〔九‐3〕 “天狗”の八手
六つ目の首が飛んだ。
七つ目になりたいらしい人型恐竜が、粗樫の前腕に鋭い牙を立てる。しかし《鎧肌骨》と名付けられた、金属のように硬い彼の身体にはまるで刺さらなかった。
ワニという生き物は、口を開ける力が弱い代わりに、閉める力は非常に強い。人型恐竜の生態もそれに近いものがあるらしく、一度噛みつくとただでは離してくれなかった。
そこで粗樫は、腕を噛みしだこうという恐竜の脳天をあえて片方の腕で押さえつけた。すると恐竜には、両手足の爪を使って難を逃れるという術も粗樫相手では効果がないので、腕を噛み切るという選択肢しか残されていない。されども牙は一向に皮膚すら通らず、噛み切るという本来至上の快感を得られる行為が無謀となって、逆に牙に、それを支える歯肉に、ひいてはアゴに多大なストレスを与えるという、最も辛い行動へと転換されていった。
「哀れやとは思うけどな、同情はせぇへんぞ」
粗樫にとって、選択した体の部位に力を込めるという運動と、同じ部位を《鎧肌骨》によって硬化させるという行為はほぼ同義であり、それはつまり硬化の程度を選べるということでもある。
衣服が切り刻まれてはいるものの、全くの無傷である彼は、両腕をさらに力ませると、恐竜の頭をがっちりと固定し、一気に腕を上下逆さにひねり返した。関節にかけて硬化を解くようにしておけば、いくら硬い身体でも腕を曲げるくらいはできる。
恐竜は体を横に回転させて、地面に叩きつけられた。
ギャウという悲鳴が耳を突くが、もはやそんなことは関係ない。粗樫はむりくりに恐竜のアゴを抉じ開けて首根っこを掴むと、重い身体を持ち上げた。そして、離し、爪を立てた形で固めた右手を、恐竜の喉元に突き刺した。
ハンマーのように重いショベルが、恐竜の硬い皮膚を突き破る。頭は弾け飛び、首からは恐竜の断末魔の叫びのように赤黒い血潮が噴き出した。
グルル……。
キャウギャウ。
ゥウ、キューン……。
もはや声として認識できないような恐竜達の萎縮した呟きが、双子達の神経を逆撫でした。彼らは口々にではなく、同時に同様に口を動かした。
「「くだらない」」
「あぁん?」
「「クロジャイの性根の脆さが窺えるというものだ」」
「何の話か知らんけど、二人同時に喋んのやめてくれへんか。聞き取り辛くてかなわへん」
「「五月蝿ーぞ、メタル野郎!! 硫酸漬けにされてーのかっ!?」」
辟易する粗樫をよそに、双子は再び剣を回し始めた。先程は、大きな盾で身を隠してから剣を投げつけてきた。それを《鎧肌骨》で弾いた粗樫に、四方から恐竜達が襲いかかり、さらには空中でそれぞれに同じモーションで剣を拾った双子が、彼の隙を突いて斬り込んでくるという、見事な連携プレーを披露した。
しかして彼も防戦一方ではなく、自らの能力を駆使して猛攻を凌ぐと、一撃離脱を繰り返す双子よりも、食欲旺盛で猪突猛進な恐竜達に反撃した。それで七つの首が飛び、残る恐竜は三体だ。その三体も尻込みしてしまって近付いてこない。
好機だ。
粗樫は目一杯息を吸い込むと、眉を八の字に寄せて、舌を出し、右手の中指を立てて叫んだ。
「双子はなぁ、マナカナで腹一杯やねん! 朝ドラで目ぇ肥えてもうとるんじゃ! おら、ガキ共! 死んでるほうがマシや思えるくらいブチのめしたるから、さっさとかかってこいやボケェっ!!」
唐突な罵声に目を丸くしていた双子だったが、アゴを引くと、再び色を作して言い捨てた。
「「粋がってんじゃねぇよ、クソ野郎!!」」
言うや、粗樫の向かって正面に並んでいた双子は、またもや合わせ鏡のように左右に分かれて走り出した。大きく孤を描いた彼らは、助走から一息に粗樫に向かって加速し、両腕を斬り落とすかの勢いで剣を振るった。同じ角度、同じ力加減で剣は振るわれていた。
粗樫はあえて両腕を差し出して、《鎧肌骨》の盾とした。
「何回やっても無駄や。剣が泣いとるぞ」
「それは」――「どうかな?」
