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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第一章【記憶の放浪者 -Memories Wanderer-】
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〔八‐2〕 託される想い

 翌朝のこと。

 基地全土に広まった飲めや歌えのどんちゃん騒ぎも力尽き、衛生部が二日酔いの薬を配り歩く中、エリは一人総督室に呼び出されていた。顔色悪く、愛刀を杖のように使った三本足でボスに向かい、「何かゴヨーでしょーか」と不満顔で問う彼女は、同席するメルセデスに尻を叩かれた。


「きゃうっ! 何すんのよ、痛いじゃないっ!」


 そのだらしない態度にメルセデスは深い嘆息を漏らした。


「やはりあの時、シュテンに任せたのは間違いだったようですわね」

「スパルタママンに育てられるより、よーっぽど良かったと思いますぅ~~~」


 言うや、エリはまた叩かれた。二人が取っ組み合いを始めると、仲裁と言うわけでもないだろう、「単刀直入に言う」とボスが口を開いた。


「すでにシュテンには伝えたが、近い内に任務を発令する。それに先立ち、マコト・サガワに刀の使い方を伝授しろ」

「しろって、無知にも程がある。一朝一夕でやれるなら苦労しないって。それに……」

「何だ」


 苦手な鉄仮面に臆することなく、「彼は、人殺しを良しとしていない」

 いつものように頬杖を突き、足を組んでいたボスだったが、「ならば彼をどうする」と珍しくそれらを解き、椅子に腰を深く埋めた。

 彼とこうして会話のキャッチボールを成立させることが初めてだったエリは、その人間らしい動きに目を(みは)りつつ、「ここで掃除でもやらせて、マスコットにしちゃえばいいじゃん。あの子は戦場で役に立ちたいみたいだけど、駆り出す理由が見当たらないわ」

「フッ」と、ボスが――笑った。

 眠気と酔いから一気に醒めた気分だった。


第一実行部隊(チーム〈LUSH〉)への配属は決定事項だ。つまり、彼を生かすも殺すも、お前達次第だ」

「“世界のため”。その言葉がなければ、私は刀を取らなかった。あの時の決意は今も変わらない。だけどあの子は違う。兵士としての覚悟が欠落している。今もリーダーやケンから《韋駄天》の扱い方とか護身術とか教わっているけれど、あの子、そんなに才能ない」


 彼女は先程まで訓練場にいた。ケンに自己管理がなってないと怒られながら、彼の指導の下、場内を走り回る誠を見て、彼女は早々に結論づけていた。ケンから組み手らしいものを教わっているのを見て、確信もしていた。早河誠は、戦いには向いていない。


「ご立派なのはセンスだけ。可愛いから私は好きだけど、今のままじゃ犬死によ」

「これは命令だ」

「承服できないと言ってるの」

「ならば法に則り、厳罰に処すとしよう。処罰の内容は追って通達する、下がれ」


 淡々とボスは述べる。

 その態度に怒り心頭に発したエリは、「あの子を守れるなら構わない」と赤い鞘から真っ赤な刀身を露にした。抜刀の瞬間には凄まじい熱気が空間を焼いていた。


「認められないなら、刺し違えてでも意地を通すわ」

「エリっ、いい加減になさい!!」


 火花を散らせる両者の間に割って入ったメルセデスは、迷うことなくボスを庇っていた。


「あの子を苦しめることに賛成するなら、ア、アナタだって、容赦しない……!!」


 目が泳ぎ、喉が渇く。それは寝不足のせいか。二日酔いのせいか。メルセデスを見る度に、噴き出した“斬る”という覚悟が鈍っていく。不意に思い出すのは、酒顛に手を引かれ、ここに連れて来られたばかりのことだ。

 意外にも人見知りが激しかったエリは、彼にしか懐いていなかった。二十代と若かった彼に子育てなど務まるものかとメルセデスは反対していたのだが、彼女は酒顛から離れようとはしなかった。彼女には日本人の血が半分流れているので、同郷の(よしみ)で引き取りたいと言う酒顛の動機さえも不純に思えて仕方なかったようだ。メルセデスは半ば強引に彼女の教育係を買って出たものの、あまり多くの時間を共に過ごすことはなかった。

