シュレーディンガーの男の娘
「シュレーディンガーの猫なわけだよ」
黒焦げになった勇介は、もう一度正座していた。
対して、水瀬は勇介から取り上げたワイシャツを着てソファに腰かけ、勇介を見下ろしている。
勇介はオーガ族の青年として平均より少し大きいくらいの体格だが、水瀬は線が細いため、いささか布地が余っている。彼氏のワイシャツを借りた彼女的な。
「それって、あれだよね? 密室の中に猫がいて、観測者が観測するまで猫は五〇パーセント生きていて、五〇パーセント死んでいる状態で存在しているっていうやつ。猫さんかわいそう」
「うむ。猫さんかわいそう」
「でも、それがどうしたの? ボクは君に正式な謝罪とワイシャツとジャージの弁償を求めているんだけど」
「まぁ、結論を急ぐな。俺の話を聞けば、いきなりお前の服を破いた俺にも情状酌量の余地があることに気づくだろう」
「よかった。悪いことをしたという意識はあるんだね」
「まぁ、結果だけ言えば悪いのはお前なんだけどな」
「前言撤回。全然反省してないね」
「ウェイトアミニット! まず前提として、覚えておいて欲しいのは、俺は童貞だということだ!」
「なっ! いきなりのカミングアウト! 友だちのそういう事情って聞きたくないんだけど!」
しかし、勇介は構わず話を続ける。
「当然、女の裸を生で見たことなどない。健康的な青少年ならば、大なり小なり異性に興味を持つのは自然なことだが、俺はその肥大化した欲求のわりに情報が不足している。極端な話、認識していないだけで、俺は今朝方既にそれを見ているのかも知れない。だが、それが裸だとわからんわけだ! てか、実際そうだったら俺すっげー損してない? 見たいぜ!」
「知らないよ! だから、結局なにが言いたいの? 前置きが長いよ。要領もえないし」
「つまり! 俺は今ひとつ疑念を抱いているのだ」
勇介はビシッと指を突きつけた。
「お前、本当は女じゃね?」
「なっ……!?」
水瀬は顔色を変えた。事実、学内でも水瀬の美少女ぶりは有名であった。男と片付けるにはあまりにかわいらしい。
『いや女の子があんなにかわいいわけがない』
『そうだ。むしろ、男の娘だからいいのだ』
口さがない者の間では水瀬は本当は女だという噂が飛び交っているのを、水瀬自身も知っていた。勇介もそれを耳にしたのだろうか。
「な、なな、なにを言っているんだよ。そんなわけないじゃないか、はははのは」
「しかし、お前は顔もすげーキレイだし」
「き、きれい……?」
「性格も優しくてかわいいし」
「か、かわいい……?」
「体つきもいかつくなくて、ぶっちゃけ美少女みたいな。男女の区別がつかない」
「え? え? いやー、そんな褒められても困るっていうか~。キレイとか、かわいいとか、そんなこと言われてもボク男だし~」
「オッパイがでーんとあったら、さすがの俺でも女だと断定できる。ぽっちゃり系以外。だがしかし、オッパイがないことで女性ではないと決めつけることはできない。無乳、まな板、ナイチチ好きがそれを許さない。胸は母性の象徴であるが、ふくらまざることは罪ではないのだ。むしろジャスティス! なやつだっている。四狼のように。話がそれかけたが、今、お前はシュレーディンガーの猫さんなのだ!」
「ボクが、猫さん……!?」
「女五〇パーセント、男五〇パーセント。性別がハッキリと観測され確定するまで女半分男半分ずつの可能性で存在し続けている。俺はこの部に集う仲間として、そんな半端な状態のお前と付き合うことはできない! お前を大事に思うがゆえに!」
やっと話がシュレーディンガーまでたどりついたが、それを茶化す者は今この場においてはいなかった。
水瀬は完全に空気に飲まれていた。
話の間に立ち上がり、目の前まで迫っている勇介に水瀬は尋ねた。
「どうすれば君は納得するの……?」
けおされながらも神妙な水瀬に、勇介は言った。
「ズボンを脱いで、オティンティンを見せてくれ」
女性の裸体にはとんと縁のない勇介でも、男性器にはよくあいさつする間柄だ。個々によって形状は異なると聞くが、その有無は見間違えようはずがない。
女性には男性器がない。それくらいは勇介は知識として保有していた。
「……なるほど。ここでかい?」
「ああ、ここでだ。幸い、今なら二人きりだ。他人に見られる心配はない」
「そうか、そうだね。他人に見られる心配はない」
しかし、友人といえど、他人ではないだろうか。
そもそも、オティンティンを見せてくれなきゃ友だちでいてやんないとか言い出すやつは友人とさえ言えないのではないだろうか。
という無茶な要求に対し、水瀬は、
「わかった。脱ごう」
確かに首肯した。
ほころびのない論理ではない。しかし、水瀬はどんなくだらない仮説に対しても、興味さえもてば立証せずにはいられない、難儀な性質である。
また、とても雰囲気に流されやすい性格でもある。
水瀬の性別を確定できないという勇介が、男性器を観測することで果たして自説の通り納得し得るのか興味があった。
また、大事な友人として関係性をハッキリさせたいという勇介の言葉は、内心嬉しくもある。
そんなわけで、水瀬は服を脱ぐことにした。