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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第一章【記憶の放浪者 -Memories Wanderer-】
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〔九‐1〕 更地のルイーサ

挿絵(By みてみん)


 ……っ、……っ、……っ。

 耳障りな音が、がらんどうの山小屋に響く。強い風が、窓を叩いている。

 部屋の中央に、黒ずくめの男が背を丸めて佇んでいる。その姿はどこを切り取っても異様であるにも拘らず、彼という存在はひどく希薄である。まるで窓から射し込む陽の光で作られた“影そのもの”のようだ。

 そうした後ろ姿を見つけた李螺葵は、彼の血色の悪い口元を目にするや、死神と対峙してしまったような感覚に襲われた。こんな底知れぬ恐怖を味わったのは久しぶりだった。


「ゼツさん、残念ながら無駄足です。どうやらボスが、バーグの居所を掴んだようです」


 ……っ、……っ、……っ。

 壁から落ちた古時計が、息も絶え絶えに秒針を刻む。

 黒ずくめの男――累差絶は、「UAVの一報が決め手になったのかぁぃ?」と少しの間を置いて、縁の広いソフト帽と長い癖毛の隙間から、病んだ眼光を覗かせた。螺葵が踵を合わせ、「は、そのようです」と慇懃に答えると、「臭う、ねぇぃ」


「と、申しますと?」

「先立っての第一実行部隊の任務。アレは情報部が自力で掴んだネタだぁ。バーグはUAVの接近を知らせることで、それさえも把握していると言外に伝えたのさねぇぃ。しかもだぁ、それはつまり〈ユリオン〉に関する情報を得ていながら隠していたということさねぇぃ。それを知ったボスはどう思っただろうねぇぃ?」

「……英雄の死を回想し、同じく《韋駄天》を発現させた、かの少年と結びつく?」


 ひゃはっと絶は乾いた声で嗤った。


「情報屋風情が食った真似をしてくれるねぇぃ。私には解るぞぉ、雪町ジュニアはさぞや愕然としただろうねぇぃ。さしものボスも正気ではいられなかっただろうさぁ、酒顛しか寄る辺がなかったことが全てを物語っているよぉぅ」

「〈オペレーション:エンジェル・ヴォイス〉と言うそうです。しかしその作戦は完遂されたと聞きます。メルセデス秘書官のセンスで、少年がシロだと証明されたとか」

「あの女がそう言うなら確かなんだろうさぁ。だがぁ、だとしらバーグの目的は何だろうねぇぃ。私はそこに興味と殺意を覚えずにはいられなぁぃ」


「確かに解せませんね」と笑みを絶やさない死神に螺葵は同調した。


「事前に手なずけていた少年を組織の本部基地に送り込み、諜報活動を行なわせてから組織を壊滅させる。そういうシナリオのほうがシンプルですからね」

「奴が情報部の見立て通りぃ、組織を腐肉食動物(スカヴェンジャー)扱いしている武器商人(アームズ・ディーラー)だとしたらそんなシナリオは選ばないだろうさねぇぃ。現状を考えればぁ、的を射ている行動をしているだろうさぁ。だがぁ、私にはどうにも腑に落ちないことが一つあるぅ」

「腑に落ちないこと、何です?」

「分からないのかぁぃ。ただのノーマルだったあのガキが覚醒することを何故知っていたのかということさぁ。覚醒因子の発現は誰にも予測できないぃ、それは予兆がない――突然変異だからだぁ。それを奴は予見していたぁ、どういう理屈だろうねぇぃ」


 ……っ、……っ、……っ。

 蛇口から水が滴り落ちる。同じ場所を穿っては弾け、シンクに模様を描き続ける。

 ここでいくら議論しても答えは出ない。ボスがバーグの消息を掴んだと言うならば、自分の手元にその正体不明の情報屋の身柄なり遺体なりが運ばれてくるのを待つほうが有意義だ。

 絶はしばらく虚空を見つめると、「それでぇぃ、首尾はぁ?」


「ニコルより二点。移送はつつがなく完了。そして、起爆はいつでもとのこと」


 螺葵の報告を受けると、絶は惨たらしい笑みを湛えた。


「結局ぅ、日の目を見ることなくオサラバかいぃ。相も変わらずお粗末だねぇぃっ」


 絶は床を鳴らし、一歩踏み出した。すると誰かが咳き込んで、残った足にしがみついた。


「……っ、バケ……モノごぉ……っ!?」


「解っているさねぇぃ」と絶は落ちていた猟銃を拾うと、今の今まで喉を踏みつけていた血みどろの男の口に銃口を差し込んだ。再びうつ伏せになった男に、「コレが欲しかったんだろうぅ、そうなんだろぉぃっ!?」

 男は呻き、もがく。しかし抵抗できるのは右手だけ。それ以外の肢体はすでにない。

 喉仏に冷たい銃口が当たって気持ち悪い。吐き気で気が狂う。死ぬ。このまま撃たれて死ぬ。命乞いのために、大粒の涙を流して訴えた。

 しかしこのバケモノは、長い髪を垂らして顔を近付けると、目と鼻の先でニタリと顔を歪め、銃口をそのまま深く挿し込んだ。引き金は引かず、ただひたすらに挿し込んだ。肉や血管をすり潰し、頚椎を砕き、床板さえも貫いた。


「……っ、……っ……――」

「ハァ~~♪」


 音が止んだ。風も静まり、古時計も壊れ、水滴も呻き声も聴こえなくなった。

 脈打っていた身体が落ち着いて、二度と動かなくなると、赤い泉が彼を浸し始めた。


「血のニオイはイイぃ、頭が冴えるぅ」


 その感覚が分からない螺葵の存在を忘れ、絶は邪悪な思惟(しい)を肥大させた。淀んだ双眸に暗い光を瞬かせて、絶叫した。


「ひゃはぁっ、ボスぅ! 〈エンジェル・ヴォイス〉、イイじゃないかぁぃ! バーグめぇぃ、お前のことだぁ、何をされるかも知っているんだろおぉぃ! ならぁっ、どちらが上手かお手並み拝見といかせてもらおうかぁぃっ!!」


 およそ三分後。ギリシャの山間に佇む(ひな)びた山小屋が、跡形もなくこの世から姿を消した。

 まるで、元から更地であったかのように。

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