〔五‐2〕 タイガー&ホース
「ステルスって知ってる? 戦闘機とかが電波で探知されにくいってやつ」
ある空間の隅で膝を抱える少年に、エリ・シーグル・アタミは問いかけた。
「でもそれってね、決定的に欠陥があるの。目で見えるんだよね。不可視技術までは、まだまだ表世界じゃあ実用段階じゃないんだよ」
どれもこれも不完全。それなりの物を造っても、予算も規模も大きい上に、見えなくする物という一つの役割しか担えない。
「じゃあ裏世界はって話になるよね、何せ表世界の一〇〇年先の技術力があるんだもん。答えはモチロン見えない。私達には〈DEM〉って万能なステルスシステムがあるの。あたかも透過しているように見えないだけじゃなく、音も発さない。電波や音波でも探知できないし、熱量を周囲と同化させてるから赤外線カメラではその輪郭を捉えられない。つまり私の《サーマル・センサー》でも視えないってこと」
そのシステムをボタン一つで起動させるだけで、装備された物体は幽霊のように姿を消すことができる。“隠密”という名をほしいままにできる、理想の装置だ。
「〈DEM〉――Deus ex machina――機械仕掛けの神様。ご都合主義と名付けられたこのシステムは、世界中に点在してる組織の基地に使われてるの。だから私達の家は、ノーマルはおろか、私達と同類のREWBSにも見つけられていない」
透過機能を利用すれば、擬態もできる。本部のように自然の一部と一体化することも可能である。
「使われてるのは基地だけじゃないよ、この輸送機にだって最新型の〈DEM〉が搭載されてる。だから――」
現在時刻一三時三七分。
第一実行部隊が所有する組織最新鋭輸送機〈DEM-3-2〉は、中華人民共和国雲南省にある人里離れた山間部上空を旋回している。しかし〈DEM〉が万全に機能しているこの輸送機は誰の目にも見えず、どんなに高性能なレーダーにも感知されていない。
「だからさ、マコっちゃん。敵に見つかる心配はないんだから、いい加減降りようよ~」
「イヤです、絶対降りません」と早河誠は背を向けたまま答えた。
「敵に見つかるとか見つからないとか、そういう次元の問題じゃないんです。こんな高さから飛び降りることに問題があるんです」
「こーしょキョーフしょー?」
「あのね、エリさん。普通の人間なら、こんな高さまで連れてこられたら足が竦むのは当たり前なんです。高度四〇〇〇メートル? 富士山よりも高いところから飛び降りるなんてナンセンスですよ!」
輸送機の下には、コットンのような積雲がいくつも漂っている。普段は見上げるばかりで手を伸ばしても掴むことすらできないあの雲の、さらに上にいる。誠はその現実を想像するだけで一歩も動けなかった。
もしも輸送機が墜落したら。もしもパラシュートが開かなかったら。
そんな不運を思い浮かべれば、こうして膝を抱える以外にできることはないじゃないか。
「うまーい、ヘレティックがナンセンス、うまーい♪ でもマコっちゃん、ココ、エベレストよりもかなり低いよ」
「人はね、高さ一メートルから落ちても、打ちどころ次第で死ぬこともあるんですよ」
「ダイジョブダイジョブ、私がちゃーんとサポートするから」
そう言うや、エリは誠を後ろから抱き締めた。
彼女の体温、吐息、ボディアーマー越しでも想像してしまう胸の感触が背中を痺れさせる。あまりの衝撃に全身を強張らせていると、カチカチと妙な音がした。
「あの、何して――?」
エリが立ち上がると、誠も意思に拘らず起立していた。誠とエリの身体は折り重なった状態で、バックルで繋ぎ止められていた。
「こうしたらホラ、安心でしょ?」
固定された身体を引き剥がそうとすると、エリは後ろから抱き寄せてきた。彼女は彼の足を固定するという名目で内腿を弄っては、耳元で囁いた。
「ちょ、それ、やめっ、あう」
「ねぇマコっちゃん、お姉さんに全部任せて。きっと気持ちよくしてあげられるから」
「ひうっ、エリさ……そこはっ」
触る触る。
あまりに生々しくて直視できず、誠は必死になって目を閉じた。だがそうすると視覚に頼って怠けていた感覚器官が一斉に過敏になって、余計に彼を苦しめた。
あれ、これは苦しいのか?
奇妙で、新しい、そこはかとなく甘美な快感を目覚めさせようとしていたその時、「タンデムジャンプって、知ってる?」とエリが問うた。
「は、はへ……?」
「知らないんだぁ。二人の体が一つになってぇ、すんごくきもちーんだよ♪」
甘えた声で、彼女は言う。首を捻って振り返ると、同じく頬を染めたエリの顔がすぐ近くにあった。嫣然と笑う彼女は、「じゃあーあ、イナバウアーって知ってる?」
「そ、それは何となく覚えてます。かなり前に流行語大賞取った……あ?」
気付いた頃には時すでに遅し。
手を取られ、その指で両耳に何かを入れられた途端、誠の視界にホログラムが出現した。流れるように黒いフルフェイスマスクを被せられた。しかし前が見えなくなるわけではなかった。ホログラムが外の様子を眼球に伝えていた。
彼が唖然としていると、エリは一歩二歩と下がった。後部ハッチに背中をつけ、強制開放ボタンを押した。気圧の変化で突風が背中を押し、次には腹にぶつかってくる。
「レイバック!」
彼女はぐにゃりと胸を反り、頭から落ちた。よって、誠も落ちた。緑広がる山々に向かって、絶叫と共に。
誠の熱がエリの身体に伝わる。こんな所へ連れてくる前に彼が言っていた話を思い出させた。
夢を見たんですと彼は言った。両親らしき男女が、家から出て行く夢をと。
それ以上は思い出せないと彼は言ったが、訥々と語る彼の言葉や様子は、〈オペレーション:エンジェル・ヴォイス〉なる計画がいかに的外れであるかを教えてくれているようだった。
エリは思う。この作戦を通して、彼と家族になりたいと。
孤独を分かち合える、“人間ではない何か”同士として。
その前にはまず、彼の女の子のような悲鳴をどうにかしたかった。
「マコっちゃん、五月蝿い」
「ひゃい」