表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

そのソースについては

 ここのところ朝夕の空気は冷たいし、秋のはじまりを予感させるけれど、日中はまだまだ暑い。重い荷物を抱えて汗をかいてしまったので、シャワーを浴びて制服に着替える。もっとも、カフェで働いていると、喫煙スペースのたばこの香りやコーヒーなどあらゆる匂いが染みついてしまうので、学校に行く前は必ずシャワーを浴びるのだけれど。長く癖のある金髪は、どうしても痛みがちだから乾かすにも一苦労だ。

 クマ隠し程度にパウダーを塗り、透明のマスカラをオン。学校は遅い時間まであるし、殆どしているかわからないくらいだけど金髪にすっぴんはとても格好悪いので、最低限はすることにしている。千紘さんはナチュラルすぎるというけれど、学生はこれくらいがちょうど良いと思う。

 肌寒くなってきたので、前に通っていた全日制の学校の制服の腰に、カーディガンを巻く。長い髪は案外勉強の邪魔なのでポニーテールが基本だ。そんなことをしていたら、あっという間に17時。そろそろ梓が一階に来ているころだろう。鞄を持って一階へ降りる。慌てた様子が伝わったのか、千紘さんにふふふと笑われてしまう。すでに黒猫さんの姿があるので、口元は揃えられた指で隠されていて、妙に女性らしい。

「そんなに慌てて転ばないでねぇ。梓、ちょうど今来たわよ」

 キッチン越しから、いつものソファ席にちょっとプリンになりつつある明るいハニーブラウンの頭が見える。

「梓ごめん、今日はカフェタイム休みにしたの。試作品の買い出し行ってたら連絡できなくって」

 声をかけると、くるりとこちらを向く。小柄な彼はソファの背もたれから頭とネコ目しか見えない。それが可愛い。萌えってやつだ。

「……そんなの、言ってくれれば俺も手伝ったのに。千紘さんと行ったの?」

 ちょっと不機嫌そうなのは、千紘さんと出かけられなかったからか、私が連絡しなかったからなのか。

「え、だって。オムライスの試作に付き合ってもらってるだけでも時間奪っちゃってるのに流石に悪いかなって。それに天パさん来てたし手伝ってもらったの」

 梓は、学校に行っていない日中は趣味に費やしているから邪魔はしたくない。趣味とはいえ、彼の夢であり進路なのだ。

「ふうん。あれは別に期限とかないし、ポニーさん多忙な人だからそんなに頻繁に撮影してるわけじゃないよ」

 梓の趣味は、自分のデザインした服をうちのアルバイトのポニーさんに着て貰いそれを撮影、SNSに上げることなのだ。人気読者モデルであるポニーさん効果もあってこれが結構人気を呼んでいる。

 千紘さんがストックのクッキーを出してくれたので、あまりもののリンゴジュースとともにソファ席へ。梓と本日の試作の段取りを話しながらクッキーを食べ終えて、テーブルを片付ける。今日はまだスタッフが揃いきっていないので、セルフだ。梓と2人揃って店を出ようとしていると千紘さんに呼び止められた。

「若菜ちゃんたち、ちょっと待って。今日はバス停まではついて行ってあげられないんだけどお弁当は作っておいたわよ」

 一体いつの間に用意したのだろう。今日は朝の時間に準備ができていないから確かに仕込みが大変そうだったのに。

「え、だって。ずっと仕込みしてたんじゃあ」

「何時間仕込みしなちゃいけないのよ。若菜ちゃんたちのお弁当作るのに時間かかっちゃったのよ。余りものばかりになっちゃったけど、ごめんね」

 本当に、本当にこの人はいつも何にでもそうだ。一生懸命だから、私もその気持ちに応えたくなるのだ。思わず涙ぐみそうになる。

「……もう。ちょっとは休んでよね。頑張りすぎないように早く大人になるわ。ありがとうパパ」

「ぱっ。ぱぱぁ!?」

「あらヤダ、その呼び方は2人だけの時よー、もう若菜ちゃんたらっ」

 私の“パパ呼び”に衝撃を受けた梓に学校で問い詰められたのは言うまでもない。事の経緯というのは彼にとっては残酷な真実となり得るので余り詳細は話せず梓が納得するのに結構時間がかかってしまった。

