〔二‐3〕 世界の裏側
それは最悪の寝覚めだった。意識が機能しだしたときに聴こえた第一声が、「オイ、この野郎。起きろ」だったからだ。
早河誠は胸倉を掴まれていた。壁に背中を押しつけられ、足がベッドから浮いていた。
「う、うあ、あぁっ!?」
「よぉ、マコト・サガワ。昨日はよくもやってくれやがったな」
銀髪、三白眼、白い肌に高い鼻。視界の全土に広がる凶悪な人相に驚いた誠は、必死になって抵抗した。溺れてもがくようにしたが、男の手から逃れることは叶わなかった。
「暴れんなよ、メンドくせぇ」
「放して、放してください、この人殺し!!」
言った途端、鮮明に思い出した。男が言うには昨日のことらしい。出逢ったばかりの人を二人も、目の前で殺された。一人は清芽ミノルという新しい主治医、そしてもう一人は研修医を名乗っていた女性。どちらも銃殺された。どちらも、白衣を赤く染められていた。
「次は誰を殺すんですか、ボクですか!?」
「何だよ、殺されてーのか?」
互いに眉間にシワを寄せて睨み合う。誠は恐怖と人の死を想起して目尻に涙を浮かべている。しかし意外にも先に目を逸らしたのは男のほうだった。彼は誠から手を放すと、そそくさとベッドの上からも降りた。
「ケン、乱暴はするなと釘を刺したはずだろう」
ラガーマンのように見事な逆三角形の巨体を揺らす男が、部屋に入ってくるなりそう窘めた。丸坊主で背が高い彼は、どうやらこのケンと言うらしい銀髪男の上司のようだ。
「何もしてねぇよ」とケンがとぼけると、「わ、私視ました!」と女が巨漢を盾にケンを指さした。
「お巡りさん、あの人です!」
「誰がお巡りさんだ」
「視たんです! あの人、男の子の寝込みを襲ってました!」
「クドいくらい引っ張るよな、お前は」
「許せません、女の敵です! 羨ましい!」
「今、羨ましいって言ったか!? 結局自分のことしか考えてないのか!」
ピント外れなショートコントが挟まれて、誠は目を丸くするばかりだった。
対照的に、苛立ちを募らせる銀髪男ケンは、「うっぜ。死ねよ、もう」と女に向かって舌打ちをした。その一言に腹を立てたのか、女はどこからか南アフリカの管楽器ブブゼラを取り出して盛大に吹き鳴らした。けたたましいばかりの騒音が、狭い室内に駆け巡った。
意外や意外、ケンは耳を押さえて、「やっ、止めろ! るっせぇっ!!」と涙目になりながら怒鳴った。
丸坊主の巨漢も渋面をたたえて、「俺からもお願いだ、勘弁してくれ」
「ぶぅ~」
女は巨漢に言われると、不承不承といった具合にブブゼラをすぐ傍に飾ってあった花瓶に生けた。管楽器と赤い一輪花の奇跡のコラボレーションにはどんなに前衛的な華道家も度肝を抜くことだろう。
誠はそれを見てようやく、ここが昨日と同じ病室であることに気付いた。だがそんなことよりも愕然としたことがあった。女の容姿だ。鼻筋が通ってすっきりとした美形にポニーテール、眼鏡こそかけてはいないが、確かにあの研修医の女性に違いなかった。ケンの凶弾に倒れたはずの彼女に瓜二つだ。
その彼女が呆ける彼の視線に気付くと、無邪気な笑顔で、「マコトきゅーん、おひさー♪」と呑気に手を振った。
「ゴメンねー。寝起き早々、胸倉掴まれちゃって怖かったでしょー」
まるで本当に見ていたかのように彼女は言う。ケンはバツが悪そうに口をひん曲げると、ドア近くの壁に凭れかかった。よく見ると、彼の頭には包帯が巻かれていた。
誰かが彼と戦ってくれたのだろうか……?
