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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔一〇‐3〕 SIDE:NOMAL

 あの少年が言ったとおりになった。

 GWBを渡って多くの人がマンハッタンから逃げ出してきた。中には負傷者もいて、考えるまでもなく介助が必要だった。

 白タクの運転手は、少年から渡された茶封筒を固く握り締めていた。封筒の中身は一万米ドルが収まっている。日本円に換算するとおよそ一〇〇万円である。

 昼過ぎ、少年はオールバニー国際空港からマンハッタンまで乗せろと言ってきた。運転手は冗談じゃないと突っぱねた。前金で五〇〇〇米ドルが支払われた。まさしく現金にも、運転手は車を走らせた。

 マンハッタンを目前にした、GWBの手前のことだった。行きの車道は渋滞し、帰りの車が猛スピードでマンハッタンから次々と飛び出してきた。何事かと訊くと、またテロが起きたのだと騒いでいた。

 運転手は唖然とした。アジア系の少年から大金を頂戴し、ただでさえ動転していたというのに、今度はテロの再来だ。連中は、何度この国を破壊すれば気が済むのか。憤りと絶望が綯い交ぜになってしまい、頭が回らなくなった。

 そんな折、少年はさらに五〇〇〇米ドルを渡してきた。そして言った。“マンハッタンから逃げ延びてきた人達の使ってくれ”と。お前はどうするのかと問うと、“無責任ではいたくない。この力は人のために使う”などと抜かしやがった。

 生意気な。冗談じゃない。GWBへと遠退いていく少年の背中を睨み、白タクの運転手は唇を噛み締めた。


「こんな状況を前にして、身銭だけはキチンと懐にしまっていられるほど落魄(おちぶ)れちゃいない……!!」


 こんな俺だって、無責任でいられるか。

 運転手は不思議な少年から受け取った全額一万ドルの使い道を考えた。マンハッタン外縁で世界最大手のスーパーマーケットがドデカい駐車場を用意している。避難者をそこに集め、スーパーで医薬品や物資を買い揃え、負傷者の治療に尽力するのがいいと考えた。

 彼の呼びかけに比較的多くの者が賛同してくれた。軍役を経た者達ならではの横の繋がりに思えた。臆病な者、知らぬ存ぜぬと頬かむりを決め込む者達も中にはいたが、それでも大多数が協力的だった。

 少年のカンパあっという間に底を突いた。しかしその成果は充分に出た。駆けつけた救急隊や患者からは、今まで親にも受けたことのないような数多くの褒め言葉を頂くことになった。

 そんなものが欲しかったわけではない。自己満足を満たしたかったわけではない。

 運転手は橋の向こう、地獄の様相を呈していると噂されるマンハッタンを振り仰いだ。

 ここにいる人々はお前に救われたんだぞと、少年に伝えたかった。たった今、誰の意図もなく点いたテレビに一瞬だけ映った、あの少年に。




 荷造りなどしている暇はない。着の身着のまま、財布やクレジットカードを持ち出すのが精一杯だった。

 互いに急かし合い、MVPに乗り込んだはいいが、「お兄ちゃんはどうするの!?」という娘の問いには、家長デイビッド・コープは手拍子で答えられなかった。

 長男アンディ。頭が良く、冷静で、愛する妻モニカのイイところをばかりを受け継いだ自慢の息子。大学では情報学を専攻し、優秀な成績を収めている。

 そんな彼がとんでもないことをしでかした。超能力者が実在するという特大スクープを世界に報道したのである。しかも彼を巻き込んだカイゼル髭の超能力者は、超能力者同士で争いが起きていると話した。

 髭の男は、“真実の共有”だと言っていた。息子の言葉だとも。

 何がどうなっているのか、デイビッドやモニカには見当もつかなかった。感受性の豊かな娘マーガレットはすぐに髭の主張を真に受けたが、マルチ・レベル・マーケティングを持ちかけられているような疑わしさがあった。

 超能力者の一味らしい丸坊主の巨漢や銀髪釣り目の若造が、髭の男を亡き者にすると、考えることが馬鹿らしく思えるほど混乱した。一方でアンディの様子を見ると現実を受け止めるべきだろうとも思えた。

