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ネコ目なあいつは

「若菜ちゃん、初日の前半戦お疲れ様。疲れたでしょう。よかったらこれ食べなさいな。後半はそう忙しくないはずよ」

 千絋さんが休憩室に運んできたのはまた私の知らない料理だった。フライパンのような鉄板の深鍋に黄色の飯と魚介が沢山乗っている。嗅いだことのないスパイシーな香りがなんとも食欲をそそる。

「わ、すごい。何ていう料理ですか」

「これは、パエリア。スペインの炊き込みご飯みたいなものよ。まだ試作品なの。お客さんに出したものの余りなんだけど一緒に片しちゃいましょう」

 そう言って千紘さんは慣れた手つきでパエリアを取り分けると、内緒よ、なんて言いながら懐から小さな陶器でできたワインボトルを取り出す。私はぎょっとして叫びそうになるが、内緒よ、と言われたことを律儀に守ろうと両手で口を覆った。

「あははは、そんなに驚かないで。これ、アルコールは入ってないわ。ただの葡萄ジュース。若菜ちゃんはホットワインって知ってるかしら?」

その言葉に安心するが、頭が混乱してきた。ホットワイン? 確か私が知るワインというものは冷えていてこそ美味しいというイメージだ。果たしてそれは美味しいのだろうか。

「欧州の文化では、ワインを温めてスパイスを加えて飲む習慣があるの。これは、それを真似て作ったソフトドリンク。いつもは本物のワインで作るんだけど、これは未成年のあなたでも飲めるように改良してみたわけ。なんといっても、パエリアにはワインが合うのよ」

そう言って優しく微笑む千紘さんの目を、私は何故か上手く見つめ返すことはできなかった。安らぐはずなのに、どこかくすぐったいような、そんな感情だ。私にとって学校以外で誰かと一緒に食事をすること自体が久しぶりだった。

 千紘さんと目を合わせるのが気まずいので、目の前の“パエリア”に集中する。まずは用意してあるスプーンでライスを一口食べる。シーフードとスパイシーな香り。味は塩味に近いが、魚介の出汁がよく出ていて、成程スペインの炊き込みご飯という表現はパエリアを知らない私にはわかりやすいように思えた。おいしい、何これ。

「……しい」

「んー?」

「おいしい、です。……千紘さん」

 それは、素の感情で出た声だった。“千紘さん”。彼の名前を頭の中ではとうに何度も読んでいた。けれど赤の他人に助けてもらった引け目と、人間不信と、いろいろが交錯して素直に呼べていなかったのだ。

「ヤダ、名前。呼んでくれたのね」

 千紘さんは一瞬驚いた顔をするも、すぐに笑顔になる。綺麗な頬笑み。癒される。

「どういたしまして、若菜ちゃん、いいえ。もう若ちゃんね。期待してるわよー若頭さん」

「精一杯頑張る」

 時刻は14時。黒猫さんは上がりの時間になると雑談することもなくあっさりと帰っていった。私は残りの1時間をトラブルなくこなすと、自室に戻り学校の準備。今日は初日なので早めに来るよう言われている。

千紘さんが洗濯してくれていた制服に袖を通す。果たして、定時制高校に制服が必要かと言われればそれまでなのだが、何せあまり服を持っていないし、制服と言うものは何かしら良い緊張感を与えてくれるので嫌いではないのだ。

傷んだ毛先を丹念に梳かす。金髪は健在だ。千紘さんは、金髪について咎めたりしなった。普通の大人は皆、私の金髪を注意してきたり馬鹿にしてきたりしたけれど、千紘さんは似合っていると言ってくれた。


 母さんと同じだ。


 母もまた、私の金髪を咎めなかった。はじめて髪を染めた日も。むしろ、千紘さんと同じような優しい眼差しでクシャクシャと髪を捏ねただけだった。

『なになにー、若菜イメチェン?』

『こ、これはその……似合ってないのは知ってる!』

『あらそう? ふふふ』

 私は母親が絶対に怒るだろうと踏んでいたので拍子抜けした。母は水商売をしていて見た目こそ派手だったが、言葉遣いや振る舞いには口うるさい方だったからだ。しかし母親は怒るどころか、まるで思春期の娘をからかうように(実際はその通りなのだが、若菜は母親が何故自分をからかうのか理解していなかった)ニヤニヤと楽しそうなので、少し照れくさくなってしまう。

『母さんだって、仕事行く時すごい髪型盛るでしょ!!』

『だって母さんキャバ嬢だもーん』

『もー! ニヤニヤしないでよー!』

『だって若菜、可愛いんだもーん』

『キャバ嬢に言われても嬉しくないし!』


 そんなやり取りが目に浮かび、ふと寂しさに囚われそうになる。慌てて全身鏡をチェックし、頬をパンパン、と叩き気合を入れ直す。

「おっしゃ、なってやろうじゃん、弁護士! そのために大学! そのために高校!」

 母親が入院して、生活費を稼ぐために高校を辞めたのが半年前。本来なら高校2年の6月だ。いったいどのくらい授業が遅れてしまっているのか、わからないけれど。私は今日から高校生1年生をやり直す。学費のこともあるので公立高校で良いと言ったが、千紘さんは知り合いの教師がいると言いある私立高校の定時制へ編入を勧めてくれた。

 時刻は15半。軽快な足音を立てて階段を駆け下りる。本音は、再び勉強できることが嬉しくてたまらない。千紘さんの生活スペースである2階の階段を下りると1階のカフェスペースの休憩室に繋がっている。そこからキッチンにこっそりと顔をのぞかせた。

