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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔エピローグ‐1〕

 モニターに薄暗い動画が再生されている。深夜の廃工場と思しき場所の内部を、隅から撮影した映像のようだ。黄金の瞳は、その動画の一部始終を網膜に焼きつけていた。


『お前がバーグか』


 点在する三つのランプと、屋根に空いた穴から注ぐ星明りが人影を浮き上がらせている。対峙する二対一の構図と、英語による低い問いかけが状況の不穏さを観る者に伝えている。


『聞きたいことが山ほどあったんだが、これも巡り合わせか。有無も言わさず殺さなくてはならん』


 巨漢の脅し文句に、キャスケットを目深に被ったカイゼル髭の男バーグが短く笑った。

 何がおかしいという巨漢の問いに、『巡り合わせ、な』と肩を揺らした。それ以上の文言を唇が紡ぐことはなく、二人組の男達もまた誰かに背中を押されるように歩き始めた。

 両者の距離は二〇メートル足らず。巨漢が腰に提げていた壺を口に運んだ頃には、彼とタッグを組む銀髪冴える男がバーグと肉薄していた。彼の拳が振るわれる。ボクサーのそれとは違い酷く粗野で美しさの欠片もない拳が、工場の機械を見る影もなく粉砕した。

 どこかに固定されているらしいカメラが衝撃でガタガタと揺れる。フレームの右下にいる銀髪が宙を見上げる。右上に人の足が映っているが把握できない。

 途端、巨漢の像が肥大する。長い髪と髭、目を瞠るべきは頭から生えているらしい角。そのシルエットは悪魔、いや鬼。

 フレームの半分ほどがその巨体の支配を受ける中、バーグは宙を縦横無尽に飛び回り、銀髪がそれを追いかけては先々で何かを破壊していく。鬼が動くと空気が爆ぜる。その突風がバーグの自由を奪うや、銀髪の蹴りが胴に突き刺さる。敢え無く落下するバーグだったが間際、『さぁ、私の屍を越えていけ』とカメラは彼の声をしかと記録していた。


『誰にも止められない。いくら抗おうとも決して逃れられない運命(さだめ)だ。思考も努力も、能力も、選択も、巡り合わせなるものは全て初めから決められている。私も“お前”も、そうなるようにしかできていない』


 聞き入る金の瞳が鋭さを増した。バーグが告げる“お前”なる男の正体を逸早く脳裏に過らせた。

 映像の残り時間はわずかに迫っている。壁に打ちつけられた男の頭上に、鬼の巨大な拳が隕石然と降ってくる。


『神が綴った予言書という名の脚本だ。アドリブ一つで塗り替えられる結末などありはしない。“お前”がいくら走ろうが、苦しみ喘ぎ、その中で小さな一握りの希望を見つけようが、最期にそれは必ず砕かれるのだ。だからどうか少しでも多くの絶望に心磨り減らしてから死んでくれ、早河誠――!!』


 惨い結末はカットされ、黒い背景に〈This is what the video!?〉と白字の文言が現れて映像は終わった。

 この動画はあるユーザーが演出用に少しばかり手を加えた物だが、内容についてはほとんど編集されていない。

 今、この手の動画はインターネット上から隈なく削除されてしまっていて入手するのは非常に困難だ。情報班の話によれば、何者かが同種の動画や画像を根こそぎ消去するウィルスを拡散させたからということらしい。

 一足遅ければ永遠に閲覧できなかっただろう。情報収集のためにいくつかの動画サイトに根を張らせていたのは正解だった。

 こうした諜報活動を主導するレーン・オーランドはモニターから目を離し、ニューヨークの大手新聞のトップニュースを閲覧した。

 マンハッタンはタイムズ・スクエアで自爆テロが発生して、今日で丸三日が経とうとしている。

 三名からなると見られる犯人グループの凶行により、六二名の死者と一三八名の重軽症者が出た。犯人達は素性を明らかとする物を身に着けておらず、未だ身元が割れていない。また犯行声明も出ていないことから、既存のテロ組織との関与も懐疑的であるとの見方が強まっている。

