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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔一〇‐1〕 魔女の遺伝子

「まさか……」


 プリマス郊外、とある廃墟。

 暗く、静謐(せいひつ)を極めたこの場所に監禁されて小一時間ほどか。猿轡(ボールギャグ)が外されたばかりのその口を、ディカエル・プレマンは塞ぐことができなかった。それほどまでに目の前に現れた者の登場は、アメリカ合衆国第四三代大統領の頭では到底考えつくことではなかったのである。


「まさか、ボス。お前がこんな……」


 いつ以来だろう。任期中、組織とは幾度となくコンタクトをとってきたが、それはほとんどメッセンジャーを名乗る連中を通してばかりだった。ボス本人とは大統領に就任した日から数えても二度ほどしか会っていない。

 その組織の総督たるボスが今、眼前にその憎たらしい容姿を晒している。オールバックはすっかり灰をかぶったようになり、顔のシワも濃く刻まれているが、彼はあのボスに間違いないらしい。鉄仮面を思わせる硬い表情は露と消えているが、それでも彼本人なのだろう。

 何度も殺すべきと願っていた男、その人なのだろう。


「お久しぶりです、プレジデント」

「相変わらず嫌味たらしい男だな、ボス。わざわざ私を笑いに来たか」


 ボスは一つ瞬きすると、プレマンの監視を任せていた部下に目配せした。すると部下達は彼の身体を縛りつけていた拘束衣を脱がしはじめた。露出した肌はすかさず彼から奪っていた衣服で隠された。

 元大統領としてか、はたまた敵である〈アルパ〉の将――最高幹部としてか、その尊厳は守られているようだ。椅子に座らせられていたこともそうだ。拘束衣のほかには猿轡のみで、部下のようにアイマスクや耳栓までされているわけでもなかった。加えて言えば、彼らのように自白剤や筋弛緩剤のようなクスリを打たれた上に、埃塗れの床にゴミ同然に捨てられているわけでもなかった。涎を垂れ流しながら芋虫のように蠕動する彼らを見て、どれほどの幸運を覚えたか知れない。

 下院議員時代から愛用しているネイヴィー・ブルーのスーツとコバルトのネクタイ、茶系のクラシックな革靴を人形のように着せられて、プレマンの身体は自由を得ることができた。

 ボスは彼と向き合って、言った。


「いくら世界との隔絶を望んでも、この身に植えつけられた文化的遺伝子(ミーム)まではそうそう抜け落ちてくれるわけではありません。ですから組織の長たる私が、反乱者たるアナタに頭を下げる道理もまたありません」

「あくまでも支配者を気取るか、異端者(ヘレティック)

「支配を目論むつもりならば、もっと上手くしています。もちろんフリーメイソンをはじめ、シオン修道会、イルミナティ、KKKのような、“名のある”秘密結社より、遥かに」


 プレマンは下唇を噛み締めた。ボスの瞳が、そのセリフとは裏腹に敵意や侮蔑らしいものを明らかにしていなかったからだ。

 達観している。寛容である。あらゆる立場や思想を、(ひろ)く、受け入れている。

 もはや支配者などではない。ボスは神にでもなろうとしている。

 プレジデントは腹の底から言い知れぬ感情が噴き上がるのを実感した。ジョージ・グレアの思想に賛同し、〈アルパ〉では彼に次ぐ地位を手にし、配下のヘレティックに神と呼ばせてきた。洗脳のもとに手に入れたその玉座が酷く滑稽で、みっともない物に思えた。

 これは、恥だった。


「ボス!!」


 掴みかかろうとするプレマンの両腕は、組織の男女によって封じられた。手錠をかけられかけたが、ボスは手ぶりでそれを制した。動揺する男女を払い除け、跪く格好のプレマンと同じ目線になって、「我々は間違いを犯しました」


「何?」

「ノーマルとヘレティックは違います。生物として、確たる違いがあります。しかし言葉を持ちます。組織の公用語は、英語です」


 ボスは揺るぎない眼差しで続けた。


「我々はもっと、言葉を交わすべきだった。互いのために、きっと“世界のため”に、打開策を模索するべきだった。遠慮も、優劣も、全てのしがらみを捨てて共存の可能性を」

「…………」

「ノーマルとヘレティックは違います。しかし互いに目があり、耳があり、唇があります。二本の足で立って、こうして手を差し伸べることができます」


 揃えた五本の指が老人に向けられた。無防備に天井を仰ぐ手の平を、老人は快く握れなかった。自分よりいくらか若い男の胸倉を掴み、「その綺麗事が罷り通らんから、誰も武器を捨てられんのだよ!!」