 何故なら、彼女が実行部隊に入りたいと言い出したからだ。メルセデスが忙殺されている内に清芽の弟子にまでなっていた。また酒顛のもとに戻ってしまい、大した親子関係も築けぬまま今に至ってしまった。

 エリは、メルセデスの目が嫌いだった。特に、こうして戦闘服に身を包み、刀を握っている時は憐れみの眼差しを向けられるからだ。そういう視線は、南米にいた頃から嫌というほど味わってきた。

 その目のまま、メルセデスが一歩踏み出した。ギョッとしたエリは思わず刀を仰け反らせた。するとメルセデスは、「コレが何か、お馬鹿なアナタでも解りますわよね?」と黒いケースを彼女に差し出した。横長で、バイオリンでも入っていそうなそのケースに疑問符を浮かべていると、メルセデスが中を開いて見せてくれた。

 それを一目見るや、エリは刀を下げて苦笑した。


「……あの、そういうことなら早く言ってくんない? すんごく恥ずかしいんだけど」


 彼女の身を削った道化っぷりに、「フッ」と王様は笑った。彼に仕える侍従は、彼女の目の下にピエロの証たる涙マークを見つけると、何とも言えない気分になった。



挿絵(By みてみん)



 およそ一〇〇メートルの長い通路を走る。

 表世界の公式記録ではジャマイカの男子陸上競技選手が、史上初めて時速三七キロメートルの金字塔を打ち建て、その瞬間最高速度は時速四五キロメートルを越えていたと言う。

 しかし誠は、訓練場に設置された一〇〇メートルの仮設通路を、何と時速八六八キロメートルで走り抜けていた。これは秒間二四一メートルも進んだ計算になる。

 生身の生物がそうした芸当をするわけだから、当然ながら走行中の誠の身体に何の変化もないわけではない。《韋駄天》は発動の瞬間から肉体に変化を齎す。まずは筋肉が柔軟になる。それに伴い内臓や脂肪も弾力と伸縮性が増し、血液も増大する。下肢の筋肉が大きく膨縮を繰り返し、ほとんど無意識の内に足が前進する。

 続けて皮膚と骨が硬くなる。内臓への負担を軽減する最たる鎧となる。動体視力や知覚も向上し、高速走行中にも拘らず、対向する銃弾を回避できるという。極めつけは治癒能力の向上だ。たとえ鎧の皮膚が穿たれ、柔軟な内臓が傷つき、超合金のような骨が砕かれても、覚醒因子が活性化している限りはどんな重傷もたちどころに癒えてしまうのである。

 その事実を伝えられて、途端に大胆になれる誠ではなかったが、何度も通路を往復する内に秒速二四一メートルという高速を叩き出すことに成功した。

 肉体についての説明を受けた彼は、次にバーグという情報屋について伝えられた。組織との関係。齎す情報の正確さ。そして、保護もとい拉致の目的が未だに不明であるという事実。置かれた状況の不透明さに戸惑いを隠せないようだったが、酒顛ですらもそれ以上は解らないのだと察すると、次は〈ユリオン〉について問うた。


『〈ユリオン〉とは、ヘレティック製の人工知能搭載型量子コンピューターの俗称だ』


 《韋駄天》を使い、通路に設置された障害物に接触せずにゴールへ向かえ。

 ケンから言い渡された課題をこなしながら、誠は酒顛の言葉を脳裏に過らせていた。


『完全自律学習型卓犖電算機(ヒューマニスティック・ハイパーコンピューター)とも呼ばれ、完成すれば人の手を介さず、〈ユリオン〉自身が一個の生命体のように活動するとされている。それを“思考する造兵廠(シンキング・アーモリー)”――つまり全自動で延々と新しい兵器を生み出す工場の核にすることこそが、〈ユリオン〉を開発する連中の目的らしい』


