〔エピローグ‐3〕
五者五様、あるいは五人五色とでも言うべきだろうか、そこにはそれぞれ趣味嗜好が全く異なる個性的な美女が五人も一堂に会している。窓に表示された涼やかな氷河の映像を背景に一つのテーブルを囲み、皿に乗ったケーキやアイスなどのスイーツを肴に、きっと文字に起こせばくだらない話をもう二時間以上も続けているのである。
女子会である。
「にしても、あのお堅い情報部の連中と談笑する日が来るなんて思ってもみなかったぜ」
不良のような言葉遣いのバラージュは人一倍生クリームを口いっぱいに頬張ってそんなことを言った。彼女の顎についた汚れを、アリィーチェがテーブルナプキンで拭き取った。
二人の微笑ましい様子に、第二実行部隊亡き隊員の一人ネーレイの顔写真を過らせたヘナは、「私達もですよ。あんな約束を守ってしまうだなんて……」とその視線をエリに集めさせた。
「えー! じゃあヘナちんったら何!? もしかしてあの時は反故にするつもりだったの!?」
「その呼び方やめてくれない? 何だかすごく嫌なんですけど」
「酷いよヘナぽん! 女子特有の“また今度ね”って思わせぶりなスルースキル使うなんて!」
「ぽん? ぽんって何ですか? それは可愛いんですか、馬鹿にしてるんですか?」
「私よりも女子力高いなんて酷いよ、リケジョ()のくせにぃ~~っ!」
「そっち!? いいじゃないですかリケジョ、何がダメなんですか!?」
うぇーんと顔を伏せて泣きじゃくる女子会の主催者の頭を、ダーシャは無気力な目でジッと見下ろした。何故このようなポジティブな会合に自分が呼ばれているのか、彼女にはまるで分からなかった。
こんなはずじゃなかった。ただいつものように情報部の通路をヘナと歩いていたら、突然この女エリ・シーグル・アタミが現れ、暇かどうかと訊かれたのだ。アドリブに弱いヘナは嘘をつけず、えぇまぁなどと言葉を濁してしまい、腕を引っ張られてしまったのだ。
その時何故、自分の腕をこの女が引っ張って離さなかったのか、ダーシャには理解が及ばなかった。
帰りたい。あからさまにダウナーな顔色を浮かべていると、ゴスロリ衣装の少女の視線を感じ、アンニュイな一瞥をやった。
「……チビ」
「あー? 今何つったのよー、あーんっ!?」
テーブルを叩くダーシャだったが、アリィーチェが指摘するように背が低く迫力に欠けていた。
「顔は大人、身体は子供……ぷぷっ」
「アンタだって似たようなもんだろうがー! このぶりっ子ヤローがよー!!」
さっきまでの翳が差していたような顔色を紅潮させ、ダーシャは怒り狂った。そんな彼女の頬にアリィーチェは短い指で触れて、「イイ顔、イイ髪……」と情報にない柔らかな笑みを返した。
あんなことが、義姉と慕っていた女が死んで、そんなに日も経っていないというのに、コイツはこんな顔をするのか。それまでできなかったことを、できるようになったのか。
何がコイツを変えた。何がコイツの背中を押した。
ダーシャは唖然として、一歩足を引いた。ストンと落ちるように椅子に戻ってから、バラージュが口を開いた。
「ダーシャっつったけ? アタシらについて何を知ってるか知らねぇがよ、何てことはねぇ。みんな、止まっている時間が惜しいだけだ。どんだけ科学を磨いても過去には戻れねぇから、前向いて進むしかないんだ。アリィーチェが向いた方向が、以前よりもちょっと明るい場所だったってだけだ」
まぁ、ちっとばかしピンク色のようだが。
バラージュの余計な一言に、アリィーチェは即座に、「《緘黙》!!」と叫んでいた。んーんーと呻く彼女をエリ達が嘲笑う中、ダーシャは自分に向かって笑みを零した。
だったら、情報とは何なのだと。こんな風に急速に成長する連中を相手に、どうやって情報で立ち向かえばいいのだと。必然的に過去に縛りつけられ、そこから正しいか分からない予測を立てる私達が、どうやって。
もしもバーグが視た未来が組織の敗北だったなら、成長も、情報も、予測も、何もかもナンセンスになってしまう。少女一人の成長にどぎまぎしてしまう自分が、そんな巨大な力と対峙する意味なんて……。
「ねー、ヤヴァくなぁーい? すんごく固いんだけど、このシワ」
「アラやだ、ホント。ダメよダーシャ、アナタまだ若いんだから」
