〔九‐2〕 Rothaarige
――――アメリカ合衆国は西海岸、カリフォルニア州オレンジ郡アナハイム。
ドイツ系の入植者達によってワイナリーが栄え、今では世界的テーマパークの所在地として名を馳せているこの場所で、カズン・ロートハイムは生まれ育った。
代々赤毛の家系であることを意味するロートハイム家は、かつてはドイツの名士であった。しかし彼らの美しい髪色は、欧米圏ではひどく偏見の対象であった。異端的であり、魔女の末裔とも揶揄されるほどにだ。風変わりなドイツの貴族と婚姻関係を結んだことで彼らは爵位を得るまでに至ったものの、やがて謂れなき罪を被せられるや土地を追われた。
新天地を求め、現在のサンフランシスコに上陸した。一八五七年に南下、サンタ・アナ川に家庭を築くや、そこをアナハイムとし、永住の地とした。
アナハイムの領主として担がれたロートハイム家が主導したブドウ農園事業は成功を収めた。しかし害虫の大量発生に伴い、ワイナリーは半世紀を待たずに衰退の一途を辿った。
およそ五〇年後に再び転機が訪れた。不動産事業で食い繋いでいたある日、某エンターテインメント企業がこの地に巨大なテーマパークを建設したいと打診してきたのである。ロートハイムの時の当主――カズンの祖父は、企業の出した好条件に快諾し、巨万の富を得ることになった。
一九九〇年代、ロートハイム家に新たな命が誕生した。やはり赤毛で、しかし一際癖のある髪質の男の子であった。名付け親は母親の当時六歳の姪アナだった。“あぁ、可愛い従兄弟”、彼女のこの一言のとおり、生まれたばかりの彼はロートハイム家のアイドル同然に愛おしい存在になった。
カズン・ロートハイムは何不自由なく、過剰に甘やかされた幼少期を過ごした。加えて一人っ子であるが故にワガママで自由奔放、従姉のアナがいなければ歯止めが利かない問題児だった。
『ダメじゃない、カズン。どうして他人の気持ちになれないの?』
『うるさい! ジャマするなら、アナでもヨウシャしないぞ!』
『どうして秘密にしておけないの。怖い人に連れて行かれちゃうよ』
『こ、コワいヤツなんているもんか! オレサマがサイキョーなんだからな!』
『そう思うなら、その力は大切な人のために取っておきなさい』
五歳にもなると、カズンは少年のそれでは済まされない大事をいくつも引き起こしていた。アナハイムの地元紙のみならず、カリフォルニア州紙でも広く取り上げられたが、いずれもアナハイムで続発する犯人不在の珍事、自然現象、あるいは荒唐無稽なポルターガイストと処理されていた。
しかしアナだけは知っていた。名付け親としての自覚か、はたまた母性の目覚めによるものか、カズンを心から愛し、度々面倒を見ていた彼女は、彼が産まれながらにして普通の人間にはない能力を持っていることに気付いていた。
カズンは物を触れずに動かし、宙に浮かせることができた。さらにはその体躯に見合わない強靭な腕力を有していた。空を飛ぶことはできなかったが、一目見てアナは彼を“本物のスーパーマン”だと信じて疑わなかった。
だからだろう、アナはまだ小さい彼が知らない大人に連れて行かれたり、悪い大人に狙われたりしないよう、この事実を二人だけの秘密としてきた。友人には勿論、親類縁者の誰にも決して語らなかった。
そんな彼女の愛情を知ってか知らずか、好奇心旺盛な年頃のカズンは、自らに授けられた並外れた力を使わずにはいられなかった。他人の困り顔を面白がり、悪戯が世間に知れ渡ることに快感を覚えると、昨日より今日、今日より明日と、日増しに問題をエスカレートさせなければ気が済まなくなっていた。
小売店の外から《念動力》で万引きを行なったり、《豪腕》によって怪力を得た指先で無人の重機を押し倒したり、気に食わない人の家の中を外から荒らしてみたりと、両手両足の指では数え切れないほどの事案を多発させた。
アナはその度に彼をきつく叱りつけたが、一〇代にもなるといよいよ耳を貸さず、『バラしたければバラせばいい。誰も俺様を止められやしねぇ』と大胆不敵で、すっかり手に負えなくなってしまった。