 事件発生当時、現場からはほとんどの市民がマンハッタンから避難した。二〇〇一年の経験が生かされたか、ニューヨーク市警の対応が素早く、市民の安全の確保と混乱の沈静化に努める様子は国内外から高く評価されている。

 一方で専門家からは、一連の事件に関しては不可解な点が数多く存在しているとも指摘されている。レーンはその内容に言及しているニュースの録画映像をテレビで再生した。


『犯人がたったの三人? そんな馬鹿なことがありますか。事件発生当時、マンハッタンでは電波障害や大規模な停電が起きていたんです。自爆テロで電柱が破壊されたなんてことを言っている人もいますがね、多くの目撃者が、テロが起きる前にそのような事態に陥っていたと証言しているんですよ!』

『それは偶然ではなく、また実行犯以外の協力者が存在していて、その者が犯行計画の一環として行なったことだと仰る?』

『そんなことは分かりません!』


 随分身勝手な物言いに、メインキャスターは苦笑を浮かべる。


『他にもね、あるんですよ! 分からないことが!』

『はぁ……』

『政府は即座に特殊部隊を現地に向かわせたと言っていますが、その任務が完了したのは翌日未明という話じゃないですか。事が起きて三人以下となっているはずの相手に、一体何時間を費やして作戦を遂行していたというのでしょうか!? しかも射殺した、逮捕した、そのような報道もない! 他に理由があったと考えるのが至極自然ではありませんか!?』

『はい、まぁ、はい』

『私ね、昨日現場に行ってきたんです! この局のテレビクルーもいましたね、当然。黒焦げのバスやタクシー、地面も焼け、電柱も折れていました。第二のテロ現場とされるホテル〈グラン・アメリカ〉なんて見る影もなく崩壊していました。思い出しましたよ、あのテロの光景を……』


 スタジオの空気が重くなり、キャスターが耐えきれずに、『はい、そうですね。それで?』と続きを促した。

 専門家は興奮して浮かせていた腰を椅子に落ち着けて、『“ジェイド・ヘルム15”なんて陰謀論をまくし立てるつもりはありません』


『軍が行なっているという大規模極秘軍事演習の?』

『えぇ。私はそういうものじゃなく、もっと現実的な想像から乖離した事態がこの大都市で発生し、それを政府が対処し、隠蔽したと考えています』

『はぁ。そう仰る根拠は?』

『この映像、皆さんもご覧になったんじゃないでしょうか。フリップですが、どうぞ』


 そう言って専門家が自分で用意した資料を出したころには、レーンの目は手元の資料に向けられていた。数枚の紙媒体に、それぞれ写真と分析結果が掲載されている。写真は事件当時、全世界のテレビやインターネットと接続されたPCモニターへ強制的に発信された映像の数コマを収めたものである。

 電気が消えた深夜の街の大通り。ルビーのように煌めく赤い眼光を湛えるアジア人と思しき少年と、カイゼル髭の男が対峙している。レーンは睫毛を震わせて、専門家の意見と自身の見解を擦り合わせた。


『――私はね、この事件の直前に世間を騒がせていた動画と関連があるのではないかと思っていましてね……』


 それは確定事項だろうとレーンは同意した。もしもネイムレスの鬼の言った言葉が正しいなら、あの髭の男はバーグに違いないのだろう。そして早河誠はそのバーグと摩天楼の只中で死闘を演じていたのだろう。


『私と同じ考えのジャーナリストは他にもいるようでしてね、現に彼らは政府の会見で質問したのですが、政府は“我々はハリウッドではない”の一点張りだと聞きます。アレだけ世間を騒がせたのにも拘らず、また世界中に発信されたというのに、彼らは無関係と決め込んでいるのです!』