「千紘さん、私、そろそろ行ってくる」

「ああ、もう時間だっけ。ちょっと待って」

 千紘さんはカウンター席に客の入っている時間は、休憩室以外は普通の男性のような振る舞いをする。これはやはり、いくら世間に千紘さんのような人間が受け入れられてきたとは言え、店の評判に関わることもあるかららしい。ちょっと聞きなれないその話し方にぎょっとするも(むしろオネェ言葉にぎょっとしないほうがおかしいのだが)、事情を知っているため特に言及はせず大人しく従う。

 千紘さんはキッチンの棚からお弁当らしき包を持って来た。その包みを見て首を振る。

「い、いいって、そこまでしなくて大丈夫ですから。夕飯なんてあんまり食べたことないし」

「でももう作ったから」

 そう言って弁当を渡されると、断るのも失礼に思え、受け取ってしまった。というか唯でさえ男性の口調で話されるとちょっと微妙な気持ちになるというか、千紘さん、やっぱり顔が良いというか、イケメンというか。だからそんな感じで優しくされると何かに目覚めるっていうか。オネェだからやたらカッコつけ方上手いっていうか? やっぱ女の子のツボ心得てるよね。私は今にも早鐘を打ち始めそうな心臓を落ち着けるべく、言い訳のように心の中で呟く。そうそう、あの人はオネェ、オネェ、オネェ、オネェなんだ。

 そんな私には気づかず千紘はキッチンの方へ。これで変な仕草の(何度も言うけれど一般的にはこれが普通の男性の仕草だ)千紘さんから解放される思いきや、いきなり大きめの声でキッチンのポニーさんに向かって表まで若菜ちゃんを送っていく、という風のことを言い出すので、私は一層慌てて首を振る。

「ひとりで行けるし。店、バイトに任せるの!?」

「大丈夫、すぐ戻る。皆真面目なアルバイトだよ。さ、行こうか」

 そう言って千紘はさんサロンを外し、裏口の方へさっさと歩いて行ってしまう。私も、仕方なくついて行った。どうやら二つ角先のバス停まで送るつもりらしい。

「えと、じゃあ……い、ってきま、す」

「うん、いってらっしゃ~い。きっと夜遅くなるから、必ずバスで帰ってきてね。遅くなる時はこれ。店の番号にかけて」

 そのメモを手渡す仕草はやたらと脇が閉まっていて、指先は揃えられ、女性らしい。バス停に着いた途端に千紘さんはオネェに戻ったので、少し安心した。こっちの方が慣れてるなんて。そう思うと笑えてくる。

「ちょっとぉ。何笑ってるの。アタシがあんまり格好つけてるんで、面白がってたんでしょう」

「まあ、そんなところ! ってヤバ! バス来てるし! 行ってくる!」

 笑っている理由を悟られる前に、バスに飛び乗る。てっきり何か言われると思ったが、千紘さんはいつもの優しい眼差しで小さく手を振っているだけだった。学校行くだけなのに大袈裟だなぁ。呆れつつも、嬉しく思う自分がいることを自覚する。そう言えば、幼稚園の頃こういうのに憧れてたっけ。母は朝帰りが多く、私が起きて朝食を食べ終えると寝てしまうことが多かった。母が頑張って起きてくれているのは幼い私にもわかったので、見送りして、なんてとても言えずいつも見送られる友人たちを羨ましく思っていた。

 千紘さんって、お母さんみたいだ。手を振り返しながらそう思う。バスに揺られながらあの雨の日に冷えてしまっていた心の一部が、まるで温まるかのようなそんな感情に包まれていた。

「他人の金で学校通ってる奴って、あんた?」

 見送りの余韻に浸っていると、水を差すようなことを言ってくるものがいた。それは、同じ年くらいの少年だった。座席は私の真横、通路を挟んで右側だ。猫のような瞳にミドルカットの茶髪と紺色のパーカーがよく似合う。その上からブレザーを着ていることから、彼もまた高校生なのだろう。しかしどうして私のことを知っているのだろう、しかも失礼なやつ。あまり関わらないほうが良いのかもしれない。そう思い、横目で一瞥すると教科書に目線を落とす。

 授業料については、日中カフェで働くことによって千紘に免除さんしてもららう約束だ。本当にタダで高校に通っているわけではないのだ。どこの馬の骨か知らないけれど、と相手にする義理はないと踏んで外の景色を楽しむ方向にシフトした。

 その態度が、相手を触発してしまったらしい。私が景色を眺めていると、肩を強く掴まれてしまった。

「おいあんた――」

「いたっ――あれ」

 肩を掴まれた反動で体が少年の方を向いてしまう。殴られる――そう思った瞬間に目が合う。アーモンドのような瞳。猫みたい。あれ、この目って見覚えがあるな。確かどこかで会ったような。ああ、そっか。黒猫さんだ。

「黒猫さん?」

 思考が無意識のうちに口からこぼれていたらしい。少年は瞬間赤面すると、ザザザッと音がするほど若菜から距離を取ろうとするも、バスが急カーブにさしかかったため元の距離に戻ってしまう。

「ななな、なんでそれを……!」

 どうやら正解みたい。アーモンドのような目、低身長、そして私の事情を知ってそうなこと。これら全てを合わせて考えられることはただ一つだ。私は相手が赤面したことをいいことに、ニヤニヤとからかうように言う。

「そっくりだね、お姉さんに。ねえ、名前は?」

 そう、彼は黒猫さんの弟に違いない。瞳だけではない。顔の作りがそっくり過ぎるのだ。黒猫弟は姉と似ているのが恥ずかしいのか、赤面していた顔を茹で蛸のように真っ赤にし、口をパクパクとしている。私はそれを肯定と受け取った。そんなやりとりをするうちに、バスは私立マリアンヌ学園に到着した。

今週も読了ありがとうございます。

ついに梓が登場しました。若菜は仲良くなれるかな⁉


引き続き挿絵ゆるーく募集しています。

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