血が滴った。腕を撫でるばかりだった鋭い刃が、ようやくその硬い肌に歯牙をかけた。
みるみるうちに斬り進む刃に寒気を覚えた粗樫は、慌てて彼らを押し退けて距離を取った。
しかし確かめる間もなく、双子は不敵な笑みを浮かべて挑んできた。そのモーションは同じ、否、逆さまだ。一人が右手で剣を持っているなら、もう一人は左手に構えた剣で薙いでくる。
どのような名刀であろうと、どのような鈍器であろうと、はたまたどのような弾丸・爆薬であろうと、無傷であり微動だにしないというのが粗樫の売りである。故に今日まで、柳とはまた違った意味で、彼に手傷を追わせた者はほとんどいなかった。
だから不可解だった。全くもって普通の刀剣にしか見えない彼らのそれが、何故こうも容易く、《鎧肌骨》を斬ることができたのか分からなかった。
ならばもう一度受け止めてみるか? 迂闊な思考が手を動かす。それを止めたのは血の宿命だった。笑う“あの人”と交わした固い約束だった。
粗樫は辛うじて身を屈め、両横から切り払われる刀剣を躱した。髪の毛の先をいくらか持っていかれたが知ったことではない。振り抜かれた刃が遠ざかっていくのが見えたので、全身の《鎧肌骨》を解いてから両手両足で地面を叩き、後方へと飛び退いた。さらにズボンのポケットから小さなスティック状の物を取り出して、親指の腹で先端のキャップを外してから彼らに放った。
スティック状の物から煙幕が噴き出し、黒いカーテンが闇の中の微かな明かりさえも塗り潰した。この煙幕には、吸引すると中枢神経と末梢神経の働きを一時的に麻痺させる化学物質が混入されている。
やれやれ、これで相手が動けなくなっていれば万々歳。それでなくても、動きが鈍れば対策を講じる時間くらいは稼げるはず……。
「甘ぇんだよ!」
整列されたコンテナの迷路に逃げ込もうと走り出した彼の背中を、少年の声が打った。
煙を突っ切ってくるディアベスの剣が、粗樫の無防備な右肩を掠めていく。小刻みに揺れているような振動が、激痛と共に脳に染み渡る。
素早いディアベスは粗樫の正面に回り込んでいた。
「コイツ……!?」
「あぁもう、喋ってんなよ!」
逆袈裟が来る。危機的状況の直感が粗樫を救う。右肩から左の脇腹へと走る銀色の孤が、厚い肉体に赤い線を描いていく。それは細く、滲む程度の血だった。部分集中的に発動した最高硬度の《鎧肌骨》が間に合ったのだ。
「さっさと死体になれよぉ! オラ、なっちまえよおおぉっ!」
猛攻は、止まらない。
粗樫の周りを飛び跳ねては、剣に小さな身体を振り回されることもなく、的確に急所を狙って斬りかかってくる。動きは速く、その姿は粗樫の視界から消えるばかりだった。
この歳でこの動き、この腕前。天賦の才覚を窺わせる彼に、抵抗すらできない現状は絶望以外の何ものでもなかった。しかし見えなくなったからと言って、手拍子で硬化を解いてしまっては首を切り裂かれてお陀仏だ。硬化中は首を捻って後ろを振り返ることもできない。
「なぁっ、ネイムレスのくっせぇ血ぃぶちまけろよ!」
昼間の礼儀正しい口調は何処へやら。口汚い彼は、直立不動で防戦一方の彼の身体に足をかけると、肩まで駆け上がって粗樫の脳天に剣を突き立てた。
「こんガキぃっ! ハゲるやろうが!!」
「喚いてる暇あんのかぁっ!? このままだとハゲるだけじゃすまねぇぞ! ホラホラ、血が出てるぞ! もっとしっかり固まらねぇと、ハゲが脳天から真っ赤な噴水上げて逝っちまう、きったねぇ絵面になっちまうぞぉっ!!」
「くそがぁあああっ!!」
「糞はテメーだっ、バァーカぁ!」
このままだと本当に殺される。粗樫はすぐさま頭頂部に意識を凝らし、最大限に硬化した。
「っと、見せかけちゃってさぁっ!」
粗樫の肩に乗り、頭を跨いでいたディアベスは、剣を彼の頭から離した。頭のほとんどに硬化能力を使った彼の首は全くの無防備だ。このまま掻っ切ってやればいい。
