表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネイムレス  作者: 吹岡龍
第一章【記憶の放浪者 -Memories Wanderer-】
15/167

〔四‐2〕 決闘

挿絵(By みてみん)


 マリアナ海溝の複雑に隆起した岩盤に擬態する、通称ネイムレスの本部基地。

 その内部施設の一つに、欧州の円形闘技場(アンフィテアトルム)のような巨大な訓練場がある。そこはウヌバ達をはじめ、強力なセンスを持つ者達がその力を存分に発揮できるよう、非常に頑丈な造りとなっている。

 だが今回のように、自由を巡る争いごと――決闘に用いられるのは久しかった。

 そのため、“あの”ケンが、最近表世界で保護した少年とガチンコでやり合うと聞きつければ、ここぞとばかりに見世物にしようと安易に考える者が出てくるのも仕方なかった。


「ヘイッ、チェリーボーイ!! 負けやがったらタダじゃあ済まさねぇからなっ!!」

「俺の全財産、お前に賭けたんだ! 絶対なんとかしやがれよ!!」

「遠慮はいらねぇっ、そこの生意気な銀髪バカに全力で屁喰らわせてやれ、屁ぇっ!!」


 ガハハハハと酷い笑いが巻き起こって、ケンは舌打ちした。

 およそ一五メートルの高さから浴びせられるヤジという名の恐喝色の声援のほとんどが英語なので、誠はすっかり萎縮してしまっていた。

 連中はそこを囲む通路にある、開放厳禁の強化窓ガラスを勝手に開けると、身を乗り出して好き放題に騒いでいる。まるでフーリガンだ。

 誠は患者衣を脱がされ、代わりにケンと同じ戦闘服を着用させられている。

 周りは荒野のような、禿げた大地が広がっている。面積は東京ドームよりも遥かに広いだろうか。アリーナはないが、たった二人で使うには贅沢が過ぎるのは確かだった。


『貴様ら静粛にしろ。作戦部実行部隊総隊長――酒顛ドウジだ』


 唐突にスピーカーから発された英語による自己紹介で、今まで五月蝿かった連中が一斉に口を噤んだ。


『これは貴様らが求めているような下劣な格闘賭博ではない。一人の少年が己の人生を懸けた、文字どおり真剣勝負である。貴様らがこの環境を窮屈に思い、この際にガス抜きをしたいという気持ちは解らんでもない。だが、今一度原点に還れ。我々はこの身体に産まれたことに悩みつつも、“世界のため”に何かができると信じて今日まで生き、戦ってきたはずだ。恥じることは何一つないほどに……』


 特殊合金で建てられた高い壁の上が、水を打ったように静まり返った。

 誠は、円形の通路から訓練場に張り出た制御室の窓を見上げた。そこには堅苦しい面持ちで語り続ける酒顛と、こちらに気付いてにこやかに手を振るエリの姿があった。


『しかし貴様らは今、自らの顔に糞を塗りたくった。理想を守るために空しく散って逝った者達に顔向けできんほどの、酷い面をしている!!』


 星を指されて渋面をたたえる組織の構成員(スタッフ)達は、口々に五月蝿い黙れと呟いた。

 不愉快な言葉がケンの耳に届き、さらに深く眉根が寄った。

 しかしそれも、次の一言で全て消え去った。


『愚か者は訊いた、何故戦うのだと。英雄は答えた、ただ愛するが故にと……!!』


 これを聴いた構成員達は思い出したように、まるで別人の顔つきになって背筋を正した。

 誠は何事だと驚いた。一同の視線が彼に降り注いで、二度驚いた。


「ボクを、見ている?」


 構成員達は右肘を肩まで上げて、握り拳の人差し指と親指の付け根に、軽く唇を当てた。それは彼ら組織の、最敬礼である。

 今のは誰の言葉だったかとエリが考えていると、「……セイギ・ユキマチの遺言(いげん)だな」と制御室に同席するメギィド博士が言った。


「あ、英雄の……」


 そうだった。随分前にリーダーが教えてくれたセリフだった。雪町セイギが遺したこの言葉が、今の組織の行動原理になっているのだった。

 何と戦い、何を愛するのか。それはもう、決まりきっている。


『二人共、自らのエゴに信念はあるな?』


 今度は誠にも分かるよう日本語だった。誠は急な問いかけにおどおどし、目の前にいるケンをちらりと見るが、彼は酒顛を見上げて静かに敬礼していた。

 その様子に動揺するも、誠は手拍子では頷けなかった。

 酒顛がそんな少年と視線を絡ませていると、同じく見上げるケンの姿が目に入った。任せてみるかと思い、まるでスポーツの実況員か解説員のように窓に向かって着席した。「エリ、ご苦労だったな」と誠を不安げに見守る彼女を労った。


