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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第一章【記憶の放浪者 -Memories Wanderer-】
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〔九‐4〕 ニオイ

挿絵(By みてみん)


 アフリカ大陸北東に位置するモロッコ。その首都ラバトの南西、カサブランカとほぼ同じ緯度にある北大西洋の島嶼(とうしょ)群がマデイラ諸島である。そこはポルトガル軍の自治地域であるが、今尚同国からの独立を訴える声が後を断たない小さな島だ。

 本島マデイラ島の南東に、鳥類の保護区に指定されているデゼルタス島がある。そのさらに東に、問題の無人島はある。

 マデイラ諸島をはじめ、北アフリカ北西部――俗に言うマグリブ沿岸や地球観測衛星への情報操作が万全を喫す中、〈第四二回ユリオン殲滅作戦〉の火蓋が切って落とされた。

 しかし誰も気づかない。人々は吹き荒ぶ風に空を仰ぐが、潮騒に耳を澄まして海を臨むが、ネイムレスと称される異世界の住人達の存在に気づく者は、誰一人としていない。

 艦から潜水艇で島の南端に上陸した第一実行部隊は、慎重に慎重を重ねつつも駆け足で密林を突き進んだ。ヘリポートと滑走路がある、この島唯一の陸上侵入経路を目指した。

 誠は走った。小型のシュノーケルを搭載したフェイスマスクを脱ぎ、群生する照葉樹林の木立の間隙を縫いながら走った。深い緑の狭間から、チンダル現象という名の光の雨が降り注いでいるスペクタクルには眩暈を覚えた。

 彼は、一振りの〈エッジレス〉を忍び刀のようにして背に担いでいる。刀剣としてはナマクラ以外の何物でもない、単純に鈍器として生み出されたその武器が齎す重みに、彼は人知れず押し潰されそうになっていた。

 上手く使えるか。実際に振るってみても、〈エッジレス〉に引っ張られて弄ばれてしまう。しかしそんなことが彼を不安にさせているわけではない。雪町セイギの遺品であるこれを、その息子から受け取ったということが、誠の心に重く圧しかかっていたのだ。

 正しく使えるか。《韋駄天》に求められた力と共に、“世界のため”に行使できるか。

 同語反復(トートロジー)と反語の応酬――自問自答の嵐の中、誠の視界に〈STOP〉と警告が表示された。〈MT〉のホログラムに映ったその文字の奥で、ケンとエリが同じように手を後ろに向けていた。彼らの指示に従い、前進を一時中断、苔生した大きな玄武岩に身を隠した。


「進路上にEATR。八本足の蜘蛛みてぇな奴だ」

「こっちは上空にNAV。鳥みたいな形してる」


 何のことやらと誠が首をかしげていると、エリが彼の〈MT〉に情報を提供した。届いたメールを開いて分かったのは、どちらも無人ロボットを指しているということだ。EATRは、運用現場に原生するバイオマスをエネルギー源に、スターリングエンジンで自家発電する自律型ロボット。そしてNAVは、全長七五ミリメートル以下と小型のUAVのことのようだ。

 彼らはそれぞれのセンスでその存在を感知したらしい。


「米国国防高等研究計画局(DARPA)から盗んだのかは知らねぇが随分手を加えてやがる。まぁ、〈ユリオン〉を造ってる奴がいるんだ、純REWBS製でも驚かねぇな」

「どっちも破壊は難しくないだろうけど……」


 ちらと酒顛を一瞥すると、「当然無視だ。ケン、エリ。安全なルートを割り出し、お前達が先陣を切れ」

 その命令に従い、二人はセンスを用いて偵察ロボットがいないルートを検出した。わずか二〇秒ほどで〈MT〉にそれが表示されると、酒顛は〈GO〉のハンドシグナルを出した。

 彼らの手際の良さに辟易しながら、誠は酒顛の背中を追った。

 途中、ルート上に接近するEATRを感知した二人が一斉に殿(しんがり)のウヌバへ指示を出した。彼は駆け足を緩めずに乾いた木の棒を拾うと、それに火を点けて、右から迫る脅威へ投擲(とうてき)した。

