〔九‐5〕 試練
「何故仰らなかったのですか?」
赤毛が目立つ部下の問いに、フリッツは肩をすくめた。
「真実を知らせたほうが、〈ユリオン〉と最も因縁深いあの部隊は一層奮起する。本当にそう思うのかい?」
「自分が総隊長やケン・ユキマチの立場ならそうなるでしょう。何せ、仇なのですから」
「僕は逆だと思ったんだ。動転し、冷静さを欠き、判断を鈍らせる――とね」
赤毛は一考してから、「動機は?」
「ムッフフ。そんなの勘だよ、勘」
食えない彼の物言いに、赤毛は少々気分を害したようだった。
「そんな顔しないでよ~。本当はれっきとした理由もあるんだから」
「なら、お聞かせ願えますか。その、れっきとした理由というのを」
フリッツは胸ポケットから一枚の写真を取り出した。それはアメリカ合衆国南東の海岸で引き上げられた五人の遺体を映していた。それぞれを包むシートから、指の一つ一つにリングを嵌めた男の手がはみ出していた。
「長年に渡り、仲間のフリをしてきた男が、実は親や上司の仇だったと知れば、彼らは脇目も振らずにその男を追いかける。一度頭に血が上った彼らは、もはや誰も止められない。そう、自分自身でさえもだ。セイギ・ユキマチは、そうした狂信という病をこじらせてしまう正真正銘のカリスマなのさ」
「ユキマチはともかく、あの総隊長がご自身の責務を忘れるほどに暴走するでしょうか」
「そう。彼はたとえ鬼に成ろうとも冷静で、肝が据わり、清く、正しく、情に厚く、おおらかで、時には冷徹で、厳しく、それでいて人徳に溢れ、何より強く――器が小さい」
「おおらかだって、仰いませんでした?」
「言ったよ? でも、いつだって英雄の影に気を揉んでいる彼は、人の上に立つ器ではない。ボスが彼を選んだのは、彼が大器になると見込んだからだ。いずれは総督の座を譲るつもりなのかもしれない。皆もキミのように、あの英雄の直属の部下だったシュテンにならと思うだろう。でもその一言が、彼から自信を奪う、最大の殺し文句となっている」
赤毛はどこか納得してしまった。
「僕はそんな彼が嫌いじゃない。ボスやキミ達と同様、彼にならと思わなくもない。ただそうなるには、彼が英雄の影を追いかけるのを止め、むしろ踏み潰す必要がある。仇だとか復讐だとか、そんなものは部下に任せ、誰よりもいっとう高い場所から皆を見守れるような圧倒的なカリスマを手に入れなければならない」
「英雄の影を踏み潰す……」
「僕はセイギ・ユキマチを知らないけれど、彼ならば不倶戴天の仇敵を前にしても動じないだろう。動じず、自分の信念を貫き、皆を正しく導くだろうさ」
これは、彼らにとっての試練だ。そしてそのためには、あの少年が鍵となる。
フリッツは写真を破り捨て、潜水艦のブリッジからこの作戦の行く末を見守った。
「にしてもだ。あの“ご老体”、余程慌てていたのかなぁ。彼ならば僕らの目を掻いくぐって、〈AE超酸〉の一つや二つ、持ち出していそうなものだったのに」