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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第一章【記憶の放浪者 -Memories Wanderer-】
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〔九‐2〕 彼は笑う

挿絵(By みてみん)


「まだ気にしてんだ、“それ”のこと」


 エリ・シーグル・アタミは、早河誠が胴に装着しているボディアーマーを指差した。

「そりゃそうですよ」とやや不機嫌に答える誠は半べそをかいていた。今すぐにでもそれを脱ぎたかったが、それができないことに深い溜め息をついていた。

「何の話だい?」と彼女らのやり取りを遠巻きに眺めていたフリッツが、一人ダンベルトレーニングに励む雪町ケンに問うた。


「んあ? あぁ。マコトの奴、エリから〈AE超酸〉について聞かされたんだよ」

「アレレ、まだ教えてなかったのかい? この前も着ていただろう、戦闘服一式」

「あん時は強引に連れ出したからな。余計なこと言って泣き喚かれても困る。実際、さっきなんてボディアーマー(アレ)外して、部屋の隅で膝抱えてたぜ」

「ムッフフ。結構トラウマだよね、〈AE超酸〉は特に」


 彼ら実行部隊(アタッカー)が着用を義務づけられているボディアーマー。ライフルの銃弾でさえ傷一つつけられないそれは、メギィド博士が発明したこの世で最も硬い合金――〈オリハルコン〉でできている。これは〈エッジレス〉の素材〈アダマンチウム〉と同等の軽さでありながら、そのおよそ一〇倍の硬度を得ており、〈DEM〉との相性の良さから基地や軍事兵器の装甲材としても用いられている。

 また実行部隊の第二の心臓と呼ばれている。着脱時に、アーマーの胸部にあるディスプレイに手を当てて、装着者の指紋と静脈を読み取らせるその厳重さからも窺えるとおり、組織のヘレティックが基地の外で活動するに当たって最も重大なファクターを備えている。それは、痕跡の抹消である。仮に実行部隊の隊員が、諜報部隊(ウォッチャー)作戦処理部隊(リセッター)の目の届かぬ場所で息絶えたとし、それがノーマルの目に触れたとする。その隊員の装備は世界の常識を超えた超科学(オーバーテクノロジー)に見えることだろう。死体は動かない。自らを消し去り、組織の――ひいてはヘレティックの存在を隠すことはできない。

 そこで考案されたのが、ボディアーマーに自爆システムを取りつけるというものだ。その核となるのが、“帝王の水(Aqua emperor)”――通称〈AE超酸〉と呼ばれる液体だ。これはあらゆる物質を瞬く間に消滅させる恐るべき酸化力があり、それを化合する複数の溶液がボディアーマーの中に保存されていて、有事の際に生成する仕組みとなっている。

 その有事の際というのが、装着者の何らかを要因にした死亡や、意志による自決。そして意思に反して着脱認証システムを介さず脱がされた場合の三点である。アーマーにはAEDのような生命維持システムも内蔵されているが、それでも息を吹き返さなかった場合に起動し、半径二メートルを抹消する運びとなっている。

 至近距離の核爆発にも歪むことなく耐え得る〈オリハルコン〉だが、この〈AE超酸〉の前では等しく無力だというから、誠が怯えるのは無理からぬことだった。


「トラウマと言やあ、もう一つあるぜ」


「なになに?」とフリッツは人の不幸を愉しんで目を輝かせる。

 ケンは秘かに軽蔑しつつ、「〈HAL-F(ヘイル‐エフ)〉」


「スカイダイビングの? 確かに、どちらも子供心には傷つくメニューだね」


 うんうんと誠に同情した素振りでいながら、「三つ目は?」と訊いた。

「ねぇよ」と即答する彼に、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)……になったらどうする?」

 ケンは答えなかった。

 予測はしている。しかしその点については、どんなに用心したところで他人には予防しようがない。誠が戦場をどう受け止め、どう乗り越えられるかが鍵だ。それを見守り、支えてやることしかケンにはできない。


