〔六‐3〕 Punica granatum
「所属不明のUAVが爆撃!? さっきの震動がそうか!」
『すでに一部の区画は壊滅している。しかも目標ポイントにはヘルファイアを撃ち込まれた。〈ユリオン〉は破壊すべきだが、これは好ましくない。急げ、〈LUSH-2〉』
第一実行部隊の目的は、〈ユリオン〉を開発している事実を確認し、開発責任者とその研究グループを拘束することでもある。
しかしケンにはそれよりも気がかりなことがあった。
「〈LUSH-1〉は無事なんだろうな!」
『言わずもがなだよ』と告げるフリッツからの通信を切ったケンは、待ち伏せ(アンブッシュ)の存在を嗅ぎ取ると、「〈LUSH-4〉!」と叫んだ。
すると通路の二つ目の角から複数の敵兵士が飛び出してきたので、ケンに代わって先頭に踊り出たウヌバが対処した。彼は両腕に灼熱の炎をまとうと、兵達が一斉に放った銃弾の悉くを瞬く間に灰燼に帰した。
後退る雑兵の群れからロシア系の顔立ちをした、上半身裸の男が現れた。ウヌバよりも背は低いが、その体つきは彼に引けを取らない。男の首にはネックレスのようにドラゴンのタトゥーが入れられている。
ドラゴン男が両手を広げて立ちはだかると、「退け!!」と兵の一人が叫んだ。
英語によるその絶叫は誠にも分かった。〈MT〉による即時翻訳機能が、ほぼリアルタイムで英語を日本語へと違和感なく訳しているからだ。
誠がそんな小さなことに感嘆していると、ドラゴン男から離れきれなかった兵士が倒れて動かなくなった。たちまち顔色が青黒くなり、生気を失っていった。
何が起きた。思わぬ事態に動揺する誠の目の前で、ウヌバが少しよろめいた。彼は頭を振り、額に脂汗をかいていた。そして同時に〈MT〉のホログラムで、大気中の酸素濃度が急速に低下していることを伝えられた。
「任せるぞ」とケンは言う。ウヌバは答えないが、振り返らないのは肯定のサインだった。
ドラゴン男はニィッと口角を上げた。また両手を広げ、口を開く。そうするとウヌバの炎が消え、彼を再びよろめかせた。
周囲の酸素を食い尽くしているんだ。酸素あってこその炎を操るウヌバにとっては相性の悪い敵だと、誠がようやく核心に辿り着いた頃、「〈LUSH-3〉、行くぞ」とケンは冷酷に告げた。
「加勢しないんですか!?」
「時間がねぇ」
「だからってウヌバさんを一人にして――」
「今のテメーに何かを主張する権利があったか?」
「そ、そんなことに拘ってる時じゃないでしょう!?」
「行ケ!!」
誠の背中を押すようにウヌバが叫んだ。彼は炎のない腕でドラゴン男に殴りかかった。頭にフルフェイスマスクを被ったのは、マスクに内蔵された超小型の酸素吸入器を利用するためだろう。
しかしドラゴン男は優勢を維持しているようだった。格闘能力が高いようで、素早く繰り出されるパンチやキックに悪戦苦闘していた。
どうにかしなければと思いながらも一歩を踏み出せない誠の代わりに、エリが刀の柄に手をかけながら歩き出した。そして流れるような動きで踏み込んで、目にも止まらぬ速さで抜刀した。瞬間、大気に触れた刀が炎を上げ、彼女の周囲に切っ先の軌道を記した。
しかし斬ったのは人ではない。左に連綿と続くコンクリート壁だった。瞬く間に八つ裂きにされた壁はボロボロと崩れ、資料庫への大きな入り口を作った。
圧倒された誠はエリに手を取られ、その部屋へと連れて行かれた。最中、誠は奇妙な光景を目にした。一方的に殴られるウヌバの左腕が青白く輝いていたのだ。
「ウヌバなら大丈夫。とんでもなく強いんだから」
彼女はそう言うや、再び壁を切り裂いた。壁の向こうには瓦礫の海が広がっていた。天井は崩落し、切れた電線が火花を上げていた。フリッツが言っていた壊滅した区画とやららしかった。
倒れた鉄柱の竹藪を、ケンはまるで忍者のように軽やかな身のこなしで淀みなく駆け続けた。その後ろ姿に、誠の両足が妙な熱を覚え始めたその時だった。ふと視線を落とすと、兵士が崩れた天井の下敷きになっていた。
「エリさん! 人が生き埋めになっています、助けないと!」
「それよりも先にやることがあるでしょ!」