「私、エリ・シーグル・アタミ。よろしくね、マコト君」
彼女は微笑むと握手を求めた。その笑みはやはり美しかった。
「ど、どうして生きて……?」
「まぁ何ていうかー、狂言? みたいな感じかな」
「アナタもテロリストの一味だったんですか」
親の仇のように彼女を睨む誠に、「まずは誤解を解こうか」と巨漢が二人の間に割って入った。
「俺は酒顛ドウジという。コイツらを率いて部隊の指揮を執っている。我々は無国籍の軍隊だが、決してテロリストなどではない。あくまで平和のために軍事行動をとっている」
「軍隊……」
「そうだ。分かりやすく言えばの話だがな」と酒顛は彼の所在なさげな手を握った。エリとは比べものにならないほどの熱と固さを持ったその手の平に、誠は彼の誠実さのようなものを感じ取った。
見れば確かに戦闘服を着用しているが、テロリストだってこんな格好をしている映像を見た覚えがあった。やはりすぐに信用できるわけもなく、「キヨメ先生を殺したのも、平和のためだって言うんですか」
「僕も無事だよ、マコト君。僕もこの組織の一員なんだ」
酒顛の影からひょっこりと現れた優男は、昨日と同じ容姿で微笑みかけていた。
「僕らはどうしても確かめなければならないことがあって、キミを騙してしまったんだ。医者と言ったのは本当だけど、笹野先生とは知り合いでも何でもない。記憶障害の専門ですらない」
すまなかったと彼は頭を下げる。
「一体、どういうことですか? 昨日の出来事は全部嘘だったって言いたいんですか?」
「そうだ。俺達はワケあってキミをあの病院から連れ出し、騙していた。誰も死んでいないし、東京でテロなど起こってすらいない、いたって平凡な日々が続いている」
「でも、あの映像は……」
「アレはCGだ。よくできていただろう」
「……ボクを騙すワケって、何です」
酒顛は顎に手をやると、誠に目を向けたまま一考した。
天井の光が彼のつるりとした頭に反射して眩しく思っていると、「老け顔なんて思っちゃダメよ。これでもまだ三〇代なんだから」とエリが誠に耳打ちした。
「お、思ってませんっ!」
「エリ、傷付くぞ」と溜め息の後、酒顛は本題に入った。
「長くなるが、心して聞いてほしい。これはキミの人生に関わる重大な話だ」
誠は思わず息を呑んだ。エリに促されてベッドにかけると、酒顛は一〇〇円硬貨を一枚取り出した。
「この世界には、一枚のコインのように表と裏がある。しかし我々の意味するところのそれを、ほとんど全ての人間は知らない」
表と裏。
それは一体であるが故に、互いの視線は交わらない、対極と呼べる存在。
「我々の言う“表の世界”とは、常任理事国が実質的に統治している世界のことだ。いたって普通の世界――七〇億人あまりが生活している世界。キミが生きてきた世界だ」
国籍や戸籍で管理された世界。
それらを持たない人間も、法としがらみによって国内で管理された世界。
国という巨大な単位で、血脈そのものを束縛された世界。
「対して“裏の世界”とは、マフィアやテロリスト、政府や社会の暗部を示すものではない。表に決して現れない、本来なら実在し得ない存在のことだ」
「実在、し得ない……?」
「我々はその、〈裏世界〉の人間だ。我々は表世界の常識を守るために、自らの存在を抹消した。当然のことだが、生きる次元そのものは同じだ。しかし我々は表世界の人々の目に触れないよう、努めて日々を過ごしている。彼らにとってみれば、死人ですらない」
戸籍・国籍がないのは当然ながら、国や法というしがらみから解放され、裏という全く別の単位へ身を移した者達――それが彼ら、〈裏世界〉の住人達だという。
「どうしてそんなことをするんですか?」
「認めたくないことだが、我々は世界の常識を覆し、均衡を乱す存在なのだ。だから“普通の人間達”の平穏を守るため――バランスを保つために表舞台から身を引いたのだ。しかしながら我々はある者達にのみ、その存在を知らせている」
「知らせて……?」
「そうだ。我々の活動を支えてくれている出資者達は勿論だが、彼らとは別に政治の立場で強い権限と影響力を持てるポストを担ってきた方々だ。誰だか分かるか?」