「ああもう、家庭の事情に首突っ込まないでよ。家族の問題ー!」

「ちょっと。その言い方なんか俺が愛人みたいでイラつくんだけどー!」

「何よ、愛人にすらなれてないくせにー!」

「うっせー!」

 結局言い合いをしながら学校をでて、バスでも睨み合って、いーっなんて言いながら店に帰ってくる。こんな状況だけど2人の間では実は通常運転だったりする。

「さて、それとこれとは別問題だかんね」

22時。話題は私の“パパ呼び”のまま宿題を終え、人のいなくなった店内のキッチンへ。店内のクローズ作業のみ終わっているので、試作が終わったら私たちが片付ける予定だ。作業が遅くなることを見越して、金曜日にしておいて本当に良かった。

「コスト計算したけど、やっぱり卵は1.5~2個が限度だね。量を作れば1.5で行けるかもしれない」

 コスト面のことは梓に指導を仰ぐ形で、まずは卵2個からオムライスの主役である黄色の皮部分に取り掛かる。私はこの店のキッチンに入ったことはないけれど、母が生きていたころは食事は自分で用意していたからある程度の調理スキルはあるつもりだ。

 結論から追えば、卵2個で作るには、ボリュームが足りなかった。生クリームで|嵩増し⦅かさまし⦆するアイディアは良かったが結果固まりにくく、何より見た目が悪かった。卵の黄色さがなくなってしまったのだ。白っぽいオムライスは、味はともかく食欲はそそらなかった。

「うーん。今から薄皮のオムライスにプラン変更するとしても、デミグラスソースとの相性も考えて中、バターライスにしちゃったし……。調理技術がもっとあれば、大きく広げれるもんなのかな」

「……」

 梓は、試作品を5つ作り終えたところで黙り込んでしまった。きっと、呆れて何も言えないのだろう。私が、わがまま言ったしまったせいだ。急に悲しくなり涙ぐんでしまう。きっと、上手くいくって思ったのに。私のわがままで来月の限定ランチなくなっちゃうかもしれない。お客さん、減っちゃうかな。千紘さんに迷惑かけちゃうんだ。助ける、支えるって決めたばかりなのに。ここを守りたいだけなのに。

「……あのさ、ってアンタなんで泣いてるわけ⁉」

 本当に泣きたいときって、涙を堪えることなんかできない。そんなの、お母さんが亡くなったときに経験したはずなのに。今は、悲しさとか寂しさじゃなくて、ただただ悔しい。頬に熱いものが伝うのを感じる。最近は色々なことで感情を乱してしまっているからもっと強くなりたい。

「だってぇ……私がわがまま言ったから! 限定ランチなしになっちゃったらどーしよう!!」

 お母さんが死んで寂しかったり、千紘さんが優しくて嬉しかったり、期待されていることが返せなくて悔しかったり。ここに来る前には経験しなかったような、感情の波が私を襲う。どうして。私は頑張っているじゃん。何でもっと、強くなれないの。私の周りの大好きな人たちに見せたいのは、笑顔で頑張って生きている姿なのに、上手くいかない。

 梓は、ポリポリと頭を掻いて困ったような顔をしていたけれど、あー! なんて言いながらペチンと私の両頬を、その華奢なわりに長い掌で包む。まっすぐな視線、ネコ目と目が合う。