刃がまっしぐらに首へ近付く。それを食い止めたのは、粗樫の硬化した両手による真剣白刃取りだった。
「喋り過ぎやねん、僕ちゃん。騙し討ちは静かにやってこそや」
手の平の間で剣が震えている。熱を帯び、持っているだけ研磨されているのが分かる。あと五秒も待たずに手の皮が弾け飛んでしまうだろう。粗樫は力任せに刃を返した。
非力なディアベスの手から剣が離れ、転がっていく。
ディアベスは舌打ちして、粗樫から飛び降りた。
「何て言うんやったけ、ああいうの。えーと、高周波がどーのってヤツやろ? もしくは超音波? どっちでも一緒か」
「…………」
「刀剣に高速振動装置を搭載して、その振動で対象物を削り切るってヤツや。小難しいことはよぉ知らんけど、合うてるやろ?」
「…………」
「何やねん。オモチャ取られたからて、そないに睨むなや」
「……!」
ふと頭を擡げたディアベスは、その好戦的な表情を変えた。釣り上がっていた眉根から険は消え、剥き出しだった歯も口の中に隠れた。しかし攻撃の意思そのものが失せたわけではないようだった。目が口ほどに物を言うという、その目が、まだ粗樫への殺意を捨てていなかった。
どういうことだ、と粗樫は片目を擦った。また、少年が少年のように見えないのだ。
““《シンクロナイズ》””
戦闘直前の、双子のセリフが脳裏を過る。あの言葉の意味は、大方の予想がつく。
彼らは間違いなくヘレティックだ。二人のセンスは、簡潔に言えば、“互いの動きをリンクさせる”というものだ。それは時として変化する。まるでドッペルゲンガーのように同じ動きだったり、合わせ鏡のようだったり。そこにセンスの解除を加えれば、緩急のある撹乱戦法が成立する。
そこまでは読めたが、解せないことが一つある。何故、少年だけが突撃してきたのだろう、ということだ。
「それはねー」
少年のように見えていた双子の片割れが、訳知り顔で言った。
「静かに騙し討ちをする為だよー、オジちゃん♪」
瞠目する粗樫に微笑んでいた少年は、再び眉間にシワを寄せると、真横に大きく飛び跳ねた。
途端、甲高い音とともに、粗樫の右腕が、肩の付け根から吹っ飛んだ。頭が真っ白になって倒れゆく中、「ありゃりゃー? 照準ズレちゃってるー、計算間違っちゃったー」と遠く後ろから声がした。
少女だった。晴れゆく黒い霧の奥で、イヤー・プロテクターを装着した少女が、重火器の隣でカラカラと笑っていた。鋭い三つの爪を合わせたような銃口が、青い光と煙を燻らせてこちらに向いていた。
アレは、レーザー、か……?
「ひゃっははは! トドメは俺がやるんだからな、手ぇ出すなよ姉貴!」
高周波振動剣を拾ったディアベスが、血を吐いて倒れる粗樫の首に刃を叩き込む。
もはやここまでか。
ガラにもなく走馬灯のような光景を目蓋の裏に過らせている粗樫の鼓膜を、金属音が叩いた。そっと目を開けると、少年の剣を刀で受け止める、黒く頼りない背中があった。
「か、カゲノ……!?」
粗樫にそう呼ばれた黒い背中は、狂犬のような少年が振るう高周波振動剣を、何の変哲もないたった一振りの直刀で受け止めている。
墨で染められた頭巾と手拭、鎖帷子、古式ゆかしい和服の中にあるのは、まだ幼さの残る女のものだ。黒く塗りたくられた丸顔に嵌め込まれたあどけない瞳には、薄っすらと涙が滲んでいる。
彼女は喉を震わせた。
「この不忠、身命で贖います!」
「やめろ! そんな刀じゃあ!」
「ごちゃごちゃうっせーんだよ! 何なんだよテメーは! こんな奴がいるなんて、パーラのババァから聞いてねぇーぞ!」
カゲノという女は、ぐっと刀に力を込め、当惑する少年の剣を押し返した。
「知らなければ知らないままでいい。何も教えてやるつもりはないのだから……!」
「この黒塗り女ぁっ!!」
「子供だからと容赦はしないっ」
「されるつもりはねぇよ! さっさと死んどけ、ぽっと出がぁっ!」
