〔九‐1〕 “殻斗”の粗樫
今から十年程前、ある夫婦の間に、二色の産声が上がった。
先に大気に触れた女の子は、後から産まれた弟を待つようにしてから、一緒になって泣いたのだった。
そう。異性一卵性双生児としてこの世に生を享けた彼女らは、いつも同じだった。何をしていても、何をしていなくても、その挙動は一つだった。
二人で一つ。二人は一つ。一足す一は、一だった。
それが不気味だったのだろう。恐ろしかったのだろう。人の理解を越えたのだろう。
およそ一般人であるところの両親にとって、一足す一は、やはり二でなくては収まりが悪かったのだ。いくら双子でも、それぞれ別物でなければならなかったのだ。
だから、二つの容れ物に、一つの魂が宿っているような彼女らを認められなかった。
そうして日を追う毎に、見る間に愛情は失せ、代わりに寄る辺のない両親の心を満たしたのは防衛本能と呼べるものだった。
自分は悪くない。あの双子の怪物を産んだのは私達だが、私のせいではない。あの男の――あの女の遺伝子が、私の――俺の遺伝子と、最悪の愛称だったのだ。
だから、自分は悪くない。
それ故なのか、双子に端を発して始まってしまったこの争いは、法廷という理性の場を借りることなく、血で血を洗う解決方法をひた走った。互いを罵倒し、傷つけ合い、刺し合って、撃ち合ったのである。
まるで戦争。彼女らの親権を奪い合うのではなく、その親が負うべき権利を押し付け合って、やがては彼女らを亡き者にせんと刃を向けた。
双子は逃げなかった。それどころか、襲い来る彼らを迎え撃ち、自らの手で肉の塊へと変えたのだった。血肉を、地へと還したのだった。赤く染まる彼女らの顔に、涙は無かった。
それが五年程前のこと。
しばらく後に、両親から噴き出したそれと同じような、真っ赤な髪をした男と出逢った。手を差し伸べる彼は、姉にディオラと、弟にディアベスという新しい名を与えた。
双子はその刻、世界からの決別を果たしたのである。下等な人間風情が蔓延る世界を脱し、名付け親が世界を統べる様を夢見て、旅立ったのである。
そこで双子は、自分達の正体を知った。本質とも言えるだろう。
ヘレティック。センス。覚醒因子。先天的発現。後天的発現。ネイムレス。REWBS……。
世界の裏側で起きている、ありとあらゆる事象を、彼らは知ることとなった。やがて名付け親は、ある計画を企てた。この世の王となるための、資格と力を手にする壮大な計画だ。
「来日はその一環でした」
「でもでもぉー、こーんなメンドー予想外~~」
「うん。僕もビックリだよ、お姉ちゃん」
「見て見てー! 弱ーいオジちゃんだよー♪」
真夜中だというのに、東京湾に面したさる埠頭のコンテナターミナルに、子供が二人して親の到着を待ち侘びている。
その非行を咎めるでもなく、むしろ喜んでいるかのように、“オジちゃん”呼ばわりされるに相応しくない若い男が一人、彼女らに近付いてきていた。
「まいどー、双子ちゃーん。昼間はどーもおおきに~」
肘まで上げた手の平をグーパーして挨拶する粗樫に、ディアベスは眉を曇らせた。
「あのドレート様が読み間違うなんて。お姉ちゃんの知恵も後押ししたのに」
「そうだねー。一人で来るなんてー、オジちゃんアッタマ悪いんだねー」
ニコニコしながら挑発するディオラに、ニタニタと厭らしい笑みを浮かべる粗樫は言う。
「逃げる算段しとるとこ悪いけど、お前らここで終いやわ」
「聞き捨てなりませんね。僕らが逃げる? 誰から、何故?」
「俺らにビビッたからや」
ディアベスは失笑した。やれやれといった具合に頭を振ると、子供らしからぬ剣幕で反駁した。
「仰っている意味が分かりません。僕らはそちらを圧倒したはずです。それはアナタが一番よく分かっているでしょう。それに、ツバキ・ヒヤマを手に入れた僕らは勝利したも同然」
「何や僕ちゃん。男のくせに肝心なトコ、なーんも分かっとらへんみたいやな」