「アンタって、わけわかんないし、面倒だし手間かかるしおまけに千紘さんの養子だし本当、最悪」

「ひゃ、ひゃによう。養子なのは関係ないでしょ」

「俺が黙り込んじゃったのも悪いけど。誰もアンタのこと攻めようとか思わないから。ちょっと、アイディアがあってそれ考えてたの」

 梓が提案してきたアイディアというのは、材料は変えずに卵をはじめに卵白と黄身との分けるという方法だった。なぜ卵白を分けるかというと、ボリュームを出すためにメレンゲを作ってしまおうというものだからである。

「ちょっと面倒だし、テクニックもいるけどあの人なら全然上手に作れるでしょ」

 あくまでキッチンに入っているのが千紘さんであることを想定したレシピらしい。うちの店は基本的に常にキッチンは千紘さんだから問題はなさそうだ。

 分けた卵白を、ハンドミキサーで混ぜる。この時少量の砂糖を数回に分けながら加えるのがポイントだ。そのあと溶かした黄身をメレンゲの泡をつぶさないように少しずつ、切るようにして混ぜる。あとはこれを焼くだけだ。トロトロ感を出すため、オムレツ状に形状したものを半生状態で取り上げ、真ん中から咲くようにしてライスの上に広げれば完成。これなら、卵2個でも充分なボリュームが出る。

中のライスは、シンプルなものにしようと言うことになり、玉ねぎとベーコンのみのシンプルなバターライスだ。

「梓っ。本当、天才ー! 梓居なかったから絶対諦めてたよ」

「べ、別に。前に、あの人がそうやってオムレツ作ってたの見たから応用できないかなって思っただけ」

 梓は、そっぽを向いてしまう。これは彼が照れているときの仕草だ。少しそっけなく感じるが、私くらい慣れてくると可愛くて癒されるのである。

 オムライスのソースは、デミグラスソースの缶を使用したがそれだけでは上手くいかなかった。これは次週の試作に持ち越す運びとなる。キッチンの片付けが終わったのは午前4時のことだった。時間が遅いので、梓は姉の黒猫さんが迎えに来て帰っていった。

 千紘さんは、私たちが片づけを始める少し前に2階に上がっていった。残ってくれようとしたけれど、終了が何時になるかわからなかったので私が半ば無理やりに近い形で上がらせたのだった。


 翌日。目が覚めたのはお昼前だった。今日のシフトは夕方からだ。こんな時はたいていお店で昼食を頂くことにしている。とは言え、馴染みのお客さんもいるのでキッチンの裏の物置、バックヤードでの食事になるのだが。

「あー、ごめんなさい。タイミングが悪かったわね。今は黒猫が休憩に入っているのよ。お小遣いあげるから、適当に外で食べて」

 降りたのがちょうど忙しい時間なのもいけなかった。千紘さんに半ば追いやられるように外に出されて、ちょっとしょげる。しかも、外に行くなんて思っていないからティーシャツにパンツだし。髪だって纏めてないし。完全に家スタイルだ。

 週末だし、しょうがないかー。と、ふと寂しくなってポケットに突っ込んできたスマホをいじる。あ。梓起きたかな。店の前に続く川沿いの道を気まぐれに歩きながら、チャットを送ってみる。


起きてる?


 起きてるけど。即効レスポンス来た。梓ご飯食べた、なんて送るとまた数秒のうちにまだ。だって。考えてみたら、外食は千紘さんとばかりだったので、梓とご飯行ったことないや。誘ってみよう。

 場所は、川沿いに立ち並ぶカフェの一つ。うちのカフェがナチュラル系だとしたらここは割とクールというか、基本カラーがモノトーンのような大人っぽい店だ。こうなると、ラフすぎる服装が浮きまくりだけど気にしない、気にしない。

「何、俺に気を遣ってこういう店にしたわけ」

 実を言うなら、図星だ。梓って、可愛いお店とかも全然恥ずかしがらずに入ってくれそうだけど。こういう店ってあんまり入ったことないんじゃないかなと思ったからだ。けどそれよりも。