 親として、息子の言葉を信じるべきだと。


「お兄ちゃんはタイムズ・スクエアに向かったんでしょう!? 早く追いかけて一緒に逃げようよ!」


 後部座席から縋りついて懇願するマギーの瞳は涙ですっかり滲んでいた。助手席のモニカも、「デイビッド、あの子を助けられるのは家族だけよ」と手を握った。

 別にアンディを捨てようと思ったわけではない。巨漢達を追いかけるように飛び出してしまった彼を選ぶか、すぐ傍にいる残りの家族を守るか、家長として二つに一つの選択に迫られていたのだ。アンディを信じたからこそ、後者を選んだつもりだったが、女達は納得がいかなかったようだった。


「……分かった。すぐに追いかけよう」


 キーを回してエンジンに火を入れた。エアコンが起動し、滞留した空気を掻きまわし始めた。

 途端、急な睡魔がコープ家を襲った。身体の小さいマギーから順に脱力し、デイビッドは額をハンドルの中心に埋めた。けたたましいクラクションが人っ子一人いないブロンクス区に響き渡った。

 MPVの運転席側のドアが開かれた。目元すら開いていないフルフェイスマスクを被った何者かがデイビッドの身体を起こし、外へ引き摺り下した。静寂が返る傍ら、何者かの背後にある玄関扉が開いた。同じく覆面をした者達が、担架を運び出しているようだった。載せられているのは、カイゼル髭の男バーグの遺体である。

 一家を眠らした者は言った。


「今日は休め。明日にはきっと、日常が戻っている」


 その彼らの日常に、アンディの存在が含まれているか否かは、時の運に委ねるほかになかった。




「先程のテレビ映像についての情報か?」

「はい、映像の解析担当者から説明があるようです」


 大統領執務室(オーバル・オフィス)の地下にはシチュエーション・ルームと呼ばれる危機管理室が設置されている。主に国内外の監視、および有事に際し、国家安全保障に携わる高級官僚や専門家達が善後策を考案、指揮する、情報管理の詰所である。

 この度、マンハッタンで起きている事象はまさしく有事であった。現職大統領ケネス・ミリードはマニュアルに従って地下に潜ると、閣僚や軍部と協議を重ね、常時入ってくる新情報を頼りに現地の状況を把握せんと躍起になっていた。

 先のテロの件もあり、室内には緊迫した空気が垂れ込めていた。しかしあの頃とは違い、不透明な点があまりに多すぎた。電力、および電波障害によってメディアのデータ送信を行なえず、別のトラブルだろうか、人工衛星による航空写真の撮影もできなくなっていた。

 やっとこさワシントンまで流れてきたメディア情報と言えば、マンハッタンを対岸から映した画像や動画ばかり。しかもどれもこれも闇に浮かぶぼんやりとしたビルの明かりが目立って、何を伝えたいのかまるで理解できなかった。FBIやCIAのエージェントの質が落ちているのではないかと閣僚からは嘆息が漏れる始末だった。

 そんな矢先、室内に無数に設置されたテレビ画面に、不審な映像が挿入された。闇に閃く赤い目を湛えたアジア系の少年と、カイゼル髭を蓄えたヒスパニック系の中年男が激突する、一〇秒にも満たない映像だ。

 映像解析の担当者がテレビ電話越しに報告する。


『プレジデント。今、世界中のテレビやモニターの画面が黒く塗り潰されているのはご存じでしょうか』

「情報は上がっている」

『原因はコンピューター・ウィルスによるものだと判明しました。現在、ワールド・ワイド・ウェブはそのウィルス一つに汚染されており、ネット回線を通じてテレビ会社から一般のPCモニターまで、あらゆる映像を黒く塗り潰されております』

「……そのウィルスというのは、排除できるのか?」

『あまりに強力なウィルスです。一朝一夕での解決は不可能かと。コンピューター・セキュリティの専門家達による、特別チームの編成が急務になります』

「すぐに招集させる。エイムズ、頼めるか?」

「もちろん」


 エイムズ国家情報長官は快くうなずき、スマートフォンの通話アプリを起動させた。

 国家情報長官はアメリカ合衆国における情報機関の全て――インテリジェンス・コミュニティーのまとめ役である。

 先のテロまでは、情報機関の中枢たる中央情報局(CIA)の長官が、連邦捜査局(FBI)国家安全保障局(NSA)などその他の機関を束ねる中央情報長官を兼任していた。しかし当時、情報の伝達齟齬、各機関の縄張り争い、国防総省との対立などが明るみになり、組織の指揮系統が問題視された。それを打開するべく、各機関の統括権限を有する国家情報長官の誕生が議会で可決された。

