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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔エピローグ‐2〕

「〈マンハッタン戦線〉、そう名付けられた今作戦の被害総額をご存知ですか、ボ・ス♡」


 デヴォン島基地の中枢に総督執務室はある。旧本部よりも手狭であるものの、他の幹部のそれよりも随分広く、最も高度なセキュリティで守られている。

 旧本部の連中が越してくるまでは基地司令ドルコフの部屋だった。現在、彼の部屋は隣に移っており、役職も変わりがない。ボス不在の折は、副総督と連携して基地機能を維持する大役はそのままだ。ただ、ボスの命令を右から左へ橋渡しをするだけの連絡橋のような役目を担うだけとなっているのが現実である。

 そうやって悪意のない成り行きから一人の男を閑職に追いやってしまった総督は、早くも三日前となったあの激務で疲弊した身体を椅子に深く預けていた。しかしそんなことはお構いなしといった具合に、見慣れた女が彼の膝の上にモデルのような生白く細長い足をかけていた。彼の胸元に指を這わせ、耳元に唇を寄せ、艶やかな声音で誘うように答えた。


「二兆九千億米ドルですわよ。亡きジャービル氏の遺産を含めた三大出資者が折半して、全額捻出してくださいました。我々の行動を資金面でバックアップするという盟約上、彼らが出資するのは道理でありましたが、根回しもなく後出しで大金を無心するような真似をしましたからね、あまり良い顔はされませんでしたわ」


 特に、ミーエリッキ女史には。

 ボスに跨る女――メルセデス秘書官はさらにボスの身体に密着した。


「しかしその甲斐あって、アメリカから秘密裏に拝借したお金をたったの三〇分で全額返済することができました。政府の担当者の記憶は操作してありますので事上げされる心配はないでしょう。ミリード大統領もこれで世論を治めることに注力できるはずですわ」


 眼鏡を外している彼女の妖艶な眼差しを受けても、ボスは久しく見せていない“男”を目覚めさせることはなかった。


「大統領と言えば、〈アルパ〉の始末は本当にアレでよろしかったのですか? 記憶の改竄は施しているものの、傍目から見れば無罪放免もいいところです」

「明日にでも〈グラン・アメリカ〉の死者にグレアを含めるつもりだ。あくまでテロの対象ではなく、不慮の事故という名目でな。ミリード氏の恩に報いるためにも、プレマンらの処罰は棚上げしておくのが得策だ」


 そうすれば早晩第二の〈アルパ〉が産まれる虞もないだろう。

 ボスの横顔には憂いがあった。グレアをはじめ、〈アルパ〉の存在を心から否定できない後ろめたさがあった。全てはノーマルに脅迫まがいの契約を押しつけたネイムレスの業によるものだ。その軋轢を不逞のREWBSによって付け込まれた。このような悲劇は二度と起こしてはならなかった。

 〈アルパ〉の全てのスタッフは記憶を操作された。プレマン達幹部も例に漏れることはない。とは言うものの、ハノほどのセンスほど強力なものではなく、定期的に再操作(メンテナンス)を施して新しい記憶を深層心理に定着する必要がある。何十年も要する壮大なスケジュールである。

 現在、プレマンは家族と共に悠々自適な隠居生活を送っている。グレアの訃報が届けられたとき、〈アルパ〉での記憶が目覚めぬようにする必要がある。

 ミリードには彼らの末路をボス本人が正確に伝えてある。事ここにまで及べば已む無しといった具合に、ミリードは了承してくれた。全ては世界のためだと寂しげな笑みを浮かべていた。

 不和も軋轢も猜疑心も何一つ解消されてはいない。適当に落としどころを見つけ、無理に押し込めただけに過ぎない。それが、彼らが見つけた解決策だった。互いの主義主張を理解し、尊重し、最大公約数的な枠の中で手を結ぶこと、それしかできなかった。

 これは紛れもなく政治であった。


「アナタ、何をしていらっしゃるの?」


 静かに、それでいて明確に怒りを孕んだ声が二人を責め立てた。

 悠然と視線を交わらせると、ボスに抱き着いて離れないメルセデスは口角を上げた。


「アラ、随分お早いお帰りですわね、参謀長官殿♡」


 その態度にメルセデス参謀長官は青筋を立て、「早くその不愉快な身なりを正しなさい」とインテリ眼鏡のブリッジを押し上げた。

 ここには二人のメルセデスが存在している。まるでドッペルゲンガー。対峙してこの世を去るのはどちらか。怒り心頭に発している片方の意気に押され、やたらと色気ある片方は肩をすくめてボスから離れた。


