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その理由とは

結構先まで進んでますけど小出しにしています

連載不定期になってしまってごめんなさい

 翌朝。いつもより早く起きることができたので、店の床掃除が早めに終了。今からはドリップコーヒーの練習だ。豆を挽くのは、結構うまくなったと思う。挽く速度が速すぎても、遅すぎてもいけない。力加減は、私でもなんとかなる程度で良いからここは問題ない。ゴリリ、とコーヒーミールの取っ手を回すと芳醇なコーヒーの香り。朝の爽やかな空気と混じって、癒される。コーヒーポットが重いので、今日は使用する分だけお湯を入れてみる。いい感じだ。ネルにふわっと挽いたコーヒー豆を入れて、スタンバイ。お湯を落とし始めるこの瞬間が一番緊張する。一気に落としてしまうと失敗のもと。ゆっくりゆっくり時間をかけて蒸らす。お湯の量を調整したからか、いつもより上手にコントロールできている気がする。香りも、心なしか千紘さんのそれに近いような。お湯が豆に染み渡ったのを確認して少し蒸らす。豆が水を吸って膨張するからこぼれてしまわない程度までで止めておく。あとは、表面張力でどうにでもなる。膨らんだ豆が沈み始める寸前を見計らって再びお湯を足していく。ここまで、理想的な仕上がりだ。そうしてゆっくりゆっくりとお湯を注ぐこと数分。一杯のブラックコーヒーが出来上がる。

 熱いうちに一口。香ばしい香り、程よい酸味、あとから引き締まる苦味。そして、ほんの少しの甘い風味。それは今までで一番の出来だった。にわかに信じられずもう一口。更にもう一口と飲むうち、半分に減ってしまう。

「うっそ……超美味しいんですけど」

 自画自賛。だけど、そのくらい今日のコーヒーは上手くいった。千紘さんは、降りて来ない。何時もならとっくに降りてきて私のコーヒーを飲んでからかって来るはずなのに。だけどそんなことはどうでもよかった。私は確信した。これからどれだけ作ろうと同じ味が出せること。この出来なら千紘さんが合格をくれること。

 私は小さくガッツポーズをしていると、二階から千紘さんが降りてくる。

「どうやらやっと習得したみたいね」

「わかるの?」

「香りでわかるわ」

 そう言ってコーヒーには口をつけず、私の頭にポンポンと触れる。そのままサロンを付ける背中に、私は意を決して言葉をかけた。コーヒーを上手に落とせるようになったら、言おうと思っていたことだ。

「私、経済学部に進むわ。法学部じゃない。弁護士じゃなくて、経営者になるためよ。ここを、もっと大きくするの」

 弁護士になるのは、生前の実母との約束だった。私は社会的地位を得て、彼女の生活を楽にしたかった。だけど、母はもういない。忘れたわけじゃない。けど、母を支える必要がなくなってしまったから。私が孝行できるのは、千紘さんだけになったから。こんなことを言うと、他人任せな人生選択に思えるかもしれない。だけど、そうじゃなくて私はこの生活が幸せなのだ。この生活を守りたいし、もっと楽しくしたい。その上での選択だ。迷いはない。母との約束は、母のためのものだった。今の夢は、自分のためのものだ。

「……」

 千紘さんは何も言わないで支度をしている。今日のランチの下ごしらえだ。私は沈黙に不安を覚え始める。聞こえなかったかな。もしかして、緊張のあまり声小さかったとか。そんなことを考えてそわそわしていると、ボソリと。

「今日の夜、家族会議ね」

 大きくもない声、だけどそれはハッキリと聞こえてきた。何か強い意志を持っていると感じられる、その声。千紘さんの表情は読めない。それが更に不安を掻き立てる。私は、怒られる? 止められる? アンタなんてお断りよって言われてしまうのかな。

 不穏な空気のまま、アルバイトのミルクちゃんが到着したことでこの話は保留となってしまう。この日はあまりお客さんがいなかったので、ついついぼーっとしがちな私でもそれなりに回すことができた。

「はいはい、お迎えですよー」

「梓。支度してくるね」

 あっという間に夜間学校の時間となり、梓が迎えに来る。生返事をしながら、サロンを片付けて屋根裏の自室へ。のろのろと制服に着替えたせいでバスの時間ギリギリになってしまった。千紘さんは、普段と変わらない様子でお弁当も作ってくれたし、バス停まで見送りもしてくれた。それが逆に怖い。