「そうだぜ。今のうちに気ぃ使っとけよ」
「顔は老婆、身体は子供……需要なし、ぷぷっ」
色も長さも違う指が四本、ダーシャの眉間に刻まれたシワに触れていた。いよいよ我慢できず、キーキーと喚き散らす小さな怪獣にエリ達は追いかけられた。そうして始まった混乱はエリとバラージュの間で加熱し、そこにアリィーチェも加わって激化した。
肩で息をするダーシャの乱れた髪をヘナは手櫛で整えてやった。
「何考えているか知らないけど、気にしなくても大丈夫よ」
「べ、別にー。ちょっと不安になっただけだしー」
「私達は私達の、彼女達は彼女達のやれることを全力でやればいいの」
「そうかもだけどー……。それでダメだったら?」
「その時は、一緒に死んであげる」
膝を突いて同じ頭の高さになったヘナの目は生固く、つまらない恐れを孕んでいなかった。
「きっとネーレイさんも同じ気持ちだったんだと思うわ。そう考えると、彼女から得た教訓という名の情報は私達の未来に役立てるんじゃないかしら」
多少は影を残すものの、かつてないほど明るく、年相応に無邪気な少女を眺めていると、ダーシャは少しばかり希望のような光をその瞳に走らせることができた。
「でも、どうせ死ぬからには“目的”は果たさないといけませんね」
二人の脳裏に、先程情報部の会議室で見た顔写真を思い出した。斃すべき男の顔を。
「“目的”ってなぁに?」
数十秒の間に何があったのか、ダーシャ以上にボサボサの髪の毛を頭に乗せた女達が不思議そうな顔を並べていた。
ヘナは首を横に振って、「機密事項です♪」といかにも女子力が高そうな嫣然とした笑みを返した。その対応に太陽を浴びた悪魔のように、女子力の低い女共は仰向けに倒れた。
ダーシャが何やってんだコイツらと肩を落としていると、覚えのあるノイズが全身を、とりわけ脳を刺激した。
『何やってんだ、出るぞ。久々の“休暇”だ』
クートヘッドの《マルチ・テレパシー》だ。二人はポーカーフェイスを取り繕うと、「もう時間だから」とエリに手を差し出した。
「残念、楽しくなってきたのに。今度、いつ会える?」
「何ですかその、遠距離恋愛中の彼女みたいな言い方は」
ニヘヘと屈託なく笑う彼女はとても魅力的だった。影ながらサポートするに値する人材だと再認識できた。
「私も楽しかったですから、またいつかお願いしたいですね。その時はまた、彼女と一緒に伺います」
「わ、私は別にー……」
恥ずかしそうに顔を背けるダーシャに、アリィーチェが手を差し出していた。
「また……ね」
「う、あ、うんー……」
遠慮がちに握り返すダーシャだったが、相手の力強さに顔を上げた。アリィーチェは微笑んでいたが、そこかしこから元来の腹黒さが滲み出ていた。負けじと握り返す両者の無言の戦いは白熱し、その様子を見た大人達はバ〇ビ〇人形とリ〇ちゃん人形が決闘しているように思えてならなかった。
焦らせるクートヘッドの声を聴き、諜報部隊の二人は踵を返した。基地内に設置されたカフェの入り口で男とすれ違った。自動扉が閉じる束の間、ヘナは消え入りそうなか細い声で、「エリをよろしくね、彼氏さん」と囁いた。
振り返る男を置き去りに、二人はクートヘッド達が待つ港を目指した。
誰だ、アイツら。男は首を傾げるも、三白眼を探し人に向けた。
「おい、行くぞ」
ケンの声に振り返ったエリは、思いのほかあっさりと応じた。彼女の変化に目を丸くするアリィーチェとは裏腹に、バラージュは素知らぬ顔をして乱れた椅子やテーブルを直し始めた。
「二人とも、ゴメンね」
「気にすんな。静かになって都合がいい」
「寂しくない?」
「バカヤロ、早く行け」
一足先にカフェから出ていくケンをエリは追いかけていった。
彼女らの後ろ姿を見つめていると、「何、あれ」とアリィーチェが問いかけた。
「誰も過去には戻れねぇ。だから過ちを無かったことになんてできねぇんだ。でも、責任は取れる。どれだけ時間をかけても、命ある限りは」
頭を撫でられるアリィーチェは懐かしい熱に頬を染めた。
静まり返ったカフェは何か物足りなかった。先程のざわめきが半年前には当たり前だった賑やかさと通じるものがあって、バラージュの胸を否応なく締め付けていた。
「誰が一番女子力高いんだか」とエリの優しさに失笑した。