「不愉快とは、いやはや。自信をお持ちください、アナタはまだまだお若いですよ。こうやって“はにかんで”微笑めば、多くの男共を虜にすること間違いありません」


 確かに小悪魔のような色っぽい微笑を浮かべる片方だったが、ヒールでカンと床を叩かれると命令に従ってその容姿を崩し始めた。別の生き物のように蠕動する身体を指で整えると、見慣れた男が現れた。


「いくら出入りがしやすいからと言って、私の容姿を騙るのはお止しなさい、フリッツ」

「ですがそうなると誰を選んで遊べばいいか……」

「遊ぶ必要はないのでは……!?」


 フリッツ。情報部第一諜報部隊のリーダーを務めるこの男のセンスは《百面相(メタモルフォーゼ)》という、その名のとおり変身術である。見た目だけではなく、覚醒因子を除くあらゆる遺伝子情報さえも完全にコピーしてしまうことができる。

 彼はこのセンスを用い、幾多の潜入工作を遂行してきた。だからこの部屋に入るための生体認証もメルセデスに成りすますことで軽々とクリアすることができていた。


「それはそうと、秘書官殿。随分とご立腹なご様子ですが、よもやこの程度の悪戯で色めき立っているわけでもないでしょう?」


 いけしゃあしゃあとした彼の態度でいよいよ頭の線が切れそうになったが、メルセデスは一先ず息を吐いてから姿勢を正した。次に舌を動かし、先程閉廷したばかりの査問委員会の内容について仔細報告した。


「――なぁに、大方の予想どおりじゃありませんか」

「だからこそ余計に腹立たしいのです。コイル氏には失望いたしましたわ」

「ダメだよ、秘書官殿。全て分かっていながらコイルの援護射撃をしなかったんだから、あまり責めると火の粉が向かい風に乗って僕らを襲ってきてしまうよ」


 メルセデスはきゅっと唇を噛み締めた。

 フリッツは彼女の横を通り過ぎると、ソファに腰を埋めた。


「コイルは慎重だけれど、別段我慢強いわけじゃない。ムック君を単身〈タルタロス〉へ潜入させたのがいい例だ。そりゃああの時――マコト君とケンちゃんが決闘まがいの戦いをしている時に、ルイーサが旧本部基地に立ち寄ったことは奇跡と言っていい。情報部としてはまたとない絶好の機会だったろうね。でも、人選ミスにもほどがある」

「アナタでしたら全うできたと?」

「モチロン。でも僕は引き受けなかっただろうね」

「何故?」

「怖いからですよ。他に理由がいりますか?」


 目を丸くする秘書官にフリッツは懇切丁寧に説明した。


「皆さんは分からないかもしれませんが、実戦は恐怖の連続です。私ほどになれば、任される仕事のレベルは常軌を逸しています。一挙手一投足、思考や手順を少しでも誤れば未曽有の事態に繋がるのです。かてて加えてアナタ方がかける重圧(プレッシャー)が我々を強く縛りつけているのです」


 バツが悪そうな彼女らに続けた。


「〈タルタロス〉はまさしく恐怖の象徴のようなもの。組織の管轄下にあって、伏魔殿の様相を呈しています。そんな場所へ単身潜り込むことの危険性は想像を絶するものです。しかもそこを実質的に統治しているのは、かつてアナタの暗殺を謀ろうとした男ですよ。私ならば全てを放棄して逃げ出しますよ」


 しかしできないのが現実だ。職務放棄も敵前逃亡も、いずれにせよ査問委員会や軍法会議で有罪が確定されれば結局は〈タルタロス〉行きだ。連中から尋問とは名ばかりの拷問を受け、死ぬまで地獄の苦しみを味わわされるのがオチである。