「ムッフフ、そんなに睨まないでよケンちゃん。冗談さ、ジョーダン」

「睨んでねぇよ」

「そっか、目つきが悪いのは元からだったね」


 フリッツの軽口を聞き流しながら、ケンは誠の小さな背中を見つめた。

 やれるだけのことはやった。たったの十数時間だが、この前のようにエリに手を引かれなければ走れない状態ではなくなったはずだ。

 従来、ド素人がド頭から実行部隊のトップチームに配属されることはない。下位部隊で小さな任務をこなし、実力があれば栄転を重ねるものだ。故に誠のケースは前代未聞だ。

 そうなったのは、誠とバーグの関係が未だ不透明であるという問題が根っこにあるからだ。メルセデスによって誠の無罪は確定しているが、それでもバーグが組織に彼を拉致させた意図が明らかでない以上、彼を独りにしておくのは得策ではなかった。

 《韋駄天》の恐ろしさを知っているが故の人事である。組織きっての戦闘のプロフェッショナルが集う第一実行部隊を監視につけるほかに策がないのが現状だった。

 肩に黒い手が置かれた。振り返ると巨人が同情するように頷いている。


「テメーも言うようになりやがったな、ウヌバ」

「ケンの、オカげ」


 目を逸らし、頬を掻く彼を見て、ウヌバは辞書を開いた。彼を指差し、「ツんデレ?」


「ちっげぇよ! 意味も違ぇし、全部違ぇっ、殺すぞ木偶の坊!!」


 やんややんやと、それぞれが勝手気ままに騒いでいるのは、修学旅行中の新幹線の中などではない。潜水モードの空潜両用輸送機〈DEM-3-2〉のオペレーションルームである。

 現在、他二隻の〈DEM〉搭載型潜水艦は、マデイラ諸島の一島である小さな無人島を包囲している。地図で見ればクッキーの食べカスのように小さいその島は、ずっと以前から組織が要監視区域の一つに指定していたポイントだった。

 いつしかポルトガル軍が駐留するようになったので、島内の状況確認が躊躇(ためら)われていた。このまま軍は撤退しないだろうと判断した組織は去年、指定から外したばかりだった。

 しかしこの度、厳重なロックをかけられていたUAVの自動飛行プログラムを解析したところ、当該無人島から離陸したことが判明した。

 すぐさま派遣された諜報部隊の調査により、生い茂った密林の中に地下へと続くトンネルを確認した。入り口にはヘリポートらしき空間が空けてあるので、トンネルは滑走路だと結論づけられた。何故ならそのUAVは、推力偏向式の垂直離着陸機だったからだ。

 そして今現在、この島でポルトガル軍が進駐している事実はなかった。


「フリッツ君! フリッツはここか!」


 酒顛ドウジが部屋に戻ってきた。この作戦は他部隊との合同作戦だ。彼は艦のブリッジから量子通信を利用し、それらと打ち合わせをしていたらしい。


「はいはい、慌ててどうしたんですかシュテンさん。アナタらしくない」


 飄々と嘯く彼を、酒顛は強く問い詰めた。


「キミの同僚から聞いた。我々の到着前に島で異変があったらしいな。その詳細を訊けば、それ以上はキミに口止めされていると言う。何が起きた、話してくれ」


 フリッツは変わらず口角を上げ、「話しません」と答えた。

「何故だ?」と鼻息荒く詰め寄るも、彼は一向に相手にしなかった。


「我々にも話せないような重大な事実を手に入れたとでも言うのか! 情報本部からの指示か、それともボスが……!?」

「話せないのではありません。僕個人が話したくないんです」

「島のヘリポートに〈DEM〉を搭載した複座式のハリアーⅡが泊まっているようだな。誰が乗っていた、答えろ」


 鬼の酒顛に相応しい辛辣無残――酸鼻を極めた形相を前にしても尚、フリッツは臆面もなく笑みをたたえた。


「作戦の前後は気が立つ性分だ。キミの独断で封じた情報が原因で支障が出たその時は、組織の査問委員会よりも先に、俺がキミを裁くことになるだろう」

「組織の法に背くと? アナタが? 下手な脅迫はお止しになったほうがイイ。それに、アナタ方がどのような手段を講じても、僕は口を割らない自信があります」

「情報部としてのそれだけの矜持(プライド)があるのなら、掴んだ情報は役立てるべきだ」

「そう、役に立たない情報は流すべきではないのです。ご理解ください、総隊長殿」


 フリッツの頑ななその笑みが、誠の心に一抹の不安を植えつけたのは言うまでもない。

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