「アンタ、今日変じゃない?」

 見送られながらバスに乗車。それで、梓には様子がおかしいことがすぐにバレた。私はそういうの隠せる器用なタイプではないから、隠し事とかするのはもう諦めているのだけれど。

「実はね、今朝ちょっと千紘さんと」

 ことの詳細を話す。梓は黙って聞いていたけど、ふぅん。と言って特に何も言わなかった。拍子抜けだ。てっきりまた、千紘さん困らせるなとか、怒られると思ったのに。

「聞いといて、それ?」

「だって、アンタやりたいこと見つかったんでしょ。俺はそっちのほうが心配だったし、覚悟決まったならいいんじゃないの。それに、あの人は反対してるわけじゃないんだと思うな。だって、弁当もくれたしね」

「何よー、わかったような口聞いちゃって」

 結局、授業も上の空で、せっかくの弁当の味もわからなかった。それほど、自信がないのだ。自分が、あの店の跡取りになるということが。だいたい、千紘さんがあの店の跡取りを望んでいるのかどうかもわからないじゃないの。そんなことをモヤモヤと考える。ああ、こんな事している場合じゃなくてオムライスの試作品のこととか、もっと考えなきゃいけないこと、沢山あるのにな。

 定刻通り店に帰り、梓と宿題を片付ける。オムライスの試作品は金曜の夜に営業終了後店で行う運びとなった。材料は、私が昼間に買い出しに行くことになっている。そうして、すべての作業が終わり、梓が帰り、いよいよその時はやってきた。家族会議はいつも、店のカウンターでと決まっている。正面に座らないので、緊張しないで済むのは良い。

「さ、家族会議するわよ」

 そう言って、ラム酒入りのホットミルクを手にした千紘さんは、少し疲れたような笑みを見せる。バータイムの裏メニューであるこのドリンクは、最早家族会議時の定番となりつつある。少しだけ肌寒くなってきた季節、千紘さんはいつものシャツに大きめのカーディガンを羽織っている。萌え袖ってやつだ。こんな時でも女子力が高い。似合ってるなーなんて思っていると、寒いでしょなんて言いながら私には大きなストールをくれる。

「ありがと。これって」

「前に梓が使ってたやつよ」

 ミルクを吐きそうになってしまい思わず咳き込む。確かにエスニック調の柄だし男子が使っても違和感ないけれど。

「ちょっと、可愛すぎない?」

「梓って可愛いの似合うのよね~」

 千紘さんと来たらうっとり顔で思い出すわ、可愛かったのよーなんて言っている。真剣な雰囲気になるかと思えば、彼がこの調子なのでいつも私は振り回されるのだ。本当に、何考えてるのか読めない。安心させようとしてくれているのはわかる。けど、ちょっとは気を抜いてほしいのにな。そんなことを思う。私が不安にしてるのわかってしまったかな。こんなだから気を使わせるんだよね。

「それで、私の進路の話なんだけど」

 だから、今日は私から話すんだ。何時までも甘えた養子おこさまでいたくないから。千紘さんや担任の的場先生はもっと甘えろと言うけれど。そう思って切り出す。千紘さんは、ふと静かになった。それは、いつものおチャラけた雰囲気ではなくて、私はドキリとする。

「その話なんだけど。僕はね、若菜ちゃんにちゃんと理由が聞きたいと思っているよ」

 声がワントーン低い。話し方もオネェじゃない。これは、素の千紘さんだ。はじめに出会った時と、前回進路の話をした時にしか見たことのない、本当の彼だ。慣れないからか、真剣な雰囲気だからか緊張する。そうか、この人は男の人なんだ。そう感じた。千紘さんは、真剣な眼差しでこちらを見つめている。決して私を責めるような視線ではない。それは、私の答えを待っている態度だ。だけど彼が纏っている空気は、嘘をつくなと言っている。

「若菜ちゃんは、お母さんとの約束についてはどう考えているのかな?」

 そして質問が的確だ。私にだってまだ引っかかる部分だからだ。そこに対する自分の思いというものがうまく整理できていない。だけど、私はゆっくり話し始める。もう、嘘をついたり、誤魔化すことで千紘さんを傷付けたくはなかった。