 くるくると放物線を描いたその松明にEATRは釘づけになったようだった。まさしく八本足を巧みに動かす蜘蛛のようなそれは、地面に落ちた松明をしきりに警戒して、遂には胴体から二丁のライフルを現し――発砲した。その銃声を聞き、点在していたNAVの群れがEATRのもとへ飛んでいった。

 この幸運を活かし、第一実行部隊は目的地へ急いだ。

 進路上には陸上トラック競技のハードルのようにいくつもの茂みが生い茂っている。先頭の二人がそれを軽々と飛び越えると、酒顛でさえも同じようにする。焦燥に駆られた誠だったが、基地で教わった方法で地面を蹴った。

 それはパルクールと呼ばれるフランス生まれの走行術だ。決して立ち止まらず、常に前進し、あらゆる地形を一連のスムーズな動作で乗り越えるというものだ。

 しかしこれには身体能力や技術もさることながら、何より勇気が試される。

 行けるか。このスピードで。行けるか。この歩幅で。

 一歩二歩と踏み、三歩目で地面を蹴ろうと思った。しかし寸前、全身に電流が迸った。ここじゃない、そう直感した誠は悪寒に従って、四歩目で踏み切った。左足が茂みを越え、続く右足がくの字のまま股関節と平行になった。口は左膝につきそうなくらい近づいて、まるでプロの陸上選手のような美しいフォームを披露した。

 飛び越え、着地して、驚きを隠せぬまま駆け続けていると、〈やるじゃん♪〉とホログラムに表示された。エリからのその賞賛の声に同意して、皆が親指を立てた。

 鳥肌が立って、胸が熱くなった。同時に、酒顛の言葉を思い出した。




『――――それだけ裏世界、ひいては組織の存在は重いということだ』


 ボディアーマーに隠された真相を知り、膝を抱えて縮こまっている誠に、酒顛は言った。


『表と裏は干渉し合ってはいけない。それはヘレティックと呼ばれる我々が、己を知り、特有のコミュニティーを作り出した瞬間から不文律となった。大国が支配し、メディアが情報を管理・記録する表世界に、我々は立ち入ってはいけない。表世界より優れた技術を持つヘレティックが暗躍する裏世界に、ノーマルを介入させるわけにはいけない。住む世界が違う我々には、互いの生存圏を侵略してはならないという義務がある』


 向き合う必要はない。

 背中合わせでいれば、それでいい。反目ではなく不干渉であれば、問題は起きない。

『……解ります』と青褪めた顔を向けていた誠は答えた。

 “もしも”という仮定の話が怖い。

 常識だけが記憶の全てである誠にも、この組織やヘレティックの持つ能力が如何に常識外れであるか、よく考えなくても解ってしまう。酒顛達が裏世界と定義づけされた情報の漏洩を必死になって止めようとする理由も、よく解ってしまう。

 誠はもう一度、『解りますよ。仕方ないんだって、そういうことは』口とは裏腹の苦い顔をして、ボディアーマーを装着し直した――――




 〈Stand-by〉。

 ホログラムに表示されたその端的な指示で我に返った誠は、実行部隊のトップチームの一糸乱れぬ動きに息を呑んだ。

 指示を出した酒顛は、ポーチから信号拳銃を取り出した。空に向かってそれを放つも狼煙は上がらない。音すら発しなかったそれから打ち上がったのは高出力の不可視光だ。

 人には到底見えないその光の帯を、島の東西の海底に待機していた二つの部隊が専用の受信機で捕捉(キャッチ)すると作戦が次の段階(ステップ)に移行する。彼らは事前にセットしていた〈時限式AE超酸爆弾〉を起動させ、海底の岩盤下にある地下通路に大穴を開けた。

 ケンの《超聴覚》がその爆発音を捉えると、酒顛は〈MT〉をエリに預けた。ボディアーマーを脱ぎ捨て、腰に提げていた酒壷を一息に呷った。

 原形を留めぬほど、見るも無残な筋骨隆々の赤鬼へと変貌した酒顛に、誠が一人戦慄を覚えていると、茂みをまた一つ飛び越えたケンが着地と同時に加速した。そして足下を揺るがす奇妙な震動に疑問符を浮かべている歩哨の顔面を殴り、ヘリポートへ飛び出した。

