〔二‐4〕 Crybaby-Bomb
仮名ネイムレスという組織に属する者達が身を寄せる基地は、世界中に点在している。
基地と言えば軍事の要であり、拠点・橋頭堡といった陣地や進軍の足がかりとして機能するものだが、組織にとっては永劫的な居住地としての色が濃厚である。と言うのも、組織の基地は〈DEM〉と呼ばれる完全無欠のステルス装置によって、どのような手段でも観測・感知できないようになっているので、表世界のどこよりも安全であるからだ。
酒顛達が住むここ本部は、マリアナ海溝の最深部――チャレンジャー海淵近郊にあり、〈DEM〉によって海洋プレートに張りつく岩盤に擬態して、その巨体を隠している。
海面から約一一キロメートルと地球上で最も深い海の底にある基地の内部は、増築に増築を重ねた無骨な外観からは想像できない近未来的な造形をしている。五つの階層を縦にぶち抜くように、基地の中央には巨大な円筒状のアクアリウムがある。厚いガラスを隔てて緩いカーブを描いたメインストリートがあって、幻想的な雰囲気が一帯を包んでいる。
基地の電力は海水から分離させた重水素をエネルギー源にした熱核融合炉によって賄われている。アクアリウムを通して差し込む自然光のような光源は、海上の経緯度と同じ昼夜の明かりを再現し、生活リズムを狂わせない仕組みを取っているなどの手の込みようだ。
アクアリウムには多くの深海魚が生息しているが、彼らは光を浴びることによって、外の同属とは違った独自の進化を遂げている。
まるで、この基地に住まう者達のように。
「惨いものだな」と、酒顛はこぼした。アクアリウムを臨む耐圧ガラスからは、いつになく淀んだ湿り気が伝わってきていた。
最下層医療区画のメインストリートを渡りながら、一同は彼の背中を見つめていた。
「たとえ記憶があったとしても、急にこんな話を突きつけられれば混乱するのは無理もない。事実をありのままに伝え過ぎた、悪いことをした」
「彼の反応、おそらくそれだけではないと思うよ」
「と、言いますと?」と酒顛は清芽に問うた。
「多分、キミが見せた彼の経歴が、彼の深層心理を刺激したんじゃないかな。記憶を失うまでに抱えていた、彼の家庭事情に対しての想いのようなものを」
なるほどと頷いたのはエリだ。
「確かにそれは考えられますよね。だって、ご両親が行方不明になって、引き取ってくれたお婆ちゃんまで亡くなっちゃって。きっと彼、すごく孤独だったんじゃないですか?」
皆一様に立ち止まり、誠の病室のほうを振り返った。
「それでも、受け止めてもらわねば困る。孤独を乗り越えることこそが、俺達ヘレティックの通過儀礼のようなものなんだからな」
断言する酒顛が再び歩き出すと、「彼を夜這いしろって言ったバーグって、一体何者なんですかね」とエリが訊いた。
「夜這いじゃない、保護だ」
「保護でもねぇよ、拉致だ。そのバーグ本人が言ってやがることだ」
ケンがつぶさに噛みついた。
堂々巡りの問答を仲裁するように清芽が口を開く。
「情報屋という部類にある人間ではないだろうね。情報を取得するには相応のコストがかかるものだ。それは金銭であったり、人脈であったり、もしかすると命かもしれない。何かしらを糧にして情報を売買する、それが情報屋だ。そしてその目的は決まって、自分が得をするためだ」
「じゃあこの半年近く、バーグが組織に情報を無償で提供してきたのは、バーグにとって何か得なことがあるからってことですか?」
「当然だろうが」
エリは真剣な顔で悩んでみせると、一つの結論に至った。
「お金よりも利益になるもの……もしかして、ラヴ?」
「テメーは気楽でいいな」と一蹴したのはやはりケンだった。
エリは頬を膨らませると、目を細くして指で眉間を指した。
「どこかの誰かさんみたいに、四六時中ずぅーっとシワ寄せてるよりも健康的でしょ」
「あ? 誰の話してんだ、色気なし痴女コラ?」
「やんのかコラ、この白髪犯罪者面コルァ?」