お人好しにも程がある。
エリだけでなく、ケンも呆れ果てていた。嘆息を漏らし、再び目的地へ爪先を向けるや、辛うじて残る天井が真っ白に変色した。
「避けろ!!」
エリは咄嗟に誠の襟首を引っ張り、後ろへ跳ねた。白の天井は黒煙を上げると、一気に焼け落ちた。
間一髪で落盤を免れた誠の足下に、目の覚めるような赤色が流れてきた。悲嘆に暮れ、頽れる彼を嘲るように、「にゃあー、惜しい惜しい」という野太く滑舌の悪い声が響いた。
傾いた太陽の下、まるで巨大な塹壕のように開放的になった通路で、ケンは小太りの男と対峙した。
「イカしたヘアシュタイルしてんじゃにぇえか、盗人のお兄ぃチャン」
「イカれたセンス持ってんじゃねぇか。今のは唾か、きったねぇな」
男は笑うと、「唾じゃにぇー、胃酸だゃ」と爬虫類のように長い舌を見せて、ドロリとした白濁色の粘液を滴らせた。落ちた液がたちまち床を熔かし、黒い煙を上げた。
「こんな山奥までオメーらアレだりょぉ、シェイ義の味方気取って暴れ回っちぇる裏の警シャチュ機関じゃりょ? にゃ前、なんちゅったか……」
舌を出しながら喋る男に、エリは寒気を覚えた。
「ニェームレシュ! そうだゃ、ニェームレシュだゃ!」
男はケタケタと笑ったかと思えば、「オメーら、過激しゅぎるじぇ! 聞いてたのとぢゅいぶんチガウじゃにぇーか!」と手に持っていた無線機を捨て、唐突に怒りを示した。
「爆撃のことを言ってるんなら見当違いだぜ。テメーら、仲間に見限られたんだよ」
その挑発を真に受けた男は、「ムカちゅく奴だじぇっ!!」と胃酸を吐き出した。
放物線を描くそれを鮮やかに躱したケンは忠告した。
「〈ユリオン〉があるらしいな。あんなモンに関わってもロクなことにはならねぇぞ」
「投降しろっちぇか、怖いにぇ~。じゃが、金にならにぇーことはしにぇー主義だ」
「金が欲しいのか」
「金はイイじぇ。アレさえありゃぁ何じゃって思いのままだゃ」
断じる男を一笑に付した。
「オメェー、何が可笑しいんだ、ごりゅあ!?」
「どいつもこいつもREWBSってのはマジでクソミソばっかだなぁ、オイ」
直後の、男の動きは速かった。手足の短い寸胴には似つかわしくない瞬発力でケンに肉薄し、至近距離から最新式マシンピストル――SIG MPX-Pを連射した。
「キレんなよ。言われて当然のことしてきたんだろうが」
ケンは銃を掴み上げるとそれを握り潰した。その常識破りな握力に慌てた男が胃酸を吐き出すも、胃から逆流するおぞましい音を聞き取った彼は即座に離脱した。
「センスに恵まれたんだ、“世界のため”に何かしようとは思わなかったのか」
「説チョクか、薫チョウか、教化か? しょんなシェン脳にかかるほど馬鹿じゃねぇぞ」
「……同じヘレティック同士、争ってどうなるんだ」
「いちゅもいちゅも火種を持ち込んでくるのはオメーらじゃろう?」
男は眉を顰めると、鉈のような片手剣を抜き、切っ先を向けた。
「シュクなくとも俺に争う意志はにぇ。なじぇにゃら一にも二にも兵器売買によって発シェイしゅる莫大な金が目的じゃから。じゃが、オメーらがしょれを邪魔するっちぇなら、争わじゃるを得んじゃろう?」
「兵器売買……。一つ訊く。バーグって野郎を知っているか」
「バーグぅ? 知らにぇーにゃあ。俺はグズグズのミンチをちゅくるのはちょく意じゃが、ハンバーグにしゅるほどイカれちゃあいにぇー」
《超聴覚》で捉えた男の心音、脈からは、人が嘘をつく際に発する特有のリズムが聞こえなかった。
バーグを知らない。それは事実のようだ。ただ、バーグが偽名を使って連中に接触している可能性までは消えない。しかしバーグの容姿が分からない以上、それを証明することもできない。
有益な情報を得られなかったケンは口中で舌打ちしつつ、話頭を転じた。
「REWBSである以上、テメーに未来はねぇ。しかしそんなに金が欲しいなら組織に来い。腐れ金じゃなく、真っ当に世界に貢献して金を稼げ」
思いがけないそのセリフに、男のみならず、泣き伏せていた誠も呆気に取られた。あの横柄で乱暴なばかりの男が、敵兵士に情けをかけている。理解できず、エリに問いかけようとすると微笑が返った。
