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ネイムレス  作者: 吹岡龍
ネイムレスSB【待ち人ラナウェイっ】
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〔一‐5〕 少年の痕

 警察署から程遠い公園のベンチで、少女がひどく気だるそうに項垂れている。

 日がすっかり傾いており、始まったばかりの夏休みを満喫している子供達も、明日の約束を交わして手を振っている。幼い子を連れている母親達も、買い物の為に散り散りになっていくところだった。


「あー参った参った。アイツら、しつこいの何のって!」


 少女の隣に、汗だくのランニングウェアにサングラスをかけた男が、ガニ股で腰掛けた。不審げに彼を見遣ると、見覚えのある男の顔がそこにあってげんなりした。

 蝉しぐれの下、男は暑苦しい顔で笑って缶ジュースを手渡した。

 すると少女は相当喉が渇いていたのだろう、今度はジュースを一気に飲み干した。


「私、クラスでは“美白総理”って敬われてるんですよ。それなのにいつもいつもこんな紫外線の温床みたいな場所に呼び出して。もっと良い待ち合わせ場所は無いんですか?」

「そのあだ名、嫌がらせじゃねぇのか。同期に少年課の奴がいるから紹介するぜ?」

「何よ、気に入ってるのにケチつけないでよ!」

「気に入ってんのか……。ツバキちゃん、センス無いんじゃねぇの」

「そ、それより! 華の女子高生を日の下に晒すとは、どういう神経してんのよ」


 性懲りもなく愚痴ってばかりの椿に、「俺はスポーツ焼けした健康的な肌色が好みでねぇ」と弟切は似合わないサングラスの下で、意地悪い笑みを浮かべた。


「俺好みの女に変えてやるってやつですか。やっぱりセクハラで殺した方がいいみたいですね」

「オイオイ、訴えるところから始めようぜ」

「その腹掻っ捌いて日干しにして、勝訴の紙を貼りつけますよ」

「女子高生の発想じゃねぇよ!? 俺がセクハラなら、ツバキちゃんはグロテスク・ハラスメント――略してグロハラだぜ!」

「業界用語っぽくしてみたら“腹黒”になりますね。うら若い乙女を捕まえて酷いこと言いますね、訴えますよ」

「訴えるところから初めてくれてありがたいけど、ちょっと違わねぇか、この展開」


 おどける弟切に、椿は嘆息を漏らした。


「とにかく。いくら盗聴対策だからって、公園だかビルの屋上だかばっかりは嫌ですよ。それに“見られてる”っていう眉毛触るサインも何だかジジ臭いし……」

「静かにしようぜ、ツバキちゃん。確かに屋外を選ぶのはそれが理由だが、いい歳したオッサンが女子高生と一緒にカラオケとかってのはさすがにマズいだろ。人に見られたら一大事だぜ」

「ん、確かに……」


 その絵面はどう弁解したって援助交際にしか見えない。椿は高校中退の危機、弟切にいたっては警察の威信を左右する大問題になってしまう。たとえカラオケボックスでも、如何わしい妄想がどうしても付きまとうので、双方のイメージダウンは免れない。


「オジちゃんだってこれでも気を使ってるんだ、勘弁してくれよ」

「分かりました、我慢します。私もふしだらな女だとは思われたくありませんし」


 椿はそっぽ向いた振りをして、辺りに目を配らせた。この公園に残っているのは自分達だけらしい。木々や公衆便所の陰にも人の気配を感じないし、路上駐車している不審な車両も見当たらない。


「相変わらず尾行されていないようですね。流石と言っておきます」

「オジちゃん、こう見えてプロだよ。まだまだ公安の若造なんぞに遅れはとらないぜー」


 ただのくたびれた定年間近のオジさんにしか見えないのに。

 椿は見た目以上に逞しいこの男を、少しは信用していた。少年の失踪事件発生直後から色々と世話を焼いてくれて、日増しに乱暴な言動へ変わっていく椿の相手を、根気よく続けてくれているのだ。

