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ネイムレス  作者: 吹岡龍
ネイムレスSB【待ち人ラナウェイっ】
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〔五‐1〕 ルース・テイル

『何、パーラが倒れた?』


 イヤフォンを通して聞こえるクロジャイの声はくぐもっていた。ドレートが指示したとおりどこかに身を潜めているようだった。

 未だ東京の歓楽街にある雑居ビルの一室に待機しているドレートは、ベッドで寝込む《千里眼》の女パーラには聞こえぬよう、部屋の外から通話していた。

 昼前だというのに薄暗く湿ったその通路から、ドレートは静かに応答した。


「貧血を起こしたようだが、どうもおかしい。公園内を覗かせた途端に倒れた」

『夜通しやらせていたのか』

「まさか。昨日はほどよく愛して眠らせたさ」

『つまらん情報はいらん。連中は動いているんだ、パーラがいなくては追跡は難しいぞ』

「ディオラ達に、奴らの車へGPS発信機(ビーコン)を付けさせたのではないのか」


 磁石の付いたGPS発信機(ビーコン)を車に貼り付け、パーラの能力とドレート達が使っているラップトップなどのインターネット地図上の、二つの角度から追跡を図ろうとしていた。パーラは生身であるが故に活動時間は限られているが、発信機は壊されない限り半永久的に機能できる。また反対に、発信機は壊されたり捨てられたりする可能性があるが、パーラの能力は対象がどれだけ急いで逃げようとも、どんな場所に身を隠そうとも追跡・特定し続けることができる。

 しかし、クロジャイはドレートの要望に応えられなかった。


『ダメだ、連中の警戒が強過ぎる。子供であっても容易く近寄れるものではない』


 双子の姉弟、ディオラとディアベス。まだ年端もいかぬ彼らに発信機の取り付けを任せようと考えていたのだが、万博公園の出口に駐車されていた不審車両――案の定、ツバキ・ヒヤマを連れ去った〈ドレッド・ゴースト〉の仲間だった――の周囲には、警戒心の強そうな私服の連中が屯していて接近すらできなかった。


「警察ではないんだな、自衛隊(JSDF)でもない?」

『軍ではない。一人ひとりが警備用全自動機関銃(セントリーガン)のようなものだ』

「姿を晒せば、即座に撃たれると?」

()り合うとなれば俺達の足下にも及ばんだろうが、それでは根城を突き止められん。いや、俺としてはやはりこの場で連中を皆殺しにしたい。“ピゴー”の敵討ちだ、あの忌々しい〈ドレッド・ゴースト〉を八つ裂きにさせてくれ。そうさせてくれればツバキ・ヒヤマは必ず手に入れてみせる』


 パーラほど正確無比ではないが、クロジャイについてはことさらドレートには想像がついた。きっと彼は今、〈PIGOR〉と記されたステンレスの皿を抱え、悲しみと怒りに震えているに違いなかった。そしてその後ろ姿を双子は冷めた様子で見つめながらも、安易に同情してやることもできずに戸惑っているといったところだ。


「クロジャイ、堪えろ。仇討ちの用意は必ずしてやる。だが今は、ツバキ・ヒヤマの確保よりも奴らの正体、バックボーンの存在を確かめたい。“ルース・テイル”でいい、あとはパーラに任せる」


 ルース・テイルとは尾行術の一つで、追跡する対象に対して大きく距離を取り、追跡続行よりも姿を見られないことを重視していつでも離脱できるようにする方法である。

『使えるのか』とクロジャイが問うので、ドレートは部屋の中を扉の隙間から覗いた。殺風景な部屋の奥にあるベッドで、パーラが頭を押さえつつ身体を起こしたのが見えた。


「彼女にも意地がある、という話さ」




 飛山椿を乗せた紺のミニバンは、吹田JCT(ジャンクション)から名神高速道路上り左ルートに入った。そのまましばらく北東に走り、京都府京都市の南を横断した。そして滋賀県が誇る日本最大の湖――琵琶湖の南端を行き過ぎた。

 目的地まで五分の一にも満たない距離にようやく達した頃、ミニバンの運転手を務める男が助手席の粗樫に言った。


「後ろの黒いMPV、着いてきますね」

「せやな。だいぶ離れとるけど、気にならんこともないけどなぁ」


 粗樫はちらりとサイドミラーを覗いた。後方のMPVとの車間距離は六〇〇メートルとずいぶん離れている。双方が同じ時速百キロメートルでカーブに入れば、きっと振り返っても見えないくらいの距離だ。本当に尾行されているとしたら、ずいぶんと慎重な輩に思えた。

「どないします、先輩?」と粗樫はバンの後部座席に問うた。後部座席は倒されており、先輩柳が男に包帯を巻いてもらっていた。彼の右腕には等間隔の四つの小さな穴が空いていた。彼の隣で仰向けに眠る飛山椿に負わせられた傷だ。彼女はベルトで固定されていた。