 憎しみを露にするプレマンの形相にボスは動じなかった。その面構えが許せなくてさらに続けた。


文化的遺伝子(ミーム)に抗えぬ貴様が言えることか! 価値観の違う者同士が手を携えることなどできはしない! 相手の文化や宗教を破壊し、滅ぼさん限りな! それがこの地球で育まれてきた歴史という名の遺伝子の常だ!!」

「…………」

「何故だ、ネイムレス! 何故、我が国だけを選んだ!? 何故、全ての国家に、その高慢な姿を見せなかった!」


 二〇年ほど前。長い選挙を戦い抜き、年明けに晴れて大統領に就任した日。ディカエル・プレマンは前任者にオーバル・オフィスへ呼び出された。

 パーティの主役が途中で抜け出すことのリスクばかりが頭を埋め尽くしていた。空気の読めない前任者の要望を疎ましく思いながらも、国家運営に関わる重要な話があると真顔で告げられては無下にすることなどできなかった。

 電気の点いていないオフィスに人影を見つけ、思わず身を竦ませたものだった。前任者はプレマンの背を押してオフィスに押し入ると、後ろ手に鍵を閉めた。

 人影が照らされて、中年の男が現れた。それがボスだった。

 何に照らされたのかと気になったのは生理の一端か。見ると、筋骨隆々の若い男が腕に炎を纏わらせていた。めらめらと滾るそれを苦痛と思わないばかりか、プレマンを見てほくそ笑んでいるのを見て、マジシャンの類と思った彼を誰も責められないはずだ。

 種も仕掛けもあるに違いないが全く分からない。素晴らしい余興じゃないか。

 前任者の粋な計らいに拍手で感謝を表したつもりだったが、前任者の頬は突っ張ったままだった。

 小首をかしげるうちに、ボスが口火を切った。自分達をヘレティックと言った。


「私は道化を演じるために政界へ踏み入ったわけではない。権力や支配力に溺れ、宗教と腐れ金に塗れたかったわけでもない。この国の尊厳を守り、国民をより良き未来へ導きたかっただけだ。貴様らに、貴様らなんぞに……!!」


 組織との邂逅と、無理矢理結ばされた関係が冗談ではないと知ったのは、前任者の突然の訃報が飛び込んできたときだった。ボスが寄越した諜報員の話によれば、ヘレティックや組織の存在を公にしようとする動きが見られたからだと言う。

 沈黙は金、雄弁は銀とはカーライルもよく言ったものだが、真実はもっと苛烈でシンプルだ。沈黙は命、雄弁は死なのである。


「彼もそうだ。いや、あの子ほど純粋な政治家はこの国にはもう現れないかもしれない!」


 甥――ケネス・ミリード。幼い頃はぼんくらで、努力知らずの少年だった。周囲が将来を見据えて歩きはじめ、置いてけぼりを食らうようになったある日、プレマンは彼に先人の言葉を与えた。

 敬愛する奴隷解放の父のセリフは、彼の胸にも深く刺さったようで、それからの彼は人が変わったように努力を重ねるようになった。

 彼が大学を卒業した日、久々に再会したプレマンは言葉を失った。彼が、あの可愛く健気な甥が、自分と同じ政治家を目指したいと、当時の自分のような大統領になりたいのだと言ったのだ。

 答えられなかった。組織の、ヘレティックの存在を知ったばかりで絶望の淵に立たされていたプレマンだったが、甥の真っすぐな瞳を前にすると、“やめておけ”などと野暮なことを言って阻止できなかった。

 もしかすると、余計なセリフを吐いて組織に命を狙われるのが怖かったのかもしれない。あるいは逆に、この子ならば新しい道を切り開いてくれるかもしれないと、無責任なことを考えてしまったのかもしれない。

