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少年Aと帝王のダイニング  作者: ハルシヲン
第一章 
6/12

第五話 少年A、雨宿りをする。


練習後、俺はいつものように自転車にまたがり、しかし少し急ぎめに走っていた。


天気予報によると、夜中にかけて雨が降るらしい。

なんとか俺が家に着くまではもって欲しいものだが、校門を出て3分と経たないうちに降り始めていたので、なるべく急いで帰りたい。

予報は10時頃からとあって、今朝も文句なしの晴天だったので、うっかり油断して合羽を忘れてきてしまった。




もう既に雨は降り始めたというのに、住宅やビルの隙間から見える遙か彼方の西空には、夕日のない橙が沈殿するようにわずかな明るみを発していた。



雨が徐々に強まったとき、間もなく前方に狭い川と、それを挟んで、いつも登下校で通っている商店街の明かりが見えてきた。


傘を差して歩くスーツ姿のサラリーマンが、吸い込まれるようにちらほらとその明るみへと消えていく。

雨水を湛えた石畳の地面が光を乱反射し、闇に沈む周りにぽっかり浮かぶように幻想的な雰囲気を醸し出していた。

商店街へと続く川の両端には、ぼんやりと柔らかな光を放つまるい街頭が、まるでそこへ誘うかのように立ち並んでいる。


高校入学前までは、一度来たことがあるかないかくらいの、そんな寂れた商店街だったはずだったのだが、それはあくまで昼間のことだけだったらしい。



川に渡る橋にさしかかったとき、雨が一段と強くなった。


俺は俄に雨宿りをせねばならないということを覚悟した。

何軒か、しばらく雨宿りができるようなシャッターの閉まった店があるし、アーケードのようなものもある。


この雨の強さは、あと帰宅までの10分ほどもちそうもない。

俺自身は全く問題ないのだが、教科書が大惨事を被ってしまう。どこかのお店の人に頼んで、せめてビニール袋はもらってそれだけは回避したい。



いつの間にか西空の橙色は消えていて、あたりは真っ暗になっていた。


川を渡りきり、道路とほんの少しの石畳を過ぎた瞬間、前方に夜目に眩むような商店街の明かりが俺を自転車ごと飲み込んだ。


無言だった住宅街とはうって変わって、雨だというのにそれぞれの店内から活気あふれる声が漏れ出ていた。

焼き肉、イタリアン、台湾料理、ネパールカレー。

居酒屋、サラリーマンやOLのより所にふさわしい、主張の強い濃い香りが漂ってくる。



うーん、ここ、部活帰りに通るには安全だが、別の意味でキツいのかもしれない。


こちら方面の通学生はほとんどいないため、安全面を考慮し、通学としてこの商店街を通ることにしているのだが、良いにおいがするという別の問題が出てきた。


居酒屋は勿論多いのだが、同時に、学生用のコロッケをうる精肉屋だとか、串カツ屋だとか、買い食いできる店も多い。そして何よりも、学生の財布を考慮して、リーズナブルなものばかり。

肉まんなんて、今の俺の目には毒過ぎる。


冷たくぬれた学ランの下で、予想通り腹が鳴るのを気にせず、俺は前方に視線を移した。

これ以上脇目をふっていると、部活後のブラックホールのような食欲に屈してしまいそうになる。

何かしら中途半端に食べてしまうより、家まで我慢したほうが美味く夕食が味わえる。


それに今日は好物の親子丼と聞いた。それに加えて茶碗蒸し。

昨日祖母と母がそれぞれ卵を買ってきてしまい、冷蔵庫には大量の卵があるらしく、今日は卵祭りなのだ。

テーブルを埋め尽くす、艶のある卵料理を思い浮かべ、腹が再び鳴った。

俺はそんな妄想を頭中から一掃するように、頭を小さく振った。





すると右斜め前方に、遠慮がちな明かりを放つ一つの中華料理屋が見えた。


色あせた赤銅色ののれんに印刷された唐辛子のイラスト。スライド式の古びた入り口から見える、熱気によりわずかに曇りがかった満席の店内。

そして店内にとどまることなく、惜しげもなく外へとあふれ出る唐辛子とニンニクの絡み合う濃厚なスープの香り。


この中華料理店は、何よりも記憶に深く刻まれていた。


なぜなら昨日、俺はここで不動の帝王に出会った。



出会った、だけではなく、相席した。


だけでなく、帝王桐春先輩にそのラーメンを味見させてもらった。直々に、その御手から。



それが今、二日間ほど俺の悩みの種となっているのである。


つまり、あの桐春先輩の人の寄せ付けなさ、あまりの他の生徒とのコミュニケーションのなさは何が原因なのか。ということ。


もしかして桐春先輩が過去に何かしら事件を起こしたのか、いや、仮にもしそうであれば、今のあの女子からの人気、同級生からの絶大な支持と信頼はありえない。

三年生のソフトテニス部の先輩方も、桐春先輩には大きな信頼を寄せている。

だからこそ、部長として、不動の帝王としてあの座に君臨することができているのだが。


ただそれが、桐春先輩が鉄仮面で、話しかけづらいという表面的な問題から来るのだとすると、それはそのままで良いのだろうかと僭越ながら俺は思うのだ。


桐春先輩がそれでいいと思っているのなら話は別だが、通常の高校生ならそんなのは精神的に耐えられない。



ラーメンを食べていたときの、わずかに見せたあの満足そうな表情、

全く知らない俺に、ためらいなく自身のラーメンを食べさせたこと。


あの桐春先輩がもし、俺以外、誰も知らない本当の顔であるならば…。


そんなのは、単なる俺の思い上がりだろうか。


次ふたりで会うことがあるならば、そんな機会に会ったなら、尋ねることはできないのだろうか。






アーケード出口付近。


一件の真っ暗な店があった。

シャッターは閉められ、看板が無理にはがされだろう跡が残る、一つ、沈黙の沈む店の前。



瞬間、アーケード下全方位に、たたきつけられたようなボールのインパクト音が鳴り響いた、ような気がした。


今日の昼間、聞いたばかりの音、見たばかりの光景。



闇に沈むその店の前に、シャッターにもたれて佇む一人の男子生徒。





不動の帝王桐春啓二は、至極当然のように、そこにいた。



考える前に、体が動いていた。



そこだけ異様に静かな商店街の片隅に、自転車が高い悲鳴を上げて止まった。


桐春先輩の視線がこちらを向く。


同時に心臓が大きく脈打ち、雨に濡れた肌に冷や汗のものが混ざった。

地面に足をつけた瞬間、大量の水を吸った靴からのいやな感触と共に、足の指の間に水が入り込んでいった。




そのまま俺は自転車を引き、無言のまま視線を合わせることなく、桐春先輩の隣に『雨宿り』した。





奥の方で賑わう店と隔離されたように、静まりかえる商店街の東出入り付近。


アーケードに降り注ぎ跳ね返る強烈な雨音だけが、何もかもを支配するように響いていた。





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