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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第一章【記憶の放浪者 -Memories Wanderer-】
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〔七‐2〕 残された道

挿絵(By みてみん)


 第一実行部隊(チーム〈LUSH〉)が中国山間部から無事帰還した翌朝。早河誠は一人椅子に座らされ、尋問を受けていた。場所は、マリアナ基地の一角――部隊に宛がわれたミーティングルームだ。

 そこはまるで中高生の体育会系の部室のようだ。部屋の中心にある円卓の上にも下にも、隊員達の趣味が入り乱れているのである。壷や掛け軸などの骨董品をはじめ、イヌ・ネコ・パンダ等のぬいぐるみ、各種筋トレグッズとプロテイン、デオドラント効果のある消臭スプレーなんかと共に、弾丸やナイフなどが絨毯代わりに床を埋め尽くしている。

 世界を縮図にするとこんな感じなのかなと、大層なことを考えてしまいそうになるほどに多文化、多ジャンルの品々が敷き詰められているので、誠が座る椅子もわずかに傾いてしまっている。

 そんな風に、不安定な姿勢の彼に、「正直に答えてくれ」と酒顛ドウジは問うた。


「ですから、正直にお答えしているんですが……」

「し、信じられないわ、そんなこと。だってアナタは――」

「あぁ、そうだ。信じられねぇ。テメーの口からそんな言葉が出るはずがねぇ」


 黒い巨人――ウヌバも腕を組み、酒顛達の意見に賛同して深く頷いている。


「ボクは組織に参加します。今のボクにできることはそれしかないって気付いたんです」

「「「信じられん」」」


 異口同音で頭を振る一同に、「何でですか! 今まで散々ボクを説得しようとしてきたのはアナタ方じゃないですか!?」と席を立った。


「いや、だって。マコっちゃんはそれを頑なに拒んでいたじゃない」

「どういう心境の変化なのだ、俺にはサッパリ分からん」

「戦うということへの決意ができたわけじゃないんです。あんな風に――」


 基地で見た、あの凄惨な光景が目蓋の裏に焼きついて離れない。血生臭いニオイが鼻腔にこびりついて剥がれない。

 聞けば、あの基地にいた兵士や研究員は全員同じように死んでしまったらしい。腹に入れられていた爆弾を爆発させたように、破裂したらしい。


「あんな風に人が死んでしまうところを見たいわけじゃないんです。でも、ボクがヘレティックで、アナタ方組織がボクら(ヘレティック)と世界の両方を守ろうとして命を削っているのなら、少しはあると思ったんです。アナタ方の決意に答える義務や、責任が」

「……帰りたくはないのか、諦めたのか?」


「そんなわけ、ないじゃないですか」と誠は語気を強めた。膝の上で拳を作って、この“運命の悪戯”だとか“神様の試練”だとかいう理不尽への怒りを必死に押し殺した。


「でも、それでもボクにはもう、残された道がコレしかないんです。ボクがあの病院に帰れば、そこにいる人達が昨日のようになってしまうかもしれない。弱くて、足手まといの今のボクでは誰も守れない、抗うことも止めることすらもできないんです」


 悔しげに唇を噛み、大粒の涙を堪える誠に、「覚悟はできているんだな?」と酒顛は跪いて訊いた。

「人を殺さなくても、戦えますか?」と問い返す少年の細い肩に手をかけ、「マコト、お前のその両足ならできるかもしれない」あの日々に覚えた熱を伝えるように続けた。


「コレはお世辞でも何でもない。かつてお前と同じ足を持っていた人も、戦場で一人の戦死者を出さずに任務を遂行したことがある。だが、それを成し得るためには生半可な覚悟では到底叶えられん。それこそ、人を殺めて世界を守ること以上に険しい道のりだ」


 酒顛が雪町セイギと出逢い組織に参加した頃にはもう、セイギは組織でも指折りの兵士であったが、その彼でさえも悩みがあった。


「お前はワガママを言っているんだ。傲慢で、高慢だ。だが――」


 一兵卒の分際でありながら、戦場の最前線で戦う者として、争いの平和的解決を常に模索していた。だから、酒顛は少年に告げた。


「俺はお前のその、呆れるほどの優しさを支持しよう」


 涙が頬を伝う。彼の頭を大きな手で撫でながら、「泣くな、日本男児だろう!」


「で、でも……」

「でもじゃねぇよ。こっから先は泣き言が通じる世界じゃねぇ」


 ケンの言葉に、誠は天井を仰いで鼻を啜ってから答えた。


「大丈夫です、やれます。皆さん、よろしくお願いします……!」


 未だに涙混じりのその顔には、不安や恐怖と共に、確固たる決意が窺えた。

 第一実行部隊の面々はそれぞれに目をやり、最後には酒顛に判断を委ねた。だが、どのような裁決が下されるかなどは自明だ。「うむっ」という第一声が飛び出たときには皆が微笑んでいた。表情豊かなエリ・シーグル・アタミは勿論、寡黙なウヌバも、ナーバスなケンでさえも、ひっそりと。