 いずれにせよ、可愛い甥は自分を恨むに違いないとプレマンは悟った。だから笑顔が零れた。自嘲という名の、情けない笑みが。

 それを甥は承諾のサインと受け取ったらしいが、きっと今では恨んでいるに違いない。

 何故、阻んでくれなかったのかと。蕾のうちに摘み取ってくれなかったのかと。


「先代のボス達の目的を私は知りません。ただ、見当はつきます」


 顔を擡げるプレマンから目を背けず、ボスは紡いだ。


「我々組織の結成に、魔女狩り(ウィッチ・ハント)が深く関わっています」

異端審問(インクイジション)か」

「時は四世紀。コンスタンティヌス一世がキリスト教を利用してローマの意識を一つに統合すると、それに準じない者は異端と呼ばれ処断されるようになりました。その一連の流れは、キリスト教徒のみならず様々な宗教に、“異端とは何か”と深く自問させる機会を与えるようになりました」


 神を崇めぬ全ての者が異端か。

 崇めてさえいれば異端ではないのか。

 崇めながらも邪な思想、行為に身を投じる者はどうか。

 崇めぬ者は、何故崇めないのか。

 崇めぬ者は、真に人間であるのか。

 その姿形の裏に隠れる本性を炙り出すには何をするべきか。


「五世紀以降の中世と呼ばれる時代に入ると、異端審問というシステムがゆっくりとだが着実に形を成し、人々の間に浸透するようになりました。恐怖、不安、嫉妬、殺意、そんな人間の弱さから、次々と異端報告が教会へと入れられるようになったようです」

「…………」

「一一世紀、カタリ派をはじめとした派閥問題の影で、不思議な者達が各地で捕縛されるようになりました。教会はその事例を文書として残すことができませんでした。その者達は異教徒であるどころか、普通の人間ですらなかったからです。もしも彼らの持つ能力が世間に明るみになれば、人々の不安を煽るばかりか、邪教の存在を認めることに他ならないと判断されました。そして何より彼らが恐れたのは、第一に捕縛されたその“人間ではない何か”が絶世の美女であったことです。彼らでさえも心奪われてしまうほどの」


 彼女の魅力は、ほとんどカリスマと同義だった。恐れずに言えば、キリストと同等かそれ以上の神秘性に満ち溢れていた。“こんな女がこの世にいるはずがない”、“邪教の悪魔が人に化けているに違いない”、誰かがそのような根も葉もない主張をしなければ、敬虔なる信者の多くが惑わされるところだった。

 文書として残されない反面、彼女をはじめとした“人間ではない何か”の存在やその容姿は、絵画として残されるようになった。ある絵では男を誘惑する女として、ある宗教画では黒い蝙蝠の翼を生やした悪魔として。

 真実を描いた物の多くは今、組織によって回収されている。そして本物の絵画を分析すると、油絵の下絵となる部分には“魔女”や“魔法使い”と呼ばれる単語をはじめ、その者と出逢った経緯などが記されていた。それが組織の歴史解明に一役買っていた。

 そして隠されたキーワードで最も多く記されていたのが、異端者(ヘレティック)という言葉だった。“人間ではない何か”達は、決まって自らをそう自称していたようだ。 とどのつまり、当時からヘレティックの間では独自のネットワークが築き上げられていたということになる。


「現在の表世界での研究では、魔女狩りは一五世紀に入ってから行なわれるようになったとされていますが、実は従来の見方どおり、一二世紀にはやはり魔女狩りと処刑は行なわれていたのです。ただ、非公開で、地下牢でひっそりと行なわれていました」


 謂われない罪であった。

 現在のREWBSのように、世界への反乱を画策する者など一人としていなかった。何せ、望まぬ力だったからだ。


「魔女狩りと、それによる凄惨な処刑方法が形式化されるに連れ、ヘレティック達は互いに手を取り合い、一つのコミュニティを生み出しました」

「それが組織……か」

「名をつければ見つかってしまう。だから彼らはそのコミュニティを初め、“村”と呼ぶようになりました。春から夏にかけて移動し、人里離れた森の奥地に家を建てて冬を越しました。その中で静かに愛を育み、産まれた子らが人間であると大いに喜びました。人間の子供達が成長すると、彼らを人間社会に戻しました。“村”のことは秘密にするよう固く約束して」


 当時のヘレティック達にとっての最大の幸福は、自分達の力が子や孫に遺伝しないことだった。人種も、生まれ育った場所も違い、何の因果関係も解明できなかったが、彼らが得た幸福は普通の人間の感覚をはるかに凌駕していた。