「お前がああまで覚醒因子について語れるとは思わなかった」

「勉強したんですよ、テ・ツ・ヤ・で!」


 そう言ってエリはコンタクトレンズのように薄い透明の膜を眼球から剥がし、目を指差した。ずいと酒顛に見せつけるその両目は真っ赤に充血しており、目蓋は疲労からわずかに痙攣していた。その膜は衛生部が開発した特殊な点眼薬の一種で、彼女のように美容目的で用いられるので女性に人気がある。


「リーダー達がこういうのは女のほうが心を開くんじゃないかとかテキトーなこと言うから、兵站部の資料室で夜を明かしたんですぅ!」

「そ、それはすまんかった」

「ホントですよ。できたのはせいぜい上っ面だけの丸暗記ですから、もしもマコっちゃんが遺伝学のエキスパートで少しでも突っ込んできたら、私何も答えられなくてグズグズになっていましたよ」

「だが一朝一夕とは言え、よくまとまったプレゼンだったぞ、エリ・シーグル・アタミ」

「メギィド博士も見ていらしたんですか」


 酒顛の隣でメギィドはホッホと短く笑った。


「しかし説得の材料にはならんかったのぉ。あの少年にとって何より重要なのは、自分の身体に起きた異変ではなく、表世界に帰り記憶を取り戻すことだった」

「仕方ないとは思います。だけど、何でこんなことになっちゃったんですか。ボスもどうして許しちゃうかなー。私は反対ですよ、こういう野蛮なやり方」

「ホッホ、彼を覚醒に導いた騒動の首謀者が言うセリフとは思えんな」


 そう。偽テロ騒動の発起人は彼女だった。ヘレティックへの覚醒に必要だとされるアドレナリンとテストステロンの分泌には、極限のパニックに陥れなければならない。そこで彼女は、かの少年を精神的にも肉体的にも追い詰めるシナリオを用意したのだった。


「博士には分からないんですよ、複雑な乙女心っていうのは」

「いやいや寡聞にして知らんかった、そのような言い訳を乙女心と言うとはな」

「エリ、お前の言葉は俺達の全てを語っていたが、彼にはまるで届かなかった。お前にできなかったのなら、他の誰かに為しえることではなかったと俺は思う。長く時間を費やすにしても、押し問答を続けるのでは本当の理解を得られんからな」

「それで、ケンにやらせたんですか」


「そうだ」と即答されては、エリは俯くことしかできなかった。皆が幸せになる方法は他になかったのかと、小さく見える誠を見下ろすばかりだった。

 そんな彼女の肩にウヌバが手を置いた。「エリ、ナニとかなル」と片言で慰める彼の真っ直ぐな瞳は、同情の色で溢れていた。


「過去を見て学ぶことはできても、走り出した今を根底から覆すことはできん。それを解っているからケンは、お前の正しさを証明しようとしているんだ」

「……そんなの、アイツが考えてるわけがありませんよ」


 エリは冷たい窓ガラスに額をくっつけて、対峙する男達を見守った。

 その様子を見上げて、何やってんだあのバカはと、ケンは嘆息を漏らした。誠を見ると、こちらを警戒したまま、しきりに生唾を飲んでいた。


「緊張してんのか」

「こ、こんな所に連れてこられたら、誰だってこうなります。それに……」


 誠は足下を見渡した。西部劇の荒野のような大地の上には、ハンドガンをはじめ、様々な武器が無造作に散らばっていた。


「今俺達が着ているこの戦闘服は未来の防弾兵装だ。あと一〇〇年もすれば表世界でも類似品が氾濫するはずの代物だ。並の銃弾なら衝撃を全て無効化できる。肌着代わりの黒い全身タイツが、表世界でトレンドになってるらしいパワードスーツの要素も兼ねているから、モヤシみてぇなテメーでもそこに転がってるカールグスタフを軽くぶっ放せるだろうぜ」


