〔十‐3〕 ドレート・アリリ・ツェーラ
叢雲が三日月を喰らっていく。その様は、地上の風景に酷似していた。
鬼神の如き強さを誇るドレート達に、忍の半数が惨殺されてしまったのだ。
「クロジャイを仕留めた、その力は認めるがな。それが貴様の仇になる。私に情け容赦をさせなくしたのだからな」
ドレートはまたもや懐から、血液で満たされたマイクロチューブを取り出して服用した。
しかし今度は、彼の身体に明確な変化が見られた。身の丈も、胸板の厚さも、腕や足の太さも、そして口の大きさも、全てが肥大したのである。
筋骨隆々たるその様はまるで――
「それは、あの男の……」
数十分前、首だけになってでも喉元に喰いつこうとした大男――クロジャイのようだった。
「先輩、おそらくアレがアイツのセンスですわ。ヘレティックの血液を飲むことで、そいつのセンスを手にできる。こりゃ厄介やで……!」
「どうするヤナギ。ここはカゲノちゃんの作戦どおり、少年狙いで責めるか」
粗樫と八手が、疲弊しきった顔を柳に向ける。
彼は一考の後、「いえ、ドレート・アリリ・ツェーラは私に任せてください。皆は、あの双子の相手をお願いします」
「一人で奴を相手にするのか?」
「アイツのスペック、パワーもスピードもハンパやないで。しかもあんなデカくなってもうて……、それを一人でやなんて、自殺行為やろ」
「もしも彼が本当に、あのクロジャイという男のセンスを手にしたのなら、それを相手にできるのはもはや私だけです。それに……」
「それに?」
聞き返す八手に、柳は真顔で言った。
「子供を相手にすると、泣きたくなります。いえ、死にたくなります」
「こんな時までロリコンか! アンタ、ホンマ生粋やな! 生粋の児童愛好家やな!」
えへへと柳は頬を掻いた。
全く可愛くないその仕草に一同が吐き気を催していると、ドレートが深く踏ん張った。
来る。
そう直感した柳は、「散開!」と号した。彼の傍にいた八手と粗樫がそれぞれ左右に飛び退いた瞬間、ドレートの巨体が彼を貫いた。
「早河誠のセンスを、自分の力として手に入れる。それがアナタの目的ですね?」
クロジャイとの戦闘と同じ手順――センス《二律背反》の〈無相・鏡花水月〉で透過した柳は、ドレートの巨大な背中に問う。
「マコト・サガワの存在と、そのセンスを知らされた時、私は心の底から恐怖したよ。長年空白だったネイムレスという城の玉座が、再び埋められてしまったのだからな。貴様らには解らんだろうが、その事実は私にとって人生最大の恐怖だった」
「《韋駄天》。音速を超える脚力と、それに耐え得る肉体。確かに魅力的ですね」
「そう、だから私は笑ってしまったのだよ。まるで財宝の在り処を知った海賊のように、怯える心は程なくして歓喜に満ちたのだ。貴様が言うように、私のセンス《貪婪》があれば、ヘレティックの王たる器に相応しいあの力さえも我が物とできるのだからな」
「ではやはり、ツバキさんの拉致を目論んだのは、早河誠を誘き寄せるためですか」
「あの娘は、貴様らやネイムレスをもってしても隠し通せなかった唯一の接点。アレの決して叶わぬ深く執拗な愛情の前では、マコト・サガワもその足を止めることだろう。たとえ、記憶喪失であったとしてもな」
「全く、見下げ果てた方だ……」
「私はな、この世で唯一、愛という概念だけは信仰しているのだよ」
「いえ、そうではないんですよ」
「ん?」
「クロジャイという男が、首だけになっても守り通した目的を、いともあっさりと答えてしまうことがね、実に薄情であると思ったのです」
ドレートのこめかみの、太い静脈が浮き立つ。
憤慨する彼を、「親友、だったのでしょう?」と柳はさらに挑発した。
クロジャイほどではないものの、硬く大きな拳が柳に飛ぶ。透過されることを察していたドレートは、続けざまにアスファルトを削るように低い下段蹴りを柳の足元に繰り出す。
柳は危険を感知し、垂直に跳んでそれを躱した。だが、今度は左のジャブが身体を貫いた。それも透過したが、着地の際にまたもや下段蹴りを放たれ、それが左の踝に直撃した。
左半身から崩れる彼の顔をアイアンクローで掴み取ったドレートは、一度持ち上げたのも束の間、高く振り翳して地面へ叩きつけた。
柳は、透過できなかった。
彼から手を離さぬまま、ドレートは怒鳴る。
「貴様の尺度で私達を語ろうなどなあぁ!」
「くかっ……!」
「そうだ、親友だったよ! だから彼が残したダイイング・メッセージに気付いたのだ!」
「……ダイ……イング?」
「貴様のコートの千切れた裾に、クロジャイの血が付いている! そのコートこそが貴様の真の凶器なのだろう!!」
「私の……血……」
「死に際の嘘ほど無様なものは無いな! 私の目には視えるのだよ! 大気に触れたヘレティックの血は、光ってなぁ!」
「それも、誰かのセンス……?」
「北欧の片田舎で出逢った少女が、私の傷口を指して言ったよ! 血が輝いているとな!」
「その少女を、どうしたのですか」
「喰らったさ! クロジャイと共に、肉片一つ残さず!」
柳の目元はドレートの手に覆われているので詳しい表情は分からないが、口元は愕然としているようにあんぐりと開いていた。その口が、問う。
「美味しかったですか?」
「……糞尿に塗れた下腹部以外は、中々に美味だったことは、今でもよく覚えている」
それを聞き、柳の仰向けだった身体はスッと地中に溶けた。
ドレートの掌が空を掴む。広い周辺視野が柳の空を向いた爪先を捉える。
柳はそれを地上に残したまま支点にし、鉄棒に足を掛けたまま回転するかのように地中を泳いだ。地面に手をかけ、勢いを殺さぬまま地表へ飛び出した。彼の透過に、制限は無いようだった。
着地する彼は、飛びかかるドレートの豪腕を素早い身のこなしで躱すと、長い髪を歌舞伎の演目の一――連獅子の最大の見せ場である“毛振り”のように振り回した。
これは危険だ。
ドレートはパーラから聞いていた情報を思い起こし、腕を引っ込めた。連続してコートの裾を翻すので、一度大きく飛び退いた。腰に手を伸ばし、PDWを構える。
銃弾の雨霰を、まさに柳に風と受け流す。柳の目は、殺意に満ち満ちていた。
「刮目しなさい。これがアナタを殺す男の、真の姿です」
柳はトレンチコートのファスナーを全て下ろした。