 エイムズは五代目の長官である。ミリードとはハイスクール時代の同輩で、親友でもある。大学へ進んだミリードとは違い、ハイスクール卒業後は軍に入隊した。後、海兵隊に所属し、特殊部隊を転々とすると、二〇〇三年のイラク戦争初期までは前線で戦い続けていた。海軍中将を退任し、ミリード政権で抜擢された。

 血風荒ぶ戦場を駆け抜けてきたとは思えない温厚な性格と、確たる統率力から、ミリードの右腕的存在として頼りにされている。そんな彼の柔らかな口調を耳の端に捉えながら、ミリードは罪悪感に苛まれていた。


「プレジデント、顔色が優れませんが。医師に診てもらいましょうか」

「大丈夫だよ、カレン。ただ、テロの発生を防げなかったことが悔しくてね」


 気遣ってくれる女性官房長官に如才ない笑みを返したミリードは、今一度気持ちを入れ直した。ポーカーフェイスを気取っていたはずが、つい弱気な性格が顔を見せてしまったらしい。

 組織ネイムレスのボス。彼の鉄仮面を素直に尊敬した。どれだけ心を殺せば、あのように感情の通わない面構えを演じきれるのだろうか。彼にだって、守りたくても守れなかった者達が一人や二人はいたはずだろうに。


「滅多なことを言うものではない、ミリード君。本案件は、キミの実績の最たるものになるやもしれんのだからな」


 同じテーブルに腰かけ、彼を窘めるのは、比較的若手で組閣された閣僚の中で最も古株の男性――レイス国家安全保障問題担当大統領補佐官である。しばしば現政権の影の大統領と揶揄されることがある大物議員だが、実質は面倒見のいい好々爺だ。

 大統領選でもミリードを目立って支持することがなく、それがパパラッチの猜疑心に火を点けていたが、政権の支柱となるべく直接的な関わりを断っていたのが真実である。レイスはプレマンも認める男で、彼らも友人関係を明白にしなかった。馴れ合いを見せることで、余計な探りを入れられないようにするためだ。

 今のレイスの物言いも冷たかったが、ミリードにとってはとても心地よいものだった。

 同時にやはり、その手の込んだ優しさが息苦しさを覚えさせた。

 ミリードは今、道化を演じなければならなかった。


「えぇ。ですから悔しさを払拭する手立てが必要なのですが……」

「まぁ確かに、デルタからの報告もなく、偽情報(ブラフ)が多いのは難儀だな。中でもけしからんのは、モンタナのミサイル基地から核が発射されたというデタラメだ!」


 ミリードは奥歯を噛んだ。顔色を変えず、震える目蓋を一度瞬きさせてから落ち着かせた。

 ネイムレスからの情報は来ていない。全ての処理は彼らに任せるという約束だ。彼らが提示した選択肢の後者をミリードは選んだ。ネイムレス、ひいてはヘレティックの存在を再び隠蔽し、闇に葬るという選択を。

 つまり、これまでと何ら変わらない世界の存続を選んだのである。

 ミリードの役目は、彼らを信じ、全てがひっそりと終息するまで大統領を演じ切るということだ。犠牲になった市民の魂に謝罪を繰り返し、部下に嘘を吐きとおす、深い業を、罪を、背負うことだ。

 バーグとやらの陰謀か、核ミサイルが発射されたのだとしても、みだりに動じるわけにはいかなかった。


「サイロの管理職員も不謹慎だと憤っているという話だ!」


 そう言って彼がテーブルにぶちまけたのは、今から一〇分ほど前に撮られたと見られる、モンタナの地下ミサイル・サイロの写真だ。全てのサイロには今も尚、管理情報どおりの形式番号が刻印されたミサイルが配備されているようだった。

 しかしそれはネイムレスによる隠蔽工作だろうとミリードには解ってしまった。ミサイルは事実として発射され、起爆は何らかの形で阻止された。画像のいずれか一つは、ネイムレスの情報部が作成した偽物だろう。現実のサイロの一つも、きっと空になっているに違いない。