「そ、そんなもの、分かるわけない、じゃないですか……」
「アメリカ合衆国大統領と国際連合事務総長の歴任者達だ。彼らには就任と同時に知らせ、世界の実態を理解して頂いている」
酒顛の独白に、誠は打ちのめされた気分になった。
「彼らには我々を〈ネイムレス〉と呼ばせた。“知られざる存在”でも“匿名を誇示する者”でもなく、〈無名を告げる者〉とな」
「身を引いたって言ったのに、どうして知らせたんですか?」
「両名は、曲がりなりにも平和維持を掲げているからな、同じ志を持つ者同士、理解し合わねばならん。それに人は、未知に対して畏れを抱くものだ。自らを生物界の頂点に立つ身だと考え違いをしている彼らの暴走を、未然に防いでおく必要がある。だから我々は、彼らに告げるんだ。人では到底覆しえない力が、彼らの見えない場所で息衝いていることを。今ある世界を守りたいならば、自らの力で全うせよと」
脅迫したと言ってもいい。
ネイムレスに属する巨漢は、不敵に笑った。
「表と裏が、互いにバランスを保つ努力をしなくちゃいけないってことですか」
「そうだ。努力を忘れた生物に待つのは――滅びのみだ」
慄然としながら、「も、目的は? それが、目的ですか?」と誠は訊いた。
酒顛はわずかに眉根を寄せて、「世界の、ゆるやかな変化と、豊かな進歩」
「ゆるやか……豊か……」
「我々が裏世界で生きているのには理由がある。我々は、人間――ホモ・サピエンス・サピエンスとは異なる“力”を持っているのだ」
曖昧模糊なフレーズに、「力……?」と誠は首をかしげた。
「そうだ。我々は、世間一般で言うところの、超能力者だ」
何故、だろうか。
記憶が無いにも拘らず、男達が懸命に芸を披露している姿が脳裏を駆け巡っていく。スプーンを曲げたり、時計の針を止めたり、箱に頭を入れると首が三六〇度横回転したり、耳が大きくなったり……。あぁ、ショーウィンドウの中にトランプを貫通させたり、スケートリンクの分厚い氷の下に携帯電話を埋め込んだりするのは凄かった気がする。
「どこの劇団の方ですか?」
「信じられないか」
「いや、普通に考えれば当然でしょう。変、っていうか、引きますよ。いい年して、そういう冗談」
「普通、か」
「そうですよ。こんな科学の時代に超能力なんて有り得ません」
マーベル・コミックスの読み過ぎだ。そう罵ろうとすると、「ハッハッハッ、それはおかしな理屈だぞ、少年!」と酒顛は豪快に笑った。
「何がおかしいって言うんですか」
「鳥は自力で空を飛べる。魚はエラで呼吸ができる。蛍は発光し、蛇は熱を感知できる」
「だ、だからそれは、人間以外の動物はそうでしょうけど!」
「そうだ。人間ではないのだよ、我々は」
酒顛の目が固くなっていた。繰り言のように、「我々は、人間ではない。そして、既存の生物ですらない」
「人間の形をした、“人間ではない何か”。それが我々――〈ヘレティック〉だ」
「ニン……え?」
「自己紹介がまだだったな。ウヌバ、Self-introductionだ」
困惑して目を回す誠をよそに、酒顛は一人の男を彼の前に連れてきた。黒い巨人だった。二メートルを軽く越える高さから注がれる鋭い視線に、誠はゴクリと生唾を飲み下した。
「…………」
「……何、ですか?」
「……ウヌバ、だ」
いや、それは分かってるんだけど。酒顛って人が言ってたし……。
誠が挨拶に困っていると、「コイツはアフリカの少数民族の出身でな、日本語が堪能ではないんだ。理解してやってくれ」
確かに見た目はアフリカ系部族と言えるかもしれない。酒顛のように坊主頭でありながら、何故か両のモミアゲと襟足の一部、そして短いポニーテールだけを結っているという、一風どころか凄まじく変わったヘアスタイルをしている。
今は無表情だが、怒らせると槍を持って襲ってきそうだと誠は思った。
「ウヌバ、見せてやれ」
酒顛に言われるまま、ウヌバはノースリーブで剥き出しの太く逞しい右腕を、少年の目の前にぐいと自慢するように突き出した。そして開いた手に少しばかり力を込めた。すると手首から先が発光し、灼々とした真っ赤な炎が一息に腕にまとわりついた。