「何ですって……?」
少年が顔をしかめたのを見て取ると、粗樫は眼鏡のレンズに常夜灯の光を反射させながら、手の指の関節を鳴らした。
「喧嘩を途中ですっぽかしといて勝者気取りやなんて笑わせんなや。喧嘩っちゅうのはなぁ、相手がぐぅの音出されへんようになるまでボッコボコにシバきまわして、初めて勝ったって言えんねん」
「……アナタの日本語は難解過ぎる。もっとスタンダードにお願いします」
粗樫は目を丸くした。よくよく考えるまでもなく、双子は外見どおりの外国人だった。あまり訛りがなく、日本語が堪能なので、ついつい普段どおりに啖呵を切ってしまっていた。
こりゃ失敬。通じなければ、啖呵も何もなかった。仲間がいなくて良かった、また物笑いの種になるところだった。関西人はすぐにオチに使われてしまうから困り者だ。
粗樫は身近な標準語の使い手を思い起こし、「まだ、私は生きています。勝ったと言いたいなら、私を殺してからにしなさい。って、先輩なら言うやろうなぁ」と、にんまりと笑った。
すると双子は得心がいったようで、二人してせせら笑った。
「なるほど。自殺志願者ということですか」
「オジちゃーん、ロープならそこに落ちてるの使っていーよー」
波止場に船を繋ぎ止めるための柱――ボラードの周辺に、太いロープがぞんざいに放置されている。
相変わらず可愛らしい顔をして、えげつないことを言いのける彼女に、「お嬢ちゃん、カマトトぶらんでええぞ。昼間みたいに本性剥き出しでかかってこいや」と唾棄した。
ディアベスは息をつき、「仕方ありませんね。ドレート様達が到着するまでの余興です。ご希望どおり、完膚無きまでに切り刻んでから、殺してあげます」とホイッスルを口に咥えて、鳴らした。それを聞きつけて、コンテナというコンテナから、クロジャイ・クローンが群れを成して現れた。
「こりゃまたギョーサン湧きよって。蛆虫か何かか、ええおい?」
風が出てきた。霧のように細かい波飛沫が彼らの頬を濡らすものの、それで彼らの中に熾きた炎が消えることはなかった。
「お姉ちゃん。やるよ」
ディアベスのセリフを合図に、仲良く並んでいた彼らは、互いの腕にすり寄った。「うん。やろう」とディオラが呼応する。
ディアベスは背中に背負っていた巨大な盾を、ディオラとの間で構えた。彼女もそれを支え、二人は盾の裏に装備された刀剣ファルシオンに似た幅広の剣をそれぞれ引き抜いた。
「久しぶりに」――「やっちゃおう」――「ゲームはやめて」――「本気で殺ろう」
双子ながら、異性である故にそれぞれに特徴があった声色が、言葉を交わす度に一つになっていく。
二人で一つ。二人は一つ。一足す一は、一……。
重ね、重なり、累々と積もり積もった知識や経験、あらゆる記憶という情報が互いの中に流れ込み、果てには意思そのものが綯い交ぜになって、同期していく。
「「《心身同期》」」
双子の様子が変わった。少年を見ているはずが少女を見ているようで、少女を見ているつもりが少年を見ているようだった。
同じ人間が、目の前に二人ある。見えている二人は、一人である。その事実だけが咄嗟に、粗樫の判断の是非を待たないまま脳内にすり込まれた。
まるで彼らは一膳の箸のように、一足の靴のように、一対で一体なのだ、と。
双子は、踊るように手を挙げた。その手には剣が握られていて、シンメトリーの動きを魅せている。
厄介な連中に喧嘩を売ってもうたな。粗樫は貧乏くじを引き当ててしまった己の不運を嘆きつつ、そっと意識を研ぎ澄まして、未だ続く彼らの動作を注視した。
双子は刀剣を頭の上で回すと、その取っ手を器用にも手首に沿わせて回転させた。さらには掲げたその手を互いに取り合って、二つの刀剣をヘリコプターのプロペラのように扱い始めた。そうして手足の延長線上にあるようなそれに魅入っていると、大きな盾が彼らの上半身をすっぽりと隠していった。
「千代灯籠――“殻斗”の粗樫、本気で殺らせてもらうで」