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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔九‐4〕 影に棲む者

 (かび)臭い路地に一匹のドブネズミが佇んでいる。

 傷ついた鼻をひくひくと動かすたびに、切れたり折れ曲がったりと長短様々な髭が忙しなく揺れている。視線の先には人工物。一見、赤レンガと思しきそれは、どろりとした血に濡れた一個のコンクリート・ブロックである。

 角が欠けているそれのすぐそばには浮浪者が(たお)れている。頭蓋は頭頂部から陥没しており、薄茶色の脳漿(のうしょう)と混ざり合って暗いピンク色になった血液が側溝へと垂れ流されている。

 不自然に投げ出された右手の先には、建物に激突して停止している黒い立方体――〈BB〉がある。遠くのネオンの輝きがこちらまで届くから、影が幾重ものグラデーションをかけて空間を重く支配して見える。

 そんな深い闇の住人たるこのネズミだったが、群れからはぐれて怯えたか、あるいは動物特有の鋭い直感が働いたか、突如全身の毛を弥立たせ、足もとからぶるりと震え上がると、〈BB〉に背を向けて走り出してしまった。

 小さな目撃者がいなくなるのを待ったわけでもないだろう、〈BB〉の搭乗用ドアである天蓋がひとりでに開いた。

 〈BB〉――一辺一・五メートルの黒い立方体であるその内装は恐ろしいほどシンプルだ。前面、左右、天蓋の内壁の四面は、反射率が極めて低いガラス張りの空間のように、周囲の様子が筒抜けになっている。しかしマジックミラーなどというチープな物ではなく、機体表面に設置された極小サイズのカメラが捉えた映像を表示するモニターである。

 これがタッチパネル機能を有する有機ELディスプレイであり、ホログラム・モニターの投影機構を備えていることは一目瞭然だった。それは、稀代の《天才(ギフテッド)》ヘレティック、ドクター・メギィドの関与を裏付ける物的証拠以外の何物でもなかった。

 クッション性と形状記憶に優れたシートは、わずかに膝を曲げ、前屈みになることを求めているが、長時間の搭乗でも血と筋肉を硬直させないようにマッサージチェアとして、また今のように何かと激突しても搭乗者の命を守るためのエアバックのような緩衝機構としての二つの役割を担っているようだ。

 中でも人目を引くのは、シートに投げ出された一本のケーブルだ。シートとモニターの付け根から生えているらしいそれの端子は見慣れない形をしている。

 わずかに光を漏らす〈BB〉の内部に影が垂れ込める。突如、その影が色味を帯び、生白く細長い一〇本の指先が現れるや、それに握られた一台のスマートフォンも姿を見せた。悪魔のような如何わしさを滲ませる指がコードを抓み上げ、端子とスマートフォンを接続した。すると、〈BB〉の前部モニターに、遠隔操作(リモートコントロール)を終了し手動操作マニュアルコントロールに切り替える旨を英文で表示した。

 しかし指紋認証で悪魔の手は弾かれてしまった。それを悪魔は不気味にほくそ笑んだ。

 透明で薄いフィルムを取り出し、それでスマートフォンを覆った。するとフィルムにいくつもの指紋が浮かび上がり、より濃いものから優先的にそれぞれ自体が一枚のシールとなった。悪魔は必要とされるものを一枚選び、指紋認証画面に貼りつけた。難なくパスするも、次の認証項目は静脈と生体反応だった。

 悪魔は何もしなかった。ただ待っているだけで本人確認が完了した。それはシールの特性だった。フィルムにはナノマシンが塗布されていた。それは指紋に付着すると、皮脂からDNA情報を採取し、指紋の持ち主の生体情報を細部に至るまでほとんど正確に検証して一つの電子回路として作成する。それがシールという形となり、それだけで静脈から生体反応までの個人情報を偽装するに至ったのである。

 満を持して〈BB〉の主導権を手にすることができた悪魔は、〈BB〉のメインコンピューターに登録された情報を次々と開いていった。


 そういうことかぁぃ。


 悪魔は得心がいったようだった。あるいは予想が確信に変わったのかもしれない。

 コントローラーたるスマートフォンのディスプレイや、前部モニターが表示するように、このコード〈BB〉と銘打たれたロボット兵器は確かに〈ユリオン〉の(はら)から生まれ落ちた子供の一体らしい。正式名称は〈YC-41M3-1〉、球状のタイヤと各面の姿勢制御バーニアによって前後左右を自在に行き来できる自由走行が最大の特徴らしい。〈DEM〉を搭載することで隠密(ステルス)性を高め、〈ヴァーユ〉タイプ・マシンガンによって高い殺傷能力を誇る。

 生産場所等の機密性の高い情報を開示するには、さらに高度なセキュリティを突破する必要があったが、悪魔は先程までとは別の、事前に用意していたらしい指紋シールをディスプレイに貼ることでクリアできると考えた。

 長い読み込み(ローディング)が終了した。案の定、セキュリティは突破できた。詳細は記載されてはいなかったが、ギリシャに拠点があることが判った。

 悪魔はかつてギリシャで諜報活動を行なっていた。無論、〈ユリオン〉に関する活動である。山間部の山小屋で関係者と思しき男に拷問をかけたが、ろくな情報を得られず無駄骨を折ることとなった。

 しかし勘は正しかったらしい。ギリシャにはやはり、〈ユリオン〉が関わる何かが眠っている。

 そしてこの情報が示す難解な答えに、影は、悪魔は逸早く辿り着き、「天晴だ、バーグ」といつになく歯切れよく呟いた。

 まさに未来を見通しているに違いない、綿密に練られた正確無比な計画。そしてその成就のために、自らの役割を全うせんとする途方途轍もない覚悟。

 バーグはまさに、刻の歯車の一片を演じている。彼が用意したこのマンハッタンという名の巨大な劇場は、壮大な叙事詩の一つの(チャプター)に過ぎないのである。

 悪魔はそのストーリーに区切りを齎すために選ばれ、図らずも託されたのだと理解した。

 禍々しい双眸に火が灯された。口元にいつもの厭らしい笑みはなかった。

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