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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第二章【闇に生きる友人 -Genius in the Dark-】
99/167

〔六〕

 スマートフォンの画面には、一通のメールがある。

 通信機能を削いだそれは、インターネットも相手への返信すらも不能な、小さな演算機。他の携帯電話やパソコンを使って、相手のアドレスに返信すればいい。しかし、こちらにその意思は無い。

 もう、誰とも繋がる気は無い。他人に心を許す気は無い。

 はじめに誓った決意だけでいい。

 産まれてからこの方、信じるべきは彼らしかいなかったのだ。彼女がいないのなら、彼しかいなかったのだ。

 その彼が命を賭している。自分の為に、全てを犠牲にしている。

 ならば自分も彼の為に命を懸け、彼の目的に全てを費やそう。時間も、金も、意志さえも捧げよう。

 スマートフォンを閉じた。敵が来たのだ。彼の最大の障壁が、自ら近付いてきたのだ。

 手を上げた。

 それは、決別の合図でもあった。


*   *   *


 第八実行部隊所属、プラワット。タイ王国の首都バンコク出身。二七歳、男。二十一歳の時、国の徴兵制度に則りその義務を負う。

 しかし入隊直後、軍内で電磁波障害が相次いで発生。軍は原因の特定を急いだが解決には至らなかった。

 組織はそれを聞きつけて、プラワットに接触。彼は自身の能力に気付いており、イタズラ感覚でセンス《レーダー》を発動していたと自供した。

 その後組織の勧誘に乗り、現在に至る。

 組織で与えられた彼の役割はセンスそのものであり、語源どおりの〝レーダー〟だ。彼の意思に応じて長短自由自在に発される電磁波が空間把握を高め、対象物との距離を測定する。

 ここ――〝世界の屋根〟、〝第三極地〟と知られるカラコルム山脈の奥地でも、彼は〝人間レーダー〟としてその役目を全うしていた。

 そう、していたのだ。ほんの、二秒前まで。

 右目のやや上から左耳の後ろにかけて弾丸を食らった彼を見て、早河誠は言葉を失くした。当人すらも驚いて、目を見開いていた。

 白と黒のコントラストが美しい山々が屹立するこの山岳氷河地帯に、鮮烈な赤が投じられた。それが戦闘開始のサインだったのは言うまでもない。


「いやぁっ、プラワットーっ!?」


 その光景は、ヘレティックも所詮は生物であり、〝死〟というこの世でただ一つの、万物共通の宿命から逃れられないということの証明でもあった。

 プラワットの亡骸を抱きしめるのは、同隊の女性隊員ヘリンだ。彼女は隊内で、彼とツーマンセルで行動することが多く、また何より、恋仲でもあった。

 愛する者の死に、ヘリンは我を失っていた。視界が開けた――しかも敵の有効狙撃ポイントで泣き縋っていた。


「ヘリン、離れろ! 死にたいのか!?」

「ああああっ、プラワット!!」


 同隊のリーダーで、今作戦の中隊サブリーダーであるセロン・ネーヴェマンが彼女を担いだ。泣き喚く彼女が抵抗するが構ってはいられない。

 何故なら、実行部隊が着用を義務付けられているボディアーマーには、混ざると〈AE超酸〉と呼ばれる超酸性の液体を化合する物質が搭載されているからだ。それは主に装着者の心拍が停止し、同じく搭載された心臓マッサージ等の人命救助システムでさえも蘇生できなかった場合に作動される、自爆装置の要となる。

 化合された〈AE超酸〉は、半径二メートル内のあらゆるものを消し去ってしまう。人も金属も例外なく、全てだ。

 ネーヴェマンは走った。隊が身を潜める岩陰に向かって直走った。最中、後方が赤く光った。

 振り返った頃にはもう、プラワットの遺体は消失していた。彼の遺体があった場所が、半球状に抉られていた。

 これが自分達の最期だと、誠はこの時思い知ったのだ。存在そのものを一片残らず消し去ってしまう、この光景を目の当たりにして。

 それは、人の死ではなかった。


「エリ、ケン! 敵の位置は!」


 隊のリーダー――酒顛ドウジが叫ぶ。

「二時方向に敵影、それ以外に反応無し!」とエリ・シーグル・アタミが応じる。

「こう風下じゃあ鼻も耳も利かねぇよ!」と雪町ケンが声を荒げる。

 彼らは寒冷地用の分厚い戦闘服〈タイプ・コールド〉を着用している。いつもよりも随分と動き辛いが、その外見は、標高五千メートル超の氷点下の世界で活動するには些か薄いくらいである。

 しかし山を舐めているわけではない。組織が開発したこの服の防寒・保温性は抜群。セットのフェイスマスクとゴーグルを着用すれば、体感温度は二十度以上を確実に保ってくれる優れ物なのだ。

 だから彼らは寒さに困ることは無かった。

 ただ問題は、〈タイプ・コールド〉のフェイスマスクは、〈タイプ・ノーマル〉よりも防弾性が劣っていることだ。もしも〈タイプ・ノーマル〉の性能があれば、プラワットは九死に一生を得たかもしれなかった。

 そのような希望的観測が重なり、第八の黒人隊員デファンは沸き上がった怒りを抑えきれずに岩陰から飛び出した。


「二時だな!? プラワット、仇は取ってやる!」

「頭を冷やせ、デファン!」

「ネーヴェマン、デファンは任せろ! シュテン、指示を頼むぞ!」


 そう言い残してデファンの後を追ったのは、第十一実行部隊リーダー――カウスだ。ネーヴェマンの号令を受けて召集された彼は、この中隊では第三位の指揮権限を有する。

 デファンは専用精密狙撃銃を抱え、天然の要害を疾走した。目の前には高い山々が連なり、足元には砂のような雪の絨毯が厚い氷河に敷かれている。空を見上げれば、抜けるような青一色のパノラマが広がっている。

 それはひどく壮大で、ともすれば眩暈を覚えそうだった。

 岩肌に背中を押し当て、首だけを捻って敵の狙撃位置を探る。眉間を揉んだ。太陽が近く、雪と氷による乱反射が酷い。登山家がサングラスを手放せないのが解るというものだった。

 本来は夜襲をするべきところだ。しかし第三諜報部隊を討った奴らは、早々に事を終え、ここから立ち去りたいところだろうから、酒顛は到着次第作戦を開始すると決定した。

 それは狙撃手(スナイパー)であるデファンにとっては不利な条件だった。彼のセンスは《ジ・イーグル》と呼ばれる、地平線を歩く蟻の姿さえ捉えられる望遠能力である。そのセンスの難敵が、強い光だからだ。

 このセンスは生の視界でなければより良く機能しない。〈マルチプル・ゴーグル〉のような光学補正機器を掛けたままでは無効であるということだ。つまり、ゴーグルを使って光を遮るという手段は使えず、この光の海と真っ向に対峙する必要がある。