互いに眉毛を波打たせてガンを飛ばす。こんなものはそれこそ四六時中で、日常茶飯事だ。二人は昔から犬猿の仲、何かにつけてどちらかがどちらかを挑発していがみ合うのだ。
人は言う、絵に描いたような痴話喧嘩だと。
「「痴話喧嘩じゃねぇよ、死ね!! わりとマジで死ね!!」」
誰かが薮蛇に遭っても気にも留めず、酒顛は話を進めた。
「バーグは武器商人ではないか、という話はチラホラ耳にするな」
「僕も聞いたことがある。情報部は相変わらずダンマリだけど、その線で追っていないわけはないだろうね」
「どうして武器商人?」
「んなことも分からねぇーで、よくも戦争してられんな」
小首をかしげるエリに、またケンが突っかかる。勘弁してもらいたいものである。
「じゃ、じゃーアンタは分かんの? 説明してみなよ、どうせ無理だろうけど!」
何をそんなに意固地になっているのか、あくまで説明できないと高をくくるエリを、ケンは一笑に付した。
「武器商人ってのは、買い手が勝とうが負けようが、戦争が起きればそれでイイんだよ。戦争が激化すればするほど兵器の需要は高まるからな。武器商人かもしれねぇってのは、バーグの野郎がわざと買い手の情報を俺達に流して、戦争を誘発させてるんじゃねぇかってことだ。最後まで推測で話せば、野郎は俺達に買い手を食い潰させることで、新たな顧客に俺達の存在を知らしめて、また兵器を売りさばいていやがる可能性があんだよ」
くっ、ペラペラと……!
エリは腰を引かせるも、何か言い返そうとしきりに口を開いては閉じた。
対するケンは優勢を維持したまま畳みかける。
「何故そうするかって? そいつは戦争が生産よりも消費が勝る世界だからだ。買い手の劣勢が続けば、もしくは兵糧ばっかを費やす長期戦に陥ったら、その分買い手は兵器へ投じる予算を徐々に渋らざるを得なくなる。だから切り捨てるんだよ、他に財布の厚い奴を探したほうが有意義だからな。バーグが武器商人だとした場合の俺達組織の役割は、死肉喰らいのジャッカルみてーなもんなんだよ」
勝ち誇った顔で見下ろす彼に、ぐうの音も出せないエリはそれでも問いを搾り出した。
「じゃ、じゃあ何。バーグは私達を自分の商売に利用してるってこと?」
「そう言ってんだろうが。何がラヴだ、夜這いといい、発情してんのかこの雌ザル」
「ムキーーーーッ!!」
エリはポニーテールを本当の尻尾のように逆立てて怒り狂った。
「しかしよりにもよって我々を腐肉食動物扱いするとは身の程を知らん奴だな、バーグというのは」
「まだ憶測の段階だけどね」
「そうだ」と同意するケンは、猪突猛進に掴みかかってくるエリの頭を押さえつけながら、「だがその予測も、昨日までのことだ」とさらなる持論を展開した。
「あのガキの拉致は、今までの情報とニオイがまるで違う。こいつは俺の勘だが、野郎の本当の目的は、あのガキをここに連れてこさせることにあったんじゃねぇのか」
「《韋駄天》、か?」
「違う、アレは《韋駄天》なんかじゃねぇ……!!」
酒顛の言葉を、ケンは即座に否定した。その表情や口調は、常軌を逸して険しかった。
「何言ってんのよ。メギィド博士が太鼓判押しただけじゃなくて、昔実物を生で見てきたリーダーが言ってるんだから、間違いなんてあるわけないじゃない」
「黙れよ!!」
「ちょ、何よ、怒鳴んなくても――」
「エリっ、アンタ達もっ! 二度と《韋駄天》だなんて言うなよ! あんなセンス、そうそうあってイイもんじゃねぇんだよ……!!」
一人癇癪を起こして、ケンは足早に去っていった。
呆気に取られるエリの肩に酒顛が手を置いた。
「アイツも気付いたか。本当に鼻が利くヤツだ、感心するよ」
「何ですか?」
「エリ、ウヌバ、話がある。先生もミーティングルームへいらしてください、重要な任務が発令されました」
「医者の僕を二度も駆り出すだなんて、余程面倒なことらしいね」
「えぇ。それはもう、とびっきり」
酒顛は面目ないと頭を掻いた。
清芽も気付いていた。組織は今、バーグによってとんでもない爆弾を抱え込まされてしまったことに。