 彼の言い分に、キャスターをはじめ、並ぶコメンテーター達も失笑する。

 当然の反応だとレーンは思った。表世界であればそれが普通の反応だ。それだけネイムレスの暗躍が正常に横行しているということだ。

 そして政府自身も情報源に絶対の自信を持っているに違いない。早河誠の発言が正しければ、ネイムレスをはじめヘレティックを中心とした世界の存在は、現職大統領および歴任者にしか知らされていない。つまり、記者がいくら政府のスポークスマンたるホワイトハウス報道官に質問を繰り返しても、彼らは本当に知らないのだから与太話だと切り捨てられてしまうのも仕方のないことだった。

 加えてレーンは、真実に切り込まんとする専門家さえも知り得ない、裏世界のヘレティックとしての情報から想像を重ねた。専門家は件の映像の強制放送はハッカーによる仕業と見ているようだが、レーンは〈ユリオン〉という可能性に気付いていた。話に聞くそのコンピューターが実在し、完成を目前としているのならば、世界を一瞬で牛耳るのも訳ないと考えることができた。

 そして〈ユリオン〉とその利用者の目論見が阻止された可能性も察知していた。あの一瞬だけでもこれだけのインパクトを残せたのも事実だが、本当はもっと衝撃的で凄惨な光景を世界に拡散したかったのではないかとも思えたのである。

 その証拠が、はじめの動画をアップロードとしたアカウント名〈BURGE〉だ。もしもコレがバーグ本人、あるいは協力者の仕業だとすれば、バーグの目的は“真実の拡散”――いや、“共有”に他ならないはずなのだ。

 一度目の動画も限定的な注目となり、早晩目的は阻まれた。だから二度目はもっと直接的な手段に訴えかけたのではないか。


「しかし、劇場染みているな」


 レーンは父シューベルの話を想起させた。

 彼が誠とあのカラコルムの山中で対峙していた頃、父はバーグと邂逅していたという。危険だ、決して接触するなと“協力者”から注意を受けていたにも拘らず、父はその禁を破ったのである。

 聞かされたバーグの容姿と動画のそれは似ても似つかない非なるものであるが、バーグが身代わり(スケープゴート)を用意する卑怯者だと知っているレーンには重要視することではなかった。問題は、バーグがネイムレスの魔の手から父シューベルを救ったということだ。そしてバーグはオーランド親子が抱える事情を知っている。

 ならば、アメリカに対してのこの親子の憎悪についても知らないはずがない。

 だとすればこの二つの動画はメッセージだ。“お前達が手を拱いている間に、私はこうも容易くアメリカを恐怖させているぞ”という挑発に他ならない。

 “直感”したレーンだったが、振り上げた拳を下す先に迷っていた。

 ネイムレスの情報統制が滞りなく進行している今、バーグはすでに抹殺されているに違いないからだ。映像に映る男さえもがスケープゴートだという疑念は晴れないが、アレだけの大仕事を操り人形に任せているヘレティックが他にいるのだろうかとさえ思ってしまう。バーグはこの世におらず、ネイムレスの脅威は一つ少なくなったと考えるのが妥当――「いや、〈アルパ〉も終わったか?」レーンは唇を噛み締めた。

 彼の復讐目的はアメリカ合衆国そのものであり、それを主導するアメリカ政府、とりわけ大統領達でもあった。大統領歴任者による対ヘレティック組織〈アルパ〉はその最たるものであった。

 しかしこうしてネイムレスが正常に機能している。国内でヘレティックが暴走したにも拘らず、連中が動いている様子が窺えない。となれば、〈アルパ〉も壊滅したと見るべきだろうか。