 疾走中に、向かいから照射される可視化された赤外線レーザーを回避しろ。

 何度も往復する。ミスをする度に、腕立て・腹筋・背筋・スクワットと、とても表世界の一〇〇年先の技術力を有しているとは思えない古典的な筋力トレーニングを課せられる。音を上げる彼に、ケンは米海兵隊ばりの罵倒を浴びせた。課題も筋トレもお前のためにはなるが、お前の腐った根性だけがためにならない。だから喜んで自分をイジめ抜け――と。

 誠は秘かに、ケンは脳筋バカだと罵った。


『第二次世界大戦が始まる前年、組織が発明したデジタル・コンピューターが〈ユリオン〉の素体となったと言われている。それまでにインターネットの理論も確立させていたが、実際に用いられるようになるには、表世界で人工衛星が打ち上げられ、ワールド・ワイド・ウェブが広がりを見せるのを待たなければならなかった。その間、組織のPCは汎用性ばかりを高め、ローカルエリアという限定された空間での運用を余儀なくされた』


 休憩は五分も取らせてくれない。栄養ドリンクと酸素を補給すると、腰を落ち着ける間もなく次の訓練――護身術へと移行する。


『当時から組織の基地は世界各地に点在していたが、コンピューターを所有しているのは当時の本部を含め、一部の主要基地に限定されていた。何故ならインターネットがないのだ、それを開発する膨大な資料を各地に広めるには人の足が必要で、しかも混沌とした世界情勢の只中だった。それでも組織はこの叡智(えいち)を仲間に伝えようと、複製したPCを各所に運搬した。一台でも多く届け、世界保全の手助けとするために』


 世界のため。

 そのたった一言の重みに耐え切れないように、受け身を取れぬまま地に伏せる。


『開戦の年、事件が起きた。秘密裏に運搬中だったPCが、ある男に奪われてしまった。自らを“天才(ギフテッド)”と名乗ったその男と、組織とのイタチごっこはおよそ半世紀続いた』


 立てと言われるが、誠は立てなかった。立たなかったというのが正しいか。


『いつしか〈ユリオン〉の破壊は組織の至上命令となっていた。類稀なる頭脳を持っているらしいその男――〈ギフテッド〉を取り逃がす度に、〈ユリオン〉の凶暴性が増していくのが判ったからだ。初めから彼の目論見がそうだったのかは不明だが、“思考する造兵廠(シンキング・アーモリー)”という最終目的が明らかとなったのは今から二五年前のことだ』


 世界を背負うこの組織には、それ相応の巨大な敵がいる。工場が自分で考えて、最新鋭の兵器を生産する。それはあまりに非現実的で、組織にいれば酷く現実的だった。

 誠は立たなかった。怖くて逃げたくて、立ちたくなかった。このまま駄々を捏ねていれば、皆が自分に幻滅してくれると思った。


『そして忘れもしない、二三年前の一一月。一人の英雄が、その尊い命と引き換えに、〈ユリオン〉という人工の怪物を破壊した。以来、深い野心を果たせぬまま息絶えた男に因んで、高次頭脳を持ったヘレティックを、そのセンスをひっくるめて、《ギフテッド》と呼ぶようになった。我々は二度とあの悲劇を繰り返さないために、《ギフテッド》を強く警戒し、ヘレティック技術の漏洩阻止に力を尽くしてきた。だが、その努力も虚しく、何処の馬の骨とも分からん不埒者が、あの悪魔を復活させたらしい』


 ケンが手を差し伸べる。その鋭い目には、邪念の全てが見透かされてしまっているようだった。義務と責任。その二つが重なって見えたとき、誠は手を伸ばしていた。どんなに辛くても、どんなにズルをしたくても、無責任だとは思われたくなかった。

 何故だろうと自問してみると、“どうしても決められない時は――”と懸命に何かのために尽くしてきた人の声が脳裏に響いて、何となくだが理解できた。

 自分はその人のように強くなりたかったんだと。誰かを守れる、大人のように。


「何処に行っていた、エリ。ミーティングがあると伝えたはずだろう」


 間の抜けた酒顛のセリフから、ボスの小さな(はかりごと)が窺い知れると、エリは堪らなく嫌気が差した。眠気をすっかり吹き飛ばされたというのに、どうにも目が据わってしまう。誠を引っ張り上げるケンの姿を見れば、尚更だ。