「えっと。それは結構私の中でもうまくまとまってない。思ってるのは。約束は破っちゃいけないってこと。だけどね。弁護士になるっていう約束の目的はお母さんを楽にしたかったから。これは、私の気持ち。捨てたらいけないところだと思ってる。生きる糧だったよ。けど、お母さんは……もう、いないから。約束の目的がなくなったの。お母さんのこと忘れたいわけじゃない。忘れたら楽だって思うことはある。けどそんな寂しいことはできないし。無理だし。空っぽになっちゃう。だからって今度は千紘さんを代わりにしようとか、そういうことじゃあないよ。そうじゃなくって、単に私がここが大好きなの。千紘さんがいて、アルバイトさんたちがいて、時々梓がいて。お客さんに愛されてるここに居るのが楽しいのね。だから、そのもっと続けたいし守っていきたいし、もっと楽しいこともしたいと思ったの。今のままでも充分だと思うよ。時々ここに帰ってくるっていうのもあり。けどね、それじゃあ納得できない私がいたの」

 自分でも何を言っているかわからないくらいに話をしたと思う。お母さんのこと、無理やり忘れようとしているわけではないということ。彼女の死は悲しかったけれど、ここに導いてくれたということ。気が付くと私は、口がカラカラになっていた。千紘さんは、同じ表情でずっと話を聞いてくれていた。

「うん、うん。難しい質問をしたね。僕が心配していたことは杞憂だったから良いのだけれど」

 私が話し終えると、千紘さんはふっと笑ってくれた。しかしすぐさま、疲れた微笑みに変わってしまう。それがまた、私の不安を大きくさせる。何かまずいことを言ってしまっただろうか。嫌われてしまっただろうか。困らせていない? 傷つけてしまってはいないか?

 しばしの沈黙。千紘さんは、ふうとため息を付くと一度キッチンへ。ラム酒の瓶を持ってくるとコップに少し注ぎそれを一気に飲み干す。

「ちょっと、千紘さん!?」

「っはー。こうでもしないと話せない気がして。かっこわるいね。自分の養子こどもに自分のこと話すの、こんなに難しいと思わなかったよ」

 そう言いながら、ポリポリと頭を掻く。少し上気した頬と、吐息に混じる仄かなラム酒の香り。それが千紘さんの香水の香りと混ざってとても良い。と、そんな事が言いたいのではなく、私は聞きたいことが沢山だ。けど、さっきはゆっくり話を聞いてもらったから今度はこちらがそれを返す番なのだろうと言うことが、子供なりにわかった。

 黙って待つ。千紘さんは、やっぱり疲れたような少し辛そうな表情をしながらもゆっくりと口を開いてくれた。

「若菜ちゃんは、どうして僕が君を養子にしたか疑問に思ったことはない? 君は良い子だから……ちょっと良い子すぎるから、決して聞こうとはしなかったね」

 それは、私が恐ろしくて聞けないでいることだった。理不尽な理由なんじゃないかとか、騙されているんじゃないかとか不安だった。だけど、数か月過ごしてわかったのは、この人はそんな事するような人間には思えないということだ。だけど、やっぱり不安はあった。それは、彼の器用すぎる部分というか。できすぎる部分が原因だった。梓のことだってそうだ。彼はいまだに千紘さんを本物のオネェだと思い込んでいる。私だってそうだ。千紘さんは気を使っているつもりかもしれないけれど、私には彼の抱える不安だとか、そう言ったものが一切見えないのだ。

 だから、どこかで目を背けていた。どうして拾ってくれたの? そう聞けない自分がいたのだ。それを見透かされていたのだろうか。どうしてこの人はいつも助け舟を出してくれるのだろう。私だって、もっともっと貴方を支えたいのに。どうしていつも、私のことばかり。だけど、それ以上に。

「ごめんなさい、話してくれるのを待ちたかったの」

 信じたい気持ちだけだった。この数か月、千紘さんを信じたい気持ちだけでやってきた。理由なんていらなかった。私のことで悩んでいることを、周囲の人間から聞いていた。私には一切見せなかったけれど。進路のことだって、本当はとても心配してくれているのがわかっていた。

「そう、そっか。僕はきっとそれに甘えすぎたんだね。君は弁護士になって、ここを去っていくとばかり。何時か手放すものだと思っていたからどこか距離を保っている自分がいたと思う。だから、若菜ちゃんにもオネェで接したし。これからは、少し変えないといけないのかもね」

 そう言ってポンポンと頭に触れられる。大人がよく私にするこれが、嫌いではない。オネェじゃない千紘さんとこんなに長く対峙するのは初めてだったけれど、不思議と違和感を感じない。むしろ、こちらが自然なほうなのだから当たり前なのだけど。