「……オメー、意味不明だじぇ。しょれに大体しょもしょも元々――」
男は走り、「しょの同胞を何人も殺しちょいちぇよく言うじぇっ!!」と素早い動きで回避行動を続けるケンを追撃した。一足一刀の間合いが詰まると、互いの力比べが始まった。
ケンが右の拳を放つと、男は左手で彼の腕の外側からいなしつつ、右手で手首を掴んだ。男はそれを下に引っ張って離さないまま、左手に持った短剣で右首筋を掻っ切ろうとした。
左手でそれを受け止めたケンは、「エスクリマ……フィリピンの海兵隊出身か?」
「心得があるのかにゃ?」
「その剣、ボーロっつうんだろ。亀みてぇなリーチをよくカバーできてんじゃねぇか」
「しょの余裕もムカちゅくじぇっ!!」
エスクリマ、またの名をアーニス、あるいはカリ。
フィリピン生まれのその格闘術は、独特の激しい打ち合いから素早く関節技や投げ技に移行する。武器は片手剣ボーロだけでなく、ナイフやオリシと呼ばれるラタン製の短棒など様々あるが、その動きはほとんど共通しており、全て徒手空拳からの延長で行なわれる。武器に依存せずに、あくまで腕の延長として扱うのは、エスクリマの真髄の一つに武装解除があるからだ。
男は流れるような腕の動きでケンのパンチをいなすとボーロを振り抜いた。再度首を狙うためのそれを、今度は屈んで避けられたが、男は直ちに胃酸を彼に吐き捨てた。
舌打ちしてそれを回避するケンの視界から、「ゲロゲロゲロゲロきったないなぁっ!」という聞き慣れた黄色い野次が飛んだ。
男は、ケンが距離を取ったのをいいことにエリを睨んだ。すると彼女から少し離れたところにひ弱な子供がいるのが見えた。刀を持つ女と、丸腰の少年。数で分が悪い今、少しでも脅威を減らしたいならば――。
まるでバケツ一杯分の白いスライムが誠に向かって飛来する。誠は突然のことで身体を動かせずにいた。
それを見かねたように、エリが視界を遮った。彼女は腰を落とし、腕を身体の前で交差させて抜刀の姿勢に入る。彼女の横顔からは気負いが全く感じ取れない。きっと胃酸を切り払えると確信しているのだ。確かにコンクリートさえも悠々と溶断してしまうその刀であれば、あの強力な溶解能力のある胃酸でさえもどうにかできるかもしれない。
だけどと、誠は想像した。焼け爛れた天井と床、足下に流れる血、それらがエリから噴き出す光景が、彼女の勇ましい後ろ姿から滲み出てしまっている。
このままではエリが死ぬ。赤の他人の自分を、ヘレティックだからというそれだけの理由で家族に迎えてくれていた心優しい女性が、情けない男のためにその命を溶かしてしまう。
――やらせない。
誠の気迫を感じ取ったか、ケンがぞくりと背筋を粟立てた瞬間、彼の視界から二人の姿が消えていた。吹き荒れる突風に煽られ、白い塊が壁に張りついていた。
「オメー、女! 瞬間移動のシェンスか!? 反ショクだじぇっ!!」
男は振り返って驚嘆した。
怒号にハッとした頃には、エリは男の真後ろを奪うように地べたに座り込んでいた。唖然とする彼女の耳に、激しい息遣いが聞こえた。見ると、誠が肩で息を切らしていた。
「今、使ったの……?」と問いかける彼女に、「ボクは戦えませんけど、こんな時にジッとしていられるほど“無責任”じゃありません!!」
誠は《韋駄天》を使った。エリを窮地から救うために、身を挺して守ろうとしてくれた彼女の優しさと責任感に応えるために、無我夢中で力を行使した。
「ヘ……ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
ケンは大笑いした。歩き出し、髪を掻き上げ、肩を回し、首を鳴らし、拳を固く握った。
「あー、ったく。ナマ言いやがって。テメーら少し待ってろ。すぐ終わらせてやっから」
「ナ、ナめるにゃあああっ!!」
男が怒りに震え、ボーロを振るう。大胆なフォロースルーで先端に力を加えて彼を襲う。
デタラメに見える軌道だが、迂闊に近寄ればワニのように噛みつかれ、あっという間にお陀仏だろうということはケンには解っていた。
だが彼はあえて手を出した。案の定掴まれ、捻られる。ボーロが来るか、その予感は外れ、胃酸の発射シーケンスに突入していた。