 整列する一同を前に、酒顛は告げた。


「諸君、先程ボスから命令が下った。明日、我々第一実行部隊(チーム〈LUSH〉)は、北大西洋マカロネシアに属する島々――マデイラ諸島に発つ。目的は〈ユリオン〉の存在を確認し、今度こそ跡形もなく破壊することだ」


 メギィド博士率いる兵站部が、中国のREWBS基地に墜落したUAVから回収したブラックボックスを解析した結果、UAVはその島から離陸したことを突き止めた。


「雪辱の刻だ。各員、力を貸してほしい」


 酒顛は頭を下げた。その様子は日本では礼儀が通っているように見えるが、文化に疎いケン達にとってはあまり心地好いものではない。上司ならば毅然としていてほしいと思う。

 しかし誠は、彼の態度にひどく感銘を受けているらしく、覚えたばかりの敬礼で応えた。

 すると今度は酒顛がその姿勢に感動し、目を潤ませながら返礼した。

「マコト君。本当に戦うのね?」といつになく落ち着いた口調で問いかけるエリに、「……はい」と誠は神妙な面持ちで答えた。


「そのわりに人を殺す覚悟はなく、武器すら持とうとしないアナタは矛盾しているわ」


 にべもなく斬り捨てられた誠は目を剥いて立ち尽くした。一同が怪訝な顔をする中、彼女はメルセデスがそうしたように、黒いケースを彼に差し出して、中を開いて見せた。


「でも、そんなアナタだからこそ、コレを持つのに相応しいのかもしれないわね。受け取って、マコト君。ボスからアナタへ、笑えない皮肉のプレゼントよ」


 ケースに納められていたのは、二振りの刃のない刀剣だ。日本刀のように両手で持てる長い柄と、幅広で、長く平らな刀身。切っ先は半円を描いており、全ての刃が垂直に切り落とされている。イングランド発祥のスポーツ、クリケットで用いられるバットのようでもある。良く言えば近未来的で、悪く言えばオモチャのようなそれを一目見るや、「〈エッジレス〉。残っていたのか……!?」と酒顛は驚愕して、それ以上口にできなかった。


作戦処理部隊(リセッター)が回収していたらしいの、廃棄するのは忍びないって。それをボスが後生大事に保管していたみたい」


 それを聞き、酒顛は目頭を押さえた。全てが燃え尽きてしまったと思っていた。実際、残ったのは生まれたばかりの忘れ形見一人だけだった。悲しみに打ちひしがれる中、彼だけは守ろうと誓った。何としても立派に育て、彼が選んだ人生を謳歌させようと。

 それが、絶望から自分を救ってくれたあの人への、最大の恩返しになると思った。


「ちょっと! それはマコト君に――」

「黙れっ!!」


 ケンがケースから〈エッジレス〉を一振り奪い取った。その軽く、それでいて形容しがたい重みに何を想ったのだろう、丸く大きな切っ先を誠の胸に突き立てた。


「マコト。なぁ、マコト。コイツが何だか、テメーに分かるか?」


 ケンの顔色は今まで見たことがないほど焦燥していた。高圧的で、徹頭徹尾苛立ちを抱えているように見えた彼が、剣の重みに耐えかねて今にも崩れそうになっていた。


「コイツはな、〈ユリオン〉を破壊した男が組織に作らせた“矛盾の剣”だ。男の名は、雪町セイギ。俺の親父だ……!!」


 誠は足を引いた。ボディアーマーから切っ先が離れた。エリに見せられた受精卵の卵割過程の映像が想起された。やがて胎児となり、無事母の胎内から取り出された赤ん坊の髪の色は、雪のように白く、金属のように冷たい、銀色をしていた。


「セイギさんは、マコト、お前と同じ《韋駄天》を発現し、組織を支えてきた英雄だった。その瞬足でもって敵を翻弄し、短い時間で幾度となく敵地を制圧していた。その彼が愛用していた武器が、この二振りの刃のない剣――〈エッジレス〉だった」