 デファンは岩陰に陣取り、そのわずかな隙間に銃口をセットした。ライフルには照準レンズは備わっていない。それは敬愛するフィンランドの〝白い死神〟や、同国のスロ・コルッカに倣っているところもあるが、実際は邪魔だからである。

 銃口から突き出たフロントサイトを視界の中央下に入れ、《ジ・イーグル》で敵を捉える。後は相対距離と風向きを計算に入れ、日頃の感覚に従って引き金を引けばいい。

 しかしエリの言う二時方向は、光の嵐だった。


「くそっ、野郎共策士だぜ!」


 敵は自然のレフ板を利用し、意図的に光を乱反射させ、詳細な狙撃兵の位置を隠していた。さらにその光はストロボスコープを使ったように明滅している。夜であれば、人はその光の中でコマ送りのような動きに見えるが、今のような昼ではそこは問題ではない。注視していると光過敏性発作に類似した症状を誘発させることが、危険だった。

 それは視覚から脳に直接影響を与える非殺傷兵器に類されるのだろうが、デファンにも意地があった。脳裏に焼きつくプラワットの死に様を力に変え、光の奥にいるであろう敵の姿を懸命に探した。




「作戦をプランθに変更! ヘリン、俺の命令を《テレパシー》で各員に伝播しろ!」

「プラワット! プラワット!」


 酒顛の命令はヘリンに届いていなかった。彼女は冷たい雪の上に蹲って泣きじゃくっていた。

 当然だ。これが普通なんだ。人が死んだら、殺されたら、こうして悲しむのが普通なんだ。

 誠は彼女の悲しみに深く同情した。

 胸が痛む。知人を殺された憎しみよりも、怒りの方が先立つ。

 何故だ、レーン。キミなんだろ。キミが、やったんだろ…!?

 誠が遠い山々を睥睨していると、「ヘリンっ、しっかりなさい!」とエリが彼女の頬を叩いた。それで我に返ったのか、「ア、アタミ…。プラワットが…」と彼女は涙と共に零した。

 エリは彼女の顔を両手で包むと、しっかりと目を合わせて言い聞かせた。


「作戦が終わったら、必ず弔おう。その為にはまず、アナタが生きなくちゃ」

「何をすればいいの…?」

「プランθ。アナタはドウジ・シュテンのバックアップ。できるわね?」

「…できる。できるわ」


 ヘリンの目に、力強さが戻っていた。しかしその鋭い瞳は、憎悪にのみできていた。

 これではダメだ。

 酒顛達と別行動を取るヘリンの横顔が遠退いていく。彼女に何も言えない誠は、急ぐぞとネーヴェマンに手を引かれるままプラワットの屍を乗り越えていった。


*   *   *


「ネイムレス、散開しました!」


 ロシアの帽子――ウシャンカで耳まで覆った兵士が報告する。相手は兵同様、白い厚手の戦闘服外衣に身を包んでいる。

 彼らは山の中腹から庇のように突き出た断崖絶壁の上で、ネイムレスの動向を観察している。


「解っている。ポイントAの狙撃兵を退かせろ。代わってポイントB、Cから狙撃用意」


 兵の報告を聞き、レーンはサングラスを外した。監視カメラが捉えた映像に、睫毛を震わせた。画像解像度が悪く、個々人の面立ちは判別できないが、連中は三手に分かれたようだ。

 彼の左手には、黒い山肌に穿たれた巨大な洞穴がある。彼らはその奥にある物を守らなければならなかった。

 この山は標高七千メートルと、他の山々と比べればとりわけ高いわけではない。登山家が挙って目指すK2と呼ばれる高峰はここから東に鎮座している。偶に学者が地質学の研究の為に訪れるくらいで、現地の人々からは〝カラコルムの影〟と呼ばれているほど目立たない山だ。

 そんな山にレーン達が根を張ったのは二年前。現在まで何度も侵入者がいたが、こうまで明確な敵意を持ってこの場所を目指す者達はネイムレスが初めてだった。

 これ以上は隠し通せない。そう思って、レーンは部下に狙撃を指示したのだった。


「おい、聞こえてるんだろ! 下がれ!」


 自然、鞘に収まったレイピアを握る手が固くなる。そこへ飛んだ怒声に、レーンは目を向けた。「下がらないのか?」と問うと、通信士は慌てた様子でヘッドセットを片方外して答えた。


「え、はい、申し訳ありません」

「構わん。命令を聞けないのなら好都合だ」

「は…?」


 首をかしげる彼からヘッドセットを奪ったレーンは、ポイントAから狙撃に成功した部下と直接通話した。


「聞こえるか。まだその位置からやれるんだな?」

『レ、レーン様!? す、すぐに下がりま――!』

「いい。やれるなら試してみろ、お前の意見を尊重してやる」

『は!』


 相手は息巻いて応答する。

 レーンはそれに笑みも見せず、通信を切った。

「良いんですか?」と部下が訊く。

 すると彼はポイントAと呼ぶ小高い山巓を指差し、そこから遥か南の氷河に横たわる岩の塊までを結んだ。その距離、およそ三千メートル。

 そう。レーン達が迎え撃つ山から、ネイムレスが行軍している氷河までは遠く、それこそ山一つ越えなければならない距離にある。


「敵の有効射程を確かめる。僕の感覚が正しければ、敵はあの距離からでもポイントAを狙撃できるだろう」

「レーン様、そんな無茶ですよ。兵があの距離から狙撃できたのは、発電機を要する狙撃補助用のコンピューターと光学センサーのお蔭です。何よりあの銃は特殊で――」

 

 兵の言葉尻を奪ったのは、一度の銃声と、ヘッドセットから漏れる短い悲鳴だった。

 通信士は唖然としたのも束の間、急いでポイントAの狙撃兵の安否を確かめる為にコンピューターのモニターを見た。そこには各兵士が装備している生体センサーの情報が羅列されている。しかし、狙撃兵のデータにだけ〝DEAD〟と赤色で表示されていた。

 そんな馬鹿なとうな垂れる彼を横目に、レーンはヘッドセットで一斉通信を行なった。


「各員、今のを見たな? 命令に殉じない者はあのようになる。そして敵の有効射程やその性能も大よその見当が付いたはずだ。そうだ、貴様らが使っているライフルと同じ〈ミョルニル〉だ。しかし違うことが一つある」


 兵が息を呑んだのが伝わる。それでもレーンは容赦無く脅迫した。


「貴様らに勝る狙撃に適したセンスが、敵にはあるということだ。ネイムレスが相手だということを努々忘れるな」


 決して位置をバラすなよ。

 そう念を押すレーンは、来るなら来いと口中でつぶやいた。

 不意に、あの船で殺してしまった少年の顔が過った。


*   *   *


 プランθ。八つ目の作戦。第一中隊が、部隊を三つに分けて進軍することを意味している。それらは本作戦用に再編された小隊で、即興のチームワークが試される組み分けとなっていた。