 彼とペアを組む若い刑事は、早々に椿の異様さを恐れ、顔を見せなくなったというのに。


「弟切さん、前に言ってましたよね。公安警察が私達を見張ってるって。捜査が行き詰ってるって話と関係があるんですか?」


 二人は待ち合わせ場所を十ヶ所も用意している。それらは番号で管理され、右手の親指から左手の親指までの十指にも順に番号を振っている。弟切は署内で、一番を意味する右手親指を使いつつ、“監視”を意味する眉を払うというハンドシグナルを行なっていた。

 彼らはアナログな手段を使っていた。情報交換は全て口頭で行ない、デジタルデータや書面を交わすことは一切しなかった。証拠を残さない為だ。

 そうして盗聴と尾行に万全を喫している反面、リスクがあった。待ち合わせの時間を明確にできなかった。二人は尾行を振り払いながら待ち合わせ場所に向かう必要があるからだ。そこで決めたのが、夕方六時までにどちらかが来なければ速やかにその場を離れるというルールだった。

 今は六時十分前。椿が署を出てから、四時間半も経過していた。


「病院側が警察の上層部に圧力をかけてんだって話はしたよな。病院が平気でそんなことをできるのは、国のエライさんの後ろ盾があるからこそだ」

「そんなベタな……」

「それでも実際、そうなんだよ。そのエライさんが元警察官僚だったら公安も自在に動かせるんだろうよ。機密漏洩の疑いでも何でもいい、それらしい行動を取れば別件逮捕も朝飯前だろうぜ。だが、腐っても公安だ。人のケツを拭くだけで満足できるほど落魄れちゃあいないだろうよ」


 椿は小首をかしげた。この表情は、署内にあった刺々しい雰囲気を一切醸していない。その瞳が揺らいだのは、「早河誠」と弟切が少年の名を口にしたからだ。


「失踪したキミのボーイフレンドは間違いなく特異行方不明者だ。あの日、俺は持てる権限の全てを使って院内を捜査した。室内のあらゆる場所に付着した指紋や遺留品、非常口、屋上、人の出入り、監視カメラの映像まで、鑑識を可能な限り動員して調べ上げた」

「でも、何も出なかった。唯一監視カメラには、部屋から出ていくマコトの姿だけが残されていた。まるで“神隠し”に遭ったみたいに消息が途絶えた」


 弟切達捜査班は外でも情報を集めた。今年の頭、都内のこの地区には、警視庁の街頭防犯カメラシステムが運用されるようになった。区内に四十ある監視カメラが、その夜も万全の状態で稼動していたが、そこに映るのはひったくりや傷害などばかりだった。

 当然、車での移動も考え、Nシステム――高速道路などで車のナンバープレート等を確認する目的で設置されたカメラ群――の映像を確認したが、撮影できる範囲のどこにも早河誠らしき人物は見当たらなかった。


「聞き込みをしていたら病院の院長だってジジイに迷惑だと断られた。刑事課長から電話がかかって出てみれば、その件には触れるなの一点張りだ」

「それでも弟切さんは続けてくれた」

「当然だ。こんなヤマ、生まれて初めてだった。定年間際の身としちゃあ、玉砕覚悟で挑むべき事案だと思ったよ」

「でも、日を追うごとに公安の視線を感じるようになったから、私の前ではつっけんどんで、こうして裏で情報交換をするようになった。ツンデレだね」


 椿が笑った。ようやく歳相応の愛らしい笑みを見せてくれた。

 気を良くした弟切は、「じゃあツバキちゃんは、“ヤンデレ”ってやつか?」と部下から教えてもらったばかりの単語をひけらかした。すると、「は?」と椿が笑ったまま野太い声で問い返した。その目はまた笑っていない、もしかすると今日一番笑っていない。


「今、何か仰いました?」

「仰ってない仰ってない」


 即答して首を横に振り続ける彼に嘆息を漏らし、「それで、行き詰っているにしても何か新しいことが分かったから呼び出したんでしょう?」


「あぁ、分かったことはある。コレは公安に捜査の火をつけるに充分が過ぎる事案だ」

「どういうことですか」

「公安に監視されるうち、俺は気付いた。奴らは俺を監視する上で三つのチームに分かれていやがった。一つは俺の、一つはツバキちゃんの監視、もう一つは捜査だ」

「捜査? 弟切さんにはするなって言っておいて? それって手柄の横取り――」

「ツバキちゃん。手柄欲しさにノンキャリなんてやってられるかよ。俺はな、この事件を解決できさえすれば何だっていいんだ」

「弟切さん……」

「監視を撒いた俺は、捜査している連中を逆に尾行してみせた。連中は普通の刑事を装って市役所に行った。そこで連中はある事実に目を剥いてやがった。どんなもんかと覗いてみたら、俺も度肝を抜かれちまった」


