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ネイムレス  作者: 吹岡龍
ネイムレスSB【待ち人ラナウェイっ】
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〔二‐2〕 柳と粗樫

 腰まで伸びるほどのドレッドヘアー。正式にはドレッドロックスと呼ぶことはこの際どうでもいい。

 一九三〇年代、ジャマイカの労働者や農民などが中心となって始まった宗教的思想運動――ラスタファリ運動によってその名称が生まれたとされることも、実際のドレッドの歴史を語るには紀元前の古代エジプト王朝まで遡らなければならないことも、どうでもいい。

 問題は、複数の髪の毛が束状になっているその髪型が持つイメージが、いつもリズミカルでファンキ-で、ヒップホップだかレゲェだかのご機嫌で陽気な音楽を全身から溢れ出しているストリート文化の申し子的なものなのにも拘らず、夜の庭先に立つ男ときたら、それらのポジティブな雰囲気を一切醸していないことにある。

 楽園で瞳を閉じながら古時計の見てきた家族の歴史を歌う、偉大なる某シンガーのごとく掘りの深い目元をはじめ、日本人離れした南アジア人的な顔立ちには、インド人もびっくりするほどの生気の無さが窺えるのである。

 陰気で、陰湿。そんな一目見るだけで不幸になりそうな外見の男を、人は“柳”と呼ぶ。“柳に幽霊”の、“柳”だ。


「困りましたね、それは大きな間違いです。古代中国の陰陽五行説において木とは春を示し、五方においては東、つまり日の出――太陽を示します。また柳の卯という字は、陰陽道の十二方位ではこれも東を意味しているのです。語源としての解釈は異なるのですが、柳という一つの漢字を崩して当てはめると、陽に属するとてもめでたい木なのです」

「先輩、何壁に向かって話しとるん」


 眼鏡をかけた短髪の若い男がツッコミを入れるも、柳はまだ暗い面持ちで続けた。


「何故柳が幽霊とともに描かれるようになったのか。それは今し方お話ししたとおり、陰陽道の観点から、陽を意味する柳と、陰の象徴とも言うべき幽霊の存在を調和させることで、魔除けの効果を期待したのです。その昔、人々の間では幽霊絵という恐ろしい掛け軸を家に置くことで、その他の霊や怪異などから家内安全を図る流行があったのです。そのようなブームが廃れ、陰陽道が世俗から離れていくと、幽霊という陰だけが誇張され、いつしか“柳の下には幽霊がいる”というイメージだけが浸透していくようになりました」

「つまり、柳は本来霊験あらたかな木で、被害者やと」

「そのとおりです、アラカシ君」

「せやかて先輩、思いっきり社会不適合な加害者面してんのにそんなん言われても説得力ないで、ホンマ」


 柳は失礼な後輩――粗樫をじっと見つめた。

 粗樫も彼の容貌をじっくりと観察した。改めて見ると明るさが欠片も見当たらない。役目を果たしたので回収した看板が足下にある。柳が変質者として描かれているこの看板の製作者は粗樫だ。趣味の絵画の腕前がこんなことに役立つとは思ってもみなかったが、これだけリアルなら写真で良いじゃないかという周りの評判とは裏腹に納得のいく出来栄えだったと満足していた。

 変質者としてこれほど適当な被写体に、粗樫は改めて感銘を受けていた。


「私、そんなに暗いですか?」

「明るいと言える要素、ないですやん」


 また押し黙る柳だったが、今度は庭先から家のほうを見た。早河という表札のあるこの家はとても古く、きっと耐震構造などは施されていないように見えた。

 この家の中に少女が入った。事故以前の早河誠を知る唯一の人物と言って過言ではない、重要な人物だ。


「明るいか明るくないか、そう問われたら、私はさほど明るくはないでしょう」

「さほどって、先輩も盛りますね。切れかけの電球ちゃいますねん、切れて久しい電球ですねん先輩は」

「でもね、こう見えて結構今、テンションは上がっているんですよ。だって、興奮するじゃないですか。女の子を空き家に追い詰めたのですから」

「アカン奴やん! 先輩それ、完全にアカン奴やん!」


 ふぅと柳は息を漏らし、肩をすくめた。


「これだから関西人は。少しはお静かになさい。大好物のツッコミどころを見つけたからといって、人様の庭先でくらいは自粛したらどうですか。まったく、みっともない」

「言いながら人様の庭先で鼻息荒くして侵入経路確認してるアンタはどないやねん!」


 不気味な笑みを浮かべながら家の軒下へ頭をくぐらせる柳の尻を叩いた。

 振り向く柳の鼻の下はだらしなく伸び、口角はクイッと上がっていた。鼻孔からは薄っすらと赤い液体が頭をのぞかせていた。家の中で少女が何かの準備をしているのを見て取ると、えも言われぬ高揚感がリビドーを刺激していた。


「ともかくや、先輩。早いとこケリつけましょうや。あの菜々って家政婦が警察に連絡いれたみたいやし」

「では、〈忌避装置〉の回収は頼みましたよ、アラカシ君」


 はいはいと踵を返した粗樫は、家を囲む石塀の隅――背の低い桜の木まで歩いた。桜の裏には雑草が高く伸びきっていて、彼をそれを掻き分けて金属製の棒を取り出した。銀色の視線誘導標(ラバーポール)のようなそれは、スイッチ以外に目立った突起はなく、ごくシンプルな外見になっている。

 粗樫はスイッチを切ると、塀の四隅全てに同じように隠されたその〈忌避装置〉と呼ばれるラバーポール状の機器を回収するために家を一周しはじめた。

 柳も行動を再開した。玄関も窓も全ての侵入経路がしっかりと塞がれている。強行突破も可能だが、空き家とは言え人様の家を壊すことは倫理的に褒められたものではない。

 なるべく静かに、穏便に事を済ませたい。

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