〔八‐3〕 急変
「ご足労いただいてすまないな、ミス・ツバキ」
そんなことを言って、男が出迎えた。
建設中のビルの地下駐車場へ降りた少女は、指示されたとおりに左手を挙げて赤い髪の誘拐犯に歩み寄った。右腕は怪我で挙げられないから、幼い子が横断歩道を渡るような格好になってしまっている。
彼女の服装は、昼間のフェミニンな姿とは似ても似つかない、紺のジャージだ。スマートフォンからの指示に従って駅前のロッカーから紙袋を取り出し、公園の公衆トイレで着替えたのだ。盗聴器や発信機対策という名目だった。下着や靴まで用意されていたから気持ち悪かった。
「日本語、上手なのね。それとも日本人とのダブルなのかしら」
「いいや。覚えたのさ、キミを手に入れるために。クロジャイもそうだ」
「ドレート、って言われていたわね。そのクロジャイって大男に」
「名乗るつもりはなかったのだが、仕方ないな」
「お仲間にはえらく寛容なのね。私達には譲歩一つしてくれなかったくせに」
「私も彼を名前で呼んでいたのだからお互い様だよ。それに何より、私達は仲間などという陳腐なカテゴライズを越えた無二の親友だ。それなのに彼には我慢ばかりさせているから、寛容と言うよりは、せめてもの侘びさ」
ちらと彼の手元に目をやる。拳銃の冷たい銃口が、彼女の腹部に向けられている。
「こんなことをしておいて、人間らしいところもあるんだ。腹が立つわね」
「もっと冷酷な接し方をしたほうが、キミの期待に添えたということかい? だが生憎、私達はキミが思うような普通の感性を持っていない。人の道を外れた――異端者だ」
「異端者?」
「英語では、Hereticと言う。これからキミが関わる世界の全てになる言葉だ、覚えておくといい」
問いかける彼女を、ドレートはとても紳士的な態度でワゴンの後部座席に乗せた。彼女の視界をアイマスクで塞ぎ、身体と腕を三重のベルトで一緒くたに固定して、両足も手錠で拘束した。猿轡も用意していたが、それはあえて使わなかった。
「私達は、人間ではない。キミ達と同じ立場ではない。DNAレベルで決定的に違うんだ。だから私達は、同属への愛に溢れているが、キミ達のことは家畜にしか見えない。私にとってキミ達は淘汰されるべき存在に等しい。自然界の掟として、同属内でも諍いは生まれるがね。愛憎相半ばする、という話さ」
「ただ姿形が似ているだけって言いたいの? だから人を殺すことに躊躇いがないんだ」
「そうさ。キミが愛して止まないマコト・サガワも、そんな我々の同胞だ」
「え……?」
「おや、聞かされていないのかい? マコト・サガワは、我々やあの〈ドレッド・ゴースト〉と同じく能力者、ヘレティックだ。力に序列があるとすれば、その力はまず間違いなくトップクラス。嫉妬を篭めて呼ぶとすれば、インチキ。敬意を表するとすれば――王だ」
「……マコトも、透明になったりできるってこと?」
「確かにあの男のセンスも厄介だが、アレは限りなく無能であり、無力と言える。それに引き換え、〈王〉のセンスは圧倒的な力の象徴だ。玉座に相応しい」
「センスって、超能力のこと?」
「おっと失敬」とドレートはアクセルを踏みつつ、「That's right.我々の意味するところのセンスとは、本来的に人間にはなし得ない能力のことだ。キミの前ではなるべく専門用語は使うまいと決めていたのだが、口癖になってしまっているようだ」
「そう言えば、電話越しに言ってたネイムレスって何なの?」
「本当に何も聞かされていないのか。Mr.昼行灯め、何とも身持ちが堅いことだな。全く、度し難いよ」
車は駐車場の坂を登り、外気を浴びた。ヘッドライトが夜の街を照らす。人の姿はほとんど見えない。
「いいから教えなさいよ」
「キミはずいぶんと横柄だね。立場を分からせてあげようか?」
そのセリフに、彼女は口を真一文字に結んだ。
「まぁいいさ、教えよう。ネイムレスとは、この世界の裏――つまり人間達の死角で活動する警察機関の俗称だ。名も無き秘密結社と解釈すればいい。彼らは人間に感知されずに日々を過ごし、世界の秩序を影から支えている。人間の守護者というやつだ。斯く言う我々も裏世界の人間だが、我々にとって彼らは、この世で最も疎ましい存在だ」
「どう考えてもアンタ達の方が悪人じゃない」
「それは弱者の論理だ。キミ達は我々のような者達がこの世に出現したその日に、玉座から転落したのだ。人が進化した形――それが我々だ。学生ならば、弱肉強食や食物連鎖における生態ピラミッドの話は知っているだろう? 我々はその身分階層の頂点にいる。大戦後の人口爆発によってそのピラミッドは変質してしまっているが、我々ならばそれを在るべき姿へ修正できる。ネイムレスはそういった自然的な流れを食い止めようとする――言わば、破滅への先導者だ」