 レーンは苦笑した。苛立ちを通り越して、裏世界の恐ろしさを実感していた。


「バーグめ、その身を賭して全てのヘレティックを焚きつけたか。そればかりか、彼の心さえも……」


 資料の一枚を眺め、映る赤い瞳に憂いを覚えた。


「マコト、キミも復讐者だったのかい?」


 同情したのも、深い瞬きまでのひと時だけだった。次に金色に光が差し込んだころには手元に資料はなく、意識は窓外へと向けられていた。

 防音処置が施されたこの部屋に外の音が届くことはないが、眺めているだけでその空間を満たす機械音のけたたましさは想像できた。キャットウォークを砂粒のような人が歩いては、空間の大部分を占める巨大な構造物を指さし、指示している。その中に鬱陶しい長髪男の姿を見つけ、無線で呼び出した。


「“連中”とコンタクトを取れ」

『は? お坊ちゃんですか、何です?』

「手段は問わない。“連中”と話をする機会を設けろ」

『しかし、“彼ら”は――』

「アンテロープ、急げよ。ネイムレスは待ってくれん」




 ハッとして開かれた目蓋の向こうには、弱々しい電灯に集る二匹の蛾の姿があった。

 事態を把握するために身体を動かしたが、思うように上体を起こせず、次にはベッドから転がり落ちていた。何かがおかしい、産まれた頃から持ち合わせていない痛覚とやらのせいで、その身に起きている異変にすぐには気付かなかった。

 不意に右手を見ると包帯が二重三重に巻かれていた。親指だけが剥き出しで、その他の指は影も形も無くなっていた。

 途端、ジオの脳裏に、女サムライに斬られた記憶が蘇り、自然死神の冷たい視線も呼び覚まされた。

 視線を落とすと、裸にされた上体も包帯で隠されていた。深く袈裟に斬られ、死を実感した。次に目覚めるとすれば地獄だろうと思っていたのだが、我ながらしぶとくも現世に片手でしがみついているようだとジオは苦笑した。


「痛みがないのは幸運だったな。普通ならば、見るだけで卒倒する」

「ハノ……」


 相変わらずパーカーのフードを目深に被った陰湿な雰囲気のその男は、扉の縁に身体を預けてジオを見下ろしていた。


「ココは何処だ」

「何処でもない。今のお前には知る必要がない」


 彼の口振りに、ジオの隻眼が狂気を孕んだ。しかしハノは身動ぎ一つせず、淡々と言った。


「しばらく安静にしておくのが今のお前の仕事だ」

「仕事……だと? 聞かされている予定どおりならば、雇い主(バーグ)は死んだはずだ」

「俺が新しい雇い主(オーナー)だ」

「お前が?」

「悪く思うな。俺の仕事でもある」


 憮然とするジオだったが、動かぬ身体を見つめ直して自我を納得させた。


「医者はいるのか」

「いる。俺の人形同然だが腕は立つ」

「……お前はどこまで知っている」

「お前よりかは知っている」


 そう言い残し、ハノは部屋を後にした。

 独り狭い部屋に残されたジオは、地べたに座り込んだまま空を見つめた。

 マンハッタンでの戦闘は愉しかった。アレほどの快楽はこれまで味わったことがなかった。その果てにある死への恐怖も覚えることができたのは何よりの収穫だった。


「もう一度……」


 もう一度、堪能したい。

 舌なめずりをする彼の欲求を耳の端に捉えるハノもまた、刻の針が確実に動いていることを実感して身震いを覚えた。




 デヴォン島に限らず、本部の移転候補地上位に挙げられる基地には全面が白い部屋が一つだけ設置されている。その存在は公にされておらず、参謀本部と各基地上層部にのみ知らされている極秘空間である。

 そこは四畳半ほどと狭く、天井のみならず全面に光源機能を持たせることで室内は影一つ生まれていない。設定光度を誤れば室内の生物は蒸し焼きにされる虞さえあるので、冷房により常に温度管理が施されている。

