〔エピローグ‐2〕
騒然とした声が耳に触れ、誠は目を覚ました。
こうして眠る前の出来事を思い出せない起き方をしたのは何度目だろうか。
ぼうっとした意識を天井に向けていると、「あ、マコっちゃん、起きた?」煤で汚れたエリの顔が視界一杯に広がった。もはや彼女のやることには驚かなくなった。
「ここは……?」と問うと、「海の中♪」と彼女はいつもの微笑で答えてくれた。どうやら潜水艦の医務室で寝ているらしい。
「任務ね、マコっちゃんのお蔭で遂行できたよ」
「そう、ですか。良かった……」
安堵して、歯を見せていると、「本部を放棄するってマジかよ!」という声が聴こえた。
どういうことだとエリを一瞥すると、「大丈夫。こんなトラブル、いつものことだから」と、重い身体を起こしてくれた。
「……メギィド、博士は?」
エリは席を立つと、コップに水を注いだ。
誠はふと自分の両手を見下ろした。未だ、感触が残っている。誰かとの“約束”のために生涯を費やし、悪道を我武者羅に突き進んだ男の左手の熱が。
「死んじゃったんですね」
「アナタのせいじゃない」
間髪を容れずに告げられた彼女の言葉に、誠は喉を詰まらせた。
「救えなかった。とても悪い人だったけど、あんなに苦しんで、あんな風に死ぬことなんて、ないはずなのに……!」
「頑張ったんだね」
エリはコップを差し出した。
誠はそれを受け取ると、一息に飲み干した。涙を、悔しさを、腹に溜めて忘れぬように。
「少し思い出したんです。事故の時、とても大切な人と一緒にいたんです」
「恋人かな?」
「分かりません。だけど、そうだったらいいなって、思うんです」
清々しい笑顔で答える彼に嬉しくなったエリは、「ちょっともぉノロケ~? 妬けちゃうねぇ、このこのぉ~♪」と肘をついて古典的なツッコミを入れた。
やめてくださいよとじゃれ合っている間に、誠の額が熱を覚えた。激痛を予感したが、その正体を知ってパニックになった。
エリが、キスをしていた。「ご褒美♪」と彼女は恥じらい隠しでそう告げた。
「こっちにはその“大切な人”から貰いなさいネっ」
誠の唇を指さすや、彼女は上機嫌で席を立った。
「お休みなさい、マコっちゃん。また明日ね」
「……はい、お休みなさい。また――」
肌で判るほどに清潔なベッドの上、白いばかりの天井は光って見えた。煤けた様子もないそれをぼんやりと眺めていると、額に残る熱を小指にも感じた。
ただ少しだけ違うことを、誠は目を閉じてから知った。
小指のそれは、姉のような人から貰った愛情とは全く毛色が違った。
天井の光が薄れていく。小指の熱を感じる度に、心臓が駆け足になる。そのリズムが心地よく、切なく、明日が待ち遠しくなる。痛みが伴う記憶よりも、見えない明日がとても。
“――それでもマコトは、独りじゃないよ”
そうだね。新しい家族が、明日もきっと待ってくれているんだよ。
笑いかける少女の頬は、恥ずかしそうに夕焼けに染まっていた。
そんな彼女に、誠は伝えた。とても大事な一言を。
“キミが、好きだ”
ゴメンね、愛する人。
いつか必ず、思い出すから。
ボクの名前は――早河誠。
この名前を持って、必ず会いに帰るから……。
茫漠とした暗闇の中、小さく輝く光に向けて、小指を立てた。
ほのかに返ってきた熱を壊さぬように、そっと指を絡めた。
〔了〕