美しい獲物
――――美しい
それは私たちにとって、『永遠の足枷』と『死の宣告』の間にある呪いの言葉だった。
――――高く売れそうだ
――――愛で甲斐がある
――――精々、可愛がってもらえよ
呪文はそこで締め括られる。
私たちは彼らにその呪文を吐かせまいと牙を剥く。どうにかして逃げ延びようと爪を立てる。
しかし、彼らは軍隊蟻の如き数と、犀をも凌ぐ硬い肌で護られている。牙も爪も彼らの心臓には届かない。
向けられる無数の鉤爪に絡め取られ、自由を奪われる。もう逃げることは叶わない。
それでも藻掻く同胞もいる。彼らはその場で手足を折られ、首を落とされる。
彼らが作る檻もまた、生き物が生み出した造作物とは思えない頑丈さで私たちの退路を悉く閉ざしてしまう。
彼らは、誰よりも私たちをジックリと見詰める。虎や小鬼たちよりも。
厭らしく、汚ならしい目は執拗に私たちを追いかけてくる。
どんなに視線を逸らしても、鬣犬ように追い回してくる。
何処までも、何処までも……。
それは触れずして私たちの体を切り刻み、魂を舐る狂気の瞳。
彼らの目は、『それ』が実現するまで私たちに何を求めているのか理解できない。
――――それが、彼らの最も怖ろしい特徴。
悪魔だって彼ら程に怖くはない。
その瞳の奥で、私たちがどんな姿に成り果てているのか、分からない。
――――それが、彼らの最も怖ろしい特徴。
彼らは常に私たちを笑顔で舐め回す。
私たちは、それを一度たりとも「美しい」と感じたことはない。
彼らの頬が歪めば歪む程に、私たちは彼らの『目』で嬲られると知っていたから。
洗礼を受けた私たちは、彼らの見えざる欲望によって選別される。
首輪を付けられ、飼われるもの。
養殖の檻に繋がれるもの。
共喰いの牢に押し込められるもの。
食肉とそれ以外に解体されるもの。
――――そうして私たちは、黄金色の石に変えられる。
彼らは私たちを無限に使い回す。娼婦よりも雑に。玩具よりもよりも丁寧に。
首輪を付けられたものの中には、命辛々逃げ延びたものもいた。しかし、帰ってきたものたちは残らず、頭がオカシクなっている。
そうして狂った同胞を餌に、別の同胞が捕まることもある。
檻に入れられたものは、孕めば腹を裂かれて愛し子を奪われる。
愛し子は言葉を覚えるよりも早くに喰われるか、彼らの言葉で紡がれた人形へと育てられる。
牢に詰め込まれたものたちは、餌を与えてもらえない。
やがて現れる悪魔が私たちに成り代わり、仲間を食べ始める。独りになると彼らは虎を放り込み、私たちの悲鳴を最後まで笑顔で見届ける。
肉は焼かれ、煮込まれ、彼らの胃へと運ばれる。
残った皮は、持ち主を模った偽物となって彼らの愛玩となる。髪や牙は彼らの『力』を象徴するように、彼らを煌びやかに彩るのだ。
彼らは私たちを眺め、食し、笑う。
私たちが彼らの欲望に喰らわれる様を見て。
――――『人間』
それは私たちがこの世界で唯一恐れる神々の名前。
見渡せば、同胞たちは一人もいなくなっていた。
次は、私の番なのだ。
しかし、私の身にその『呪い』は現れなかった。
「――――とは思わんか?」
代わりに現れたのは一匹の黒猫だった。
「彼らの手を、同じ色で染めてみたいとは思わんか?」
一歩、暗闇を貼り付けた杖のような足が、甲高い音を立てて私に近付いた。
「彼らの目を、同じ嗚咽で埋め尽くしたいとは思わんか?」
一振り、闇夜に浸したような尾が、鷲翼の如く宇宙を薙いだ。
「彼らの魂を、同じ言葉で切り刻みたいとは思わんか?」
一垂らし、新月を潜ませる顎が、月の脂を滴らせた。
そう。私たちもまた、
檻の中から、死骸の山の中から、彼らに呪いの言葉を吐き続けていた。
黒猫はそれを聞きつけて遣ってきたのだ。
「そうだ。その通りだ。」
――――私たちは、「美しい」
彼らは私たちをそう、名付けた。
蜘蛛の織り師が吐いた糸のような白銀に眩い頭髪。
海に落とせば二度と見つけられないような瑠璃の瞳。
百日紅を張り付けたかのような肌理細かさと流氷の天使のような柔らかさを備えた皮。
神々を酔わせる葡萄酒さえも霞んでしまう芳醇な血。
――――そう、私たちは「美しい」
たとえ、
この髪をお前たちの血で染めたとしても――――
たとえ、
この目に映すものがお前たちに限られたとしても――――
たとえ、
この肌がお前たちの剣で覆われたとしても――――
たとえ、
この血の全てをお前たちの大地に捧げたとしても――――
「――――お前は、『美しい』」
※アイルーロス=ギリシャ語で「猫」という意味です。
※鷲翼=鷲の翼を略した造語です。
※アラクネー=ギリシャ神話において半身が女性、半身が蜘蛛で描かれる怪物のことです。アテネ(神様)の手で怪物にされる前は染織物を生業にしていた普通の人間の女性だったそうです。
※瑠璃=宝石の一つです。洋名がラピスラズリです。深い青色の不透明な宝石です。
※百日紅=学名、ラジェルストレーミア インディカ。別名、サルスベリ。その名の通り、サルも滑ってしまう肌理細かい幹を生やすのです。
実際はサルは滑らず登ってしまうそうですが…、そういう名前なんです。
※葡萄酒=ワインの総称です。今回は赤ワインの最高峰「ロマネコンティ」に限定させてもらいました。
※クリオネ=北極海などの寒流域に棲息している裸亀貝のこと。「流氷の天使」は愛称らしいですよ。「氷の妖精」とも呼ばれるらしいです。
体表面は「クニュクニュ」とした触感らしく、今回の「獲物」の表現としては「両棲類?」「ネバネバしてるの?」と思わせてしまう表現ですが、「柔らかくて儚い」イメージを持ってるものが他に思い浮かばなくて……手抜きです。スミマセンm(__)m