道は三つの中で一番古く、険しい山道だったため、通行する人が年々減っていた。
人が通らなければ、収入は減る。収入が減れば自然と村人の数も減る。そうして寂しくなった村において、新たな夫婦の誕生は喜ばしい事だった。
飲めや歌えやの大騒ぎは、まるで祭りのようだった。
なけなしの金で雇った楽団が山に響き渡るような軽快な旋律を奏で、村人たちが手に手を取り合って踊る。もちろん、主賓は新婚夫婦だ。
そんな輪から一人離れた場所で、輪の中に居るモニカに涙まじりの視線を向けている男性がいた。彼はモニカの父だ。彼は御馳走が用意されているテーブルに腰かけながら、誰も手を着けていない酒瓶に向かって語りかけた。まるで、そこに誰かがいるかのように。
「お天道様から、お前も見ているかい。あんなに小さくて、可愛かったモニカが、いよいよ結婚だ。それも幼馴染で、いつも喧嘩ばかりしていたあのグスタフとだぞ。人生、何があるのか分からないよな」
モニカの母は早くに死んだ。村を襲った地滑りに巻き込まれ、死んでしまったのだ。十年以上経つがいまだに死体は発見されていない。愛妻を失った男は、それでも残った愛娘を一人で、立派に育て上げた。それも今日で終わりだ。明日からは、彼女は愛した男と一緒に歩んでいく。悲しくもあり、誇らしくもあり、飛び上がらんばかりに嬉しかった。
「いや、そう言えばお前はグスタフと喧嘩するモニカを見ながら、お似合いだって言ってたな。やっぱり、見る目あるよ、お前は。だから、俺と結婚したんだな、なんてな」
一人で呟く男には、隣で相槌を打つ妻の姿が見えていたのかもしれない。
ふと、視線を余所に向けると、旧街道と呼ばれるようになった道から人影が歩いてくるのが見えた。
男は驚いたなと思う。聖地リーンカーンから歩いてきた人影は一つでは無かった。複数の人影がゆっくりと近づいてくるのだ。
しかし、同時におかしいなと男は首を傾げた。
その人影たちは、随分と奇妙な歩き方をしていたのだ。足を引きずるかのように、何かに操られているかのような、人ならざる者のような歩き方だった。