家族というものは
『あら、金髪にしたの? いいじゃない、似合う似合う』
お母さん、金髪怒らないの?
『何で怒るの? かっこいいじゃない』
ふーん。
『アンタ金髪が似合うわね』
あれ、千紘さんだ。何でうちにいるの?
『アンタのしたいことしたらいいわよ』
千紘さんってお母さんみたい。あれ? そう言えば、千紘さんがお母さんだったっけ。お母さんって、誰だっけ。――忘れないで、若菜。
――私を忘れないで、若菜。
「お母さん……!!!」
嫌な夢を見た。それは、あまり日常的に意識したことのない内容だったので、結構ショックで。私は、最近お母さんのことあまり考えなくなってしまったな。彼女のことを思い出せるのは、私だけなのにな。
母は、苦労した人だった。元は大きな家の長女として生まれたらしいが、私の実父に当たる男と駆け落ちしたのだと言う。だけど父は、心が弱かった。酒に溺れるようになり、多額の借金を残したまま亡くなってしまった。母は、借金を肩代わりしていた。それまで働いたことも無い、世間知らずの女性だ。大した仕事にも就けず、複数の仕事を掛け持っていた。それで、過労が祟って病気になってしまったのだ。母が生きている間は、私が入院費用などを稼いだ。皮肉なことに、父の連帯保証人だった母が亡くなったため、私は千紘さんの援助を受け借金を公的手続きにより無くすことができた。今の生活があるのは、全て彼のお陰だ。
この数ヶ月は常に、彼に恩を返すことだけを考えて生きてきた。だから、自然にそうなってしまったのだろう。母のことで涙することは無かった。だから何故このタイミングなのだろう。不思議に思えた。きっとお母さん寂しかったのね。そう思うと胸が痛む。時刻は午前5時。起きて掃除を始めるには少しだけ早い。変な夢見のせいで体が汗でべとつく。私は千紘さんが起きてしまわないように細心の注意を払いながら、シャワーを浴び一回のカフェへと降りた。
最近は忙しくて、なかなか練習する暇が無かったので、コーヒーを淹れる練習だ。同じやり方をしているはずなのに、千紘さんが淹れるとものすごく美味しくなるのは何故なんだろう。Cafe and Dinning Bar KURONEKOのコーヒーはネルドリップ方式で淹れる。ネルと呼ばれるコーヒーを抽出するための麻布製のフィルターの管理が面倒で、淹れるものの熟練度が必要とされる方法であるが、千紘さんはこのやり方にこだわりがあるようだ。これができるようになれば、私もキッチン補助に入れるようになる。アルバイトの中でも、できるのは黒猫さん、ポニーさんの2人のみ。梓もキッチンに入っていたから、彼もできるのだろう。
まずは、コーヒー豆を挽いて水に浸したネルを良く絞ってセット。この段階で豆の挽き具合には差が出るので、本当にこのやり方は人によって味が異なる。続いてよく沸騰したお湯を少し冷まし、できるだけ細く優しくコーヒー粉の上に落としていく。このとき、円を描くように注ぐこととネルを濡らしてしまわないのがポイントだ。これが結構、力と集中力の要る作業で私はいつも途中で力が分散してしまう。未だ5回練習すると3回は失敗するといった感じだ。
「うーん、味も微妙」
千紘さんのは何ていうかこう、ほんのりと甘味があるのだ。これは豆の挽き具合と蒸らし時間に関係するようで、黒猫さんのコーヒーにも、ポニーさんのコーヒーにも同様の甘味が感じだれるけれど、千紘さんの淹れたものが最もバランスが良い気がする。
「そうでもないわよ、美味しいじゃないの」
何時の間に起きていたのだろうか。キッチンに散乱しているコーヒーの一つを手に取り、千紘さんが微笑んでいた。
「若菜ちゃんらしい味よ。荒削りで、キリッとしてるしアタシは結構好き。朝にピッタリね」
「キッチンには立たせてくれないくせにー」
「ふふふ」
「起こしてごめん」
千紘さんは、基本的に眠りが浅い。私が立てた物音ですぐ起きたりする。多分シャワーを浴びたのがいけなかったのだろう。
「いいのよ、いつもこのくらいには一度目が覚めるし。1階からいい匂いがしたから誘われてきただけ」
私はいつからこんなに弱くなったのだろう。気がつくと俯きながら口が独りでに動き始めていた。
「眠れなくてさ」
「そうなの」
「お母さんがね、夢に出てきたんだ。忘れないでっていうの」
「うん」
「忘れてたわけじゃないの」
「うん、そうね」
「必死だっただけ」
「頑張ってるのはわかってるよ」
「うん」
そう言って戸惑いがちに伸ばされ手が、頭に触れる。ポンポン。大人が良く私にするヤツだ。それで終わるかと思いきや、体がグイっと引っ張られて千紘さんの私より幾分広くて薄い胸板に包まれた。男の人の匂いだ。こうしていると、そう言えば千紘さんは男の人だったんなーなんて思う。
「私だってお母さんよ。あ、どっちかといえばお父さんかしら。ヤダ、自分で言っちゃあお終いよねぇ!」
「ちょっと、台無しなんだけど」
緊張しがちな雰囲気を和らごうとしているのか、耳元でそんなことを言うので、私は今日の夢のことなんてとっくに気にならい。本当にこの人には適いやしないんだから。この雰囲気の中なら私、聞ける気がする。私は意を決する。それは、以前から気になっていたことだ。
「ねえ、前から気になってたんだけど、それってファッションオネェ?」
「んー?」
千紘さんは唇に人差し指を当てて首をかしげる。だから、いちいち女子力高いんだって。
「だって千紘さん、彼氏とかいないじゃん」
「そうよ、ファッション。オネェの振りしてんの。スタッフ若い子が多いし、若菜ちゃんもいるし変な勘違いされないよう予防線張ってるのよ。だからアタシ自身は男性ね」
やっぱり。これだけ見た目が良くて女子力あるし声も多くかかれば彼氏がいないのは不自然な気はしていた。
「黒猫とミルクちゃんは完全にオネェと思ってるよね?」
「そーなのよね。だから、若菜ちゃんがうちに来た日は普通だったでしょう」
言われて見れば、僕って言ってたような。途中でオネェがばれた、とばかり思っていたけれどその逆だったわけだ。
「あー、ごめん。私がカフェで働くとか言い始めたからずっとオネェじゃなきゃいけなくなったんだ……」
「梓で慣れてるよ」
あ。じゃあ、梓が振られたのってもしかして。
「梓、不毛……」
「アイツなら大丈夫よ」
「いや、不毛でしょ」
「ふふふ、大丈夫よ」
そう言って意味有りげに微笑んだ千紘さんは、ゆっくりと体を離す。その余裕な感じ、癪だな。そう思って私は、気がつくと千紘さんの頬を両手で包んでいた。そのまま耳元で囁く。
「いつもありがと、パパ」
瞬間、自分の顔に熱が溜まっていくのを感じる。あ、これ自分でやっといて恥ずかしいやつ。慌てて体を離して、階段へ。
「そ、そろそろ掃除始めようかな! 私、サロン取ってくるね!」
後に、担任の的場先生の元には、泣きじゃくる千紘さんから電話が入ったらしい。私がパパって呼んだのがよほど嬉しかったようだ。アルバイトでは結構お父さんって呼んでいるんだけどな。
私たちの奇妙な家族ごっこはまだ始まったばかりだ。
更新が遅れた上に短くてすみません!
お話のキリが悪かったので一旦切りました。
来週からはいよいよ新章、新作部分の更新に入ります。
よろしくお願いします。