 その様子を目の当たりにした仲間がライフルを撃ち鳴らす。ケンがそれを軽やかに回避し、注意を引きつけていると、男の背後からエリが駆け抜けた。

 慌てた男が銃口を彼女の背中に向けようとすると、彼の視界はパンアップしたようにせり上がり、気づけば天を仰いでいた。両足の膝から先がなくなっていることに絶望した。切断面は真っ黒に焼け焦げ、皮膚は僅かに燃えていた。

 男の絶叫が耳を苛む中、誠は彼から目を背け、彼女の後を追った。

 彼女の赤い刀――〈紅炎双爪(こうえんそうそう)〉は、〈オリハルコン〉を改良した特殊合金で作られている。大気に触れている状態で振るうと、運動エネルギーに応じて刀身が熱を帯びる。それをエリのような達人が扱えば、鉄さえも軽々と溶断できてしまう。その瞬間最高温度は摂氏六〇〇〇度――つまり太陽の表面温度と同等とされ、名前の所以がそこにある。

 刀の形を成した紅炎(プロミネンス)。それを密封作用のある赤い鞘に納めた彼女は、ケンに続いて地下への仄暗いトンネル滑走路へ侵入した。

 鬼はハリアーⅡを見つけると、その二つの座席を覗いた。後部座席には、血のついたハンドガンが放置されていた。

 滑走路の斜面を何かが昇って来た。暗がりの中で冴える《サーマル・センサー》でそれの正体を逸早く見抜いたエリは、「装甲車――ストライカーMGS!!」

 両眼を光らせ、鬼が滑走路に飛び込んだ。大股で駆け下りるその怪物は、一〇五ミリメートル砲L7とM2重機関銃を搭載した最新鋭の装甲車の前に躍り出た。

 思いがけない怪物の登場に慌てたか、ストライカーはL7から砲弾を発射した。それが鬼の顔面に直撃し、黒煙がさらに視界を悪くする中、怪物の足もとをすり抜けてくる銀髪の男を見つけた。急いでM2で蜂の巣にしようと躍起になるも、男は素早い身のこなしで死角に回り込んで見えなくなった。

 その隙に車体によじ登っていたエリが〈紅炎双爪〉でもって、その二つの主兵装を斬り捨て、仕上げに無傷の鬼が狡猾な剣幕で車体を持ち上げ、ひっくり返した。

 ストライカーから悲鳴が劈き、斜面の底で爆発が起きても、誠は唇を噛むばかりだった。

 鬼の巨体が爆風の盾になり、ついに一同は基地への侵入を果たした。

 だが地下は敵の巣窟だった。ポルトガル軍に成りすましたREWBS達が一斉に銃口を向けた。指揮官らしい男が片手を上げ、ここぞとばかりに振り下ろす。

 その瞬間、空気が乾き、凍てついた。ウヌバがドアから漏れ出す海水に手をつけ、空間にある一切の水分を凍結させたのだ。真水と違って凍りにくい潮水をいとも容易くだ。

 滑走路から続くこの通路はメインストリートだとフリッツは言っていた。本作戦に参加する他二つの部隊が、この通路の両脇にある隠し通路を海水で満たすことで、敵の兵力を大幅に削ぎ落としていた。きっとドアの向こうでは幾人もの兵が溺れていることだろう。

