〔一〇‐1〕 懐かしい声
『第一実行部隊! 島の北部、海中に水路を発見! しかし伏兵の迎撃に遭っている!』
『至急任務を遂行されたし! 繰り返す、至急任務を――!?』
二つの部隊からの焦燥に駆られた通信が、一同の耳を悩ませる。
ケンに降り注ぐ鬼の眼光は驚愕と絶望、悲憤慷慨の色で満ち満ちていた。
エリはいつものように裏取りした。氷の壁の向こう――通路の奥にある研究区画らしき空間まで感覚を広げた。そこには一人の男がいたが、酷く取り乱しているようだった。
「じゃあさ、チーム・イクス。兵站部に協力していたあの部隊の事故って……」
「事故なんかじゃなかったってことだ。連中は野郎の人体実験に利用された。戦闘服に搭載される予定だった〈DEM〉、連中はそれから発する強い電磁波で覚醒因子を破壊されて廃人になった。モルモットみてぇに、殺されたんだ……!」
ケンは片手で顔を隠し、歯を食い縛った。
誠は恐る恐るその事件について〈MT〉で検索した。およそ一〇年前に起きたその出来事は、組織の年表に短く記載されているものの、詳細は一つも記録されていなかった。あくまで不慮の事故、それ以上の情報は得られなかった。
蚊帳の外の誠に目もくれず、ケンは悔しさを滲ませた。
「フリッツは正解だ。親父の仇があの野郎だと解った途端、頭に血が上って何も考えられなくなっちまってる。なぁ、オッサン。アンタもそうだろ……?」
「ア ア ア ア ウ 。 ア ア ア ア ア ア ア ウ ゥ ゥ ゥ … …」
巨大化して発声器官が変質したのか、鬼は言葉さえも忘れたように呻くばかりだったが、ケンに深く同意しているようだった。氷の壁を叩く忙しない砲弾のノックに応じて、すぐにでも飛び出したいようにも見えた。しかしそれをしないのは、フリッツが自分達のために情報を封殺してくれていたことを理解したからだ。
「その人が〈ユリオン〉を造っていたってことですか?」
「そうとしか考えられないわ。私達は今の今まで、こんな簡単なことを見落としていたのよ。〈ユリオン〉なんて科学の結晶を造れる人なんて、あの人を置いて他にいないのに」
ケンと鬼――酒顛の気持ちを思うと居た堪れなかった。だが、必死に自分を律しようと葛藤している彼らに時間を預けていられるほど余裕はない。ウヌバが額に脂汗を掻きながら、懸命に空間の温度を支配し、壁をより厚く、より硬くしようとしている。エリは二人に決断を迫った。
「どうするの、リーダー、ケン。私はこれまでどおりアナタ達の指示に従うわ。だから、後悔しない道を選んで」
平時の彼女からは想像もつかない逞しいセリフに、傍観者のように佇む少年が唖然となっていると、「行け」とケンが言った。その瞳孔は少年を中央に捉えていた。
「行けって、どこに……?」
「決まってんだろ。野郎を拘束して、〈ユリオン〉を破壊しろ」
「そんなの、一人でできるわけないじゃないですか!?」
「テメー、見えなかったのか。ストライカーの後ろにはハンパねぇ数のREWBSが控えてんだぞ。中には当然ヘレティックもいる。連中を相手にテメーのお守りまでやっていられる余裕なんてねぇ」
「だったら尚更切り抜けられませんよ。それに、アナタだって見えてないんですか? こ、こんなに砲弾や銃弾が飛んでくるのに、ボクみたいなのが出て行ったら……!!」
「俺は、野郎には会えねぇ。会えばどうなるか分かったもんじゃねぇ。オッサンだってそうだ。俺達は第一実行部隊としての責任を果たせなくなる」
ケンは、心の均衡を保てないでいるようだった。
「マコト君」とエリの声が耳に触れるや、強く抱き締められた。「ゴメンなさい」と続ける彼女は酷く震えていた。
「アナタを今日まで追い詰めてきた全ての罪を受け入れて謝るわ。本当にゴメンなさい」
「また勝手なことを言っているんですよ、アナタ達は……!?」
「許さなくていい。恨んでくれていい。でも、私達は組織のヘレティックだから、感情に任せて戦うわけにはいかないの。彼を殺して重大な情報を失うわけにはいかない。あのREWBSの大群を突破した頃には逃げられているかもしれない。それもダメなの。今ここで、〈ユリオン〉にまつわる全ての決着を着けなくちゃいけないのよ」
「御託は聞きたくない! ボクは、ボクはっ、死にたくないんですっ……!!」
「解ってる。新兵のアナタにこんな無茶を言うことの卑劣さも、全部! でも……!!」
聞き分けのない子供の襟首を掴み、「マコト、俺を殴れ」とケンは言った。
「テメーには、俺達全員に憤懣を晴らしていい資格がある。俺達には、それをされても反論できない理由がある。それでテメーの気が済むなら、甘んじて受け入れてやる」
「その代わりに行けって、走れって……!?」
「そうじゃねぇ。ただ、俺にはもう、どうすりゃ正解だったのかが分からねぇんだよ」
「…………」
「分からねぇんだ、表世界ってのを知らない俺には、テメーのその苦しみが、何も……」
ケンの瞳が揺れていた。いつも真っ直ぐに、自分の意志を曲げずにいた彼の瞳が、とても弱々しく揺らいでいた。
“どうしても決められない時は、僕を殴ってくれていい”
聞き覚えのある声が、鼓膜に蘇った。以前にもこんな風に理不尽を突きつけられていたことがあるような気がした。
今一度、ケンを見た。不器用な彼が隠していた“あの日の真実”に魂が揺さぶられた。