「物は試しだ。この炎に触れてみろ」
ウヌバは炎の手を誠へさらに近付けた。彼の表情に苦痛の色は見えない。
「その猜疑心を自ら払ってみてくれ」
凄まじい熱放射だ。火の粉が散っていて、鼻先が軽く炙られているようだ。
しかし誠は何かのトリックで、タネは必ずあると信じて手を伸ばした。が――
「あっつっ、あっつぅうううっ!! 熱いですよっ、本物ですよコレ!?」
調子に乗り過ぎた。焚き火の炎と同じ、触れば火傷してしまう、あの炎だ。
誠のリアクションに一同は大笑いした。ケンだけはムスッとしているが、そうして見せる素直な表情の一つ一つが、彼らを一口に悪人だと断定づけられずにいた。誠は少しばかり気を許してしまっていた。
「そりゃそうだ。これはウヌバが生み出した、本物の炎だからな」
ウヌバは事が済んだと察して炎を消すが、まるで本当によくできた手品のように皮膚は全く爛れていない。黒人特有の手の平と甲との色味がハッキリと分かれた、美しい手のままだ。
清芽が用意してくれたステンレスの器に入った氷水で手を冷やしつつ、「本当に、人間ではない、んですか……?」と誠は質問を重ねた。
「超能力者、突然変異体……。様々に言われるが、我々はそういった“公的”な類ではない。裏世界で生きる我々は、表世界にとって異端的な存在でなくてはならない。故に我々は、我々のような者達を便宜的に、異端者と呼ぶ」
「アウトローって奴ね」とエリは自虐的に言うが、ヘラヘラと微笑んでいる。事実そうであるから否定のしようがないといった具合だ。
「じゃあ、皆さんもその……ヘレティックなんですか」
「そうだ。我々はそれぞれ個別の能力を持っている」
「センス……感覚? 才能?」
「五感や五体、五臓六腑に加え、そのヘレティックにとっては第六、第七の感覚器とも呼べるほど欠かせない、ごく自然な機能だ。我々はこの力を正しく行使し、世界の急速な発展を阻止している」
「どういうことです」
「ヘレティックには、頭脳が異様に発達している者もいる。彼らは時として、想像を絶する発明をしてしまう。科学にせよ、薬学にせよ、発明や発見とは、人類の生活に繁栄を齎すものだが、ともすれば取り返しのつかない殺戮兵器をも生み出してしまう。キミも日本人なら解るはずだ、一般常識だけをしっかりと覚えているのなら尚更だ。人間は原子力爆弾を造った。ソ連に至ってはツァーリ・ボンバなる巨大な水素爆弾をも開発してしまった」
額が痛んだ。額の奥、頭蓋の奥、脳の芯が痛み、そうして不意に閉じた目蓋の裏に何かが映った。
暗い部屋に、小さな頭が並んでいる。腰かけているパイプ椅子がキシキシと音を鳴らしている。部屋の一角で光るモノクロの映像に、きのこ雲が投射され――
「人間――ノーマルでこそあのような物を造る。ヘレティックであれば、もっと高性能で、小型の物を、彼らが費やしてきた半分以下の短い時間で生み出してしまうだろう。そういう狂的に頭が良く、冷酷な感性の持ち主が表世界に関われば、どうなると思う?」
「どうって……」
「戦争が起きる、違うか?」
――メメント・モリを指し、誰かが言う。昔、この国では酷いことが起きました、と。
「特に飛躍した話ではない。強力な兵器があれば、それを使うのが人間の性というものだ。それを殲滅に使うのか、脅迫に使うのか、それは為政者次第だが、問題はそうした常軌を逸する兵器や力を彼らに披露し、提供してしまうことだ」
誠は言葉を失くした。
「我々はそれを未然に阻止している。ヘレティックの科学者全てがそうではないだろう。しかしヘレティックの扱う進み過ぎた科学は、言うなれば超技術だ。それはノーマルに扱いきれる代物ではないし、ヘレティックが世界を牽引するようになれば、ノーマルは越えられない壁を前にして努力を忘れるか、争いの種を育ててしまう。畢竟、ヘレティックが表世界に関与してしまうことで三度目の世界大戦の幕を上げてしまう」
生唾を飲み下した誠は立ち上がり、後ずさった。彼の脳裏に、昨日見せられた東京の映像が現れたからだ。火の海になった、東京の様子が。