カズンが地元のジュニアハイスクールに、アナが遠方のカレッジに通うようになると、二人は疎遠になりつつあった。それでもアナの心は休まらず、心配の種は膨らむ一方だった。それが不穏な芽を出し、不吉な花を咲かせたのは、カズンが一四、アナが二〇歳になった頃だった。
赤毛の学生が、物を宙に浮かせていたという噂がアナハイムに広がったのである。アナハイムで赤毛と言えば、ロートハイム家が昔から有名だった。科学が蔓延したこの時代、神ならまだしも悪魔の存在など、“エクソシスト”や“エミリー・ローズ”というホラーサスペンスの中だけで留まっていて、魔法なんてものはすっかり子供だましの産物に成り下がっている。それでも正負に偏った興味はいつでも人々の心に火を灯す。まして地元の名士の子息、傍若無人も甚だしいガキ大将という肩書きは、悪目立ち以外の何物でもない自然な注目をカズンとその家系に向かわせていた。
アナの目が離れて以降、ハイスクールの屈強なギャング共さえ拳一つで黙らせ配下にし、金と権力でやりたい放題だったカズンだったが、ただの一度も人前で超能力を使ったことはなかった。恐れるものなど何もないと豪語するものの、どこか彼女の言葉が頭にこびりついていて、子分に披露しようとするたびに自重する日々を送っていた。それがストレス耐性の極めて低い彼の神経を締め上げるので、彼はトリックがあるように見せかけては、器物破損や傷害事件を起こして愉しんでいた。
そのトリックの種が本当の超能力じゃないかという噂が彼を孤立させた。力の存在をバラしたくない彼自身も人目を忍ぶようになり、力を封じる日々を過ごした。しかして一方で、彼の変化に伴い、アナハイムの珍事も鳴りを潜めると、“カズンは超能力者である”という構図が浮き彫りになった。カズンは家族やアナに合わせる顔がなく、夜中に家を出ていった。
この噂が組織とREWBS双方の耳に届くのは至極当然の流れだった。
『赤毛のカズンを知っているか』
その問いかけに、アナは首を横に振りたかった。しかし涎を垂れ流す口はイエスと呟いて、自分の“可愛い従兄弟”であると答えていた。彼女の頭には見知らぬ女の手が置かれていて、彼女に自白剤と同等かそれ以上の刺激を脳に送り届けているようだった。
女と同行する男は、また一つ質問した。
『お前が呼び出せば、カズンは現れるか』
『分からない。だけど、私は彼のたった一人の理解者だから……』
『いいか、小娘。そのつまらない脳味噌によく叩き込め』
『……あい』
『カズンを是が非でも呼び出せ。さもなくばお前と同じ髪色の人間を、一人残らず殺し尽す』
あい。
アナは茫然としながらも、大粒の涙を流してそう答えた。
家で話そうという彼女の呼び出しにカズンは応じた。夜中、記者かぶれの連中の目を忍んで帰宅したカズンが見たのは、変わり果てたアナの姿だった。長く美しかった赤いポニーテールはすっかり使い果たした箒のようにボロボロになり、肌は潤いをなくし、頬は痩せこけ、目元には大きなクマ、身体はほとんど骨と皮だけでオシャレな服はブカブカだった。
何があったと駆け寄ったカズンに抱きかかえられたアナだったが、涙を流して瞬きを一つ返すのが精一杯だった。
悲嘆に暮れる彼の耳が、廊下の奥のリビングの物音を捉えた。頭を擡げると、『間に合わなかったか』とさも悔しげな表情を浮かべた男が現れた。
『アンタ、誰だ。まさかアナをこんな目に遭わせたのは――』
『違う、断じて。我々はキミ達を助けに来たんだ。しかしすまない、一足遅かった』
カズンはアナを抱えてリビングのほうへ走った。薄明りの電灯が、赤色ばかりを際立たせていた。父はソファーの背凭れにかけられた上着のように、母は首と身体が離れてテーブルと台所のシンクに。祖父母は揃って天井に釘で磔にされていた。壁際には四肢を捥がれた伯父と伯母、つまりアナの両親が虚ろな目を彼らに向けて凭れかかっていた。いずれの肉親も体中生傷だらけで、拷問にしてもあまりに酷い仕打ちであった。