「これを人に話すのは、若菜ちゃんが3人目なんだけど付き合ってくれるかな。少し長くなる。昔話なんだけれど。恥ずかしいながら、いまだに酒の力を借りないととても話せないんだよ」

 そうして寂しそうな表情で千紘さんが語ったのは、彼の過去の話。梓から少し聞いていたが、やはり以前この店は千紘さんの両親のものだったのだと言う。カフェではなく小さなスナックで、店内にはカラオケ、お酒を中心に取り扱っていたようだ。千紘さんがこのカフェで夜にバータイムをしているのは、そこへの拘りらしい。

「だけど、僕が高校生の時に経営難になってしまって。スナックは、流行らない時代になってしまっていた。両親は借金を背負って、僕の家族はこの店を担保に借金を返そうとしたんだ」

 けれど、それでは足りなかった。ご両親はこの場所を愛していたのだという。そのため、守るためならあらゆる手段を使った。そのけっか負債は増えていった。

「それから僕だけは、祖母に預けられたんだ。ここよりもずっと田舎で暮らした。両親は……今も行方が分からない。けど、一つ心当たりがあって」

 それは千紘さんが高校を卒業しこの町の調理師学校に合格した時のことだったらしい。祖母が、まとまった現金をくれたのだという。

「母からだって言って。僕が進学するときに渡すよう言われていたみたいなんだ。だけど、そんなお金をどこで用意したのか全く分からないんだよ。けど1つだけ心当たりがあって」


セイメイホケン。


 そこで告げられた言葉が、あまりに辛くて。自分と重なるようで。世界がモノクロに包まれたようで。あの時を思い出すようで。お母さん。ああ、お母さん。置いていかないで。一人にしないでよ。

 私は堰を切ったように涙が溢れるのを感じた。嗚咽と言うのを初めて体験したと思う。息を吸って、それがまた涙とともに吐き出されて。醜い声も一緒に出て。自分が少女であることとか、そんなことはどうでもよくて。ただ、泣くという行為に生命活動を極端に傾けている。そんな。

「ごめん、若菜ちゃんには酷な話だったかもしれない。今日はここまで……」

 目の前で突然、咽び泣かれて驚いているだろう千紘さんは咄嗟に話をやめようとする。その、立ち上がって何か拭くものをと探す腕を、掴む。負けるな、若菜。嗚咽なんかに飲まれてたまるか。

「……ないで」

「え?」

 上手く出ない声を、絞り出す。喉の奥から少しだけ血の味がした。この瞬間を邪魔されてたまるものか。せっかく千紘さんが話してくれているんだ。どれだけ勇気がいったことか。きっとこの機会を逃すと、一生この先の話を聞くことができない気がして。

「やめ、ないで。続き、聞かせて……!」

 思ったよりもはるかに大きな声を出していた。嗚咽は、止まっていた。一時の感情でこの場を台無しにしたくなかった。千紘さんはびっくりしていたけれど、すぐに笑顔に戻る。

「でもほら、取り合えず顔を拭きなさいな。可愛い顔が台無しー! ……って、これは封印するんだった。まだ癖が抜けなくて。その、辛くはない? 若菜ちゃんが辛い思いをするのは、本意じゃない」

 その少し焦ったような、はにかんだ様な笑みがこれまでで一番人間らしいように思えて、ついに化けの皮を剥いでやったような、そんな気持ちになる。

「もう泣かないと思う。一瞬、お母さんのこと思い出してしまっただけ。だけど、千紘さんが私を拾ってくれた理由、少しわかったよ」

 そう、きっと今の私と同じ気持ちだったのだ。今、嗚咽を漏らさずにいられらなかった私と。あの日彼が私に見せた涙は、本物だったのではないかと思う。千紘さんは、ふと微笑み、また頭を撫ででくれる。

「そっか。夜はまだ長いし、何なら明日はカフェタイム休んでもいい。そうだコーヒー淹れてみてよ。はじめての成功作品をお義父さんパパに飲ませて」

「ぱっ。パパとかないし‼」

「最初に言い始めたの、若菜ちゃんの癖に」

 そうして2時間ほどかけて、コーヒーを飲みながら語られたのは、その後担保になっていたこの店を買い戻すためアルバイトを掛け持ちした話や、店の改造、開店までの千紘さんの動向だった。人を雇うお金がなかったので、改装作業はほぼ千紘さん一人で行ったのだという。千紘さんは、私のコーヒーを飲んで美味しいと笑ってくれた。


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