「早く起きろよな、あのバカ」
同意を求める彼女の横に、少女がちょこんと座った。肩に頭を預けるこの義妹の熱に、時の理不尽さを思い知らずにはいられなかった。
面会だと言われ、留置所の檻から連れ出された男の顔は血の気が失せていた。限定された空間に押し込められてたったの三日だが、もはや逃げ出したいという気持ちは露と消えてしまっていた。それどころか外の様子を知りたいとも思わなくなり、こうして檻の向こうに足を踏み出すことが怖くて仕方なくなっていた。
先を行く看守の背中が角を右に曲がっていく。男は曲がり角の向こうを不意に想像してしまい、直後に脳髄や眼球へ奔った激痛に苦しみ喘いだ。膝を突き、部屋に戻してくれと命乞いのように訴えかけてみるが、前後を塞ぐ二名の看守は彼を強引に立たせ、引き摺り、面会室へ放り込んだ。
酷い眩暈と得も言われぬ痛みに悩まされる彼の視界はスモッグがかかったように霞んでいた。しかしそうしたおぼろげな世界で一つ、いや二つ、宝石の煌めきのごとく赤い光を見つけた。男は吸い寄せられるようにその光に向かって歩き出した。
手を伸ばしてその宝石を抓んでみようと思った。しかし見えない壁に阻まれて届かなかった。そうこうしていると痛みは潮のように引いていき、霧も晴れ始めた。赤い宝石がその輪郭を明らかにしていくや、男は短く驚嘆交じりに呻いた。
「ようやく逢えたな、〈アルパ〉の《千里眼》」
赤い宝石を目蓋の奥にしまい込んだ少年が冷たく言い放った。
「〈LUSH-5〉、マコト・サガワ……っ」
やっとのことで焦点の合った双眸をまたぞろ白黒させて、《千里眼》のヘレティック――CVは尻餅をついた。
拒食症でも患っていそうな貧相な容姿の男を見下ろした早河誠は、「時間がない、単刀直入に言う」と以前とは打って変わってにべもない様子で要求した。
「協力しろ。アンタの力をオレに貸せ」
「な、何だと……?」
「理由を知る必要はない。洗脳だか何だか知らないが、散々オレ達をいいように操ってきたんだ。そのツケはきっちりと払ってもらう」
CVは息を呑んだ。曲者揃いのあの部隊の中にあって、一際大人しい印象のあの小僧が、部隊の誰よりも恐ろしい気迫を目の前で放っていたからだ。わずかに青筋を立てるその下で、本来白目に黒茶の虹彩を湛えるその眼球を紅に染め上げては戻し、サイレンのように明滅させていた。感情をコントロールしきれず今にも爆発しそうだということはすぐに判った。
「俺と同じセンスを持つ連中なら、貴様ら組織の中にもいるんじゃないのか?」
そう、いる。情報部のみならず、作戦部にも数名存在する。今作戦では〈サード・アイズ〉が結成され、まずまずの戦果を得ることができた。
「オレが欲しいのは“従順な協力者”だ。面倒な手続きなんかを介さずに、命令系統一つで素直に応じてくれる人材が必要だ」
言外に、奴隷になれと命じられているようで、CVは腹の底が熱くなるのを感じた。
「この留置所には〈忌避装置〉が設置されている。装置から発している磁場なんかのエネルギーで《千里眼》の望遠能力を阻害する装置だ。磁場の影響下からはもちろん、外から覗くことはできない。無理にセンスを使えば脳神経や視神経に大きなダメージを食らう。今の、お前のように」
「貴様、本当にあのマコト・サガワか? まるで別人のようだ……」
誠は動じなかった。瞬き一つする余裕をもって告げた。
「紛れもなく本物の早河誠だ。全ての記憶を取り戻した、本来のオレだ」
CVが固唾を飲む音を聞きながら、「もう、お前程度に縛られるオレは何処にもいない」と畳みかけた。
「ま、マンハッタンで何が――」
「オレの質問に答えろ」
誠の意気に、CVの身体が跳ね上がる。
「一つ言っておくが、このままこの留置所で膝を抱えてられると思ったら大間違いだぞ」
眉根を寄せるCVに誠は続けた。
「お前の次の行き先は地獄だそうだ。比喩表現じゃない。お前から情報を絞り出すためにあらゆる手段を用いる、生き地獄だ」
「地獄……。違う、俺は天に召されるはず――」
「んなもんねぇよ、馬鹿が」
両者を隔てる強化ガラスに額を押し当て、大きくルビーの瞳を見開いた誠はよく言い聞かせた。