愕然とするカズンに、男は言った。
『ネイムレスの仕業だ。こんなこと、連中にしかできない』
振り仰ぐカズンの肩に手を置き、男は真剣な眼差しで続けた。
『カズン、お前には特別な力がある。違いないな?』
『どうしてそれを……!?』
『組織ネイムレスはキミのように力を持つ者を集め、兵力にしようと画策している連中だ。我々はそんな奴らからキミ達を守るためにここへ来た』
『……何だよ、それ。他にもいるのか、俺様みたいなのが』
『かく言う私もその一人だ。ネイムレスに襲われ、仲間に助けられた。ここに居ては危ない、俺達と共に来てほしい』
状況を把握しきれないカズンは目を泳がせた。その視線がアナと交わると、『彼女を助けてくれ』という願いを絞り出した。
男はアナに目を向けると、深く目を閉じて、『彼女はもう、長くないだろう』
『待てよ、こんな場所に一人置いてけって言うのか? アナは俺様の大事な従姉だ、親も同然なんだよ!』
『しかしだな……』
不意に、カズンが視線を巡らせた。この危機的状況が、彼の《念動力》の真価を発揮させようとしていた。これまで漠然と行なっていた空間把握が脳裏に完全にイメージでき、二階に隠れる女と、周囲に展開する人影の中でも一際異彩を放つ二人組の姿を捕捉していた。
『アンタの仲間はどこにいる』
『……ここには俺一人だけが派遣された』
『二階の女と、塀の向こうに潜む二人の男は仲間じゃないってか?』
『……あぁ』
『最後の質問だ』
『…………』
『お前らは俺様を連れて行ってどうする気だ?』
『安全な場所に保護する』
やおら立ち上がったカズンは、静かに笑い、くつくつと肩を揺らすと、『どいつもこいつも偽善者野郎共が』男は周囲に起きた状況を微に入り細に渡るまで把握することはできなかった。辛うじて理解できたのは、カズンから放射された目には見えない力によって、自分を含めたあらゆるものが吹き飛ばされたという事実だけだった。
気が付くと仰向けに倒れ、片腕を失っていた。辺りは一面、ハリケーンでも通り過ぎたような荒れ地と化していた。見上げると、月光が二つの赤毛を照らしていた。加えて煌めく銀色の光に、男は目を細めた。それが同胞の女がカズンに向けるナイフだと分かったときには、全て遅かった。
彼女のナイフは丸坊主の巨漢によって封じられ、カズンには届かなかった。頭に血が上ったカズンの目は、抱きかかえるアナ以外のあらゆる全てを敵と認め、殺意に満ち満ちていたが、巨漢の“待て”という意味のハンドシグナルが視界に広がることで一時的に停止し、周囲を冷静に見る機会を得た。
アナを恐喝し、ロートハイム家を皆殺しにし、カズンを唆そうとしたREWBSの男は、首から下を氷漬けにされ身動きが取れなくなっていた。彼をそのような姿に変えたのは、薄い頭髪と大柄な体格が印象的な男だった。
呆気にとられた隙に、巨漢は女を制圧した。ナーバスになっているカズンはアナを抱えたまま飛び退くと、周囲の瓦礫を《念動力》で操って、巨漢と氷男に撃ち込んだ。しかし巨漢は一口酒を舐めるや見る影もない巨大な鬼にとなってそれを弾き、氷男は厚い氷の壁を築いてそれを防いだ。
『カズン・ロートハイム君、コレを彼女に』
氷男は腰に提げたポーチから一本の注射器を取り出してカズンに抛った。カズンはそれを《念動力》で捉え、目の前に引き寄せると、氷男を睨みつけた。
『毒薬じゃないだろうな』
彼の問いに氷男は肩をすくめるばかりだった。逡巡する彼をさらに惑わすように、『貴様ら、ネイムレスか……!?』とREWBSの男が苦し紛れに叫んだ。
『カズン、コイツらだ! コイツらがお前の大事な家族をあんな無残な姿に追いやった張本人だ! 彼女をそんな風に追い詰めた卑劣な連中だ!』
眉根を寄せたカズンの鋭い視線に、男は二の句を継げなくなった。
ネイムレスだとか組織だとか、保護するとかしないとか、カズンにはどうでもいいことだった。最優先するべきことは、憔悴したアナを、たった一人残された肉親を救えるかどうかだ。