「うーん、それもあるけど。ここのオムライス人気らしいんだー」

 オムライスの試作をしているので、人気店のものは食べておきたいというのが本音だ。店の立地が近くということもあり、あまり内容が被ってしまうといけないと思うし色々参考になる。

「そうは言ってもアンタ最近オムライスばっかり食べてるんじゃないの。今日は俺頼むから、他に好きなの頼んでよ」

「えっ」

 確かに。ここ最近はオムライスのことしか考えていなかったから、試作で余ったオムライスはもちろんのこと、他店にランチに行ってもオムライスばかり食べていた気がする。梓の申し出はありがたかった。

「でも。味ちゃんと知っときたいし」

「だから、俺頼むし。アンタは味見すればいいんじゃないの」

 結局、梓がオムライス、私はホワイトソースのドリアを頼むことになった。味見。俺頼むし。うっかりその言葉の破壊力にやられそうになる。なぜなら、誰かと食べ物をシェアするという機会が少なかったからだ。だから、私にとってそれは近くて遠い世界のようで憧れでもあった。

「あ、味見……」

「……!! べ、別にいやならいいんだけど。よく考えたらアンタって女の子だしそういうの気にするかもしんないし!」

 梓は、ようやく間接キスの可能性に気付いたらしい。私としては特に気にすることでもないけれど、真っ赤な頬が可愛らしくてつい、いじめてしまう。

「そうだよ……私だって女の子なんだよ? 確かに私たち女の子だし、梓は千紘さんしか見てないんだろうけどさ」

「!?」

 間接キスの件で既に照れまくっている梓は千紘さんのことまで出されて最早声も出ないらしい。茹蛸のような顔で口をパクパクとさせるだけだ。そうしているうちにオムライスが届いたので、一口味見することにする。これなら、私が気を使う必要はない。しかし、当然だが梓はオムライスに口をつけるのに相当躊躇った。五分ほどその状況を楽しんだ後はもう、許してやることにする。

「ふふ、嘘嘘。私あんまり間接キスとかってピンと来ないんだよねー。同じスプーン使わなければいんじゃないかな」

「へ」

 その時の間抜けな顔ったら、あまりに素晴らしかったのでこのことはあと十年は梓をからかう材料になるだろう。

 それはそうと、ここからはおふざけは大概にしてオムライスの味を真剣に味わうべく、私はスプーンの中に納まった一口分のそれに集中する。一口だけだけれど、それはオムライスの体を成しているのだから面白い。オムライスとは、そういう一口で全てを表現できる食べ物なのだ。

黄色い卵と一見シンプルに見えるバターライス、そしてデミグラスソース。 このオムライスはソースに力を入れているから他は驚くほどにシンプル。だけどそれでいてバランスがいい。この数か月間かなりのオムライスを食べてきたけれど美味しいと思うものはソース、卵、ライスのバランスが整っているだけでなく何か一つ力を入れているものを引き立ててくれるような工夫がされていた。

「それで、どうなの。何かインスピレーション、あるわけ」

 ようやく冷静さを取り戻してきた梓が、伺うような視線を向ける。自分でもわかるほど真剣な顔をしているためだろう。

「……やっぱり私たちのオムライスって卵が売りだと思うの」

「は?」

 私の思考過程が見えない梓は、意味が分からない、と言う顔をしている。それに構わずに独り言を続ける。

「あっさりしたソース……クリームはあっさりするの難しいからやっぱりデミグラス、ああそれならブイヨンを多めにすれば」

 そこまで考えて、私は一旦口を閉じる。続きは実戦でやろう。今日はキッチンが使えないから、また梓と休みを合わせれば大丈夫だ。それまでに、私の考えをまとめて梓と共有しておこう。

「ちょっと、何なの突然」

「うん、店で話そう。とにかく、食べよ?」

 私は状況が理解できていないらしい梓にそう言うと残りのオムライスを食べてしまう。なおも訳が分かっていない梓はしぶしぶ私に付き合ってくれたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