「人から偶発的に生まれ、また人を産む。その生命の循環が彼らに、人類愛と呼ぶべき感情を芽生えさせました。いかに魔女狩り、異端審判という恐ろしいシステムに脅かされていても、その愛情だけは不変でありました」


 今日(こんにち)まで。そしてこの先も。

 ボスは噛み締めるように告げた。しかし直ちに眉を顰めた。


「ただ、それは“村”、後の“組織”の中だけの話です。我々の祖と呼ぶべき集団は、運と実力が両立しており、魔女狩りの被害を受けずに生き延びました。しかし不運にも“村”に巡り合えなかったヘレティック達は人類への恨みを長く積み重ねていくこととなりました。敵意を剥き出しにし、ついに事を起こす者さえ現れてしまうのは時間の問題か、あるいは自然の摂理だったのでしょう。それが“|国境なき反乱者《Rebel without borders》”――REWBSの前身となっていきました」

「……REWBSを産んだのは我々人類だと言うのか」


 認められることではなかった。

 だがボスの目が揺らぐこともなかった。


「毒を制するには毒を、ならばヘレティックを制するには……。彼らの存在は“村”の勇敢な若者達を奮い立たせました。REWBSを捕らえ、正しく導こうと考えたのです。母たる“人のため”、あるいは“世界のため”に」


 雪町セイギ。類稀なる資質、人格から、英雄と称された男の姿がボスの脳裏に浮かんでは消えた。彼は事あるごとに、“世界のため”にと告げ、皆を奮い立たせてきた。“村”の若者達もきっと、彼のように優れた人物だったに違いないとボスには思えてならなかった。


「ヘレティックによる自浄作用とでも言うべき彼らの決断は、“村”に軍事力の出現を余儀なくさせました。いつしか“組織”となり、大所帯になると、無益な戦争を繰り返す人類に対しての苛立ちを募らせてゆくこととなりました。とりわけ魔女狩りを実行してきたキリスト教への、怒りにも似た不穏な感情です」


 プレマンの脳裏に、〈アルパ〉本部の目印である巨大な像――|祖先への記念碑《National Monumento the Forefathers》が現れた。

 彼の頭を覗き見たように、ボスは続けた。


「そうです。組織は世界を表と裏に二分し、人類のために裏へ隠れる傍ら、ヘレティックを迫害してきたキリスト教への不信感を忘れることはなかったのでしょう。イギリスから船に乗り、未開の大陸へと踏み入った清教徒(ピューリタン)――後に巡礼始祖ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる者達の姿を見て、さらにはアメリカ先住民ネイティブ・アメリカンとの不幸な対立抗争を目の当たりにし、組織の憤懣はついに爆発したのかもしれません」


 大陸に白人国家が誕生し、たった一人の代表者が民主的に選ばれると、組織はすかさずその代表者に接触した。その頃には組織の思想や理念、システムはすっかり成熟しており、裏世界での支配力は盤石なものとなっていた。


「永い復讐劇だな」

「事実は分かりません。きっと心の闇と向き合う強さまでは持てなかったのでしょう」

「貴様の言い分が正しいとすれば、この国は始めから貴様ら組織の都合の良いように作られていたということになる」

「今でこそ組織では、“大統領と国連事務総長にのみ接触するのは、彼らが世界平和を標榜しているからだ”として認知されていますが、実のところは真逆もいいところだと私は考えます」

「ますます気に食わん話だ。いや、むしろ信じがたい。魔女狩りの真実が正史であるかを証明できるのか。組織が保管しているというその絵画を見せてもらわん限りは信じられん」

「組織に資金援助をしてくださる方の中で、最も古い付き合いの方がおられます。彼女の名は、ミーエリッキ。“紺青の魔女”の異名をとる彼女は、かつて“村”の住人だった者の血を引いていると自称しております。その証拠に、住人達が遺した品を数多く保管しております」


 フィンランド共和国で口伝されてきたフィンランド神話や叙事詩〈カレワラ〉に登場する女神ミエリッキ。その名をもじる彼女は、伝説に準えるようにその国の森深くで今も隠棲している。