 公安の刑事達だけでなく、彼らに資料を提示した市役所員も驚きを隠せなかった。


「早河誠の戸籍謄本(とうほん)が無いんだよ」


 椿は唖然として眉を顰めるばかりだった。


「役所だけじゃねぇ、都庁の住民基本台帳(データバンク)ですら消えていた。このガキ、本当に実在するのか……?」


 言っている意味が分からない。

 しかし彼の首筋には、夏場の熱気とは別の汗がすぅっと垂れ、落ちていた。

 公安は早河誠という名と住所から検索したが、彼のデータはどこにも存在していなかった。データがウィルスなどで破損した可能性もあるが、早河誠一人にしかその影響が出ていないようだったので不可思議極まりなかった。


「公安の連中は、一からこの事件を洗い直した。生徒手帳、保険証、病院のカルテ、学校なんかの在学履歴、写真や資料を片っ端から集めようとした。だが結局、早河誠の存在を証明できそうな物は、キミが隠し撮りしたというブロマイド一枚だけだった」

「ウソよ、何言ってるの弟切さん。そんなこと、あるわけないじゃない……!?」


 弟切はスウェットのポケットから財布を取り出した。札と一緒に挿んでいるブロマイドのコピーを彼女に見せた。学ランを着た、仏頂面の少年が映っている。


「なぁ、ツバキちゃん。コイツは本当に早河誠なのか? 名前は正しいのか?」

「正しいに決まっているじゃない。この写真の裏に書いてる情報は全部正確よ。うんと小さい頃からの仲なの、私に彼の知らないことなんて一つも無いんだから!」


 ブロマイドの裏には生年月日や身長体重はもちろんのこと、視力や血圧、癖や仕草、得意科目や性癖までもが事細かに、一面びっしりと羅列されている。それはもう、ストーカーかというくらい、ヒクほどびっしりと。


「でも、知らない時間があるよな?」


 椿の全身に怖気が走った。


「五歳の時、早河誠は大阪へ引っ越した。東京に戻ったのは中学三年の半ばだった。キミはその期間の早河誠を知らない。戻ってきた早河誠が、五歳の頃に別れた本人だと証明できるものは――無い」

「あ、ある! 証明できるわよ! マコトは昔暮らしていたお婆ちゃんのところに帰ってきたのよ!」

「でもその婆さんもとっくに死んでいて、今現在、その繋がりが確かなものであることを誰も証明できない」

「待ってよ。戸籍程度で彼が彼だと証明できないなんておかしいよ。私はマコトと話したよ。帰ってきた彼と色んな話をしたんだよ? 五歳までのこともいっぱい話したよ?」

「ツバキちゃん。俺だってキミを信じたい。だけど残念だが俺は早河誠を知らない。状況証拠の観点から考えると、早河誠には不明な点が多過ぎる」

「だったら何。もう捜査はヤメようって、そういう……?」

「警察上層部はこの事件の捜査を終了する方針だ。キミが失踪届けを出してもそれは変わらない。上の許可が取れなきゃ、早河家に乗り込む礼状すらも取れない」

「そんなこと言ってる場合!?」

「オジサンはね、ルールは守ってきたよ。上の理不尽には何度も噛み付いてきたが、法を犯したことは一度も無い。それが俺の誇りだよ」

「アウトローな顔してるくせに、肝心な時に優等生なんかになって……!!」


 椿はいよいよ立ち上がって、空き缶を地面に叩きつけた。俯きながらも涙を堪え、拳を握って悔しさに耐えた。だが、どうにもままならなかった。

 早河誠が不意に見せる悲しげな表情が、脳裏に去来したからだ。


「マコト、独りだったんだよ? 二年前にご両親が海外の旅行先で行方不明になって、彼を引き取ったお婆ちゃんも去年亡くなって、身寄りがいなくって……、ずっと独りだったんだよ……? それなのに、これじゃあ……」