 そんな窓一つない室内の中央に、黒ずくめの男がポツンと一人、俯きがちに佇んでいる。愛用している縁の広いソフト帽は取り上げられ、長く癖のある黒髪が露になっている。冷やされているものの、常時四方八方から照明を当てられているような状況にも拘らず、その男は汗一つ流さず沈黙を守り続けている。

 そんな彼に、頭上のスピーカーが震えた。マジックミラーと化している四方の壁の向こうにいる誰かの息巻いた声だ。音声は機械で変えられているが、その声量、息遣いから作戦部長官シルド・ボ・ギャバンだと判断できた。


『もう一度命じるぞ、ゼツ・ルイサ! きさ、貴官が犯した行為、その意図を腹蔵なく明らかにせよ!!』


 尋問されている重要参考人――累差絶は眉一つ動かさず、彼の問いを右から左へ聞き流した。ここへ連れてこられて一時間、延々と続けられる同じ詰問よりも、この空間の存在のほうが彼にとっては非常に興味深かった。

 彼は今、〈マンハッタン戦線〉と銘打たれた先の戦闘の重要参考人として査問委員会にかけられている。組織法では、査問の審理は参考人あるいは被告の上官、また判事に召喚された上層階級の者など、複数名で行なうこととされている。つまり今回はギャバンをはじめとした作戦部上層部を中心に、幾人かの重役が名を連ねているのは絶にも容易に想像できた。


『なぁ、ルイーサよ。確かに幼い時分、貴官は謀反を犯そうとした。そのツケで〈タルタロス〉へ追放されることとなったが、作戦処理部隊(リセッター)における貴官の活躍には目を瞠るものがあるのも事実。また旧第一実行部隊(チーム〈BRAT〉)の業績と恵まれたセンスを買われ、此度の作戦に適任と判断されたのも、今思えば得心がいくというものだ。なれば貴官には、特赦あるいは名誉挽回とも取れる機会を与えて下さったボスのご厚意に報いるべく、胸襟を開く義務と責任があるのではないか?』


 この老いぼれた声は兵站部長官か。後進に道を譲るなどと吹かし、メギィドの才能から尻尾を巻いて逃げ出した枯れた《ギフテッド》だ。〈エッジレス〉の素材〈アダマンチウム〉を発明した頃が花だったなと、絶は静かに笑みを浮かべた。


『何がおかしい、ルイーサ』

「確かにねぇぃ。私ごときのためにぃ、このような部屋までご用意いただいているのですからぁ、ボスには感謝の言葉もありませんねぇぃ」


 審理についは、参考人あるいは被告がヘレティックである場合に限り、判事の安全が充分確保されている場所や状況で行なうことが義務づけられている。つまるところ、この白い部屋もその一環。ここは、影に入ればその存在を無にできる絶のために用意された、専用尋問室に他ならない。

 信用されていない。それはいい。絶には酷くどうでもいいことだ。問題は、これを機に以前よりも監視の目が厳しくなることだ。ここへ連れられる前、腹心の李螺葵が教えてくれた。今作戦〈オペレーション:フォー・ザ・ワールド〉には《千里眼》のみで編成された〈サード・アイズ〉なる特別チームが結成され、大いに活躍したらしい。

 監視対象が自分一人ならいい。これまでどおり、そういう想定で常に動いていればいいからだ。だが二人、いや三人以上の《千里眼》を相手にするのは苦労する。今後のスケジュールを改める必要がある。

 それは、面倒だ。


『アンディ・コープからきさ、貴官が押収したP.O.Boxの鍵。中央郵便局の私書箱の鍵だ。その私書箱の番号を覚えているか?』


 〈040〉。

 絶は答えず、また空を見つめはじめた。


『あの青年に鍵を渡したのはバーグのようだ! そして奴は劇場型のREWBSだった! だとすれば、その私書箱の番号を無意味に選んでいるとは考えにくい!!』


 第四〇代大統領ジョージ・グレア。組織ネイムレスにその座から蹴落とされ、ヘレティック殲滅のために〈アルパ〉を立ち上げた愚か者。床に臥し、その志をディカエル・プレマンに託しながらも、マンハッタンの老舗高級ホテル〈グラン・アメリカ〉から影ながら支援していた稀代の復讐者。しかし彼が夢見ていたに違いないヘレティックのいない正常な世界は、ネイムレスではなく見ず知らずのREWBSによって打ち砕かれてしまった。


