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「ドロシーさん、ちょっと下がっててください」
ただ事ではない悲鳴に、ブランは扉をぶち破る決断をした。ドロシーが廊下のはじへ身を寄せるのを確認すると、助走をつけるため、ドアから後ずさった。細身の自分が体当たりしたところで扉を壊せるかどうか心もとなくはあったが、運を天に任せるしかない。
ガチャ
「きゃあ!!」
「うわ!!」
ボフッ
ブランが勢いよく突っ込もうと足を踏み出した矢先、アリッサの部屋の扉が開き、中からでっぷりと太った中年の女性が現れた。一目で上流階級とわかる身なりだ。
「うぐぐっ」
あわてて足を止めたが、勢い余ったブランは、そのご婦人の山のような腹部に頭をめりこませてしまったのだった。
「あらあら、ごめんなさい。お廊下は走らない方がいいわよ」
彼女はしかし、かなり上機嫌だったらしく、気を悪くした様子も見せず、ブランを助け起こすと、彼のズレた眼鏡と乱れた茶色の髪をなおしてやり…
「それじゃ失礼あそばせ」
と、鯨のような巨体を揺らしながら立ち去っていった。
「アリッサさん!!」
一瞬、あまりの意外な展開に面食らってしまったブランだったが、気を取りなおすと部屋の中に飛び込んだ。
「なんだい?騒がしいねえ」
中に入ったブランは思わず言葉を失った。部屋の中央では、アリッサが何事もなかったかのように封筒から紙幣を出してペラペラと数えている。しかし、何事もなかったのはアリッサの周辺だけであった。室内は恐ろしいほどに荒らされていた。
本棚は倒され中身が散らばっており、水晶玉や糸車、何かの頭蓋骨などがあちらこちらに転がり落ちている。壁の絵画は斜めにズレ落ち、カーテンは引き裂かれている。
「アリッサさん!!何があったんですか!!」
部屋の様子に動揺し、気持ちがやや激昂したままブランが問いただす。
「うるさいうるさい!!あとちょっとで数え終わるから話しかけないどくれ!!」
アリッサが勘定しているいる札束はかなり分厚く、ブランの3ヶ月分の給料をゆうに超えるだろう。
「ちょっ!!そんなことは後にして、この部屋で一体何があったのか説明してください!!」
そんなブランの呼びかけはあえなくスルーされた。数分後、アリッサはようやく入念な枚数確認を終え、改めてブランの方に向き直った。
「で、いったい何を聞きたいんだい?」
「えっ、それは…」
改めて聞かれ、ブランはつい口ごもってしまったが、気を取り直し言葉を続ける。
「あの、さっき部屋から出て行った女の人はー」
「ああ、ありゃ依頼人だよ」
ブランの質問をさえぎってアリッサが答える。
「依頼人って…また勝手に仕事をしてるんですか!?」
ブランが怒りと嘆きの入り混じった声をあげる。
そうなのだ。アリッサは現役時代、かなり強力な魔法使いだったらしく、引退した今でも、その魔力を頼りに依頼や相談に来る人が後をたたない。アリッサ自身もまんざらでもないようで、それでかなりの小遣い稼ぎをしているのだ。施設側がいくら商売を止めるよう説得しても効果はまったくなかった。
「ああ、食べ物に執着する邪鬼が憑いてたんでねえ、ひっぺがして退治してやったのさ」
なるほどな、とブランは先ほどの恰幅のよいご婦人の後ろ姿を思い浮かべた。
「まあ、仕事というか有償ボランティアだよ。人助けさね」
法外なボランティアもあったもんだ。
「あのね、アリッサさん。魔物退治なんて危険な事を施設内でするのは絶対やめてください。他の入居者の方に万一の事があったらどうするんです」
「だから、きつ〜く結界をはっといただろうに、静かなもんだったろう」
「アリッサさん自身に危険が及ぶのもダメなんです!!」
「あにいってんだい、あんな下級な邪鬼にあたしがやられるわけないじゃないか!!」
アリッサはちょっとムッとしたようだ、しかし、ブランは魔物の強弱など知らないのだから仕方がない。
「そんな事言ってますけど、部屋がメチャメチャじゃないですか!!」
「まあ、トドメにちょっと強力な魔法使っちまったからねえ」
どうやら部屋を荒らした原因は、魔物ではなくアリッサ自身らしい。
「…わかりました、とにかく一緒に片づけましょう。話はそれからです」
「やなこった」
アリッサは、ブランにあかんべえをすると、同時に指をパチンと鳴らした。と、見る間にアリッサの姿は見えなくなってしまい、部屋にはブランが1人ポツンと残された。
「何で消えちゃうんだよ…」
生真面目なブランはそのまま立ち去る事もできず、小一時間かけてアリッサの部屋を片づけたのだった。
「ごくろうさん」
片づけを終え、廊下をトボトボと歩いていくブランに、ドロシーがねぎらいの言葉をかけた。