 酒顛をリーダーとする第一小隊には、同隊のエリ、第八のアッサーラとヘリン、そして第十一のエドガーというセミロングの髪を靡かせる青年が組み込まれた。

 第二小隊はネーヴェマンをはじめ、ウヌバと誠、第十一のヴォノフという眉毛が濃く鼻の大きな男。本来はここに、プラワットが振り分けられるはずだった。

 最後の第三小隊は、先程飛び出したデファンと、リーダーのカウス、同隊のステナという勝気な金髪娘と、頬の傷が特徴のケイト、そしてケンとなる。

 各リーダーの死亡時には、各実行部隊のサブリーダーであるケン、アッサーラ、ヴォノフの三名が代理を務めることになる。

 そもそも実行部隊は、センスとその力量を考慮し、バランスの良い戦力組成を基本としている。そこでチームプレイを重視するなら、わざわざ小隊を一から編成し直す必要は無い。

 しかし第一から始まる実行部隊と、第十一とでは、力の差は歴然だ。それを補填し、隊の生存率を高める為に、この措置は必要だった。

 バーグの駒なんかとチームを組めるかよと、血の気の多いデファンは最後まで難癖を付けていたが、ネーヴェマンもカウスも、酒顛の提案に異論を出さなかった。


「分からんものだ。あの短気な男が、ああも精密な射撃を行なえるとはな」


 巨大な岩肌を盾にするように、酒顛達は目的地へと歩を進めていた。

「第二のバラージュとイイ勝負ができそうですね」と応じるエリは、《サーマル・センサー》で人の熱や地雷、セントリーガンなどが無いか索敵しながら彼の後ろに続く。

 この山岳地帯は視界が開け過ぎている。さらには高低差もあるので狙撃には持ってこいだ。マデイラ島のように草木が密集していて、視界が平面的であったなら、プラワットは助かったかもしれない。

 エリがそんなことを思い、ちらとヘリンを慮ると、男が口を挟んだ。


「当たり前だ。本部に居座っているアンタらとはハングリー精神が違う」

「何よアッサーラ。また突っかかるつもり?」

「そうじゃない。俺はアンタらを尊敬していたんだ。ボスがバーグとツルんでいても、アンタらが何とかしてくれると信じていた」


 アッサーラも警戒を怠らずに目的地を目指す。そこは諜報員が事前に取得した情報から推測した、敵の潜伏エリアだ。

「それは耳が痛いな」と酒顛は丸い頭を掻いた。

 そこへもう一人の男が問う。


「この機会です。自分も総隊長に伺いたい」

「何だ、エドガー」

「アナタ方は、ボスをどう見ておられるのですか?」


 ナンパな風貌とは裏腹に、エドガーは礼儀の良い口振りだった。

 初対面の彼にポジティブな印象を覚えた酒顛が応えようとした時、彼の肩をエリが叩いた。一同は一斉に身構え、壁伝いにしていた岩陰に背中をピタリと押し付けた。

 腰を屈めた一同に、エリはジェスチャーで伝えた。

〝突き当たりにカメラがある。あちらの道を行きましょう〟とのことだ。

 彼女に従い、一同は踵を返して別の道を選んだ。

 カメラから充分に離れたところで、酒顛はようやく口を開いた。


「ボスは思慮深い方だ。それ故に他人に多くを語らん。今回彼が後手に回ったのは、我々の力不足だったと俺は考える」

「力があれば、ボスを止められたと?」


 行間を読めない素直さは、若さの表れだった。

 酒顛は秘かに微笑みつつも、ボスの苦悩を思うと口が重くなった。


「違うさ。我々が打算も無く、純粋に組織に尽力していれば、彼は我々に心の内を明かしてくださったかもしれないということだ」

「それはボスのエゴでしょう」


 言ったのはアッサーラだ。

 酒顛は、そうだと即答した。


「だが、彼の純粋な願いでもある。彼は組織を守る為に、今日まで様々な手を打ってきた。お前達は、この作戦がどういうものか知っているか?」

「質問の意味が分かりません」

「この作戦は非公式だ。我々の活動に公式なんぞ存在せんが、ボスが認可した作戦ではないのだ。今やっているのは、俺とネーヴェマンの独断だ」


 アッサーラ達は愕然とした。彼は酒顛の行く手を塞ぎ、「ドルコフ司令も関与していないのですか…!?」と手振りを加えて酒顛に詰問した。

 酒顛は彼の肩を掴んで反転させると、肩に手を回して共に前進した。


「見て見ぬ振りだ。司令の気持ちも分かる。ボスの手駒である我々に対し、一基地司令が好き勝手に命令するなど普通はできんからな」

「そりゃそうです」

「ただ、ボスはそうしてほしかったようだ」


 アッサーラが浮かべた疑問符を、酒顛はそっと取り払ってやった。


「ボスはこの機会を利用し、司令に我々への命令権を一時的に委譲した。司令を一人の男と見込んでのことだったのだろうが、司令はどうやら臆病風に吹かれてしまったようだ」

「何だか、その様子が想像できるわ」


 ヘリンは嘆息を漏らして眉間を揉んだ。

 彼女の様子に、エリは一先ず安堵した。


「ボスが恐れているのは、組織の崩壊だ。ボスというポジションは、誰が見ても魅力的だ。だからこそボスは、先代から受け継いだ遺志を託せる誰かを探し続けている。上層部には少なからず軋轢があるから、余計に頭が痛いだろうさ」

「しかし、それでドルコフ司令というのは、ちと話が飛躍し過ぎでは…」

「ふははは。今お前が思った司令という男の器を、司令自身はきっとご存知だ。彼は今のポスト以上の何かを望んではいないし、かと言って職務に怠慢なわけでもない。自分を知り、全体を見通すことができる方だよ」


 アッサーラはヘリン達と顔を見合わせた。どうにもあの頼りない司令が、そんなにも重要な男には見えなかった。


「突如接触してきたバーグを、ボスは初めから警戒していたよ。だから関連の作戦は、我々第一がほとんど処理してきた。何かがあっても、我々なら乗り越えられると思ってくれたのだろう」

「俺達のような末端の連中じゃなく、実行部隊のトップにやらせることで、被害を最小限に食い止めていたとでも言うんですか?」

「実際、バーグ関連で死亡した者はいない。奴の根城を叩いて罠に嵌った、第二十二実行部隊以外はな」


 第二十二実行部隊の悲劇は、フリッツから聞いた。彼は、あれこそがボスの犯した最大の過ちだと強く糾弾していた。


「随分とボスの肩を持ちますね。個人的に何かおありなんですか」


 酒顛はピタリと足を止めた。

 アッサーラは口が過ぎたかと生唾を飲む。

 彼に対し、酒顛が拳を向けた。

 エドガーは腰が引けてしまって動けず、ヘリンはエリに取り成すよう求めるが、彼女は白けた風に彼の動向を見守った。

 沈黙の後、酒顛は拳を広げて、消しゴムサイズの小さなデバイスを取り出した。それは一同も見覚えがある。コレは、簡易の録音機だ。

 酒顛はヘリンを一瞥する。彼女は戸惑いつつも意図を察して、全神経を頭に集中させた。酒顛はそれのスイッチを押すと、一同に言った。


「ならば俺は誓おう。もしもボスが俺達を裏切ったとすれば、俺は躊躇無く彼を殺すと」


 彼の言葉は機械にインプットされ、またヘリンの《テレパシー》によって中隊全員に伝播された。

 他の小隊メンバーにとっては何の話かは分からず、ただ突然ヘリンの声が脳裏を叩いたような感覚に襲われただけだったのかもしれない。作戦中の現在、量子通信とは言え、何らかの盗聴の可能性に備えて通信は遮断されているので、酒顛に真偽を確かめようもない。