 浸水時、急いでドアを閉じたのだろう、通路は水浸しだった。特にREWBS達は大きな水溜りの中にいたので不幸に見舞われたようだ。

 ウヌバは浸水により高まった湿気さえも利用して、彼らを雪像のように凍らせた。

 誠は頭を振った。作戦前、酒顛に諭されたことを思い出した。




 ――――それは〈DEM-3-2〉が海底を滑り、マデイラ諸島へ辿り着くまでのことだった。


『今回も多くの死人が出るだろう』


 酒顛は重い口振りで告げるが、どこか達観しているようにも見えた。

『この前のようなことが起きるんですか?』と問う誠の脳裏には、次々に弾ける柘榴がフラッシュバックしていた。


『いや、今度は我々が手にかける。抵抗する者には容赦せん』

『……皆さんそうやって、殺すだ何だのって息巻いていますけど、話し合いで解決できないんですか?』

『そんなに優しい世界なら、私達はこんなところにいないわ』


 エリの正論に、誠は言い返せなかった。


『マコト君、生殺与奪は強者の特権なの。アナタが人を殺したくないと思うのなら、それはそれで構わないけれど、そのせいで仲間が死んでしまったら元も子もないでしょう?』


 彼は目を泳がせて、『そ、それはそうですが……』と歯切れの悪い返事をした。


『戦場には無数の選択肢がある。だが生きるにせよ、死ぬにせよ、どうあるべきかが求められる。そんな中、我々は“世界のため”に生きようと、己の手を汚す道を選んだ。しかしお前は、どうすると担架を切った?』


 あの時と同じように、膝の上に握り拳を作り、『誰も殺さない。そう誓いました』真剣な眼差しで答えた。


『それでいい。お前はお前の信じた道を行け。そしていつか、俺達を血の海から掬い上げてくれ』


 誠は、右手の小指に熱が帯びるのを感じた――――




 第一実行部隊は先を急いだ。

 物言わぬ氷塊と化した敵兵士達に、二度と目覚めの朝が訪れないことを思えば、息もできないほどに苦しくなるものの、誠は断腸の思いで前を向いた。

 地下の空間はとてつもなく広い。サッカーコートが縦に連綿と続いたようなその大通りは、鬼の全長が倍になっても余りそうなくらいの高さがある。

 脇にはコンテナが整列し、それら一つ一つにカーテンのような物がついているところを見ると、兵達の居住区も兼ねているのだと窺えた。それが道の先までびっしりと続いている様子は、ここに掻き集められた兵力の凄まじさをありありと物語っていた。

 よくもまぁ、有象無象がこんなにも。

 そんなモノローグを抱えていると、コンテナから漂ってくるのか、男の反吐が出るほどの体臭とオイルをブレンドした、何とも名状しがたいニオイがケンの鼻腔をまさぐった。神経を逆撫でするそのニオイの中に、覚えのある感覚が主張していることに気づいた。

 鬼が肩で風を切ってずんずんと進んでいく。

 それを追いかけ走る度、目的地へ迫る度にその感覚は強まって、次第に脳裏で像が結ばれていった。シルエットにくっきりとした目鼻立ちを描き、陰影を与えていくと、モザイクは解かれた。身の毛の弥立つ真実が、ケンの足を重くした。

「ストライカー四両!!」とエリが感知して、鬼が対応する。

 ほぼ同時に四つの砲弾が、秒速一四〇〇メートルを越えるスピードで飛来する。鬼はそれらを蚊トンボのように片手で叩き落とした。彼の手の平はどれだけ厚く、硬いのだろうか。これだけされても掠り傷一つ受けないその鬼には、対物(アンチマテリアル)ライフル――ダネルNTW-20による長距離狙撃などは屁の突っ張りにもならなかった。

 それでも鬼は制裁を加えるべく、彼らのプライベートルームと思しきコンテナを一つ持ち上げると、L7に次弾が装填されるよりも早く、ストライカーへ投擲した。

 ワンバウンドを経て、向かって中央右のそれに見事に命中した。並走する他三両が次弾を発射した。

 弾が地面を粉砕する中、ウヌバは空間を隔絶できるほどの高く厚い氷の壁を生成して、部隊の進攻を中断させた。


「ありがとう、ウヌバ。助かったわ」


 ほっと一息つく彼女に頷くと、「ケン……ナニしタ?」と尋ねた。


「……ニオイだ、奴の……」


「奴?」と問いただすエリと同様に、皆が彼に注目した。

 彼は、並ぶ三両のストライカーの向こう――目標地点を睨み、重い口を開いた。

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