〔五‐5〕 実戦
その基地はまるで月面クレーターに造った未来の建造物のようだ。約一五〇平方キロメートルにも渡るカルデラにぴったりと張りついている。
そんな巨大な施設が、組織や領土権を保有する中国の地球観測衛星に発見されないのは、やはり〈ユリオン〉と呼ばれるハイパーコンピューターによってハッキングされ、一切の情報を改竄された結果なのかもしれない。
そうやって補わなければ、サーマル・ビジョンを通して近付けば近付くほどに〈擬似DEM〉の不完全さが明るみになるというのに、基地の外には歩哨の一人も立っていなかった。
それは自信か。慢心か。はたまた何らかの罠か。第一実行部隊は、シンプルと思えた任務の難易度の高さに一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
『こちら〈LUSH-1〉。各員、配置についたな』
山間の草むらの中に、地下への階段があった。それを目前にしていると、〈MT〉から“飲んだくれ一号”というおかしなコールサインの酒顛の声が聴こえた。
『作戦所用限界時間は四〇分――一五五〇(ヒトゴゴマル)をもって終了とする。例によってそれ以上の作戦続行はご法度だ。速やかに撤退行動に移れ。状況開始だ』
了解(Roger)と短く答える隊員らに囲まれる誠は生唾を飲み、「酒顛さんは別行動なんですか」
「そうよん。リーダーが陽動してくれるから、その隙に私達が本丸に攻め入るの」
「ようどう?」
「囮よ、オ・ト・リ♪」
「たった一人でですか……!? そんなの危険どころじゃない、無謀ですよ!」
「そりゃあノーマルでそんなことできるのはラン○ーとか○ョン・マク○ーンとかジ○ック・○ウアーくらいだろうけどさ、私達はヘレティックなのよ。しかも場数を踏んだヘレティックのエリート兵士。アナタに心配されるほどヤワじゃないわ」
自分で言うのも気恥ずかしいけれどね。
エリはそう言ってウィンクした。
「だから安心して着いてきて」
「今から敵地に乗り込むのに、安心なんて……」
「死にたくなけりゃあ指示に従え」
何を言っても気弱な少年にケンは語気を強める。
〈MT〉のホログラム上にカウントダウンが表示されている。
誠は、気持ちに反して笑ってばかりいる膝を窘められずにいた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……ジュヒヒヒヒヒ」
だらしない腹回り。大きな尻を椅子に乗せ、短い足をテーブルに投げ出している。いくつもの一〇〇米ドル札の束を数えていた小太りの男は、突然の震動と共に鳴り響いたサイレンに仰天し、頭から真っ逆さまに転がり落ちた。
紙幣が花弁のように舞い散る中、「にゃ、にゃにごとじゃ!?」文字にするとこうネコっぽく、随分可愛らしいが、実際は濁声もいいところだ。舌が余っていて、滑舌が非常に悪くみっともない。
「指揮官殿、侵入者のようです!」
男の部下が、彼のプライベートルームに入るなりそう報告する。「映像出します!」と続けると、部屋の端に備えられたモニターを点ける。
「コイチュ、ヘレティックか……? ビッグフットの間違いじゃにゃいのか」
男は唖然とした。基地の広大な屋上で、複数のセントリーガンを相手に暴れ回っている“それ”を、とても同類とは思えなかったのだ。
赤く長い髪と髭を靡かせる“それ”は、高射砲の銃身を腕ずくで引っこ抜くと、遠方の監視カメラに向かって投擲した。
モニターがスノーノイズを映し、しばらく呆気に取られていた男は、「かじゅは! コイツじゃけか!?」と思い出したように部下に問いただした。
「数は不明。しかし今し方、ほぼ全ての逃走用ルートが爆破されたとの報告が!」
「にゃっ、にゃっ、にゃにをしてるんじゃキシャマりゃは!?」
「き、基地の放棄を取り急ぎ行なえとのことでしたので、歩哨を含め全員を――!?」
「こんにょっ、無能がぁっ!!」
叫ぶや、男は大きく胸を反らし、腹を引っ込ませて、何かを食道から逆流させると、部下に向かって吐き出した。その粘度の高い白濁色の吐瀉物を頭から浴びた男は、悲鳴を充分に上げる間もなく、下半身を残して熔けてしまった。
「“盗人と豆の木(Jack and the Beanstalk)”を知りゃんにょか! 守り人の油断でしゅべてを失うちょいう教訓じゃ!」
炎を上げ、しばらくのた打ち回っていた下半身が動かなくなってから、男はスノーノイズを映したままのモニターを睨みつけた。
「篭城しぇんか、のじょむ所じゃ。メンドリも袋もハープも何一つ渡しゃんっ……!!」
誠は走った。エリに手を引かれながら、先を行くケンとウヌバの背中を追いかけた。
先陣を切るケンは、何の警戒も迷いもなく、狭い階段を一息に下りると左手を選んだ。
そうした大胆かつ命知らずの行動をとれるのは、ひとえに〈MT〉のお蔭だ。フリッツが第一実行部隊の〈MT〉に送った情報の中には、基地の詳細な図面も用意されている。ホログラム上のマップが現在地を表示し、目的地への最短ルートを教えてくれる。