「オレも、お前も、行く先に待っているのは天国なんて呑気な場所じゃない。もう、戻れねぇんだよ。だったら、この力を使って死ぬまで戦い続けるしかない。思い至った目的のために命を燃やすしかない」
「思い至った、目的……?」
早河誠の次の一言に、CVは場違いにも笑みを漏らしていた。面会時間が終わっても、CVは明確な返答を返さなかったが、彼の笑みに誠は何かを察したか、素直に部屋を後にした。
アレは修羅だ。
自分達の行ないが、この世に新たな鬼を産み落としてしまったのだとCVは思い知らされた。
「最後にもう一度確認する」
誠が面会室から出た矢先、見慣れぬ白髪の少女とぶつかっていた頃、第一実行部隊のミーティングルームでは彼を除いた四人の隊員が一つの決断を固めようとしていた。
「我々は組織ではなく、人道を優先することになる。それが何を意味するのか、各員は理解しているか」
酒顛の重い口振りに、部下らは首肯で応じた。
「運命は変えられないかもしれない。だが、だからと何もせずにいるのは違うはずだ。過ちに報いることくらいはできるはずだ」
一同が想像する少年の瞳は、少女のそれと交わされていた。二人はその奥にある昏い感情を確かめ合うと、互いに背を向けて離れていった。
「やるなら、できるだけ早いほうがいいよ。あの子の手が穢れる前に、実行しないと」
エリは恐れていた。次の任務が発令されたとき、早河誠はついにその戦場で人を殺めてしまうかもしれないことを。
それは部隊共通の懸念であるようで、無表情がテンプレートのウヌバでさえも渋面を湛えているほどだった。
「マコト、疲れてイル。壊れそうダ」
バーグが用意した誠の両親の生首は本物だった。行方不明と聞かされていた肉親の成れの果てを目の当たりにし、精神を歪ませない者はいないはずだ。
「俺はもう腹を括ってる。やるからには遠慮はしねぇ。アイツから足を奪ってでも、ここから解放してやる」
いつかの言葉がエリの脳裏に蘇ったが、もう彼女には反駁する余地は残されていなかった。むしろ、あの時そうしておけばという後悔が胸に苦く広がっていた。
「帰すぞ。マコトを、表世界へ。日本へ……!!」
その果てに一同の亡骸が横たわっていたとしても、彼らは構わなかった。
任務とは言え、この悲劇を招いた責任を、彼らは全うしようとしていた。
『帰りませんよ、オレは』
〈MT〉を通じて聞こえたその声は、紛れもなく誠のものだった。一同はつぶさに彼の位置情報をホログラム・モニター上で照会した。彼はすぐそこの扉の向こうにいるようだった。
ミーティングルームは盗聴の可能性を危惧して、部屋の電気系統は空調以外全てを切断してある。つまり内からも外からも自動ドアは開かない。さらには〈忌避装置〉を作動してあるから《千里眼》で覗かれる心配もない。
だが、そうした警戒心が誠には裏目に出たようだ。いや、仲間達の人となりから、こうなることをすでに予測していたのかもしれない。
「気持ちはとても嬉しく思います。でもオレには、この世界で生まれたオレにはまだ、やるべきことがあります」
ドアの向こうで息を顰める心優しい同僚達に、誠は慎重に、それでいて固い口振りで伝えた。
「バーグ。ハノ。ジオ。〈ユリオン〉。そして――」
赤い瞳はもはやドアを見ていなかった。遥か先の空間を越え、金の瞳だけを見据えて動かなかった。
「レーン・オーランド」
右手を差し出した彼は、親指から順に一つ一つ畳んでいった。残る小指を一際強く隠すと、顔の前でさらに固く拳を握った。
「単純な話です。ここに来て、オレの目的が組織のそれと寸分の狂いなく重なった」
世界の、ゆるやかな変化と、豊かな進歩のため。
愚か者は訊いた、何故戦うのだと。英雄は答えた、ただ愛するが故にと。
全ては、世界のため。
それを阻む者は――
「REWBSを滅ぼします」
時間が止まったようだった。
時空が捩じれたようだった。
刻の歯車が、新たな未来を彼らに提示していた。
「英雄がやり残した全てを、オレが……!!」
ここに、バーグの計画が遂行されたのかもしれない。
彼のために幾多の屍を用意して、満を持して早河誠は舞台に上げられたのだろう。
運命の針は何事もなく次を示して回り続ける。
螺旋階段を上り続ける誠は、その果てに何を見るのだろうか。
それを知る者がいるとすれば、それは――。
〔了〕