刀が高周波振動剣によって中程まで斬り進み、折れてしまう寸前、「硬化!」とカゲノは叫んだ。
それに従って粗樫はセンス《鎧肌骨》を発動し、全身を硬くした。剣の破片が彼を襲う。
彼女は刀を捨て、柄を握る少年の両腕の間に自分の右腕を通して、彼の顔を捉えた。左手で彼の右横腹を掴みつつ、足を蹴り払って後ろに倒した。
同様に剣への未練を絶ち、受身を取ったディアベスは、すぐに起き上がって黒装束から離れた。しかしその黒がもう目の前に迫っており、彼は目を剥きながら無様な格好で彼女を迎撃しなければならなかった。後ろへ一度跳ねる間に、三度もの蹴りを繰り出す彼の感性はやはり素晴らしいものだった。
されども、そのように姑息で生半可で感覚的な我流拳法では、幼少の頃からありとあらゆる戦闘技術の極意を骨の髄まで叩き込まれた彼女には通用しない。
「コイツ!」
「ふぅっ!」
腹から気合を吐き出す。重たい掌底打ちがディアベスの肩を掠める。
少年は右手で腰に差していたナイフを抜いて突き出してみるも、彼女の右腕が上から蛇のように彼のその腕に絡みつき、引き寄せられ、そのまま背後を取られてしまった。彼女の左手が彼の首に回った。
これはロシアの軍隊格闘術――システマの技の一つであると気付いた彼は、浅はかな知識ではこのまま逃れらず、首の骨を折られて殺されると直感した。そんな彼の脳裏に、意識の奔流が流れ込んだ。
カゲノの左手の指先が、彼の右耳に掛かる。だが、彼の首をくびり折ることはできなかった。彼の体重が前にかかったからだ。逃げるためにその行動を取るのは、生物としてごく普通の思考だ。だから想定内。拘束した右手をさらに締め上げ、身体を密着させればいいだけのこと。
しかし彼は、カゲノのその動きを利用した。前に逃げるように見せかけつつ、彼女の右足の踵に自分の右足を滑り込ませ、彼女の引き寄せようという力を生かして軸足で後ろへと地面を蹴った。同時に右足を払えば、彼女の姿勢は否応無しに崩れる。地面で背中を打つ寸秒のうちに、彼女の左脇腹に左の肘鉄を一発食らわせておけば、右手の力も緩むだろう。
抜かった。彼から手を離したのが甘さの証明だった。彼の背中が胸に押し被さったのも束の間、すばしっこい猫のように逃げられてしまった。
距離を取ったディアベスは、遠方にいるディオラに向けて念じた。あの状況から脱する知恵を授けてくれたことと、そして――。
彼女は弟の提案に乗った。中空に両腕を投げ出して見えないキーボードを打つように動かした。彼女の腰には装着者のモーションを命令として受け入れ、機能する小さなコンピューター・デバイスがある。ディオラからデバイスを通して、レーザー砲に内蔵されたコンピューターが再度稼動した。砲口を黒装束に向け、レーザーの発射シーケンスを開始させる。立ち上がり、再び弟を襲おうという黒装束に照準を追跡モードで設定した。彼女にはモニターさえも必要ない。目を閉じて箸を正しく持つような、造作もないことだ。
レーザー砲のタービンが回り、砲口が青白い光を帯びていく。
ぞっとした粗樫は、力を振り絞って転がる肉の塊を拾い、投げた。それが砲口にぶつかると同時にレーザーが放出される。高熱の光の束が肉塊を溶かしていく。そのお蔭か、単に運が良かったのか、レーザーの行方をわずかに歪曲させ、カゲノを自分の二の舞にさせずに済んだ。ほっとする彼の視界の外から、柔い光が射し込んだ。
粗樫の腕が自分を救ったのだと知ったカゲノは、また溢れそうになった涙を拭い、ディアベスの眉間に拳を捻じ込んだ。
「くあっ!」
「遺伝子の違いだけで、この首取れると思うなぁっ!!」
渾身の足刀蹴りがディアベスの鳩尾を突き、彼はコンテナの壁に背中から衝突した。
くてっと倒れ伏せる彼を見届け、あと一人と振り返ったところに、粗樫が片腕を大きく広げて襲いかかってきた。何事かと困惑したが、自分の身体が大きく横に飛ばされていることに気付いた。
この衝撃、撥ねられたのか……!?