 椿が捜す少年――早河誠は、孤独を生きていた少年だった。

 ここ東京に生まれ、椿は幼馴染としてよく遊んでいた。しかし小学校へ上がる前に、彼は父親の転勤で大阪へ引っ越すことになった。

 中学三年生の、秋口。彼の両親は、彼を日本に一人残しての旅行先で消息を絶った。彼は唯一の親類である父方の祖母に引き取られた。

 椿が彼と再会を果たしたのは、彼が椿の通う中学校に転校してきた時だった。

 その一年後、彼は祖母までも失った。孤独になった彼を、椿は献身的に支えようとした。どんなに突き放されても、自分が支えなければという一心で親身に声をかけ続けた。

 その最中に、あの事故だった。かてて加えて、記憶喪失――失踪だ。

 誠が抱える絶望を知っているからこそ、椿は諦めるわけにはいかなかった。


「ありふれた話だな」

「どこが!」

「孤独なんてモンは、万人が抱えてる。誘拐も失踪も、記憶喪失だって、世間では腐るほどある事例だ。身近で起きるかどうかってだけだ。それが重なったところで、早河誠を優遇しなけりゃいけねぇ道理は無ぇ。感情論でどうこうしていい理由にはならねぇ」


 でもと彼女は駄々をこねる。弟切も腰を上げると転がる空き缶を拾い、クズカゴに捨てた。乾いた音が二人の関係に亀裂を生んだようだった。


「俺は結論を出した」


 夕焼けに染まる空の下、弟切は静かに告げた。


「早河誠はもう、この世界に存在しない」


 そんな話、信じられるわけがない。死体が上がっていないんだ。便りが無いのは元気な証拠とも言うじゃないか。

 椿の現実逃避も虚しく、弟切はさらに補足しようと口を開く。

 もうやめて。椿は耳を塞ごうとした。


「早河誠の失踪には、何者かが関与している可能性が極めて高い」


 頭を擡げる彼女の瞳を、弟切はジッと見据えた。


「今、何て……?」

「俺はキミを信じる。何故なら事件が発生したからだ。どんなに後から病院が揉み消そうとしても、早河誠がいたという証言は数多く取れている。だがそれは人の記憶にしか依存しないレベルだ。そうさせた誰かがいる。早河誠に関するあらゆるデータを抹消した不逞の輩がな」

「じゃあ、弟切さんは捜査を続けてくれるのね?」


 目を赤らめながらも、期待に満ちた様子で彼女は問う。

 しかし彼は首を横に振った。そして、すまないと言った。


「俺の行動はこれまでよりもさらに制約を受けることになる。こうやってほとんど毎日頻繁に会うこともできないし、他の事件に駆り出されちまうだろうさ。それでも周囲の目を盗んで捜査を続けられるだろうが至難の業だよ」

「さっき、手柄なんかいらないって言ったっ」

「あぁ。誰の手でもいい、事件が解決されること、それが何よりの手柄さ。だけど警察でいられなくなっちまったら捜査ができねぇ。ツバキちゃんだって、俺が刑事だから頼ったんだろう? まぁ定年したら探偵にでもなって、捜査の真似事はできるだろうがな……」

「あと、何年?」

「二年」


 そんなに待てるわけないじゃない! 椿の目がそう罵倒しているように揺らめいた。

「だよなぁ」と弟切は頭を掻いた。


「……私、もう警察は信じない」

「被害者や遺族ってのは、時に残酷なことを言ってくれる。確かに俺達はろくでなしだが、人間、やれることには限界があるんだってこと、少しは分かってほしいね」


 椿は不意に流していた涙を拭うと、鋭い瞳で吐き捨てた。


「大人って、もっと信用できるものだと思ってたけど、やっぱり幻想だったみたいね」


 西日の中に消えていく彼女の背中に、弟切はつぶやいた。


「嬢ちゃんもいずれ、そう言われるようになるんだよ」


 カラスが鳴いていた。

 罵声に聞こえるのは、年のせいだと思いたかった。

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