〔六‐4〕 忌むべきこと
「いいの、ドレート? クロジャイを行かせて」
時刻は丑三つ時。月と星が天に張り付いてはいたが、いかなる山岳地帯と同じように天気が表情をすぐに変えてしまう。大きな雲が頭の上に滑り込むように現れては、颯爽と遠ざかっていく。風が出てきているのだ。
パーラはトラックの前部座席で仲良く眠る双子を見た。どうせなら彼女らを同道させた方が、クロジャイもいくらか冷静になるのではないかと思った。
「私の作戦に不備があるのかな、ハニー」
「ないわ、アナタは今日も間違えない。でも、今日のアナタには綱渡りをしているような危うさがあるわ」
ドレートはそれを聞くと、誇らしげに鼻先で笑った。
その横顔にいよいよ戦慄を覚えたか、パーラはもう一度双子が寝ていることを確認してから問い詰めた。
「何を考えているの。ここにきて目標を変えるだなんて」
「パーラ、昼間の疲れが残っているのか。少し神経質になっているようだが」
「はぐらかさいで」
パーラの灰色の瞳が彼の冷たい瞳孔を捉えて離さなかった。
口を閉ざしていたドレートだったが、真っ暗で何も見えない山中湖の方を見た。
「時にはガス抜きが必要、という話さ」
湖の向こうの深い木々を分け入って進攻するクロジャイの後ろ姿を想像した。彼はきっと、目を血走らせ、鼻息を荒くしているに違いない。それはパーラも解っていることだろうと思った。クロジャイが作戦開始と同時に、血に飢えた野獣のようになったのを見ていたのだから。
そう、だからこそパーラは、そんな彼に冷静さを求めない自分を怪しんでいるのだろう。
「知っているか、ハニー」とドレートは問うた。
「決めるのは己ではなく敵だ、という話を」
「どういう意味?」
「我々がいかなる行動を取ろうとも、敵の動きはコントロールできないということさ」
ハッとして、「アナタ、まさか……!?」パーラは血の気が引いたのを自覚した。
それを証明するようにドレートは口元を歪ませた。
「私はクロジャイのことをよく知っている。彼ほど信頼のおける男はいない。そして、そんな彼の真価を引き出してくれるのは私ではなく、敵なのさ」
それは今から十時間ほど前のこと。彼ら一行がまだ大型トラックのすぐそば――この場所に陣を敷いていて、軍義が終盤に差し掛かったときのことだ。クロジャイがドレートの立てた作戦に異議を申し立てた。
“慎重慎重とっ、貴様には俺の心の有様が見えんらしいな!?”
クロジャイは怒りに任せ、近くの木を二本ほど立て続けに殴り折っていた。その度にパーラが仲裁に入り、双子は白けた目を向けていた。
彼もよく理解していた。皆が皆、ドレートに心酔していることも。そしてドレートの言うことこそが全て正しくて、ドレートに意見したところで自分の過ちを思い知らされるだけということも。だから彼はやる方ない怒りをどこかにぶつけざるを得なかった。
いつものことだ、しばらくすれば気が済む。誰もが、クロジャイ自身でさえも思っていたが、ドレートはにこやかに告げたのだ。
“解ったよ、クロジャイ。お前にも行ってもらう。ただ私の信条も理解してほしいものだ”
それを聞いたときのクロジャイの表情と言ったらなかった。唖然としていた顔が歪み、大粒の涙が目尻に溢れ、それを他人に見せることの恥じらいから片手で覆い、肩膝を突いてうな垂れていた。そして夜が近付くたびに、彼の意識は獣へと変質していった。
ドレートはパーラの頬に手をやり、撫で、アゴからうなじへ、うなじから肩へと手を伸ばし、そっと抱き寄せた。
「全ては皆で勝利を掴むため。“万一”を、私は忌むよ」
パーラは彼を信頼していた。信用していた。
だからクロジャイのことも、敵に決めてもらうしかなかった。