〔六‐1〕 怪人バーグ
欧州の片田舎。電灯のない、狭いアパートの一室。床にはいくつもの空のペットボトルが散乱している。どれもが同じメーカーの同じミネラルウォーターだ。部屋の隅に詰まれたダンボールを見るところによると、部屋の主がケースごと大量に仕入れた物のようだ。
窓辺には大きな机があり、カセットデッキをはじめ、いくつもの機械が設置されている。座り心地の悪そうな木製の椅子に腰かける部屋の主は、それを見つめたまま、ヘッドセットから聴こえる通話相手の声に耳を澄ませた。
『〈DEM搭載型無人爆撃機(UAV)〉による、無誘導爆弾を使った戦略爆撃。こんな物がREWBSに流通しているとなると、世界はより危険に晒されますな』
カセットテープが回る。耳に届くか届かないかほど静かにオペラが流れる。その壮大で、悲劇的なメロディーに身を任せる部屋の主は、「いかにも」と同意した。その声音はヘッドセットと有線で繋がった機械で変えられている。
「間に合ってよかった。第一実行部隊は組織の要だ、その彼らを救えたのは私としても鼻が高い」
『アナタは面白いな、バーグ。アナタと話す度、私は自らの無知を思い知らされる』
「私はしがない情報屋。ただ右から左へ最新の情報を流すだけ。今回は情報が漏れた幸運に感謝しましょう」
『ご謙遜を。情報を得たご自身の功績だ、誇ればいい』
バーグは短く笑った。だがその表情に感情はなかった。
「しかし困ります、ボス。今後は私が教えていない情報で作戦を行なうのはご遠慮願いたい。二度も続かないものですよ、幸運は」
『調子に乗るな、情報屋風情が!』
キンと響く声を上げたのは女だ。名も無き組織に在籍する淑女だ。
「これはこれは秘書官殿。作戦参謀長官でもあるアナタには酷な話でありましょうが、どうかお心静かにお聴きいただきたい」
あくまで慇懃に彼は告げる。
「厳然たる事実のみを語りましょう。私は組織よりも多くの情報を持っている。その私が本作戦に関わる情報を流さなかったのは、組織にとって有益になりえないと判断し――」
『組織は貴様の駒ではない!』
「さもありなん。しかしながら事実は事実。この半年、数々のREWBSを駆逐できたのは私の情報があればこそ。裏取りを怠らなかったご聡明なボスの冷静な判断力には感服至極ではありますが、少しは信用していただきたかったというのが私の本音です」
バーグはペットボトルの水を口に含む。乾いた唇が湿ると、「早河誠」とこぼした。
「存分にこき使ってやるといい。以前にも申し上げたが、組織のお役に立つこと間違いない。いかなる艱難辛苦も彼は乗り越えていくことでしょう。全ては刻の流れの赴くまま、そして来る“終末の日”に――いや、皆まで言うまい……」
『“終末の日”? 何です、それは――』
「いずれお話ししましょう。では、これにて」
機器にあるボタンを一つ押して、通信を切断する。ほとんど同時にオペラがフィナーレを迎え、伸びきったテープが巻き取りを開始する。
バーグは何事もなかったように目を閉じて、刻が訪れるのを待った。