「ノーマルがヘレティックに頼らぬまま、世界の手綱を握っていく。それが、この名も無き組織が求めている理想だ」
「そんな人達が、何で、ボクを……こんな……?」
「キミを、ヘレティックだと知ったからだ」と冷たい壁に背中を預ける彼に通知する。
一同が酒顛を一瞥する。彼は構わず、誠と向き合った。
「そんな、そんなこと、あるわけないじゃないですか……」
「残念、と言うのは我々にしてみれば口惜しいのだが、ともあれキミはノーマルではない。キミも異能なるセンスを持つ――ヘレティックだ」
「俺をこんなにしたのは、テメーなんだぜ」とケンが頭の包帯を親指で指した。
「ちょっと待ってくださいよ、ボクは何も知りません!」
彼に怪我をさせた覚えはない。むしろ痛めつけられていたのはこっちだ。
「何も知らないんですよ、本当に! それをいいことにこんなデタラメで惑わせて! ボクは……、ボクは何者なんですかっ!?」
酒顛は有機ELフィルムを差し出した。フィルムに映し出される写真には、都立高校の詰襟制服を着た誠の姿があった。一同の視線が、再び酒顛へ向けられた。
「組織を統べるボスという方が許可した。キミにも知る権利くらいはあるらしい」
誠は恐る恐るフィルムに手を伸ばした。触れると次のページが表示されるが、いくら捲っても、いくらスクロールしても頭に内容が入ってこなかった。ただの文字の羅列で、記憶に無いことばかりだった。
「キミは東京で生まれ、五歳までそこで暮らしたが、父親の仕事の都合で中学三年生まで大阪で生活していた。しかしあることが原因で、東京へ戻ることになった」
「……っ」
「御両親が、海外旅行中に行方不明になられたからだ」
「……!?」
彼に兄弟はいない。早河家は元々兄弟が少なく、短命な家系のようで、イトコのみならず、オジやオバすらいなかった。皆、何らかの形で亡くなっていた。
「その後キミは、唯一の親族である父方の祖母がいる東京の実家に引き取られた」
母は両親を早くに病気で亡くし、引き取り手が現れなかったために児童養護施設で育った。父は母子家庭で、生活費から学費まで二人でやりくりしていた苦労人だった。
「だが、その祖母もまもなく――」
「デタラメだっ!!」と、書面にある祖母の名前と享年が目に入るや、誠は叫んでいた。
それに苛立ったケンが、「テメーが知りたいっつったんだろうがよ!」と再び胸倉を掴みにやってきた。
「こんなの全部デタラメだぁ!! やっぱりアナタ達はボクを騙そうとしているんだ!!」
「んだとっ!?」
「ボクはこんなんじゃないっ! ボクはっ、ボクは……っ!?」
知らない。こんなの知らない。
でも、確かにおかしいと思った。病院で目を覚ました時からおかしいと思っていた。
ナースが御両親に連絡をと言った時、医師は彼女を止めてひそひそと耳打ち合っていた。
そういうことか。いないから配慮されたのか。顔も名前も思い出せない親という存在さえも、隠されていたというわけか。これじゃあ完全に――孤独じゃないか。
「早河誠君。キミがヘレティックであると判明した以上、我々にはキミを保護しなければならない義務がある。何故なら――」
「リーダー」と遮るエリの声で酒顛は我に返った。
誠はベッドの上で、耳を塞いで身を縮めていた。嗚咽が広がって、シーツが濡れていた。
「頭ごなしに言っても彼を追い詰めるだけですよ。しばらく彼の自由にできませんか?」
「……それもそうだな。彼のことは俺に一任されているし、問題ないだろう」
「マコト君。部屋のカギは開けておく。外へ出るのはキミの自由だ。食事も適当に用意させる。もしも困ったことがあれば、コレでコールしてくれ」
清芽はベッドに備え付けられたコンソールの、緑色のスイッチを指差した。
応答も一瞥もない。少年はシーツに顔を埋めるばかりだった。
清芽はベッド周りのコントラクトカーテンを閉めると、酒顛達と部屋を後にした。
有機EL式のそのカーテンが緑溢れる自然を投影する中、誠は自分が何故泣いているのかも分からなかった。
分からないことにまた、泣き続けた。