「あぁ、ようこそマコト。こちらこそ、よろしく頼む」


 そうして二人が固い握手を交わしていると、ケンが後ろから椅子を蹴った。前のめりになった誠の首根っこを捕まえて、彼は狡猾な笑みをたたえた。


「大口叩いたんだ。目一杯しごいてやるから覚悟しろよ」

「え、エリさん、助けてっ」


 悪魔に捕らえられた迷える子羊は、女神に救いを求めた。

 しかし女神は微笑んで、「えー、別にいいけどー。代わりに私のお願い、聞えてくれるー?」猫耳や犬耳、果てはウサギ耳のカチューシャを取り出した。

 女神の皮を被った小悪魔の登場に絶望し、巨漢にヘルプを叫ぼうにも鬼の面がチラつくし、円卓を挟んだ向こう側で佇む巨人に至っては辞書を読んで見向きもしない。決断を焦ってしまったかと早晩後悔していると、「さて。お前には知っておくべきことがある。昨日まで我々が口を噤み、フリッツ君が漏らした話だ」

 フリッツ。厳格なドイツ人を自称するおしゃべりな男のことを、誠は思い出していた。情報部諜報部隊に所属している諜報員(エージェント)らしいその男は、誠の拉致に関わる情報を勝手に垂れ流していた。


「バーグって人のこと、ですか?」

「そう、概ね彼が言ったとおり、お前の拉致にはバーグという謎めいた情報屋――」

「それ以上は越権行為として処罰の対象ですわよ、実行部隊総隊長ドウジ・シュテン」

「め、メルセデス秘書官殿……!?」


 唐突に闖入(ちんにゅう)してきたその女は、カンとハイヒールを鳴らして踵を合わせた。

 彼女の名を聞いた誠が思わず、「え、車……」と口を滑らせるので、「うっはははは、何の御用ですごっざいまするかっ、秘書官様!」とエリは即座に彼の口を押さえ込んだ。


「エリ・シーグル・アタミ、アナタもいい歳なのですから慎みというものを覚えなさい」

「るっさいなぁ。そんなに目くじらばっかり立ててると、その必死に隠してるシワ、師匠でも手がつけられなくなるわよ」

「なっ、なっ!?」


 それは稀に見る周章ぶりだった。メルセデスは衛生部特製のファンデーションと眼鏡の縁で隠れている――むしろ巧妙に隠している目尻の小皺を指先で懸命に押さえた。

 上官への無礼千万に拳骨で制裁を加えた酒顛は、メルセデスに反論した。


「越権行為とは些か横暴ではないでしょうか。自分はボスから彼のことを一任され――」

「彼に情報を過分に与えないように、という条件付きだったはずですわ。そしてアナタに下した命令は、あくまで彼を保護観察すること。決して奮起させることではありません」


 酒顛は言い返せず、目を伏せた。

 勝ち誇るように顎を上げる彼女に、「つーか、盗み聞きとはアンタにしては随分とコスい真似するじゃねぇか」とケンが言った。彼はゴミの絨毯の中から砂粒のような極小盗聴器を嗅ぎ当てると、彼女の目の前で捻り潰した。

 バチっという大きな音が耳に装着している〈MT〉から発されたので、彼女は耳に触れながら少し眉を顰めた。


「そうさせたのはアナタ達ですわよ。逃走幇助(ほうじょ)に繋がる一切の行為は極刑に値する重罪です。知らないわけではありませんわよね?」


 フリッツのセリフから、昨日の任務直前におけるエレベーターでの誠との約束が彼女に筒抜けだったのは分かっていた。


「ご心労をおかけしまして申し訳ございません。ですがそれは何かの勘違い、杞憂であります。彼――マコト・サガワは組織への参加を強く希望しております」


「杞憂……フフ」とメルセデスの乾いた笑いが一同の背筋を粟立たせた。


「良いでしょう、今回は目を(つむ)ります。私もボスから受けた任務がありますので」


 任務。その冷ややかな口ぶりに酒顛は目を見開いた。彼女が直々に動く、その意味を理解した。止めなくてはと思ったが、彼女はすでに誠の前に歩み出ていた。


「アナタがマコト・サガワですわね?」

「は、はい……」

「私はボスの秘書官を務めております、メルセデスと申します。また、彼ら実行部隊が行なう作戦の立案を手掛ける作戦部作戦参謀長官でもあります。以後、お見知りおきを」


「はぁ」と少年が気のない返事をする横で、「ねぇ、聞きました奥さん? あの方、あんな子供を捕まえて自慢かしら、やぁねぇー」とエリがまた茶々を入れた。ウヌバをお隣の奥さんに見立てて井戸端会議風の寸劇を始める彼女の耳には、メルセデスが先日から紛失してしまっていたお気に入りの眼鏡がかかっていた。