そしてもう一つは、彼のセンス――《超聴覚》と《超嗅覚》による空間把握の賜物だ。敵がどんなに息を潜め、どんなに足を忍ばせ、どんなに体臭を消そうとも、彼には全てお見通しなのだ。
だから彼は、通路の突き当たり右手から迫り来る敵部隊の存在に逸早く気付くと、指を揃えた右手を肩まで挙げて手首を倒した。そのハンドシグナルの意味が一同のホログラム上に表示されるや、彼はすかさず手榴弾を投げた。
すると角の奥で眩い光と爆音、そして呻き声が続いた。
誠は立ち止まった。光が静まったらしい通路の角を曲がれなかった。「マコっちゃん走って! こんな所で止まったら死ぬわよ!」とエリが腕を引っ張るが、彼は駄々っ子のようにその場から動こうとしなかった。
「い、イヤだ。死んでるんでしょ、誰かがその先で死んでるんでしょ!?」
「死んでない! 右上の表示見て、〈閃光手榴弾〉って書いてあるでしょう!」
そう言われて見てみると、確かにそのように記されていた。
エリは再び彼を引っ張ると、ケンに続いて角を曲がった。そこには覆面した複数の敵兵が寝息も立てずに昏倒していた。
「強烈な光と音で知覚を麻痺させる非殺傷武器なのよ」
「す、凄い……。組織は殺さずに倒せる武器も開発しているんですか」
「何言ってんの。こんなの今の時代、どの国にもあるわよ」
「そうなんですか……」
俯く誠に、エリはどうにも居た堪れない気持ちになった。やはりこうまで素直な少年を戦場に引き止めておくのは酷だと思った。
反面、そんな少年にこそ、自分達の行動理念を理解してほしくもあった。
「マコト君。兵士である私達は、確かに多くの人を殺めてきたけれど、無抵抗の相手を殺したことは一度だってないのよ」
通路の脇に隠れ、兵士達が明後日の方向へ駆けていくのをやり過ごす。
「可能な限り拘束する。殺しはいつだって最終手段。アナタに言われるまでもなく、私達は最善の努力を重ねてきているの」
ケンが後ろに手を向けると、大きく〈STOP〉という警告が表示された。親指で右を示し、ドアを開けて倉庫と思しき大きなフロアに侵入した。殿を務めるウヌバはドアをきちんと閉めると、マグマのように高熱を帯びた手の平をドアの隙間に這わせ、強引に熔接した。
人の気配を感じないのを確認してから、ケンは怒鳴った。
「ベチャクチャ喋ってんじゃねぇよ、ハンドシグナルの意味ねぇじゃねーかっ!」
「だ、だって……」とエリは力なく弁明するも、彼は耳を貸さなかった。
「いいか、ガキ。俺達はお遊戯やってんじゃねぇんだ。黙ってついてこい」
「アナタはどうしてボクをここへ連れてきたんですか」
彼が踵を返したところで、少年は引き止めた。「はぁ? 今聞くのかよ」と彼は邪険にするばかりで見向きもしなかった。
「ボクはアナタが嫌いです」
「奇遇だな、俺もテメーみてぇに口の減らねぇクソガキは心底嫌いだ」
「でも、何か理由があるんですよね。ボクみたいな足手まといをこんな場所に連れてきた理由が。さっきの、フリッツって人が言ってたことと何か関係があるんじゃないんですか。バーグって人がボクを拉致するように言ったって」
「時間がねぇ、行くぞ」
「どうして本当のことを言ってくれなかったんですか!? 事情があったのなら、ボクだって、ボクだって……!」
吐き捨てる彼の頭上で鈍い音が連続した。仰ぐケンは、外で何かが起きているのだと察知し、一人駆け出した。行こうとエリに手を引かれるまま、誠はただ従うほかなかった。
「まるでキングコングだな」
〈擬似DEM〉の屋上で一体の化け物が大暴れしている。
褐色の肌。歌舞伎の連獅子を思わせる赤い長髪とカストロ・スタイルの不精髭。こめかみからは二本の雄々しい角が、口からは鋭い牙が生え、狡猾な双眸で開いた赤黒い瞳孔からは殺意ばかりが主張している。
全長およそ五メートル、筋骨隆々で二足歩行のその化け物は、どこからどう見ても日本で最も有名な妖怪――鬼以外の何ものでもない。
可笑しなことに黒いスパッツだけを穿いているその鬼は、屋上に設置されていたセントリーガンや高射砲、パラボラアンテナを破壊し尽くすと、迎撃部隊の銃撃に晒されていた。
しかしながらその鎧のように硬く分厚い肌を貫ける弾丸はないらしく、堂々と彼らに近付いては、大きな指で器用に銃器を取り上げて、彼らの戦意を削ぎ落としていた。
そんな圧倒的な様子を〈MT〉の望遠機能で眺めているフリッツのもとに、参謀本部と現場の情報を中継する情報統合担当官から通信が入った。
「何、〈DEM〉搭載型の無人航空機(UAV)だと? 何時の方向だ……いや、どうして分かる」
仮にUAVが接近しているとしても、〈DEM〉を搭載しているのならこちらに感知できる術などないはずだ。
『HQからの通達です。情報源は――バーグの模様!!』
「馬鹿な……!?」
『七時方向、来ているはずです!』
基地から見て五時の方向にいるフリッツはすかさず左後方へ振り返り、空を仰いだ。しかし右から爆音が轟くので、再び敵基地のほうを見た。
基地に向かって無数の自由落下爆弾が落ちていた。それは瞬く間に基地の屋上を火の海にし、鬼もREWBSも分け隔てなく呑み込んでいた。