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「アリッサさん、お茶が入りました」
「ああ、すまんね」
二人がのんびりとお茶を飲んでいるのは、シルドナ村の宿の一室である。もちろん今回は、物置に押し込まれる事もなく、きちんとした客室があてがわれている。
「ナップはもう、ヨルムに着いたでしょうかね」
「ああ」
シルドナに戻った三人は、さっそく事の次第を村長に報告した。話し合いの結果、ナップはそのままヨルムに戻り、新たな騎士団とヒーリング部隊を応援に連れてくる事になった。ナップが、村の若者数人に警護され、シルドナを出発したのが2日前だ。
ヒーリング部隊とは、フィン評議会に属する騎士団とは別の組織で、ルテラ教の神官達による治療魔法専門の集団だ。そんな大任をおったナップを尻目に、アリッサとブランは、ここの宿屋に滞在し、長旅の疲れを癒やすことに決めたのだ。
「村人全員を石から戻すには、数ヶ月かかるようですね」
「ああ」
グレンの死と共に、石になった村人達が一斉にもとに戻るという奇跡は、残念ながら起こらなかった。キリー村が復興をとげるには相当な時間を要するだろう。ブランにはそれが、灰と化したグレンの最後のあがきのように思われた。
「さてブラン」
お茶をすすり、のんびりと窓の外を眺めたまま、アリッサが声をかける。
「何ですか?」
「明日にはここを出るよ」
「ええっ!?」
ブランはいささか驚いた。
「え?だって…娘さんに会ってかれないんですか!?」
「ああ」
「ヒーリング部隊の人にお願いすれば、きっと最初に治療してくれるはずです。あと一週間の辛抱じゃないですか」
「いいんだよ」
「よくないですよ!!それにお孫さんだって…」
声を荒げるブランに、アリッサはいつになく穏やかな調子で話しかける。
「孫はねー」
「え?」
「孫はあたしの顔を知らないんだ」
「ええっ?」
ブランは何ともいえない顔になってしまう。
「娘も…もう会ってもわからないかもな。あいつが十五の時に家出して以来だから…三十年近く会ってないんだよ」
「…………」
「そりゃ、あたしはさ、たまに千里眼の術を使ったりして、あいつがどこでどうしてるのかぐらいは常に気にしてたさ。そして、あいつがどれだけあたしを憎んでいるかも感じとっていたしね」
「……………」
「なあブラン」
「はい」
「人は、いいとこ取りはできないもんだねえ」
「え…」
「あたしはさ、充実した冒険者の日々とあたたかい家庭、ぜいたくして2つの事を望んじまった。本当はどちらかを犠牲にしなきゃ成り立たないものなのにさ」
「…………」
「だから、大切な片方をなくしちまった…だけどね、後悔はしてないよ」
「…………」
「何かを手にするためには、何かを犠牲にしなきゃいけないのさ、特にあたしのような不器用な人間はね」
「…………」
「あたしは…間違っているのかな」
「それは…」
窓ごしに、すでに夕方のオレンジ色に染まりだした外をじっと眺めるアリッサの背中に、もはやブランは何の言葉もかけることができなかった。