カーナビの示す順路に従って、ドレートは車を走らせる。オフィス街を抜けて市街に入るも、やはり物静かだった。酔っ払いを数人見かける程度だ。
「そしてMr.昼行灯は、そんな彼らを支援しているパトロンの一人だ」
「アンタもマコトのことを知っているのよね。マコトは、どこにいるの?」
「話の流れで分かりそうなものだけれどね。口にしておいたほうが現実味が出るのかな。〈王〉――マコト・サガワは今、ネイムレスにいるのだそうだ」
バックミラーに、少女の口元が映っている。それが何かを伝えようと開閉する。
「疑っているのかい? 確かな筋からの情報だ。そうでなければ、私は動かないよ」
「……私を攫ってどうする気? マコトに関係しているの?」
「質問攻めだな」
「はぐらかさな――」
『……ート!』
突然だった。
車の各部に搭載されたオーディオ・スピーカーから、悲鳴のような女の声がぶつ切りになって弾けた。二人は不意を突かれて身を強張らせた。
「どうした、パーラ」
ドレートは平静を装って問いかける。
それに反して、パーラの声はノイズの中でさらに爆ぜる。
『……つは、……ない! クロジ……の所に、……きゃあっ!』
「パーラっ!?」
バチッと潰れるような音の後、女の声は聞こえなくなった。リダイヤルしても繋がらない。ドレートは車を車道のど真ん中に止めて、ハンドルを握ったまま動かなくなった。
「ど、どうなってるの?」と動転する少女の声が耳朶に触れる。
「今の声、何……?」
それを打ち消すように、ドレートはハンドルを殴った。
「連中め! 人質がどうなっても構わんと言うのか!?」
「そんな!」
「ツバキ・ヒヤマ。残念だが私は、キミの家族を公開処刑しなければならない」
「待ってよ! 何かの間違いでしょう!?」
「怨むなら、約束を違ったMr.昼行灯達を怨みたまえ」
「止めてよ!」
止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて!!
ドレートは彼女の叫びに耳を貸さず、無線でクロジャイに連絡した。
止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ止めてっ!!
「クロジャイ、聞こえているか! クロジャイ!」
止めてっ止めてよっお願いだからっ後生だからっ何でもするからっ必ず命令聞くからっ!!
『騒々しいぞ、ドレート』
殺さないでっ私の家族なのっお願いお願いお願いお願いお願いだから殺さないでぇぇぇっ!!
「パーラが襲撃を受けた! 安否は不明だ!」
『…………』
返事が無い。パーラと違って通話状態は継続中だ。
「どうしたクロジャイ、応答しろ!」
『ドレート、俺には理解できん』
彼女も嘆願を止め、スピーカーから響く野太い声に聞き入る。
『考えるよりも先に身体が動いてしまう俺が言えたことではないが、お前の計画は完璧だった。実際、奴らは手を出せなかった。それなのに何故こうして、俺の目の前に、この男は姿を現していられるんだ。どうしてこの場所を突き止められたんだ。どうして――このタイミングで』
急な悪寒がドレートを苛んだ。頭の奥で、ニタリと嗤う〈ドレッド・ゴースト〉――確かパーラから“ヤナギ”と聴いていた――思いのほか頭の切れる彼の顔が浮かび上がった。
「どういうことだ、これは……?」
パーラを奇襲する。
それは本来、到底不可能な作業だ。彼女は《千里眼》――つまり、一つ所から世界全土を見渡すことができる最高位の空間把握能力の使い手だ。自らに迫る危機には、何事も、何者よりも、いち早く察知することができる。
彼女は言う。
自分のセンスは脳裏で世界を感知する。視界はワイドにも、集中すればナローにもできる。ナローの場合、閉鎖空間さえも穿ってその中身をのぞき見ることも、声を聴くことさえもできる。私に隠し事はできないのよ、と豪語していた。
危機察知に特化しているそんな彼女に、今回の作戦でもレーダーの役割を任せた。敵の動きを監視し、自らに迫る危険にも警戒させていた。現在進行形で行なわれているパーラへの攻撃は、その間隙を縫って行なわれたということになる。
それは、どういう理屈だ。ドレートにも理解できなかった。
『ドレート。お前はその少女と双子を連れて、この国から急ぎ退去しろ。パーラは、俺が必ず救出する』
「クロジャイ……」
『急ぐんだぞ。お前はいつも、人を待たせ過ぎる』




