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ネイムレス  作者: 吹岡龍
ネイムレスSB【待ち人ラナウェイっ】
73/167

〔七‐2〕 交差点にて

 昼。散歩をしてくると言って、椿は家を出た。

 彼女が出て行くのを見て、粗樫達は急いで尾行を開始した。

 椿の足は、自然と警察署に向かっていた。署に入ると、弟切警部を探した。昨日の朝、彼を通してストーカー事件の担当者に事情聴取を行なってもらった。そして帰りがけにもう一度会い、今度は大阪府警に謝罪の電話をかけた。その様子を公安が確かめて去っていったことも弟切のハンドシグナルで判った。

 警察に言われたこと、そして柳達に指示されたこと。それらを終えることで、椿は飛山宗光の娘としての立場と、何より弟切の名誉を守ることに成功した。しかし完全にとは言い切れないのは、まだきっと椿と弟切の様子を追いかけるだろう公安に、誠の捜査を諦めたという姿を見せる必要があるからだ。

 昨日のうちにそれを言えなかったのは、椿の心の準備ができていなかったからだ。口に出すのが怖かった。“諦めたの”というそのたった一言を告げることが。

 署内に入ると、受付の婦警に弟切を呼び出してもらった。しかしあの年季の入った中年は外出中らしい。

 署から出てくる椿の後を、二人の男が尾行しているのを粗樫達は確認した。彼らが取得している署のデータにある――刑事課の男達だ。名前は、霧島と深山。弟切の部下だ。


「どうされますか?」

「適当に誘い込んで眠らせとけ、邪魔臭いわ」


 その指示を受けて、粗樫の部下二人は変装に変装を重ねた。元々のラフな格好の上に、ニット帽を被ってサングラスをかけると、付け髭まで加えた。彼らは椿が街中に入った直後に、霧島達にぶつかって因縁をつけると路地裏に連れ込んだ。

 椿は背後が騒がしくなったことに気付いて振り返るが、止まらない人波に揉まれて、首をかしげるだけで歩みを止めなかった。


『処理完了』

「お前らはとりあえずトンズラこいとけ。合流ポイントは後で知らせる」


『了解』と路地裏に密集したゴミ袋に埋もれる刑事達を尻目に、イヤフォンマイクで指示を受けた部下達は逃走した。殴ってはいない。薬で眠ってもらっただけだ。

 粗樫は続けて彼女の後を追った。しばらく行くと、彼女が以前入院していた市ノ瀬総合病院に辿り着いた。彼女は束の間、門前で立ち尽くし、病棟を眺めているようだったが、やがて踵を返して、再びそぞろ歩いた。


「何や、入らんのかいな?」

「そうみたいですね。立ち寄っただけ、と言うには不自然ですが……」

「とことん考えが読めへんわ。女心どうこうの問題ちゃうやろ」

「パラノイアってご存知ですか、アラカシさん。日本語では偏執病と書きます」

「偏った執着? 鬱みたいなもんか、ちゃうか」

「むしろ異常なまでに攻撃的だったり、自己顕示欲が高かったり、あるいは妄想癖が強かったり、そういう心的な病です」

「あの子が、そうやと? そりゃ世間的に見ればそうかもしれんけど、実際はほとんど俺らのせいやろ。あの子はおかしいことはないやん」

「えぇ、確かにそうですが、早河誠への思い入れがあまりに強く、それが病的にも思えてくるのです」

「それは好きやからやろ。ラブの力や」


 二人の尾行者は、互いに椿を正面に見据え、付かず離れずの位置を守りながら会話を続けた。


「まぁ、あの子がフツーの女子高生の型にハマってへんのは確かやな」

「ヤンデレと言うこともできますけどね」

「それでも俺は、あの子を守りたいと思うで」

「“カゲノさん”が聞いたら嫉妬に狂いそうなセリフですね」

「お前なぁ、冗談でも口に出すなや」

「はは、すみません」


 まばらに上下を繰り返して見える無数の頭から、たった一つだけを選んで粗樫は言った。


「そんなもん抜きにして、俺らはあの子を守らなアカンで。それが爺さんの命令や」


 もちろんですと部下が答えようとしたとき、椿の姿を見失ってしまっていた。

 若いカップルが寄り添い、暑苦しく手を繋ぎ、指を絡めて目の前を歩いている。椿は邪魔に思い、目を逸らした。すると自然と似たような恋人達ばかりが意識の中心に寄り集まってきた。