 熟れた年を感じさせない美貌の持ち主で、その魅力に心奪われる者は少なくない。現にボスや情報部の調べでは、組織作戦部長官シルド・ボ・ギャバンもぞっこんであり、彼女と結託して組織に良くない風を招き入れているとされている。

 すなわち、現ボスの排除(リコール)

 憎い男の顔に影が差すのをプレマンは見逃さなかった。


「貴様もそれなりに苦労しているらしい」

「バーグの出現がなくとも時間の問題だったやもしれません」

「奴は何者だ。目的は何だ」

「真実の共有とのことですが、それも主題の偽装でしょう」


 早河誠。

 〈MT〉を通じて送られてくるリアルタイムの情報によれば、彼を苦しめることが最大の目的のようだ。しかも過去ではなく、未来に対しての怨恨から、彼を標的に今日まで様々な仕掛けを行なってきたらしい。

 ボスは一つの仮説を立てているが、メルセデスにさえもそれは話していない。もしもこれが正しければ、話すだけ無駄であるからだ。もしも被害を最小限に食い止めることができるとすれば、何がどうあってもボスの座を他の誰にも譲らないことだ。


「荒唐無稽な話ばかりだな」

「…………」

「それで貴様はどうする。魔女狩りの恨みを次代に繋ぐか」

「アナタの甥は優れた人格者です。彼とならば、我々は新たな未来を歩むことができるでしょう」

「あの子に何を吹き込んだ、ネイムレス」


 プレマンの瞳にかつてない殺意が宿った。

 ボスは臆面もなく断言した。


「彼の決断は彼一人によるものです。彼はヘレティックの存在を公にしない道を選びました。そのためにマンハッタンの騒動の早期解決の全権を我々に委ねてくださった」

「それが新たな未来だと? 今までと何が違う」

「彼はヘレティックの力を信じてくださっている。そして私の部下も、その信用を無下にせぬよう身命を賭している……!」


 プレマンは膝の上で拳を握りしめた。


「一七〇〇年の時を経て、ノーマルとヘレティックが手を取り合ったのです。人々の命のため、“世界のため”に」


 そこに宗教は介在していなかった。事実を前に、しがらみは消えてなくなっていた。

 その場にいるのは、たったの二人。

 持つ者と、持たざる者のみ。

 格差はない。心が等しく寄り添い合っているからだ。


「あの子がな……」


 立派になったものだ。

 プレマンはケネスの成長を近からず、遠からず、見守ってきた。会うたびに顔を綻ばせる彼の姿は今も目蓋の裏にこびりついている。もしかすると、死ぬ前に思い出すのは、妻との出逢いでもなければ、我が子が誕生した日でもないかもしれない。あのオーバル・オフィスでの一幕と、ケネスが大学を卒業した日の宣言かもしれない。

 ――アナタと共に歩みたい。

 噛み締めていた歯を緩め、拳が解かれていった。


「しばらくの間、アナタ方〈アルパ〉の身柄は我々が引き取らせていただきます。ですがご安心ください、手荒な真似は――」

「見ないようにしていた」

「…………」

「お前達のことを、等しく命のある者だと。そして今日、頭上で瞬いたあの光も」


 闇夜を照らす、あってはならない強い光。追いかけて腹這いにする女の肩越しに、プレマンはその輝きを目撃した。

 そのとき、見てしまった。


「光の中に人のような姿があったように思う。アレは、まさか……」


 ボスは手拍子で語らなかった。

 一言でも紡げば、あの光を生んだのがプレマン本人であることを教えることになる。一歩間違えば、プリマスの巨大な十字架を背負っていたという事実を。


「一つだけ問います。アナタ方が所持していた人質リストは、アナタ方が長年かけて作成したものですか?」

「……子羊。いや、貴様の孫が握りしめていた。彼女はあの記念碑の傍に放置されていた鉄の箱の中で眠っていた。両手両足を縛られ、そうだ、今の我々の姿によく似ている」


 ボスのみならず、その場にいる組織構成員が身の毛を弥立たせる事実だった。プレマンは彼らの様子に目もくれず、淡々と続けた。


「彼女は証拠写真をはじめとした資料に埋もれていた。その中にはもちろん、貴様の孫だということを示す物も交じっていた」


 ボスは踵を返した。

 部下がどちらへと問うと、「孫を連れ帰る」戸をくぐる彼の横顔は焦燥で強張って見えた。

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