しかし思いがけない一言が、彼を余計に追い詰めることとなった。
『俺は嘘をつける人間ではないから、はじめにこれだけは言っておく。その薬を打っても、彼女は必ず死ぬ』
『な……!』
『見たところ、彼女は脳への強い負荷をかけられているようだ。非常に残念な話だが、今の俺達に彼女を回復させるだけの術はない。基地へ連れ帰ろうにも、時間がない。近くの病院に連れて行っても無駄骨になるだけだ』
『だったら! だったらこの薬は何のための物なんだよ!!』
『彼女を痛みや苦しみから解放するための物だ』
打ちのめされたカズンは膝から崩れた。
痩せ細り、軽いはずの彼女の身体が酷く重く感じられた。両腕が自分の身体とは思えないほど硬直し、手の平からは汗ばかりが滲み出た。
どうすれば。
鈍る思考に後悔が募った。つまらない欲のために彼女の忠告を聞かず、あろうことか自分ではなく彼女を巻き込んでしまった。家族を全て失ってしまった。
ふと見ると、彼女の生固い瞳がそこにあった。カズンは彼女の意思を汲み取った。宙に浮かせたままだった注射器を取り、彼女の腕に針を刺した。器内の溶液を彼女の身体へ流し込んだ。死を覚悟した強い瞳に生気が宿り、『カズン、可愛い従兄弟』震える唇が風に飛ばされてしまいそうなか細い声を彼の耳にしかと届けた。
『ホラ、言ったでしょう?』
『アナ、俺……』
『強くなって。大切な人を守って。そして――』
消え入りそうな声で囁いて、彼女は二度とその強く優しい瞳を彼に見せることはなかった――――。
およそ一〇年後、カズン・ロートハイムはその身を挺して核ミサイルの爆発をたった一人で封じた。被害は全くのゼロ、爆発が起きたプリマス上空から半径数千キロメートルまでの放射線量を調べたが、自然放射線以上の数値を計測することはできなかった。爆発による熱放射も破片もなく、真昼の太陽光を思わせる一瞬の光だけが夜空にその存在を刻み込むのみだった。
デヴォン島本部基地から派遣された組織衛生部|第一医療部隊《チーム〈NECTAR〉》はようやく回収された彼の変わり果てた姿に言葉を失った。
彼は波間を漂っていた。第一発見者である諜報部隊の隊員は、目を凝らさなければそれが人間であり、彼であるとは分からなかったと言う。
カズン・ロートハイムは人の姿を保っていなかった。人体の七〇パーセントは核弾頭を防護していた再突入体の装甲材と癒着していた。まるでミイラのように両手と両足は覆い尽され、右目と口の左半分、その他身体の数ヶ所が露出するのみだった。
第一医療部隊のリーダー――清芽ミノルは彼の命を救うべく、輸送機〈DEM-3-2〉の中で緊急手術を開始した。部隊員がカズンの肌から皮膚を摘出し、調べたところ、放射線被曝は認められなかった。それどころか放射能を持つとすでに判明しているはずの再突入体に直に触れても、彼らの身体が被曝することすらなかった。
肌に癒着した金属を切り離すためメスを入れつつ、清芽はある仮定を口にした。
「カズン君は《念動力》で放射線をも制御しているのかもしれない。だとすれば、彼は今もちゃんと生きて、センスを発動し続けているということになる」
助けましょう。
刻一刻と弱まっていくカズンの心臓の動きを、センス《高精度透視》で外から読み取った清芽は、華麗なメス捌きで肉体から金属を引き剥がしていった。
最中、『核は……?』と誰かが言った。助手達が首を振っていると、カズンの右目の目蓋が薄っすらと開いていることに清芽が気付いた。
「アナタのお蔭です。プリマスとその周辺地域、総勢およそ一〇万人の命が救われました。アナタは英雄です。セイギさんでもできないだろう芸当を、アナタは誰一人犠牲にせずにやってのけたのですよ」
カズンは目を閉じた。半分だけの口を真一文字に結んだ。
脳裏にあの日のことが過った。しばらく忘れていた、愛するアナの最期の言葉が。
『そして――自分も大事にできる、優しいヒーローになって』
目尻から堪えきれない後悔が零れた。
清芽達はそれを見ないように努め、黙々と赤毛のヒーローの治療に専念した。