 しかし言葉は伝わったはずだ。

 万が一の時、酒顛はボスを殺すのだと。

 その宣言が確かにあったのだと、伝わったはずだ。

 ついに言っちゃった。エリは肩をすくめた。

 それを見て、酒顛は頭を掻いた。録音を終了すると、アッサーラにそれを渡した。


「もしも俺がこの宣言を破るようなことがあれば、お前達が俺を殺してくれ。そして組織を、お前達の手で再建してくれ」


 アッサーラは何も言えなかった。器の違いに脱帽した。

 その様子にガッハッハッと酒顛は豪快に笑った。

 成り行き任せに隠密行動中の原則を破ってくれる上司の行ないに、一同は現実に引き戻された。彼の口を全員が手で押さえつけた。

 何やってんですか! と皆が皆、目を血走らせる中、エリが頭を擡げてつぶやいた。

 眉を寄せる彼らに、エリは声を荒げた。


「十二時! 仰角四十五度!!」


 その場から全員が飛び退くと、代わりに何かが飛来してきた。それの衝突でクレバスが生まれ、雪崩のような雪煙が視界を奪った。

「何だ、ミサイルか!?」と言うものの、爆発も無ければ、次弾の気配も無かった。

 誤射が偶然飛来したわけでもないだろうに。全員が身構え、ゴーグルで飛翔体の熱源を確認した。

 それが人の形だと逸早く察したエリは、息が詰まりそうなフェイスマスクを脱いだ。敵に見つかった以上、吐息の防止策も必要無いとの判断だ。


「コレは、あの時の…」


 酒顛は〈ネオ・アルゴー〉での作戦を思い出した。彼はすでに酒を呑んで、身長二メートル弱の筋骨隆々の鬼へと変化していた。

 その姿を見て、相手は肩をすくめた。


「おや、そこの御仁は…。なるほど、生きておられましたか。ああ見えて坊ちゃんも詰めが甘い」


 煙が風に流されて晴れるのを待たず、エリが駆け出した。相手との間合いを縮めた彼女は、〈紅炎双爪〉を右手で抜く。今度は虚を突いた、船での二の舞にはならない。確信がある。

 しかし、鈍い音が目の前で鳴る。


「おっと! いきなり攻撃ですか!」

「また斬れない…っ!」


 相手――長髪の男アンテロープは、〈ヴァーユ〉と呼ばれる愛銃のトリガーガードと銃身の付け根で刀を受け止めていた。振るえば鋼をも豆腐のように溶断できるその刃を、いとも容易くだ。

 悔し紛れに力押しを続けようとしたエリだったが、清芽の言葉が抑止力となった。すぐに思考を切り替える。素早く刀を引き寄せると、手首を返し、左刀と同時に左に薙いだ。

 寸前、アンテロープは地面を強く蹴って大きく飛び跳ねた。その様は、やはりカモシカのようで、悠然と宙を跳ねていた。彼はすぐ背後に黒い山肌が迫っていることを分かっていたようで、衝突の瞬間、踵を勢いよく引いた。それが固い岩に深く埋まり、まるで忍者のように重力に逆らって、垂直の壁に立つことができた。

 アンテロープは乱れた髪をかき上げると、「またとは何でしょうか」とエリに訊いた。


「あのレーンって子の剣よ!」

「それは誤解です。私の〈ヴァーユ〉に使われた金属のノウハウを流用し、あの〝撓る金属〟が開発されたのです。〈オリハルコン〉という金属、ご存知でしょう?」


 言うや、彼は銃に付属された小さな回転盤を親指で回した。

 通常、実銃の仕組みと言えば、火薬こそが重要なファクターになる。実包の雷管を銃内部の撃針で叩くことにより、薬莢内の発射薬を燃焼させる。そこで生じたエネルギーと燃焼ガスの膨張によって、実包先端の弾頭を押し出し、発射させるという工程を経るものだ。

 しかし〈ヴァーユ〉はその風変わりなフォルムと同様に、内部の機構がまるで異なっている。

 まずは使用する弾丸が違う。先端は一般の弾頭と同じとんがり帽子であるが、薬莢が無い。短く、弾の尻は凹面になっている。

 次に薬莢内の火薬の代わりに、銃内部のヘリウムガスをエネルギー源に用いる。弾丸が銃身内にセットされると、その後ろの空間にガスを注入――凝縮させる。その圧力の調整に回転盤は用いられている。

 そしてトリガーを引くと、撃針の代わりに、空間内で点火装置が作動。ガスに引火し、火薬のおよそ八倍のエネルギーが弾丸の凹面を蹴り出す。弾丸の固定具はすぐに外れ、唯一の開口部である銃口に向かって弾丸が飛び出す。

 これは現在表世界で開発中のライトガスガンと呼ばれる物と、機構がよく似ている。それはマスドライバーへの転用などに期待されている。

 通常の銃であれば当然のように搭載できない。ガス爆発に、銃そのものが耐えられないのは明々白々だ。

 しかし〈ヴァーユ〉には、あのメギィドが産んだ最高硬度の合金――〈オリハルコン〉が用いられている。それは核爆発にも耐久しうる性質を持っており、こうした無茶な設計には打って付けの金属であった。