「今回、ムック君は任務に失敗しました。彼を捕らえた李螺葵は情報部による内偵の事実を交渉材料に、ルイーサの釈放を要求しました。内偵は情報部の性質上あってもおかしくはない活動ではありますが、それがあまりに露骨すぎるのは世間体的によろしくない。次期ボスの座を狙っていたコイルでしたが背に腹は代えられない、自らと情報部のイメージを守るためにルイーサの釈放を張行せざるを得なくなりました。泣く泣く臍を固めたコイルでしたが、やはり我慢弱い男です。昨日、彼はムック君に酷い罵声を浴びせていました。そのせいでムック君は自室で首を括ろうとしていたほどです」


 だから僕なら引き受けない。

 恨めしい目を組織の総督とその秘書に向けたフリッツだったが、途端に八の字を寄せて嘆息を漏らした。


「まぁ、コイルをそこまで追い詰めてしまったのは我々にも責任の一端があります」

「と仰いますと?」

「〈シグナル・ブラック〉、情報部長官が発する第一諜報部隊への極秘作戦コード。彼は度々コレを多用していました。それだけ我々を信頼していたというわけです。あの野心家で慎重なコイルが、野望について口を滑らせてしまうほどに」


 正確には、信頼できる部下を演じていたわけですがと、フリッツは注釈を加えて続けた。


「中でもエノロバの一言がコイルを調子づかせてしまい、あらぬ夢を魅せてしまったようです。エノロバとしては、浮足立った彼をハメるつもりだったのでしょう。しかし自分を引き立ててくれるそのエノロバが殉職し、さらにはボス、アナタが作戦中に〈シグナル・ブラック〉について言及し、ついにはムック君が任務を失敗してしまった。完璧主義者でかつ、やはり我慢弱いあの男のストレスは頂点に達してしまった」

「あの場で彼を牽制しておかなければ、ボスのお立場も――」

「分かっています。ですから、全てがちぐはぐになってしまった原因は、僕の統率力の低さにあったという話です。エノロバの単独行動を許さず、ムックを早々に引き上がらせておけば、ルイーサを縛に繋げておくこともできたはずでした」


 歯車が噛み合っていなかった。故に情報部が大きな痛手を食らってしまった。


「お話は解りましたわ。コイル氏へのケアも含め、ボスのリコール回避について検討することとします。それにムック氏には充分な休息を与えます。キヨメ先生に担当してもらえば安心できることでしょう」

「助かります。彼も大事な部下の一人ですから、このまま廃人になるのを待つのは御免です」


 顔を伏せるフリッツに対し、ボスがおもむろに立ち上がった。腕を組み、壁に背中を預け、「他に報告は」と訊いた。かつてない人らしい挙動に、フリッツは瞠目したのも束の間、止まりかけていた頭を再び巡らせた。


「今作戦の最重要参考人であるアンディ・コープをはじめ、ヘレティックと何らかの形で接触したノーマルへの対応――記憶の改竄――は完了しています。アンディは恋人メリッサと通常どおり大学へ通い、コープ家もそれぞれに日常を取り戻しています。明日にはハーリーマン州立公園でキャンプをする予定です。監視をつけ、記憶の復元がないよう見守る予定です」

「マコト・サガワをニューヨークまで運んだタクシーの運転手は?」

「彼についても同様です。しかしながら、事件後の性格は我々の意図とは異なり、ずいぶんと真人間となっているようです。それほどマコト君の影響が強いということなのでしょうか、少々興味深い報告でした」

「マフィアについては」

「連中についてはミリード大統領の顔を立てるつもりで、少々テコ入れをしました。五大ファミリーの構成員(メイドマン)の半数をカタギにし、武器と資産の大半を没収しました。クロード・ヴァッヂ・フェロとその家族、そして彼の義兄弟ルジャ・ドルトーレはオーストラリアへ移住させました。重傷を負うクロードは病院に入院させ、カタギとなったルジャがフェロ家を支えています。商才のあるクロードのことです、見知らぬ土地でも力強く生きていくことでしょう」


 クロード達の夢は潰えることとなった。ニューヨークの五大ファミリーは更なる危急存亡の時代を迎えることが余儀なくされ、いずれは消滅することとなるだろう。


「核ミサイルについて、見逃せない点が一つ」

「カズンの〈MT〉が記録している映像についてですわね?」


 フリッツは深く首肯した。

 モンタナの地下サイロから打ち上げられた核ミサイル。その進路は国内、〈アルパ〉の本拠地があるプリマスだった。〈ユリオン〉によってシステムをハッキングされ発射されたその無差別大量破壊兵器は、カズン一人の勇気ある行動によって最悪の事態を免れることとなった。