 彼が指差すほうを見ると、日本の陸上自衛隊からは“ハチヨン”と呼ばれている八四ミリメートル無反動砲が対戦車榴弾と共に横たわっていた。


「おい、ガキ」


 呼ばれたので振り返る。

 そのごくごく自然な動作に対して、ケンはハンドガンの銃口を向けていた。誠がハッとした頃には時既に遅く、銃口から放たれた弾丸が胸元に直撃していた。

 しかし誠は倒れなかった。踏ん張って耐え忍んだのではない。厚いボディアーマーが銃弾に傷一つ付けることを許さぬまま弾き、衝撃を肉体に届かせぬまま一息に外へ逃がしていた。彼が尻餅をついたのは、戦闘服の全ての緩衝機能が万全に働いた後――撃たれたという事実をその目と頭で認識してからだった。

 ケンは白銀のハンドガンを彼に見せて、言った。


「デザートイーグル、五〇口径。弾頭重量は三二五グレーン、初速は秒速約一四〇〇フィート、初活力は一四一四フットポンド。セミオートハンドガンの中では最高の威力を出せるんだが、どうだ? 痛くも痒くもなかっただろ」

「な、に、するんですか……!?」

「ボディアーマーの性能を教えてやったんだよ」

「そんなの、口で言えば――!!」

「次は戦闘服だ」


 冷徹にケンは言葉尻を奪い、デザートイーグルを手放した。左手に持った突撃銃(アサルトライフル)安全装置(セーフティ)を外し、コッキングレバーを引いて撃鉄を起こした。そしてストックを肩に当てて狙いを定めるでも、腰撓()めにするでもなく、ハンドガンのように片手で構えて、引き金(トリガー)を引いた。毎分六〇〇発の高速で撃ち出された弾丸は、咄嗟に身構える誠の足を容赦なく叩きつけた。

 しかし戦闘服には穴一つ空かず、誠を一切傷付けなかった。まるで、ガスガンどころか水鉄砲で撃たれているような気分さえあるが、現実に放たれているのは紛れもなく実弾だ。無防備な首から上を晒せば間違いなく即死してしまう。

 だから誠は必死になってケンに尻を向けながら縮こまり、後頭部を両手で覆っていた。


「一九四七年にソ連の技術将校ミハイル・カラシニコフが設計したこのAK-47は、世界で初めて大量生産(マスプロ)されたアサルトライフルだ。今日まで生産された数は一億を越え、史上最も多くの人間を葬ってきた最悪の歩兵武器だ。正規価格は一五〇米ドル、紛争地じゃあ五〇米ドル程度で買える。日本円でたったの五〇〇〇円だ。テメーの小遣いなら何丁買えた!?」


 けたたましい銃声と誠の悲鳴が入り混じる中、ケンは語り続けた。マガジンから弾丸が尽きるとライフルを放り、いくらか次世代的なフォルムの黒いブルパップ式――グリップと引き金より後ろにマガジンが配置されている銃器設計――の小銃に持ち替えて、再び誠を強襲した。


「ベルギーの銃器メーカー――ファブリック・ナショナル・デルタスが二〇〇一年に開発したF2000。小銃も半世紀が経てば、より効率良く人を殺すために凶悪性を増していく」


 毎分八五〇発を撃ち出すこのライフルで連射すれば、瞬く間にマガジンは底を尽く。

 ケンはF2000も捨てると、背を向けて縮こまっている少年の襟首を掴み上げた。


「俺達が着ている戦闘服はそんな凶器から身を守るために開発された。銃弾のように一瞬で高い衝撃が加わると硬質化する特殊な緩衝繊維でできているから、お前は蜂の巣どころか襤褸切れをまとわずに済んだ」