 アンテロープは感謝していた。レーンに出逢わなければ、このように素晴らしい銃とは巡り逢えなかったからだ。

 彼は笑うと、引き金を引いた。手順通りに、凄まじいスピードに乗って、同じく〈オリハルコン〉製の小さな弾丸が放たれる。

 それはネイムレスの傍にある巨大な岩塊に直撃した。岩が爆ぜ、エリ達を襲った。破片が腹や足に当たるが、痛みに苛まされている時ではなかった。

 次が来る、その共通認識が、彼らを走らせた。


「時間を掛けさせるな! 足に気を付けて、一気に追い詰めろ!」


 その言葉一つで分かる。先程の、この男の登場と結びつく。男のセンスは、足に力を齎す。酒顛から事前に受けていた報告もあった。《韋駄天》の紛い物だ。

 アッサーラは《ヘラクレス》を発動させた。両腕が顔よりも遥かに太く変貌する。その怪力でもって厚い氷塊を持ち上げると、未だ壁に張り付く男に投げ飛ばした。

 その全長三メートル超、厚さ四十センチの氷が飛来してくると、アンテロープは目を剥いて離脱した。着地すると、背後で氷が割れる音を聞いた。

 が、それと重なるように、重ねるように、何かが左耳を直撃した。まるで鼓膜をいくつもの針で突かれているような激痛が、脳髄にまで迸った。

 耳を塞ぎ、左を向く。およそ十メートル先に、セミロングの優男が立っていた。そいつは口元に筒を持ち、口を広げ、喉を震わせていた。叫んでいるのだ。

 確かに聞こえた。金属を延々磨り合わせているような甲高い声だった。

 《超音波》だ。逃げなければ。揺れる頭を抱え、地面を蹴る。それを阻んだのは、女だった。二振りの刀に襲われる。腕に巻いていたアームガードで耐え忍ぶ。


「それも〈オリハルコン〉…! あの性悪爺さんがぁっ!!」


 息がかかるほどの距離だった。視線も交わる。

 女は火花を散らせているつもりだった。しかし男にとってはそうではなかった。

 男は彼女の顔をまじまじと見つめると、「う…」と口を尖らせた。

 女は力を緩めず、「何? う?」

 すると男は彼女の肩を掴んで叫んだ。


「美しぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

「へ…? へ……!?」


 アクシデントにもほどがある事態の急展開に、エリも、そして一同も困惑を隠しきれなかった。

 そんなことはお構い無しに、アンテロープは彼女に問いかけた。


「美しい! アナタ、お名前は!」

「え、ちょ」

「お名前はあっ!?」


 顔が近い。鼻息が荒い。端正な顔立ちだからマシなものの、鬼気迫る雰囲気には生理的な嫌悪感を覚えざるを得なかった。

 顔を引いても追ってくる血眼に、「あっと~~、エリ…」と彼女は敗北してしまった。

 すると男は、「エリ! エリさん!」と復唱し、ついにはその場で一人歓喜に満ちて、小躍りしていた。


「エリ、何やってる!」


 酒顛が怒鳴るが、「いやいや、だって、これ何? 噂のナンパってやつ…?」とエリは状況に呑まれて目を回すばかりだ。

 そこへアンテロープは、「好きです、エリさん! 愛してます!」と追い討ちをかける。


「告られた! 脈絡無く告られた!」

「結婚してください!」

「そしてまさかのプロポーズ!」


 彼は嫌がる彼女を捕まえて離さず、ついには唇を伸ばしてキスまで迫った。もう色々素っ飛ばして、愛を確かめようかという流れだ。

 どうするんですかと、アッサーラが酒顛に目をやる。

 酒顛は右目を閉じた。

 それがサインとなり、ヘリンが動く。意識を凝らし、アンテロープの脳をイメージした。


〝死にな!〟


 女の声が直接脳に降りかかってきた。アンテロープは全身を粟立たせると、すぐさまエリから離れた。しかし何も起こらず、騙まし討ちに遭ったと気付いた。


「ヤーン、リーダ~~! アタシもうお嫁に行けな~~~い!」


 穢されちゃったよぉ~~! とエリは自分の肩を抱き、内股になって酒顛の後ろへ隠れた。

 そんな一連の小芝居に幕を下ろしたのは、数十名に及ぶ団体様のご到着だった。


「囲まれたか…」

「ヘリン、離れるなよ」

「は、はい…!」


 無数のレーザーポイントが第一小隊に狙いをつける。

 アンテロープがエリだけは殺すなよと喚いているが、酒顛は間に受けるつもりはなかった。


*   *   *


「ドウジが戦闘に入った! ヴォノフ、本丸までの距離は!」

「十一時方向、約一キロ!」


 ネーヴェマン率いる第二小隊は見事に戦闘を回避していた。それは第十一実行部隊所属のヴォノフのお蔭だ。

 彼のセンスは《千里眼》と分類されるもので、目に届かない遠方の様子を視認できる、高度な空間把握能力の一だ。しかし悲しい哉、ヴォノフのそれは精度に難がある。遠ければ遠いほど靄がかかったように見えてしまい、地球の反対側にもなると0.01の視力と大差が無いほど低下してしまう。

 しかし一キロ先を見据えるのは造作もない。ヴォノフにはしっかりと、山腹の拓けた場所に立つ金髪少年を見てとれた。

 ただ如何せん、「遠い…っ」とネーヴェマンが唇を噛むように、走り続けるには距離があった。

 すると一人が足を止め、「ボクが行きます」と言った。


「マコト!?」


 誠はフェイスマスクを脱ぐと、片足を突いて靴の固定具の調子を確かめた。


「大丈夫です。作戦通り、攪乱に努めます」


 ネーヴェマンは彼の様子に唖然としていたが、目を合わせると、「いけるんだな?」と問いかけた。

 誠は立ち上がると、固い口調で答えた。


「一刻も早くREWBSを降伏させるのが、ボクの役目ですから」


 盟友酒顛から預かっている以上、ネーヴェマンは無茶を言いたくなかった。それにこの少年から目を離すのが怖かった。あらゆる意味で、彼は重要であったからだ。

 宝石のような爆弾を抱えている気分だ。

 だが、今の彼の目は違っているように見えた。


「すぐに追いつく。それまで無茶はするなよ」


 賭けだった。こうして立ち止まっている時間も惜しい。

 何より、ネーヴェマンはもう一度見たかった。今や伝説となった男の、一瞬の後姿を。


「……行きます」


 彼らの先頭に踊り出た誠は、深呼吸の後、その言葉を残して姿を消した。寸秒遅れて巻き起こる人工の吹雪に、ネーヴェマンは苦笑した。

 そうして気付き、後悔するのだ。

 あぁ俺も、毒されていたんだ。


*   *   *


 何だと男がやおら立ち上がった。「五時の方向で雪煙が多発しています! こちらに向かっている!?」という部下のセリフがレーンの耳に触れたのと同時に、彼は振り返り、レイピアを鞘から抜いた。