「彼の《念動力》が核爆発や放射線を防ぎ、プリマスを救いました。その寸前、彼の〈MT〉はある音声と映像を記録していました。解析したところ、バーグによるそれと判明いたしました」

「当時、バーグはカズンに呼びかけていたようだが、核弾頭に通信装置が搭載されていたのか?」

「回収できた微々たるミサイルの破片からは、そのような外部装置の存在は確認されていません。時系列を整理すると、第三のバーグが復活する前の出来事です。その際、バーグはあの直方体〈BB〉に入っていたと考えられるので、マコト君が破壊したその〈BB〉を調べてみました。しかし、通信記録などはやはり確認されませんでした」

「では、あのバーグの声は何なのです」

「バーグは未来を知っていると豪語していました。彼は事を起こす遥か前から、核ミサイルを止めるカズンの姿が視えていたのではないでしょうか」

「何を仰りたいのですか」

「……あの声はバーグが事前に用意していた録音テープだった」


 静かに正回答を述べるボスにメルセデスは青い顔を向けた。

 フリッツは前髪を掻き上げて捕捉した。


「第二二実行部隊。〈オペレーション:エンジェル・ヴォイス〉の折、バーグの隠れ家に突入させた部隊の末路はまだ記憶に新しいと思います。彼らが録画した〈MT〉の映像には、バーグのスケープゴートと机に置かれた通信機器とカセットデッキが映っていました」

「あのカセットデッキは彼が流していたオペラの――」

「ここで残念な報告が一つあります。情報部はこれまでのバーグの音声データを一つ一つ検証してきました。機械で操作された声も含め、全てです。そしてその結果、重大な事実を突き止めてしまったのです。あの〈エンジェル・ヴォイス〉の際、〈AE超酸〉を用いて死亡したバーグのスケープゴートの声紋と、カズンが止めた核ミサイルから発した音声の声紋が見事に一致したのです」


 メルセデスは唖然として声を上げられないようだった。ボスが自らの腕を強く握るのをフリッツは見逃さなかった。


「そう。そして我々と主に話してきたバーグは、ルイーサに首を刎ねられた第三のバーグだということが判明しました。つまりバーグは複数の身代わりを用意し、様々な役回りを任せてきたということです。そのために欠かせなかったのが、あの男――」


 ハノ。

 口にするフリッツの形相が冷酷なものに変貌した。


「バーグは計画を遂行するために、自分と同じセンスを持つ者をはじめ複数名に対し、自身の人格や思考パターン、計画スケジュールなどを身代わりにコピーさせたということですか?」

「あの男のセンスがあれば可能です」


 断言するフリッツの目はまるで周りが見えなくなっていた。

 相変わらず恐ろしい復讐心を目の当たりにし、メルセデスは息を呑むことすら忘れてしまった。そんな彼女に助け船を出すように、室内にコール音が響き渡った。ボスは訪問者の顔を確認するとドアを解錠した。

 戸を潜って現れたのは、フリッツの部下である赤毛の諜報員クートヘッドだった。「失礼します、ボス」と最敬礼をしたその目の端で上司を見つけると、そのただならぬ様子にやれやれと息をついた。


「ハノについてご報告が」

「聞こう」

「ハノ。何てことはありません、この名はやはり愛称でした。“アレハンドロ”というスペインの男性名です」

「その名は確か……」

「えぇ。ユーリカ・ジャービル氏の秘書を務めていた男と同じ名前です。確かこの男はヘレティックであり、あの〈サイクロプス〉や〈アルパ〉の戦闘部隊〈ATF〉を邸宅に呼び寄せたスパイのような輩だったとか」


 このアレハンドロという男、その出自があまりに不透明だった。ジャービルに古くから仕えていた秘書の一人息子だとされていたが、実は全くの別人だということが判明している。本物はジャービルを狙ったテロによりすでに死んでおり、ジャービルには記憶を改竄された形跡があるようだった。そしてまた偽物のアレハンドロも、ジャービルの秘書だと刷り込まれていたようだった。