 疎ましい。疎ましい。

 妬ましい。妬ましい。

 暗い感情が心をすり潰していくうちに、椿は足元だけを見た。前後左右に人が並んでいる。立ち止まっている。彼女も足を止め、傷付いた右腕を心持ち庇うように胸の前へ引き寄せた。しばらくして自分以外の全ての足が一斉に動き出し、椿もそれに倣って歩を刻んだ。

 雑踏の中、マーチが鳴っているようだ。ぞろぞろと濁った跫音(あしおと)が、鼓膜にこびりついていく。

 黒と白のストライプが見える――横断歩道だ。

 それが、視界が、霞んだ。


「アラカシさんっ、対象が!」

「何や、消え、た……!? 発信機付けてたやろ、GPSで追えや!」


 確かに、都心のスクランブル交差点を、飛山椿は歩いていた。大多数の足並みから遅れつつも、信号を真っ直ぐ渡っていた。老婆のようにゆったりとした歩みだったが、彼女の意識としても渡りきろうとしていたに違いない。それなのに彼女は、向かい来る人混みとすれ違った瞬間に、その姿を跡形もなく消したのだ。

 粗樫達は必死になって群衆をかき分け、彼女を捜した。ある者は信号を渡りきり、ある者は押し寄せる人波を捜索し、ある者は車道に目を走らせた。

 しかし、いない。どこにも、彼女はいない。

 間違いない。こんな神隠しのような芸当ができるのは〈DEM〉だけだ!


「アレ……、何、これ――?」


 目の前が揺れる。足元が近付いたり――離れたりして――いる。もし――か――シテ――前――ご――フかクとい――ウ――――??

 椿は膝をついた。横断歩道のど真ん中で、座り込んでしまった。自分の意思とは関係ない。関わりない。だから、強制的にそうさせられているに違いない――ように思えた。そうでなければ、前を向いているはずの爪先が、こちらに向いて見えるはずがない。

 それが最後の、理性的な判断だった。


「ドレートめ。初めから、こうしておけばよかったのだ」


 クロジャイはスプレー型の口を持つ香水瓶を片手に、壊れた人形のように呆ける椿を眼下に見た。

 彼らの回りには、四体の人型恐竜クロジャイ・クローンが佇立している。それらは彼らを中心にして四方に陣を取った。曲がった背中を内に向け、闘牛士の持つ棒のついた布――ムレータを巨大化したようなそれを両手一杯に広げて、視界から隔離された方形の空間を作っていた。その布は、〈DEM〉――不可視機能を有していた。

 つまり、Mr.昼行灯が、あるいは組織ネイムレスが使う技術と同じ物。

 彼らは横断歩道の中央にいながら、その姿を完全に、人の目から消しているのだった。


「ディオラ、ディアベス……やれ」


 クロジャイがイヤフォンマイクで指示した直後、横断歩道の両端で絶叫と悲鳴が連続した。


「動いちゃダメー♪」


 どよめく人混みに埋もれている粗樫の背後で、少女の声が弾む。きっと柳なら小躍りしそうな――低年齢の舌足らずな口調だった。その声と連動して、彼の背中に鋭利な切っ先が突きつけられる。ナイフのようだ。


「……何や、お嬢ちゃん。お兄ちゃん、自分と遊んどる暇ないんやけどなぁー」

「ゲームなら、もう始まってるよー?」

「はぁ? 人の話聞いてん――」

「オジちゃんはー、動いちゃダメなのー」

「お兄ちゃん、な。動いたらアカンて、エラい地味な遊びやなぁ。ダルマさんでも、もうちょい派手に転がるで。お嬢ちゃん、遊びゆうんわな、みんなで楽しぃーやるモンやで」


 すると少女ディオラは、「アタシは愉しーよぉ。だってー、オジちゃんが動いたらー、オジちゃんを殺せるんだもーん」とナイフを軽く押し込んだ。

 物騒な上にかったるい言動に苛立った粗樫は、「お兄ちゃん、は、ナイフで死ぬほどヤワちゃうんやわ」と全身を力ませた。すると、彼の服を貫いていたナイフの切っ先が、カチカチと金属音を鳴らした。