 まるで高速の列車が山を駆け上ってきたようだった。地響きが、静謐だった空気を乱す。雪の嵐がそれらに続いて、レーン達を呑み込んだ。

 劇的だった。

 戦闘服を着た何者かが、視線の先で跪いている。ゆらりと起立するその者は、吼えた。


「レーン!」

「マコトか…!?」


 青空の下、白く冷たいカーテンが晴れていく。まるでダイヤモンドダスト。空間に鏤められた結晶の一つ一つが、二人の顔を映しているようだった。

 レーンは自身の感覚を疑ったわけではないが、確かめざるを得なかった。何故なら、誠は殺したはずだからだ。あの〈ネオ・アルゴー〉と共に、海に沈めたはずだからだ。

 それなのに今、少年は眼前に立ちはだかっている。もはや認めざるを得まい。

 しくじったということを。

 瞠っていた目を深く閉じる。レーンはそれにより、現実以外の全てを頭の中から排除した。ゆっくりと開くと、誠が叫んだ。


「もうやめようよ! 人殺しなんて、キミには似合わないよ!」


 その口調、その態度だけで、レーンには充分だった。彼がこの数日で取得したのであろう情報の見当が付いた。


「…僕のことを、知ったんだな」

「知ったよ、色んな人が調べてくれたんだ。キミの、お父さんのことも」


 レーンはすぐに答えなかった。

 父の顔が過ると、どうしても判断が一瞬鈍る。やはりこれは魔法で、呪いだ。心地好く、狂おしい、しがらみだ。

 そして、あの時の直感は正しかったと再確認できた。

 厄介ごとに、巡り逢ってしまったのだ。


*   *   *


 ――――十二時間前。バミューダ基地訓練場。

『ハワード夫妻に息子はいない』というアッサーラの言葉から、レーンという男の真相解明が行なわれた。

 どういうことですかと誠が問う。

 アッサーラは、『まあ、落ち着けよ』と彼を宥めると、その場に腰を下ろした。床に資料を広げると、その内の一枚を指差した。


『これがレーンの両親の写真だ。本人も映っていて、加工された形跡は無い。しかし写真は本物でも、血液や遺伝となれば話は別だ。都合のいいように辻褄を合わせるなんてのは至難の業だ』


 次に彼が指したのは、DNAの立体構造図がいくつも表示された有機EL紙だ。英字が並んでいて、誠には読めない。きっと日本語でもさっぱりだろう。


『これはアメリカの遺伝子研究機関にあったデータだ。親子であるという証明書だな』

『ということは、やっぱり――』

『話は最後まで聞け』


 窘められた誠は口を真一文字に結んだ。


『組織がもう一度そのデータを調べ直したところ、偽造された物だと判断された。記載されているハワード夫妻の遺伝子から、こんな構造式を持った子供は生まれない』

『相手はヘレティックよ? ノーマルとは――』

『第一は黙って人の話を聞けないのか?』


 エリもお口にチャックをした。


『俺が言いたいのは、記載されているレーンの塩基配列パターンには、決定的なミスがあるってことだ。単純に構造式が間違っているんだ』

『つまり、親子であると認めさせる為に偽造された物だと』

『そういうことです。真実親子であるなら、血液情報をそのまま登録すればいい。しかし親子でない者が親子だと証明するには、両親のDNAから生まれるであろう子供のDNA型を予測して証明書に記載しなければならない』

『その手順で、連中は誤ったのか』


 酒顛の問いに、アッサーラは首肯した。


『実の子でないとすれば、養子という手段もあったはずだが』

『推測ですが、本物に拘ったのでしょう。養子であれば、こうして実の親というものを真っ先に穿鑿しますから』

『ならばこのレーンとやらの、実の親は誰だ?』


 ネーヴェマンの疑問が当然浮上する。そこでアッサーラは第一に訊いた。


『コイツはレイピアを武器に使うんだな?』

『そうよ。この子はフェンシングの世界大会で何度も優勝しているような男なの』


 エリは悔しそうに唇を噛んだ。


『諜報部はある情報を手に入れた。先日パリで起きた発砲事件に関する資料だ。その実行犯と思しき女はすでに死亡していた。鑑定書によると、女の胸には、大きな針のような物で刺された形跡があったらしい』

『そんな……』


 誠は愕然として動けなかった。

 彼を一瞥したアッサーラだったが、話を続けた。


『さらに、こんな証言がある。ある男のボディガードの一人に、レイピアを携えた若い男がいたという情報だ。そいつは金色の髪にサングラスをかけた白人だったそうだ』

『…その雇い主の名は、もしや』

『そうです。発砲事件と関連している男と言えば、もうお分かりでしょう。男の名は、シューベル・オーランド。あのオーランド財閥の現当主です』


 発砲事件の後、ホテルで会見していた男の顔を思い出した。

 自動車メーカーなどの様々な事業で成功を収め、米仏の政界に多大な影響を与える資産家だ。


『続けて諜報部はシューベルを調べた。公にできない金の動きを調べると、某国の紛争で功績を挙げていた民間軍事会社(PMC)を二年前に買収していたことが明らかになった。さらには第一が潜入した船の出資にも大きく貢献している。しかし何より面白いのは、コイツの年間スケジュールだ』


 一同は彼の話に聞き入った。


『毎年同じ日に、コイツはある墓地に足を運び、花を手向けているそうだ。相手の名はカトレアと言い、彼女を調べるとさらに三つの事実が判明した』


 アッサーラは指を一つずつ立てながら言った。

 その度に誠は、目蓋を固く閉じた。


『一つは、彼女はシューベルの妻であること。一つは、彼女は生前子供を産んでいること。そして最後の一つ。彼女は、名うてのフェンサーだったこと』


 散らばったいくつもの点が、一つの線で結ばれていった。

 決定的な証拠は無かったが、それでも外堀は埋まっている。その形が、レーンという少年をより一層浮き立たせているようにも思えた。


*   *   *


「そうだ、僕はレーン・オーランド。オーランド財閥当主シューベルの息子だ」


 もはや隠し通す意味が無くなった彼は、自らの素性を暴露した。

 これで後戻りはできなくなった。ネイムレスは父を追い、暗殺しようと企むだろう。もし逃れても、表世界に父の居場所は無くなったも同然。

 レーン・オーランドは、戦闘外衣の左ポケットをおもむろに上から触った。中に入っているビーコンが作動する。その電波は輸送機の通信機に繋がり、やがては父の下へと届くだろう。

 自分の責任だ。レーンは臍を噬んだ。

 それはネイムレスの諜報部隊に追跡されたからでも、船に誘き寄せていながら始末し損ねていたからでも、誠に出逢ってしまったからでもない。そんなものは全て後付けの言い訳にしか過ぎない。

 本当に悔いるべきは、あの日の朝、突然思い立ったように〈ペレック〉へ向かってしまったことだ。父を喜ばせようと、いつもと違った行為に身を投じてしまったことだ。

 レーンは、誠を睨んだ。彼を、自らの犯した過ちが具象した存在として捉えた。

 その彼が叫んだ。


「どうしてこんなことを! こんな人達といたら腐る一方じゃないか!」


 罵倒された部下が、「腐るだとぉっ――

                地面を蹴った―莫大なエネルギーが足を回転させ―迂回―前進―背に担ぐ〈エッジレス〉を抜き―相対距離を縮める―明後日の方へサブマシンガンを撃ち鳴らす彼の傍で止まった

              ――!?」と声を荒げたと同時に、影が右の視界を曇らせた。直後、両手で構えていたサブマシンガンが上へと弾け飛んだ。何事かと動転する彼の目の前で、遠くにいたはずの標的が奇抜な剣を振り上げていた。自然、小銃と一緒に両手を挙げる格好となった男は、あんぐりと口を開いたまま背中から倒れた。遅れて足元の雪が四散して、彼の顔を白く染めた。

