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ネイムレス  作者: 吹岡龍
ネイムレスSB【待ち人ラナウェイっ】
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〔三‐3〕 お弁当

 まもなく新大阪行きの新幹線が出発する。女性の声でそうアナウンスされる中、飛山椿はグリーン車の指定席に座った。

 彼女が乗る新幹線N700系のグリーン車には四列の席が設けられている。そして一番人気はやはり普通車両と同じく富士山が見える方。つまり、彼女が乗る下りの場合、進行方向右側の窓際席である。

 椿の父宗光の秘書は気を利かせたらしく、わざわざ右側の二席を予約していた。二席というのは、椿が友達と二人で大阪に行くと言っていたからだ。

 しかし椿は嘘をついていた。椿は一人でN700系に乗っていた。単身大阪へ向かうことを隠すために、友達の名を利用していたのだ。

 椿は右手の窓際席に陣取り、隣の席に大きなスーツケースを置いた。ケースは座席のベルトに固定させた。もし車掌が車内を往復しにきて、彼女のスーツケースを指差したとしても、彼女は三角巾で吊った右腕を見せて納得させるつもりだった。態度が悪いと思われようとも、乗客に白い目で見られようとも、椿は気にしないでおこうと心に決めていた。

 彼女はスマートフォンの電源を切っていた。弟切との電話を一方的に切った後、自宅の固定電話や菜々のスマートフォンから何度も執拗に電話がかかってきていた。しかし彼女は一回も応じなかった。

 水掛け論になることは火を見るよりも明らかだった。そこで彼女が熟睡している四時頃には起きて、用意を済ませて出たのが三十分後だ。一階のリビングのソファーで彼女が寝ていたことや、ダイニングのテーブルに並んだ料理に食品用ラップさえかかってなかったことには驚いたが、昨夜のことを思い返せば心配をかけてしまい申し訳ない気持ちになった。

 だから少しでも彼女に長く休んでほしくて、彼女のスマートフォンのアラーム機能をオフにしておいた。他意は無い、ただそれだけだった。

 新幹線が走り出した。およそ五分後には品川駅に着き、さらに十分ほどで新横浜駅に着いた。そこからは名古屋駅までノンストップ、次いで京都駅、新大阪駅で終点だ。

 熱海駅を通過した頃、はしたなくもお腹が鳴ってしまった。椿は目の前に引き出したテーブルにコンビニのビニール袋を載せた。袋からは片手で食べられるおにぎりや惣菜パン、そしてペットボトルの緑茶を取り出した。東京駅には全国のご当地駅弁を売っている店舗があるのだが、そこには片手で食べられる物がほとんど置いていなかった。ましてや利き手ではない方で食べるには困難なものばかりだった。焼き鳥や押し寿司なんかもあるにはあったが、それにはおかずらしい物が入っていなかった。

 せっかく新幹線に乗っているのに、いつでも食べられそうな物ばかりを食べるというのは何とも情けない気分になってくる。


「こんなことなら、菜々さんに作ってもらえばよかったかな、お弁当」


 きっと菜々ならば左手だけで食べられるようにお弁当を作ってくれるはずだ。何せ、退院してから夏休みの間の、高校の通学期間はずっとそうしたお弁当を作ってくれていたからだ。主におにぎりやプラスチック製の爪楊枝を刺したおかずだったのだが、一口サイズで可愛らしい色合いのそれは周囲の女子にとても評判が良かった。

 しかし今更そんなことは言っていられない。椿はおにぎりを包む透明のフィルムを右手と歯を器用に使って剥がし、おかかの入ったそれを一口齧った。味は良い、美味しい。だが、独特の冷たさからか、それとも製造しているのがどこかの工場のロボットだと想像してしまうからか、心がどうしても寂しさを覚えてしまう。

 やはり食事は、近しい人の愛情が籠もっていなければ心まで満たされないのだろうか。


『続いてのニュースです』


 窓から富士山が見えて、後部座席の老夫婦が見てごらんなどと言っては写真を撮りはじめた頃、前部座席から女性アナウンサーの堅苦しい音声が中々に大きな音量で漏れ聞こえてきた。サラリーマンがスマートフォンでワンセグ機能を使い、テレビニュースを観ているようだった。やばいやばいという独り言と慌てた様子から察するに、スマートフォンに接続していたイヤフォンのコネクタが外れてしまったようだ。


『本日未明、フランスからアメリカへと航行中だった豪華客船〈ネオ・アルゴー〉が沈没しました。生存者、死者の数、並びに原因も含めていずれも不明です。一体何が起きたのでしょう。それでは事故現場から中継――』

「し、失礼しました、ハハ……」


 粗相をしてしまったサラリーマンは立ち上がると周囲の乗客にペコペコと頭を下げた。彼の礼儀正しい態度を見れば誰もとやかく言わなかった。

 椿もまたそうだった。次第に遠退いていく富士山を眺めて、あまり注意を払わなかった。だが、ニュースの内容は耳の中をしばらく歩き回っていた。

 フランス、か。

 遠く離れた異国の話は、現実が乏しく思えた。そんな結論がすぐに浮かぶと、女性アナウンサーの声もゆっくりと剥がれ落ちていった。

 大阪までは、あとどれくらいだろう。

 すれ違う新幹線同士が互いに空気を潰し合い、轟音を奏で、椿をまた無我の世界へと誘った。

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