 誠はようやくもって、フリッツという諜報員が言っていた言葉の真意を理解した。

 自分が《韋駄天》を発現し、刻を同じくしてケンの父が破壊したはずの〈ユリオン〉が復活した。誠は愕然として、瞬き一つできないままケンと瞳を交わらせていた。


「〈エッジレス〉は見てのとおり剣のようだが、実際は鈍器だ。そして幅の広い刀身からも窺えるように身を守る盾にもなる。材質は、当時組織が開発した中で最も硬く、軽い金属――〈アダマンチウム〉。その硬度は《韋駄天》の超音速でも歪まないほどだ。セイギさんがそれを造らせたのは、REWBSから戦意を奪うためだ」

「戦意を、奪う……?」

「目には目を。そのような同害報復ではないのだが、REWBSが私利私欲のために銃を持つのならその腕を、国を滅ぼすために進むのならその足を、〈エッジレス〉で砕いたのだ。それがあの人が戦いの中で見つけた、あの人なりの戦い方だった」

「あの鉄仮面野郎が俺にコレを渡さなかった理由は明白だ。《韋駄天》を使えない俺には〈エッジレス〉の特性を生かすことはできねぇ。それに……」


 言い淀む彼は俯いた。目を閉じて思い出すのは、情報部が保存していたセイギの戦闘記録だ。ある任務を情報部がカメラを回して撮影したもので、途中インタビューが入っていた。セイギという男は、高潔で、崇高で、純粋だった。

 極めつけは、かつてメギィドに乱暴を働こうとしたことだ。決して許せることではなかったが、暴力で解決しようとしたのは軽率に見えたに違いない。

 ボスは、ケンがその遺志を満足に受け継げるほど強くないと見抜いていたようだ。事実、どれほど努力してもREWBSを打ち滅ぼしたいという気持ちは変わらない。偶には説得を試みるが、結局は拳に頼るばかりだ。

 人を殺してきた。何人も、何十人も、もしかすると何百人も殺したかもしれない。

 勿論殺さない戦い方はある。しかし時と場合に邪魔されてしまう。結局、運が良いか悪いかだ。殺さたくなければ殺すほかない荒んだ現実の連続で、ケンは――挫折した。

 そこへ誠が現れた。父と同じセンスに目覚めた彼は貧弱で、目も当てられないほど情けなかった。認めたくなかった。何故自分じゃないんだと、この身に流れる血を疑った。

 今でもそれは変わらない。


“こんな時にジッとしていられるほど無責任じゃありません!!”


 しかしこの形見を託せられる相手がいるなら、それは早河誠以外にはいないのだろうとも思う。未だその手を血で汚していない、青臭い彼になら譲ってもいいと思える。

 食い縛っていた歯を緩め、「使え、マコト」とケンは告げた。突き立てていた切っ先を横に向け、刀身を押し当てた。


「その甘い考えを通してぇなら――異端者の中でも異端であり続けてぇなら、テメーにはコイツしか選べねぇ」


 誠の目は、押しつけられる〈エッジレス〉に釘づけだった。

 運命だとも、宿命だとも思わない。偶然が塗り重なって、今の色になっただけだ。だがその偶然を無駄にしないためには、人が心で感じた衝動に、素直に身を任せなければならないのかもしれない。

 頭を擡げると、ケンの鋭い双眸が何かを伝えているようだった。まるで自分の心臓を預けようとしているようにも見える。背中に熱を感じたので首を回らせた。他の三人が、手を添えていた。断腸の思いで親の形見を手渡すケンの決断に胸を打たれたようだった。

 その数々の想いが身に沁みて、思わずぶるりと震え上がった。

 誠は〈エッジレス〉を受け取った。両手でしっかりと包み込んだ。

 これで良いのか。これでは悪いのか。

 誰も答えてくれそうになかったが、この重さは信頼の証のようで心地よかった。

 それは、二度と思い出せないと思っていた優しい温もりにとてもよく似ていた。

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