粗樫に懐抱されながら、壁にぶつかるまでの数秒に絶望的状況であることを知った。
バンパーがひしゃげたワゴンが停止した。下りてきた男は、冷たい瞳を双子に浴びせた。
「ディオラ、ディアベス。夜泣きならいざ知らず、夜遊びとは感心しないな」
「ド、ドレート様!」
ディオラはたじろいだ。イヤー・プロテクターが耳からずり落ちる。
「雑兵ごときに何という体たらくだ。この国を離れたら折檻してやろう」
「……は、はい」
主から目を逸らした少女は、足元にそう呟いて歯を噛んだ。
カゲノは星の見えない都会の夜空を仰いでいた。唇に何かが垂れると正気を戻し、それを指で掬ってみた。血だ。大量の血が、黒装束に染み込んでいた。
耳元で呻き声が聞こえるので首を動かすと、苦悶する粗樫の横顔があった。
「……あ、あぁ、粗樫様!? 粗樫様ぁっ!」
ガラスを隔てた車の前で、ドレートと少女が何やら話している。怒られているのか、少女は俯きながら酷く悔しそうな表情を浮かべている。
その向こうに、ドレートが撥ねた二人の人影が倒れているのが見える。その片方が起き、もう片方の身体を揺さぶっては名を呼んでいる。何故、彼女がここにいるのだと眉根を寄せていると、倒れる男の右腕が無くなっていることに気付いた。
少女の傍に鎮座する重火器によるものか。
舌を鳴らした。
ここで正体を現すのは得策ではないが、彼らを見殺しにするわけにもいかない。もしもこのような事態を想定して彼らをここへ差し向けたのであれば、自分は“あの男”に忠義を試されているということになる。
……良いだろう。ならばお前の望みどおり、宝箱を一つ開けてやる。
「女、貴様は何者だ? 貴様のような容姿の者は、パーラの報告には無かったはずだが」
赤い髪、白い肌。報告にあった特徴の敵の首魁が、カゲノを眼下に見る。
「それ以上近付くな! さもないと――」と彼女は懐に隠していた脇差を抜き、身を挺して粗樫の前に立った。
しかし、ドレートの赤く冥い虹彩が、気弱い彼女を容易く射すくめる。
「さもなければ、何だ。そのような細腕で、この私、ドレート・アリリ・ツェーラを殺せると思っているのか?」
燃え盛る炎に煽られたように、一息に喉を焼かれた。自然、生唾を飲み下した彼女は、足を引いた。
敗北を意味するその行為を形に残してやろうと、ドレートの手が動く。
それを止めたのは、少女の声だった。
「そんなもの、やってみなければ分からないんだから!」
ワゴンのサンルーフから登ったのだろう。飛山椿が、威風堂々たる佇まいで屋根の上に立って、ドレートに語気鋭く言い放った。その華奢な身体に、ランボー顔負けの重装備――アサルトライフルは勿論、肩には弾帯を、背には無反動砲を担いでいた。どれもこれも、ドレートが車内に隠していた代物ばかりだ。
指差されるドレートは驚きを隠せなかった。一般人にさえも手抜かりがないように、十二分に拘束していた。パーラにも《千里眼》で彼女を監視させていたが、こちらの用意したジャージに彼女が着替える間、ナイフなどの凶器を隠し持った形跡はなかった。
だから、自力で拘束を解き、車内から這い出ることは不可能だ。
ならばどうして、彼女は車の上に立っている?
まさかと、ドレートは一つの可能性に行き着いた。
“ツバキ・ヒヤマも、ヘレティックである”という可能性だ。
車内で覚醒因子の後天的発現を果たしたとすればどうだ。染色体内の遺伝子が突然変異することで、人は唐突にヘレティックへと進化することは、長年の研究によってすでに証明されている。もしも彼女がその奇跡とも言える確率をこのタイミングで引き当てたとしたら、そうして発現したセンスが驚異的な力を持っているとしたら、これからの計画を一挙に歪ませてしまう可能性だって無きにしも非ずだ。
これは、一大事と言っても過言ではない。
「ツバキ・ヒヤマ、貴様は……一体……?」
「なぁーんて、言ってみたりな。どうも、ドレート君。運転ご苦労さん」
声色が変わった。それは女が男の声を真似るという陳腐な特技の類などではなく、声帯そのものが性転換したと言っていいほど、はっきりとした変化だった。
その証拠を見せんとばかりに、飛山椿は、その容姿を変えた。粘土のように顔を捏ねくりまわして、身長や体格さえも見る間に変態させた。首から、大きな喉仏が隆起する。
サイズの合わないジャージは臍を丸出しにし、息苦しいのか、ジッパーを全開にする。女性物の下着はどうしたのか。そんな物はとっくに車内に捨ててきた。今はノーブラ、そしてノーパンだ!
そうして現れた人物に、ドレートは見覚えがあった。
「き、貴様!?」
間違えた。
可能性はもう一つあった。何者かが、ツバキ・ヒヤマに化けているという可能性だ。
「そうそう、その顔を見るのが俺の数少ない愉しみの一つでね。ついつい演技にも精を出しちゃったよ。どうだった、車内でのツバキちゃんの絶叫&懇願は? 結構リアリティーに溢れていただろう」
男の名は、八手。
ドレートは、二度もこの男に出し抜かれたのである。
「千代灯籠監察方筆頭――“天狗”の八手だ。さぁ、何から始めようか?」