 誠はその眼鏡に見覚えがあった。アレはそう、エリと初めて逢った偽テロ騒動の時に、彼女がかけていた物によく似ている。メルセデスがその眼鏡のブリッジを抓み上げると、「やぁん」と名残惜しそうに追いかけた。それを彼女は額へのデコピン一発で封殺した。


「何が“やぁん”ですか。全く、いつまで経っても手癖が悪い……」

「だってあの時、“衣装諸々は現地調達だ”って言うから」

「居住区は最上階、当時使用したのは一階と二階。コレのどこが現地調達ですか」

「ぜ、全部合わせてマリアナ基地の内部じゃんっ」

「五〇点を四捨五入して一〇〇点と言い張るような真似はお止しなさい!」


 ぶぅと頬を膨らませる年甲斐もない彼女を放って、メルセデスは誠に向き直った。そのスーツの胸ポケットには、奪い返した眼鏡がサングラスのようにかけられていた。


「組織への参加を表明したとのことですが、どうも信じられません」

「え……?」

「いえ、私はアナタという一人のヘレティックについても猜疑的なのです。差し当たって、私のセンスでアナタの全てを隈なく調べさせて頂きます」

「秘書官殿……!」

「シュテン、彼を押さえなさい。可能な限り、強く」

「ですが――」

「この場における私の命令は、ボスのそれと同等です。従いなさい」

「アナタの身体だって」

「そうです。命を懸けていると言っているのです」


 彼女と視線を交わらせていた酒顛は、嘆息の後に誠を背後から拘束した。右腕でスリーパーホールドを極め、左腕で両足をガッチリと締め上げた。

 まるで漁師に抱えられた大魚のような恰好になった誠は息苦しさに喘いだ。


「各員、〈オペレーション:エンジェル・ヴォイス〉のファイナル・シーケンスだ」


 ケンはすでに腰を落とし、迷いのない眼光を誠に突きつけていた。

 ウヌバはそれに(なら)い、右腕に炎を、左腕に氷の茨をまとわせた。


「エ、エリさん……。これ、何ですか? 何をするつもりなんですか……!?」


 助けを乞う彼の瞳をジッと見据えた彼女は、二振りの愛刀を腰に差すことなく、丸腰で誠に歩み寄った。そして彼の手を握って微笑んだ。


「みんな興奮しすぎ。私は信じるよ、マコっちゃんのこと」


 身動(みじろ)ぎできない手の平に、彼女の温もりが伝わってくる。

 そんな彼女とは真逆の、冷えきったメルセデスの細い指が誠の頬を撫でた。その指は僅かに震えており、表情は並々ならぬ気迫で満ち満ちていた。それはまるで本当に、死をも覚悟しているようだった。


「身の潔白を証明するには、全ての記憶を曝け出すほかに術がないのです」


 彼女は生唾を飲んでからそう言った。そして親指の腹を噛み切ると、血の滴るそれを問答無用で誠の口に突っ込んだ。

「ドSきた! ドSきた!!」と恐怖と興奮を()い交ぜにした妙なテンションでエリが(はや)し立てる中、「舐めるっ!!」とメルセデスは誠に一喝した。


「ふぐうぅぅぅっ!?」


 アラフォー女が、思春期真っ只中の少年に自分の血を舐めさせるという絵面(えづら)。おそらくは日本のホラー映画でもお目にかかることのできない、R指定確実のワンシーンだ。

 その傍らで、「※良い子も悪い子も、浅い知識と軽い気持ちでは絶対に真似しないでね」と珍しくまともに衛生面を危惧したらしいエリが冷や汗混じりに誰かに伝えた。

 そんなのいいから助けてくださいよっ!

 誠の心の叫びに反して、彼らは同情の目をくれるだけで何もしてくれないので、軽く失望を覚えた。

 メルセデスは額に脂汗をかいていた。思うようにいかないのか、「もっと吸うのっ、そ、アンッ」錆びついた吐息に、「キモッ!!」とエリは青褪めた。

 瞬間、彼女の脳内を異質の光が駆け巡った。目蓋の裏にシナプスの電気信号らしききらめきが瞬いて、光の帯に全身を切り刻まれるような感覚に襲われた。

「――先――を! キヨ――呼――!!」と誰かの声が耳朶に触れる。

 メルセデスは薄れゆく意識の中で、早河誠から迸る記憶の波に攫われていた。

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