『そして貴様貴官もっ、それを察知しながら私書箱を開けっ、入っていたUSBを回収し、郵便局前の専門学校のPCに挿入したっ!! 貴様はそこに何かしらの危険を感じていたにも拘らずっ、サイコパスにも通ずる猟奇性を抑えきれずに事に及んだのだっ!!』

「それでぇぃ?」

『な……!?』

「それでぇぃ、私は何をすればよかったのかねぇぃ?」

『だ、だから貴様は何故っ、コチラに指示を仰がず、無断で行為に及んだのかと聞いているのだ!』

「仮にそうだったとしてぇぃ、あの時私が指示を仰いでいたとすればぁ、どういう事態になっていたんですかねぇぃ。タイムズ・スクエアにはあの〈サイクロプス〉がいたぁ。不審なタンカーの積み荷には〈ユリオン〉と関係が深そうな兵器があったぁ。私がぁ、偶然にもぉぅ、USBをPCに挿してしまったお蔭でぇぃ、あの場のREWBSによる凶行の数々が全世界に知らされなかったんじゃないですかねぇぃ?」

『き、詭弁だ、そんなものは!!』

「私は確かに軽率だったかもしれないさねぇぃ。だがぁ、今重要視すべきはぁ、何故“真実の共有”なんてものに執着していたあのバーグがぁ、わぁざぁわぁざぁ現場の情報を封殺したのかということじゃないのかねぇぃ。事の発端から情報を発信しているほうがぁ、奴の主義主張を押し通せたと思うんだがねぇぃ」


 苦虫を噛み潰したような顔をするギャバンの隣で、メルセデス参謀長官は尋問室のスピーカーとリンクしてある〈MT〉のマイク機能を入れた。


『論点をすり替えるのは止しなさい、ゼツ・ルイサ』


 この場で最も厄介な手合いがいるとすればこの女だなと絶は思った。


『バーグの主張の全てを精査すれば、その大部分にマコト・サガワへの逆説的とも言える復讐心が行動の根幹にあることは解ります。確かに理解に苦しむ点は多々ありますが、それ故に撹乱目的でいくつかの行為に及んでいたとも考えられます』


 バーグは未来を視ることができたようだ。そのセンスは自身の末路をも見通し、故に自分を追い詰める早河誠への感情を抑えられなかったと考えられる。


『対して貴官は、全て自己の判断で即物的に動いていたように見られましたわ。USBの件は勿論、〈サイクロプス〉と戦端を開いた件も、バーグの首を刎ねた件も……』


 そうした考察を浮かべる一方で、メルセデスには疑問があった。バーグの証言にある、“未来は変えられない”という言葉だ。それが事実ならば、バーグは何故、自分を殺した累差絶ではなく、早河誠に執着したのか。

 累差絶にならば殺されてもいいということか。酒顛ドウジにならば殺されても構わないと断じるボスのように。

 ならばその感情の根源は信頼か。それとも他に理由があるのか。あるとすればきっとそれは、バーグのみが視た未来にも明らかとされるのか。


『包み隠さず説明なさい』


 メルセデスの本心だった。

 彼が自ら口を割らないのならば、センスを行使するくらいの気概は当然持ち合わせていた。その果てに死が待ち受けていたとしても、組織から脅威を取り除けるのなら安いものだった。

