〔エピローグ〕
八月某日。
ありがとうと言われた。
去りゆく夫婦の背中に、深々と頭を下げた。涙ぐむ女性が腕に抱く幼い子供の、小さな手には、黄ばんだサイコロが握られている。
祖父の声を感じているのだろうか。その子は終始笑顔だった。
飛山椿は、空を仰いだ。群青を、白い入道雲が泳いでいる。
普通の神経なら美しさを覚えるはずが、椿にはどこか悲しげに映った。
「ここにいましたか」
ごくごく普通の登場で、椿の目の前に現れた背の高い男――柳は、「約束は、果たせたようですね」と物憂げな瞳を彼女に向けた。
「らしくないわね」
「アナタこそ、アレから元気が無いようですが」
都内の高台にある、小さな墓地。そこに今、彼女らはいる。
足元の墓の主――弟切警部はあの日、壮絶に息を引き取る少し前、彼女にこう言った。
“このままで良いのかい”
八手と入れ替わった椿を車で回収したのは、弟切の独断だった。その役目は忍が担うはずだったが、彼は強引に彼女を車に乗せたのだった。八手はそんな彼らとの別れ際に、東京湾には近付くなと忠告した。忍は弟切の車を湾から遠ざけるように誘導した。
しかし弟切は車内で問いかけたのだ。椿に、人としてのけじめをつけるべきではないのかと、婉曲に言ったのだ。
もしもあの場で逃げていたら、自分はきっと、ダメな人間になっていただろうと、椿は確信できる。人の命を無碍にする、全ての責任を誰かに押しつける、酷い人間に。
それを止めてくれた弟切の厚意は、誰にも喋らないと誓った。いつか矢面に立たされるときが来たとしても、弟切の決死の覚悟を穢さないと、自分が追うべき全ての責任から逃げないと誓った。
あの日、東京湾に行ったのは、自分の判断だったのだ。だからこの真実は、弟切とだけの、秘密の約束だ。
沈黙の後、互いに嘆息を漏らすと、椿が先に口を開いた。
「弟切さんの葬儀、裏で色々動いてくれて、ありがとうね」
「殊勝ですね」
「からかうんじゃないわよ」
「警察内部では様々な憶測が飛び交っていますが、アナタに直接影響があるようなことはないはずです。ですがしばらくは大人しくしているほうが吉ですよ、暴走少女さん」
「そ。ところでアンタ、これからどうするの?」
「アナタの護衛も、しばらくはお役御免となります」
「清々するっていうのは、こういうことを言うのね」
「当面は、彼らのような者達が現れることはないでしょう」
その言葉に、「本当に?」と椿は聞き返した。
アレほど恐ろしい目に遭ったのだ、不安にならないわけがないだろう。柳は、ちらと彼女の右足に視線を落とした。銃痕があった場所は綺麗さっぱり治っている。千代灯籠の整形術をもってすればこのくらいは朝飯前だが、さすがに記憶までは書き換えられない。
「確約はできませんがね。ですが、彼らの存在履歴は抹消しました。彼らが外部と連絡を取った形跡もありませんでしたし、少なくとも、アナタだけが狙い襲われる事態に見舞われることはないでしょう」
「やっぱり、マコトには会えないの?」
「ネイムレスが能力者を自らの意思で解放した例は、一つもありません」
「お昼お爺ちゃんがさ、言ってたでしょ。アンタ達は今まで、被害者遺族と直接面識したことはないって。私と逢うまでは、なかったって」
「その話自体は嘘でしたが、確かに、ネイムレスが連れていった人々の関係者と、我々は脅迫以上の面識はありませんでした。だからアナタは、そう、異例中の異例でした」
「じゃあさ、少しは希望があるわよね」
彼女の目は輝いていた。遠い希望に胸を膨らませているようだった。
「私はさ、もう異例を起こしちゃったわけだから、そのうちね、奇跡とか起こせるような気がするんだよね」
「奇跡、を……」
柳はぼんやりとつぶやいた。彼女が変わったきっかけを探っていると、やはりあの男のことが気になった。
「そう言えば、アレからヤツデさんにはお会いしましたか?」
「ううん。会ってないよ、どうして?」
「いえ……」
柳には悪かったが、椿の口は堅かった。彼と交わした約束も、必ず守り通さなくてはならなかった。彼が、カササギとなり、深く大きな川に橋を架けてくれるその日まで、必ず。
「どうかその希望を持って、生きてください」
「殊勝なこと言うのね」
ハハ、と笑う。笑みを交わす。
まさかこんな日が訪れるとは、夢にも思わなかった。
最悪の出逢いが、今では懐かしい。
「それでは。お互い、もう二度と、会うことがないことを願いましょう」
「えぇ。これだけはお互いに、ね」
柳はコートを翻し、去っていった。
背中を見届けてから、バッグに手を伸ばした。取り出したのは、一枚の写真。
動く、写真だ。
「希望を持って、生きる……か。何だか、拷問みたいね。ただ、待ち続けるなんて」
独り言ちる彼女に、女の声が呼びかけた。
母だ。傍らには父も、家政婦の菜々もいる。
大切な人の墓参りをしたいと言ったら、二つ返事で付き合ってくれた。
でも、今日はこれから、他に行かなければならない。
「ツバキさん、行くって、どちらに?」
「病院。謝りに行ってくるわ」
「誰に、謝るんですか?」
「とても優しい人。深く傷付けちゃったから、ちゃんと頭を下げなきゃ」
迷いのない彼女の顔に、両親も菜々も快諾した。
「かしこまりました。どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
待ち人は歩き出した。日と影が入り乱れる木漏れ日の中を、駆け出した。
私、ちゃんと待てるから。死ぬまで、死んでも、ずっと、待ってるから。
だから帰ってきたら、あのとき言いかけた言葉の続きを、最後まで聞かせて。
私の勇気に、応えて。
想いは刻を越え、叶うのかもしれない。
眩い日差しに、小指を伸ばした。
ほのかに感じる温もりに、そっと指を絡めた。
〔了〕
こんにちは、こんばんわかな? どうも、T・Fです。
【第一章】と同様にかなり分割してみました。リンクは増えましたが、比較的読みやすくなったのではないかと思います。
この度は【待ち人ラナウェイっ】をご覧いただきまして誠にありがとうございます。2015年1月29日の改変により、それ以前にアップしていた内容と少し異なっている箇所がいくつかあります。ですが本筋はほとんど変わっていないので、以前にご覧になられている方がいらっしゃいましたら、その辺りも楽しんでいただければと思います。
ちょっと素っ気ないですが、またここも編集するかもしれないので、今日はこの辺で失礼いたします。
T・Fでした~^^