 標的は、言った。


「そうじゃないですか! 人を殺して平気でいられるなんてどうかしてる!」


 レーンはゆっくりと彼から距離を取ると、レイピアの切っ先で指した。


「腐っているのはネイムレスの方だよ、マコト。人間を守る価値なんて、僕らヘレティックには無いんだよ」

「そんなことを言う…! それじゃあメギィド博士と一緒じゃないか!」


 誠は歯軋りを立てた。彼から、そんなセリフを聞きたくなかった。


「そう言えば博士は、ネイムレスに席を置いていたんだったな。彼は死んだのだろう?」

「あの人もノーマルを恨んでいた! 嫉妬していた! キミもそうだって言うのか!? 才能に恵まれたキミも、ノーマルに何か酷いことをされたのか!?」


 感情が定まらない。今にも涙が溢れそうだった。こんなに、こんなに悲しいことがあるだろうか。友達だと思った少年が、こうも血に塗れていただなんて、こんなに惨いことが、他に。

 張り裂けそうな胸を抱えていると、あの時の彼の言葉を思い出した。


〝陰口を鮮明に聞き取れてしまうとね、気分が悪いだろう?〟


 父の仕事の都合で世界を飛び回ることが多かった為、多言語話者(ポリグロット)になったと彼は言っていた。そのせいで、苦労が尽きないのだと嘆いていた。

 そのことが要因なのかと誠が思った矢先、それを読み取ったようにレーンは否定した。


「違うよ。僕は、僕の怒りの為に生きているんじゃない」

「え…?」

「僕に個人的な感情なんて無い。あるのは、そう、愛だけだ」


 優しい顔だった。瞳がとても輝いていた。されども誠がハッとした頃にはその顔は無かった。

 言うや、鋭い切っ先が急に誠の顔目掛けて飛んできた。レイピアを投げたのではない。フェンシングで言う、〝捨て身の突き――フレッシュ〟だ。その極意は半身を開いた一足飛び。

 しかしレーンのそれは並ではなかった。ヘレティックである彼は、ノーマルよりも遥かに優れた肉体を有しているようで、助走も無しに五メートルも跳んでいた。

 切っ先が鼻頭に触れかける。誠は瞠目しつつも、後ろに向かって地面を蹴った。

 レーンには見えた。彼がどのように足を動かし、後方へ逃げたのか、その一部始終が。


「やはり良い足だ。だが、逃げてばかりでは僕を殺せないぞ!」


 彼は笑っていた。

 その言動に誠は怒り心頭に発した。〈エッジレス〉を足下に投げ捨てる。

 雪に刺さったそれに注意を取られたレーンだったが、罠の可能性を疑った。あの足の速さは脅威だ。隙を生めば、気を抜けば、簡単に間合いを詰められてしまう。

 神経を尖らせねば…。

 しかし目の前の少年は、その脅威を行使しなかった。立ち尽くし、声を震わせた。


「……殺す? ボクが、キミを!? 冗談じゃないっ!!」


 レーンは面食らい、不可解だという風に眉を顰めた。


「ボクはキミを止めに来たんだ! レーン、降伏してよ!」

「それはネイムレスの意思か?」

「違う、ボクの意思だ!」

「だろうな。ネイムレスがREWBSを生かしておくわけがない」

「だけどボクは、それも認めない!」


 誠は頭を振る。立てた小指を見せつけて、鼻を赤らめ叫んだ。


「約束する! もしも組織がキミを殺そうとするなら、ボクはキミを守る! キミを必ず、誰にも見つからない場所に逃がす! 死ぬだ殺すだなんてこと、あってたまるかぁっ!!」


 彼は本気だ。

 誠の眉を読み、レーンは確信した。凄まじい覇気に指一つ動かせない。

 明らかに動揺している彼の目を覚ましたのは、無数の銃声だった。誠を包囲していた兵達は、一斉に引き金を引い――

            条件反射―それは清芽やケンの教えでもあった―銃を向けられる前に足を動かせ―地面を蹴れ―死角を奪え―制圧しろ―支配しろ―目を開けろ―お前だけの世界がそこに拓かれる

          ――着弾の後、雪が雲のように居座っていた。兵が目を細めていると、背後でドッと音がした。重い雪が背中に圧し掛かり、「ごめんなさい…!」と細い声が耳朶に触れた。うなじに激痛が走った。

 武器を使って人を殴ってしまった。ケンを含めれば、これで二人目だ。力の加減が分からなかった。清芽達にレクチャーを受け、人体のどこを打撃すれば相手は気絶するのかということを学んだが、それでも人に対して行なったことは――ましてや《韋駄天》を使った流れで実践したことはなかった。

 誠は急いでグローブを脱ぎ、恐る恐る男の首筋に触れた。

 微かに脈動している。生きているのだ。

 良かった…。

 安堵した途端、レーンが再び突進してきた。誠はすぐに逃げるが、今度は兵達の銃撃の的になった。急遽、離れる。まるでその逃走ルートを読んだように、レーンが強襲する。

 そうしてイタチごっこが三度繰り返された時、「マコトぉっ、伏せろおおおっ!!」と野太い声が駆け上がってきた。誠は息を整える間も無く、横に跳ねた。

 得意のフレッシュで今一度詰め寄ろうとしていたレーンも、すぐに後ろへ飛んだ。そこへ歪で禍々しい氷の波が押し寄せた。

 部下が数名飲み込まれる姿に、「ちぃっ」とレーンは舌打ちした。


「ネーヴェマンさん!」


 約束どおり追いかけてくれたことと、それによって人が死んでしまったことに、誠の心境は複雑だった。氷漬けになった兵の虚ろな目が何かを伝えているようだった。空に伸ばされた手が助けを乞うているようだった。

 これはまた、自分の罪だ。逃げてばかりだったから、怖がってしまっていたから、彼らは死んでしまったのだ。

 座り込んでしまった彼の肩に、ウヌバが手を置いた。まだ終わっていないという意味らしい。

 立ち上がる彼を背に、ネーヴェマンは言った。


「動くな、レーン・オーランド。さもなくばこの氷の監獄がお前の墓場になる」


 それは芸術とも呼べる代物だった。カマクラのような氷のドームがレーンを包んでおり、ドーム内に氷の枝が張り巡らされていた。

 レーンは身動きできないようで、徐々に伸びてくる枝の先を静かに見つめていた。

 ネーヴェマンのセンス《コキュートス》は、全身から氷を生み出す。しかしウヌバのように発火する力は無い。自らの意思で操作できるのは平熱以下の温度――それも南極と同等の氷点下八十度まで下げることができ、しかもそれを周囲に伝播させることも可能だ。

 彼は手を正面に向けている。それだけで厚い氷を作り、レーンを拘束していた。さらにここには、水蒸気よりも頼りになる雪や氷の宝庫だ。水分にも冷温にも事欠かない。

 言うなればネーヴェマンの独壇場だ。


「堕天使を封印するのは、やはり氷がおあつらえ向きのようだな。小僧、このまま〝嘆きの川(コキュートス)〟で眠ってくれ」


 ネーヴェマンはさらに力を籠めた。彼の意思に応じ、空間が一層冷え、枝が太さを増し、急速に伸びていく。

 その枝先がレーンに触れかける瞬間、「くだらん」不意に奔る怖気に、ネーヴェマンは急いで手を突いた。しかし機を逸した彼の行為は、レーンの並外れた行ないを際立たせるだけだった。