 モンタナの管理職員は、情報部に記憶を改竄させられてしまっているに違いない。


「ウィルスと言えば、プレマン氏がミサイル・サイロの一部にデジタル方式を採用したという話ですが。アレは、大丈夫なのでしょうか?」


 カレンの問いに、国防長官はあまり良い顔をしなかった。


「……プレジデント、この際に申し上げたい」

「何でしょう」

「アナタの伯父が開発を主導し、ついに投入されてしまったあの発射システムを早急に封印していただきたいのです」

「…………」

「このテロの時代、万民が等しく愛国心を備えているとは言えなくなっているのは事実です。ゆくゆくは、“如何わしい者達”が一部地域に集団で入植し、反米の拠点とする可能性があります。EUにおけるベルギーのように、知らぬ間に」


 今日、ベルギーの首都ブリュッセルの一部地域はテロリストの巣窟と呼ばれている。それは欧州連合(EU)の本部など、ヨーロッパの主要拠点である反面、多くの移民を受け入れてきた歴史があるからだ。

 多宗教の文化が育まれる傍ら、ISILのような過激派組織による布教、洗脳、および勧誘活動を野放しにしてしまっていた。


「ワシントンやリンカーンに劣らぬだろう生粋の愛国者であるミスター・プレマンが、持ち前の先見の明から次代を読み解き、国内にも撃てる核ミサイル・システムを導入したのは酷く共感を覚えます。愛国心の象徴たる大統領のみがそのシステムを利用できるのも納得して然るべきでしょう。しかしコンピューターで管理されている以上、危険は付き物だと認識するべきです」


 プレマンが反ヘレティックを標榜する組織を指揮している。

 その事実を知らされたとき、このシステムの存在が脳裏を過らなかったと言えば嘘になる。組織に、ヘレティックに対して使用する目的で作らせたと考えるとゾッとしてしまった。退任後も、彼は自身に委ねられた発射コードを生かし続けているのかもしれないと思うと、余計に。

 一方でミリードは知らなかった。システムには組織ネイムレスのウィルスが感染しており、ネイムレスの合意がなければ発射されないようプログラムが書き換えられてしまっていることを。〈ユリオン〉ウィルスが組織のそれを(ついば)み、発射を強行した事実を。


「就任して間もない頃、私の生体データもシステムに導入された。そこで言われたのは、“これでアナタも、ミサイルと一体となった”という言葉だ。責任感よりも、虚しさが上回ったのを、今でも覚えているよ」

「…………」

「国防長官、並びにこの場に列席する皆にも伝えておこう。この騒動が終息した後、核ミサイルの発射システムについて議論を交わしたいと思っている。今世界で起きている事象は、我々に対する何らかの啓示だ」


 伯父さん。

 ミリードは頭に置かれた仄かな熱を思い出していた。彼の大きな手の温もりを。

 彼が立ち上がった気持ちは理解できる一方で、引導を渡す時が来たように思えた。

 そして悲しい(かな)、今では組織ネイムレスの理念をよく理解できてしまっていた。

 ネイムレスは不器用ながらにも、極めて最低限であるものの、礼儀は尽していた。ヘレティックという特異な種の存続のために、ひいては人類を守るために、その力を行使すると約束し、実行してきた。あったかもしれない、手にできたかもしれない、普遍的な幸せをかなぐり捨てて。

 彼らにも何かしら、人類(ノーマル)へのネガティブな感情があるに違いない。裏世界に身を隠さなければならないというのはそういうことだ。それなにのに彼らは今、マンハッタンで戦っている。命がけで戦っている。

 ミリードは圧倒された。約束とは言え、いつでも反故にできるような協定であるというのに、彼らは自己犠牲に奔っている。

 胸を打たれたのだ。あの鉄仮面のボスが感情を露にし、少年が戦場へ向かったという事実を話したときに、国家元首として忸怩(じくじ)たる思いをせずにはいられなかった。

 恥だった。自国を想うだけが、国長の務めではないと身につまされた。

 世界は繋がっている。世界は人類だけのものではない。

 その少年はきっと、ヘレティックであるから戦っているのではないのだろう。アメリカ国民が被害に遭っているからというわけでもないのだろう。そこにある命を救いたい、その一心から身を投じたのだろう。


「長たる自負があるならば……」


 誰かがその声に気付いたかもしれない。それでも道化を演じようとミリードは臍を固めた。

 ケネス・ミリードはこの日、初めてこの国を心から裏切った。

 この国のために、人類のために。そして何より、世界のために。

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