「ふーん」


 気のない返事だった。

 しかしディオラは、全てを理解したらしい。的外れな予想は除外し、有り得る可能性――ではなく、真実だけに焦点を絞っていた。


「身体、固くなるんだー。硬度とか塑性とかー、んーと、チタンと同じくらいかなぁー?」

「防弾チョッキの間違いちゃ――」

「じゃーねー、ルール変えちゃおっかなぁー」

「人の話聞けや!」

「オジちゃんが動いたらー、ここの人間ぜーんぶ、こっちとあっちにいた変装オジちゃん達みたいにしちゃおーっと♪」

「やっぱり、さっきの悲鳴は……」


 粗樫はぞっと肌を粟立たせた。絶叫と悲鳴とどよめき。あれはやはり、仲間が襲われ、倒れた彼らに女性が驚き、人々が動転したために起きた――


「やってくれるやないか、ああぁん!?」

「こわーい」

「かわい子ぶってんちゃ――」

「騒がないでください」


 ふと目を落とすと、目の前に白人の少年が立っていた。その右手には、やはりと言うべきか、まさかと言うべきか、もしくは世も末かと嘆くべきか、ナイフが握られていた。しかもその少年は粗樫のすぐ正面にいる野次馬の一人――若い女の脇腹に、ナイフの刃を添えていた。

 この女が鈍感で助かった。騒動に気を取られて気付いていない。


「じきに解放させていただきます」

「お前ら……」

主導権(イニシアチブ)は完全に僕らの手中にあります。アナタの愚かな判断一つで、ここの下等な生物達を、アナタの仲間の二の舞にしてしまうのです。英断を、期待します」


 マジか。有り得へんっ。かんっがえられへん。コイツら、見境無しか!

 自然、視線が横断歩道へと向けられる。


「お気付きですか? 信号、変わっていないんですよ。とっくに青から赤へと変わっていてもおかしくないのに」


 そう言われてみればそうだ。時間が止まったように、歩行者用信号機は青を、車両用信号機は赤をそれぞれ示している。それにここはスクランブル交差点だ。歩行者用信号機が青を示しているということは、十字を走る車道は全て、赤色のランプ一つでその機能を停止させられているということになる。常に渋滞の二文字が御輿を据えていたその場所が、今は時間が止まったように静まり返っている。

 そろそろ車の運転手達が痺れを切らし、歩行者達も異状に気付いて騒ぎ出す頃合だ。


「そんな顔をしないでください。確かに僕らは管制センターのシステムをハックし、ここ一帯の信号機能を狂わせましたが、もうまもなく、それも終わりますから」


 粗樫の左手に交差点が見える。椿が歩いていたのは横軸の車道を切る歩道だ。その車列の後方から、一台のオートバイが迫ってきていた。赤い、オートバイだ。


「クロジャイ!!」


 それに跨る男――ドレートが叫んだ。

 クロジャイは掴んでいた椿の胸倉を引き寄せると、軽く肩の高さまで持ち上げた。するとドレートのオートバイは、さながら闘牛のように〈DEM〉仕様の布を突っ切った。

 不可視空間に突入したドレートはスピードを落とさず、クロジャイから左腕で彼女を受け取っていく。


「軽いね、パーラほどではないがな」


 椿は朦朧とした意識の中、そんなキザったらしいセリフを聞いた。

 それも束の間。横軸の車道へ割り込んで逃走する為、二枚目の布を越えようとした矢先、「アロォ♪」布を抜けたすぐそこに、純白のオートバイを駆る何者かの姿があった。

「何…!?」

 ドレートは急いで右のレバーを引き、同じく右のペダルを踏むんでブレーキをかけるが、時すでに遅し。白いオートバイはギミックを作動させ、二輪を残して車体を左に傾けた。改造バイクでドレートの左手を通る間、それを操る何者かは右手で椿を奪い返しつつ、左手に持った赤い刀身のナイフで、タイヤのゴムどころか車体ごと切り裂いた。

 気付けばオートバイを上下に分断され、ドレートは空中に投げ出された。


「ドレートぉっ!」


 叫ぶクロジャイの目の前に白いオートバイが現れる。彼は持ち前の豪腕を振り下ろそうとするが、いつの間に持ち替えたのか、右手の拳銃を構えられ、牽制されてしまった。

 脅しに成功した白いオートバイの運転手は、銃を乱射して四枚の〈ムレータ型DEM〉を撃ち抜いた。ムレータはたちまち不可視機能を失って壊れていった。その隙に向かいの布を越えていこうとする白いオートバイをクローンが妨害しようとするも叶わなかった。