 そんなことができるのは世界広しと言えど限られている。


「アレハンドロの由来は、古代マケドニアでお馴染みのアレクサンドロスにあるようです。その意味は古代ギリシャ語で、“人民の庇護者”――だそうです」


 ブチッと線が切れるような音がしたのは気のせいか。クートヘッドは上司の顔を見ずに続けた。


「さらに調べますとこのアレクサンドロス、かの有名な東方遠征の折、ペルシアやアラビア圏では“イスカンダル”として伝わり、インドのヒンドゥー教と交わると“スカンダ”と呼ばれるようになりました。そしてこのスカンダ、最高神シヴァの次男として崇められ、仏教と結びつくとまた別の名を持つようになりました」


 韋駄天。

 仏教における四天王の一尊に数えられる増長天、その八将の一神。四天王の三二神いる配下で首位にある仏神である。

 足が速く、仏舎利を盗んだ捷疾鬼を捕まえ、取り戻したという逸話が残っている。

 そんな神話、空想上の物語よりも、一同の脳裏には二人の男の姿が過っていた。


「ハノ自身が、あるいはバーグの企みでしょうか、いずれにせよ連中が何の考えもなしにその名を騙るとは考えにくいと思われます。雪町セイギと早河誠、連中が彼らをその計画の根幹に配しているのは疑いないでしょう」

「その物言い、バーグはまだいると?」

「いいえ。これまでに我々と関わったバーグは全て死亡しました。そしてヴェネツィアの海底から発見した首のない遺体から、早河誠の両親、護と成美であるという確認が取れました。最後のバーグが殺害したものと見て間違いないでしょう。この状況で今問題視するべきは、やはりハノと〈サイクロプス〉――ジオの行方でしょう」


 絶に斬られ、地に臥したはずのジオ。しかしその足取りは未だ行方知れずである。死者とその周辺の観測を怠った〈サード・アイズ〉と、その指揮を執っていたコイルのミスだった。


「……ご苦労。次の任務については追って通達する。それまで待機しろ」


 労いの言葉のみならず、休暇まで頂戴できるとは。

 クートヘッドはもちろん、頭に血が上っていたフリッツも、ボスに起きた変化に驚きを禁じ得なかった。


「これからもよろしく頼む、第零諜報部隊(チーム〈HEART〉)。お前達が止まれば、組織だけでなく、この世界も立ち行かなくなるのだからな」


 総督付特務諜報部隊。通称、情報部第零諜報部隊〈HEART〉。

 フリッツをリーダーに置き、エノロバ、ヘナ、クートヘッド、ダーシャ、そしてムック他数名からなる独立諜報部隊である。

 フリッツはじめ五名は表向きには情報部第一諜報部隊〈DUST〉として活動しており、その活動内容はコイルにのみ報告しているが、全てはボスやメルセデスに筒抜けである。本来、〈シグナル・ブラック〉もボスもとい、ヴォルフガング・ソルスが情報部在籍時代に考案したものであった。コイルは長官となった際にそれを疑いもなく継承し、行く行くはこのシステムをボスに昇進した際に利用しようと画策していた。

 部隊の主任務は、組織内および三大出資者への内偵である。しかし、そうした二重生活に素直にイエスと言えるほど、リーダー・フリッツには滅私奉公の精神が芽生えていない。それでもボスとフリッツの上下関係が構築できているのは、フリッツが出した条件が認められているからだ。


「折角貰った休暇です。思う存分羽を伸ばさせていただきますよ」


 敬礼もそこそこに背を向けるフリッツの背中には復讐の炎が滾っているように見えた。

 部隊設立の折、フリッツは言った。

 殺したいやつがいる――と。

 そいつを見つけるのに組織のあらゆる力を用いていいのならば、手を結ぼう――と。

 ボスは言葉など上辺を介さず、手のみを差し出した。フリッツの野望はそれほどまでに深く、同情に値するべきものだった。

 後を追いかけるクートヘッドの目も、フリッツと同じ方角を向いている。きっと他の者達もあの時自分が感じた想いを胸に宿しているのだろうと、ボスは睫毛を震わせた。


「エノロバ・バイエリッチに……!」


 ボスとメルセデスの最敬礼は、フリッツの背中が消えるまで続けられた。

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