「こ、んな……」

「あん?」

「こんなこと、して!」


 息を切らし、涙と鼻水で濡れた顔で誠は抗った。ケンの腕を振り払い、勢い余ってまた尻餅をついた。


「戦って、どうするんですか!」

俺達(ネイムレス)の主張とお前のそれは噛み合わねぇ。だからこうしてチャンスを与えてやったんだろうがよ」

「何も殺し合わなくたっていいじゃないですか!」


 誠の訴えに、「彼の言うとおりです。こんなのナンセンスですよ」とエリは同意した。

 しかしメギィドは手元の計器を眺めながら、「我々兵站部にとっては実に有意義であるがな」

 彼のその不用意な一言に、エリは青筋を立てた。


「そう睨まんでくれ、アタミ。少年のセンスがあの《韋駄天》で、本人が組織への協力を拒んでいるこの状況では、あのような強引さがなければ安全策を講じられん」

「安全策?」

「バーグが関わっているということを忘れるな、と博士は仰っているんだ」


 酒顛の言葉でようやくエリは、あっと声を漏らした。そして昨日のことを思い出した。話があるとミーティングルームに呼び出され、一つの作戦が発令されたと告げられた。

 作戦名は、〈エンジェル・ヴォイス〉。


「バーグの指図で拉致した子が、あの英雄――雪町セイギさんのセンス《韋駄天》を発現させた。これをただの偶然だとは思えないもんね……」


 だからケンは誠に噛みつくのだろうと、彼女は思った。あんな風に気弱な少年が巨大な影を継承している現実を、彼に流れる血肉(プライド)が許せないのだろうと。

 どうしちゃったのよ、ケン。今のアンタ、すごくちっぽけだよ。

 慮る彼女の心を知りもせず、彼は少年に詰め寄っていた。


「同じことを何度も言わせんな。もう加減なんてしねぇ、全力でテメーをねじ伏せる」


 誠はドラムマガジンを装着したフルオートショットガンAA-12を彼に握らされた。それは片手で連射できるほどの低反動性を実現し、かつ連続して高い破壊力を広範囲に齎すことができるが、誠にしてみればどんな性能であれ同じ人殺しの道具にしか見えなかった。


「こんなのを使ったら、アナタだって死にますよ? 身体は守れるでしょうけど、頭に当たったら即死するんですよ……!?」


「だからよ、しっかりココを狙え」とケンは自分の頭を指し、「心配すんな、万が一俺が死んでも、誰もテメーを恨みはしねぇよ。ボスのヤローも約束は守ってくれるだろうぜ」

 彼はAA-12のセーフティを外し、誠から離れた。「いつでもいいぞ、死合(しあい)開始だ」と両手を広げた。挑発を受ける誠は冷たい凶器を見つめるも、構えず、投げ捨てた。


「……できません」


 そのリアクションを見て、観衆から溜め息が漏れた。


「話し合いで解決できないんですか……、そのボスって人と」


 睨むばかりで答えないケンに代わって、「どうなんですか、リーダー」とエリは問うた。

 酒顛は、「できんよ」と首を横に振った。


「彼がバーグにとって何なのかが分からんのだ、安易に謁見させるわけにはいかん。仮に会えたとしても、組織の法から外れた答えは返さんだろう」

「結局彼に帰る道はないんですか、とんだ茶番ですね」

「《韋駄天》でさえなければなぁ」


 モニター上でケンが歩き出した。

 彼は足下に転がってきたAA-12を象よりも凄まじい脚力で踏み砕くと、ジッと誠だけを見据えて近付いた。


「めんどくせぇ」


 その一言が鼓膜を震わすや否や、ケンは誠の左頬を殴った。呻いて倒れる彼の胸倉を掴んで、今度は右頬を殴った。


「さっさと俺を降参させてみろ、気絶させてみろ、殺してみろ。“ジユー”になって、“ゲンジツ”から目を背けて、“ジブン”を否定しながらREWBSに根こそぎ潰されちまえっ」


 殴る蹴ると止まらぬ私刑の執行に、観衆は息を呑んだ。それはコンテナエリアの情景の再現に他ならなかった。

 誠はうつ伏せに倒れる中、潰れたAA-12を見た――瞬間、額がまた熱を帯びた。


「“キオク”が戻った頃には何にもなくなっちまってるだろうぜ!」


 非情な言葉が降り注ぐ。


“――――生き延びたのはたったの数人だけで、血の海が広がっていた。私を逃がしてくれた男の子も、微かな温もりを残して動かなくなっていたわ――――”


 エリの昔話と重なって、脳裏に暗い光景をフラッシュバックさせた。

 炎と大きな車輪が四つ。狭く横に細長い隙間には、不自然なほうへ曲がっている赤い右腕が見えた。


“――――微かな温もりを残して動かなくなっていたわ――――”


 その赤い腕へ手を伸ばすように白銀の銃を握った。引き金に指をかけ、憎い男の顔に向かって発砲した。

 目の覚めるような一発の銃声に、「できるじゃねぇかよ」とケンは不敵な笑みを零した。彼は咄嗟に首を傾けて、秒速約一四〇〇フィートの弾丸を回避していた。

 沸き上がる歓声の中、酒顛はスピーカーの電源を入れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