「どう、マコト君。少しは私達のこと、理解してくれたかな?」
ケンは男の顎に手を押し込むと、ローキックとエルボーを立て続けに食らわせた。
「し、シシュテマ……!?」
「違ぇ、俺の――オリジナルだ」
ロシアのシステマ。イギリスのCQC。日本の空手、柔道、合気道。一〇〇を優に超える中国武術の数々。ムエタイや截拳道、サンボ、バーリトゥードにカポエィラ……。
柔と剛の型を巧みに使い分ける彼の技は、それら異なる格闘技の要素をふんだんに盛り込みながらも、全く新しい一つのスタイルとして確立されていた。
「私達は故郷を持たない。一つの国家として主張しない。戦うのは領土や資源のためでもなければ、神や宗教のためでもない。ヘレティックとして、ヘレティックの犯罪を取り締まることが至上目的。全ては、“世界のため”」
目にも止まらぬ足刀蹴りが男の背中を穿った。通路の奥の扉に鼻先からぶつかった男はそのままぐったりとして動かなくなった。
伸びをしてから扉に向かうケンに続き、誠達も歩き出した。
「生きてるわね」と置物のように転がる男に向かってエリが言った。《サーマル・センサー》を使えば、男が脳震盪を起こして気絶しているということは一目瞭然だった。
爆撃でひしゃげたらしい扉をエリが斬り裂いて侵入する。そこは目的地――研究区画の中枢だった。
「よぉ、無事だったか」とケンが言った。誠が頭を擡げると、広い空間に白衣を着た人々が両手を挙げて立ち竦んでいた。「首尾はどうだ?」と問いかけるケンの視線の先を追うと、腰を抜かした。
フロアの天井に開いた大きな穴。そこから射し込む陽の光に照らされて、二足歩行の巨大な生物が立っていた。鬼と思しきそれを、「オーニさーん、こーちらー♪ てーのなーるほぉーへー♪」とエリは手拍子で呼び寄せた。
こめかみから生える二本の角で天井を傷つけながら、一同の下へ一歩一歩近付いてくる鬼だったが、歩を刻む度に背が低くなっていった。褐色の肌も黄色人種の平均的な色合いになり、角や牙は見る間に引っ込んで、筋骨隆々の体躯は逆三角形を維持したまま縮小し、赤い髪や髭はごっそり抜け落ちた。
そうして瞳が理性を取り戻してから、「エリ、勘弁してくれ」と第一声を発した。
「しゅ、酒顛さん……!?」
誠の目の前に現れたのは第一実行部隊のリーダー、〈LUSU-1〉のコールサインを持つ丸坊主の巨漢――酒顛ドウジだった。
「驚かせてすまんな、マコト君。俺はアルコールを摂取すると鬼に変化できるんだ」
唖然とする誠の頭を撫でてやった酒顛は、微笑を一転させた。
「さぁ、答えてもらおうか。ここでは〈ユリオン〉を製造しているはずだが、現物らしい物が見当たらん。何処に隠してある」
問いただすも、研究員達は怯えてばかりで答えようとはしなかった。
「関与は間違いないらしいな」とケンがテーブルに広がっていた資料を酒顛に手渡した。そこにははっきりと、〈YURION〉の名が記されていた。
ぬぅと唸った酒顛は、「責任者は誰だ、今すぐ説明しろ!」と声を荒げた。
それでも彼らは答えなかったが、ウヌバが氷漬けのドラゴン男を担いでやってくると、目の下に大きなクマを作った男がゆらりと現れた。
ようやく観念したかと皆が任務の終わりに期待していると、「いませんよ」と研究員は言った。
「では、どこにいるんだ。責任者の名は!」
威圧するも、男は肩を震わせて口角を上げ、「アナタ方はマヌケなんですよ、ハハハハハハハあ、あぁあっ!?」
それは、熟した柘榴のようだった。
一同を指差し、嘲笑していたその男は、突然弾けた。それと共鳴するように、白衣が次々と風船のように膨れ上がっては弾けていく。胃酸男も、ドラゴン男も、全ての関係者が悉く。
「やられた……」と酒顛の声が誠の耳を打つ。
誠はココに来て、本物の人の死を初めて目の当たりにした。それなのに、ふと思い出す。病院で息を引き取った老婆の、厳かな最期を。
そうだ、コレは人の死に方じゃない。記憶の波に襲われて、そう確信した。
誠は吐き出した。
この不快な気持ちを、腹の底を突き上げる気持ち悪さの、一切を。