 絶の口元からは笑みが消えていた。尋問官の中でも実戦経験のある者達は彼の醸しはじめたザラついた空気に息を呑んだ。


『皆さん、お待ちください』


 水を差したのは情報部長官コイルの無感情な声だった。


『〈サード・アイズ〉も彼の行動全てを監視しているわけではありませんでした。故に経緯が不透明であり、いくら前科者の彼を詰問しようにも情報の瑕疵(かし)を無視することはできません』

『何ですって?』

『ゼツ・ルイサ作戦部作戦処理部隊総隊長。貴官は職務を全うしたか?』


 コイルはメルセデスの問いかけを無視して訊いた。強硬姿勢の彼に、『コイル! 何だその質問は!?』とギャバンも噛みついた。壁の向こうで取っ組み合っている様子が絶にも見通せた。


『答えなさい、総隊長』

『お待ちなさい、情報部長官!』

『今回の査問委員会委員長は私です。また審理の判断材料たる情報の提供責任者も私です。その私が証拠不十分であると断言し、審理の続行は不可能と判断し、また責任の一切を負うと宣言しているのです』


 査問委員会の審理の最終判断は委員長に全権が委ねられている。通常、委員長はボスが適任とされているのだが、今回は絶の起用を提案した本人であるボスは蚊帳の外となっていた。

 強権を手にしたコイルは、『貴官は、職務を全うしたか?』と地団太を踏む一同を他所に最後の質問をした。

 絶の口元に不敵な笑みが戻っていた。




「コイル! 貴様、待たんか!!」


 釈然としない空気のまま、審理は閉廷した。

 マリアナ海底旧本部基地に似せたアクアリウムがガラス一枚先にある通路で、ギャバンがコイルの肩を掴んだ。小奇麗なスーツにシワが入るのを怜悧な瞳が確かめていたが、その唇には悔しさが溢れていた。

 稀に見る態度にギャバンは少しばかり当惑した。掴む手の力が自然と緩み、もう一度コイルの顔色を窺った。すると彼の横顔は失せ、その視線は正面に向けられているようだった。追ってみると、扉から累差絶が出てくるところだった。

 衛兵から事務手続きの書類にサインを求められた絶は、差し出された有機ELフィルムに手の平を押し当てた。指紋と静脈を認識したフィルムは累差絶本人と確認した。それでも尋問の内容を知るこの衛兵は少なからず不満顔を浮かべ、投げやりな敬礼の後に去っていった。

 小物に興味はないといった具合に絶は爪先を港へ向けた。コイル達との距離が縮まっていく。長い髪が邪魔をして、絶の顔色が明らかにならない。このまま路傍の石と無視を決め込まれては堪らない、ギャバンはコイルを押し退けて絶に食って掛かろうとした。

 途端、アクアリウムを大魚が横切っていった。巨大な影が彼らを包むや、長官二名の視界から絶の姿が消えていた。

 《暗流》か。ギャバンが彼を探して頭を振る寸前、「長官方ぁ、ご面倒をかけて申し訳なかったねぇぃ」と背後から厭らしい声がした。冷汗交じりに踵を返すと、絶は背を向けて続けた。


「“情報が揃った”なら、またお呼び出しくださぁぃ。いつでも応じますのでぇぃ」


 ルイーサと手拍子で怒鳴るギャバンの声が、コイルの耳には入ってこなかった。手玉に取られ、キャリアに傷をつけられたという事実が彼の脳を掻き回すばかりだった。

 眉間にシワを寄せ、噛み切らんばかりに唇を含み、拳からはとうとう血を滲ませた。そんなエリートの恨み節を背に、絶は悠然と通路を渡っていった。

 エレベーターの前で腹心が待機していた。


「ゼツさん、お疲れ様です」

「帰ろうかぁぃ、ラァキィ……」


 絶はそう言って螺葵が差し出した帽子を受け取った。笑みを浮かべるその口元さえも、広い縁の陰に隠した絶は、まもなくデヴォン島基地から去っていった。その間、彼らは一言も交わすことはなかった。

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