 レーンは左手首を素早く回した。すると握っていたレイピアが鞭のように撓り、群がる枝が、花火のように音を立てて炸裂していく。そこへネーヴェマンの戦術だろう、足元の雪が急速に凝固しだした。レーンは軽く飛び跳ねるとドームの天井をレイピアで切り裂いた。〈オリハルコン〉製のそれにかかれば、厚い氷も布を裂くようなものだ。彼は一度の跳躍で四度も傷を付けると、裂かれた穴に向かって右手を伸ばした。

 とんでもない早業を目の当たりにしたネーヴェマンは焦燥を隠せなかった。意識を天井に向けるも、その頃には彼に破壊され尽くし、脱獄を許してしまっていた。

 見かねたウヌバが加勢する。彼も雪を凍らせ、レーンの動きを鈍らせようとした。

 そこへ今度は生き残っていた兵達が主人を援護する。銃撃が誠を襲うも、ネーヴェマンの氷の盾によって防がれた。

 だが安堵はできない。振り返ると、ウヌバとレーンが肉薄していた。

 ウヌバは重い身体を懸命に動かしつつ、氷の盾でレイピアの軌道を辛うじて凌いでいた。そして隙を見ては炎を放つが、冷えた空気がそれを弱めてしまっていた。

 それさえもレーンは計算尽くだったようで、彼を淡々と攻め立てると、氷の盾を蹴り砕いた。

 咄嗟に両腕を交差させて防御の型を取るウヌバだったが、再度の蹴りを受け止めることこそが失策だった。

 凄まじい脚力が腕を押しやる。すると身体が後退し、耐えようと足を引いた。そこに地面が無く、ウヌバは崖からずり落ちる恰好となった。あわや標高六千メートルから転落するところだったが、辺りの空気を涸らしてまで作った太い氷の幹を崖の上の氷と連結させたお蔭で、九死に一生を得た。

 柄にもなく息をつく彼が上を見上げると、そこにレーンの姿は無かった。

 なんと彼は、ウヌバが落ちること、そして自力で助かることさえも予測したように、次の行動に移していた。続く彼の獲物はネーヴェマンだった。

 弟子の技と似た、それでいながらより洗練されたテクニックで、ネーヴェマンはレーンの猛攻を回避していた。しかし防戦一方で、縦横無尽のレイピアと少年の動きに、先程までの余裕は皆無だった。


「やるっ、だがぁっ!」


 言いつつ、ネーヴェマンは地面を殴った。すると雪が一息に形を変え、まるで針の筵のようになった。

 けれどもそれさえ通じない。レーンはレイピアの切っ先を指で抓むと、バレエのピルエットのように、その場でくるりと旋回した。最中、U字に撓ったそれを離して、旋回方向へ薙いだ。するとそれが地面から突き上げてくる氷筍を木っ端微塵に粉砕し、彼の半径三メートルを更地に変えた。

 その超常的な光景に、ネーヴェマン同様誠も息を呑んだ。

 誠は考えていた。どうすればこの戦いを止められるのか。どうすれば彼は降伏してくれるのか。

 しかし考えが纏まらない。何故なら彼も、兵からの銃撃に晒されていたからだ。辛うじて逃げた岩陰にヴォノフが隠れていた。


「マコト、無事か!」

「な、何とか…」

「リーダーに知らせてくれ、あの洞穴の奥に人がいる! 白衣を着た連中が何人も! だが暗闇でよく見えない!」


 彼が指差す方には、確かに洞穴があった。山肌に穿たれた大きな穴だ。

 現在、量子通信の使用許可は出ていない。中隊長の命令を待たなくてはならない。信号弾は表世界に観測される可能性があって使えない。

 一考した誠は、分かりましたと一言を残して走り去った。

 だがヴォノフは見事に裏切られてしまった。誠はネーヴェマンの方ではなく、単身洞穴へと乗り込んでいったのだ。

 それを察知したのか、レーンはネーヴェマンに背を向けて何処かへ行ってしまった。逃げたのではないと思ったものの、助かったという気持ちの方が勝っていた。彼は満身創痍だった。防弾性の高い戦闘服は切り刻まれ、顔や首からも引っ切り無しに血が滴っていた。

 深呼吸し、再びレーンを追走しようとしたところ、声を掛けられた。


「ネーヴェマン!」

「カウスか!」


 第三小隊も全員無事だったらしい。


「マコトはどうした、一緒じゃねぇのか!」


 訊いたのはケンだ。耳を立て、臭いを嗅ぐ彼だったが、誠の居場所が分からないようだ。そんな彼の耳に、小さな声が届いた。位置を計測すると、そこにヴォノフの姿があった。遠く、何かを叫びながら駆けて来る。しかし銃撃に遭って中々進めないようだ。

 彼はケンを見つけると、声が届かないと分かりながらも叫んだ。ケンなら聞き取れると思ったのだ。そのセリフに、ケンは吐き捨てた。


「あのヤロー、また勝手な真似を!」

「どうした、ヴォノフは何と言ってる!」

「あのガキ、あそこの洞穴に入りやがった!」


 その乱暴な声を聞きつけたのか、敵が彼らを包囲した。よく訓練され、まるで無尽蔵の連中に、一同の疲労は極限にまで達していた。彼らは急いで岩陰に隠れ、銃撃を耐え忍んだ。


「マコトは俺とウヌバが何とかする。お前達はここで敵を食い止めつつ、奴らの足を探してくれ。通信は俺が許可する、酒顛も手を焼いているようだからな」


 ネーヴェマンの判断に、「俺も行かせろ!」とケンが詰め寄る。

 しかし、「索敵の手が足りん、指示に従え!」とネーヴェマンは一蹴した。

 苛立ちを隠せない彼だったが、それ以上の異を唱えることはなかった。


「ウヌバ、あのガキ捕まえたら殴れよ! 遠慮すんなよ!」


 ウヌバは首肯すると、師匠と共に駆けていった。

 残されたケン達の役目は陽動だ。まずは全身を鎧のように硬化できるセンスを持つカウスが、REWBSに対して正面突破を挑む。

 銃の利かない相手に動揺する兵を、デファンが狙撃する。

 続けてステナが自慢の《念動力》を披露する。それはドルコフ司令に師事された。

 雪が波のように押し寄せるので逃げ惑う兵を、ケンとケイトが刈り取っていく。ケンは殴打し、ケイトは蛸のような軟体を武器にして兵に巻きつくと、素早く首の骨を折るのだ。

 一同は焦燥に駆られていた。

 作戦の所要限界時間が迫っているのだ。早く終わらせなければ、表世界に感付かれてしまう。

 しかして激化する戦場は、否応無しに最終局面を迎えていた。

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