 傍目から見れば、彼らは一瞬消え、少しの間隔を経て現れるという奇妙な光景を繰り返していた。そうして再びその姿を見せた白いオートバイに向かって、粗樫は叫んだ。


「ヤ、ヤツデさんっ!?」


 間違いなかった。富士の樹海の奥地に佇む、我らが御頭首のお屋敷にあった、あの改造オートバイだ。その持ち主は八手――柳以上の大先輩だ。


「アラカシ!」


 八手は椿を抱き寄せつつ車体を安定させた。信号待ちの車のバンパーにタイヤをかけてボンネットに乗り上げ、大きく飛び跳ねる。

 彼が振りかざす拳銃の形状を視認した粗樫は、呆気に取られるディオラとディアベスのナイフを持つ手ごと掴み、立ち並ぶビルの壁面へと跳ねた。

 瞬間、八手が拳銃を周囲に乱射する。すると弾丸は強烈な光と煙を一帯に齎した。それを目撃した、あるいは煙を嗅いだ人々はショックと麻酔効果で意識を失った。弾丸は超小型のスタングレネードだ。粗樫達のように予防薬を投与していない限り、抗うことはできない代物だ。

 鋼鉄の手で固く掴まれた双子に逃げ場はなく、白い瞬きの中、顔面からコンクリート壁に叩きつけられた。

「緊急事態や! すぐに応援よこせっ、渋んなよっ!!」と常時通話状態にしていたイヤフォンマイクで知らせる。部下の死体と、現場の後始末。そして、このイカれ集団の駆逐。これほどの規模だ、御頭首の配下総出で行なわなければ間に合わない。


「ドレート、乗って!」


 浜に打ち上げられた魚のような体たらくで路上に横たわるドレートの傍に、車列を強引に押し退けた一台のワゴンが急停車した。それを運転する美女パーラの声で起き上がった血塗れの男は、「追えっ、クロジャイ!!」と青筋を立てて叫んだ。


「策に溺れるなど、らしくないぞドレート!」

「小言なら後で聞くっ、行けぇっ!!」


 クロジャイは舌打ちもほどほどに指笛を吹いた。すると四体のクローンが呼応した。布を捨て、まるでとてつもなく素早いヤモリのようにビルの壁を這うようにして駆け上がった。昏倒する市民からバイクを奪ったクロジャイは、フルスロットルでエンジンを噴かして白いオートバイを追った。クローンは主の後に従ってビル群の屋上から屋上へと跳ねていった。


「ちぃっ、アレは追えへんか。しかもあんなオーバーテクの塊をポイ捨てしおって、掃除する方の身になれっちゅうねん!」

「離してください」

「そうだよー、痛いよー」

「ガキ共、お前らは逃がさへんっ」


 粗樫は右手にディアベスの右手を、左手にディオラの左手を掴んでいる。二人は車道に背を向けて、壁に額を付けたままだ。自然、粗樫は壁を背に、道路に向いている。

 しかし次の瞬間、左右の踵が同時に、粗樫の顔面に突き刺さった。メガネが割れた、今週二度目だ。


「づっ!」

「「やってみろよ」」


 ディオラの右足の――ディアベスの左足の踵だった。

 示し合わせたにしても息の合い過ぎた回し蹴りを喰らった粗樫は、後頭部を壁に打ちつけ、彼らから思わず手を離してしまった。すかさず二人のナイフが同時に彼の首を襲うが、彼の鎧の肌は刃を通さなかった。


「ディオラ、ディアベス、来なさい!」


 従順な彼らは、パーラの命令に応じ、すかさずワゴンへ駆けていった。

 双子を取り逃がした粗樫はイヤフォンマイクで通信した。


「こちら浪花節の伝道師――イケメン・アラカシや。メンドいことになりましたわ」

『……どうしたんですか、いちびり屋さんのアラカシ君』

「ヤナギ先輩、マジでヤバいわ。あの連中、見境あらへん」

『奇遇ですね。私もちょっと焦っています』

「へぇ?」

『弟切警部があの人型恐竜を追って、行方不明になりました』

「……マジでかー」

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