「我々は今の速度を維持し、殿に監視させてください」


 彼らを乗せた車は、草津JCTで新名神高速道路に乗り換え、休むことなく走り続けた。




 一方、ほんの数秒前。都内の雑居ビルの一室では、パーラが目を覚ましていた。

 昏倒してからわずか三〇分で目を覚ました彼女は、眉間に深いシワを刻みながら任務に戻っている。ベッドの上に地図を広げ、肩膝を立てた格好で座りつつ、目を固く瞑って脳裏に対象の現在地を投影している。彼女の人差し指は今、草津のパーキングエリアの手前を示していた。

 さらに彼女の脳裏には眼鏡をかけた若者と〈ドレッド・ゴースト〉の会話が響いていた。


「クロジャイ、もういいわ。気付かれないくらいにゆっくりでいいから車間を完全に空けて、対象の視界から外れて。連中の仲間の車がアナタを監視しているわ」

『クサツというJCTが見える。一度降りて撒くべきか』


 クロジャイは日本で手に入れたMPVを駆り、〈ドレッド・ゴースト〉が乗っている紺色のミニバンを尾行していた。ドレートの指示に従い、ルース・テイルで十二分に車間距離を取っていた。

 そんな彼の意見にノーを突きつけたのは、やはりドレートだった。ラップトップに繋げたイヤフォンマイクを介してクロジャイに命令した。


「高速には乗り続けろ。連中の車両まで付いてくる可能性がある。そうなればお前が車を止め、その姿を晒すまで追われ続けるぞ」


『それは面倒だな』と唸るようにクロジャイが答える傍ら、助手席のディアベスがラップトップを操作しながら言った。


『ドレート様。パーラ様が指示した車両を映像上でカラーリングし、パーラ様の視界を可視化しました。同期されているはずです、確認してください』


 ディアベスはMPVのルーフの付け根に取り付けておいた超小型のカメラを利用し、全方位を走行する車両のリアルタイム映像を撮影していた。

 そして後部座席に座るディオラが何かに取り憑かれたように空中に両腕を投げ出し、見えないキーボードを打ち続けた。自身の周囲を埋め尽くすPCがそれに呼応して、周囲の車の映像に色をつけ、高速道路の各所にセットされた監視カメラ映像をハッキングしてGPS追跡の代わりにした。加えて彼女が独自にプログラムした高速道路の3Dマップにそれらを合成させると、まさにパーラの視ている世界をほぼ精巧に投影できるようになった。

 ドレートは確認したことを告げると、ディアベスからの報告に耳を貸した。


『車両は六台。先頭から2‐1‐2‐1という並びです。対象車両は第二グループ、第四グループの殿車両が我々のMPVに張り付いています』

「よくやった、大したものだ。これでしばらくはパーラを休ませられる」

「ありがとう、皆。愛しているわ」


 パーラは目を開けると、拘束から解き放たれたように息をつき、ベッドに大の字になって倒れた。ドレートは彼女の額の汗を拭ってやった。

 ドレートとしてはこの手は使いたくはなかった。何故なら、いかにディオラが突出したコンピューター・ハッキング、あるいはクラッキング、もしくはプログラミングなどの才能に長けていても、そしてどんなに足跡がつかないと豪語しているとしても、その痕跡を見つけ出す者の存在を否定できないからだ。

 当然ディオラは仲間で、その才能は高く評している。そして信用しているからこそ傍に置いている。しかしディオラがいくつもの政府機関やセキュリティ会社のコンピューターへ侵入してきたのと同じように、彼女の行動を凌駕する何者かが現れるかもしれないと思わざるを得なかったのだ。

 ドレートは、上には上がいるという懸念を振り払わなかった。

 だからパーラの力が重宝していた。監視・追跡という面では、彼女の《千里眼》はどんな方法でも足跡が付かないし、逆探知ができないからだ。


「シャワー、浴びてくるわね」


 パーラはドレートの頬にキスをすると、その場で服をはだけさせてバスルームに向かった。栗毛と白い肌に美しさを覚えつつ、「パーラ、何か視たのかい?」とドレートは訊いた。彼女が突然昏倒した理由をどうしても知っておきたかった。こんなことは出逢ってから初めてだったからだ。

 

「……分からない、というのが正直な回答ね。ただ、一瞬だけ頭にこびり付いた映像があるわ。黒いポールのような物よ」

「黒いポール? それは、あの小娘が逃げ込んだ家で、〈ドレッド・ゴースト〉が回収したというポールと同じかい」

「えぇ。でも、本当に一瞬だったからよく分からないの。あまり訊かないで」


 彼女はウィンクすると、バスルームに姿を消した。ドアが閉まり、シャワーヘッドから水が流れ出る音が聞こえた。

 ドレートはラップトップのディスプレイ上に表示された3D映像を見つめながら、次なる一手を思案した。

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