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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔七‐1〕 Foe

 セントラル・パーク近郊に佇む老舗高級ホテル、グラン・アメリカ。第四〇代大統領ジョージ・グレアが隠棲していたその高層建造物が倒壊する様は、ニューヨーカーが目の当たりにした一〇余年前の悪夢そのままだった。

 累差絶からの報告はつつがなくとは言えないまでも、状況の分析には一定の成果を得ることができた。

 他に問いただしたいことはいくつもあった。第一実行部隊のバックアップを投げ出したのは何故か。独断でUSBの使用に踏み切ったその意図は何か。隻眼の男(サイクロプス)と戦闘状況に陥る必要はあったのか――など。

 だが、一戦を交えるだけの覚悟も度胸も、その黒人諜報員(エージェント)は持ち合わせてはいなかった。それにわざわざ一対一で喧嘩を売ることはない。不平不満は後でいくらでも浴びせられる。組織屈指の戦闘員が包囲する中、本部の査問会にかけ、じっくりと詰問する時間はいくらでも。

 報告を終えるや、累差絶は忽然と姿を消した。きっと〈サード・アイ〉でも追跡は困難だろう。電気の供給が滞ったこの大都会、全ての暗闇が絶の味方になる。少しの影でもあればステルス効果を得られるのが彼のセンスの一つだ。

 噂に違わぬ恐ろしい男。かつてそのセンスを駆使して、彼はボスの暗殺を謀った。しかし彼の刃は届かなかった。清芽ミノル、後に衛生部医療部隊総隊長となる彼の働きで、ボスは九死に一生を得たのである。

 あのセンスを発動した彼の足取りを掴めるのは清芽のほかには酒顛ドウジのみ。酒顛の場合は経験からの肌感覚が強いらしい。同部隊で絶と過ごしたことで得られた特別な知覚である。

 過去を遡れば、もう一人いることを諜報員は知っている。旧第一実行部隊(チーム〈BRAT〉)隊長、雪町セイギである。彼については《韋駄天》という肉体に超音速の走力を齎すセンスや、カリスマとも呼ぶべき優れた人格ばかりが目立つが、非常に勘の良い男としても知られている。それは直感としても、学習能力としても機能し、その存在を闇に溶かす絶を清芽の見様見真似で見事捉えたという逸話も残っている。

 諜報員にはそんな力はない。やろうとしてできるものでもない。だから深入りはしないし、無謀な真似はしない。折角引き出した情報だけをもとに、現状を整理することがやるべき仕事だった。

 絶曰く、バーグは生きているらしい。その判断には至極賛成だった。〈オペレーション:エンジェル・ヴォイス〉――イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県で実行されたその作戦で、バーグと思しき男の拘束を図った第二二実行部隊が男の自爆に巻き込まれたそのときから、バーグがたった一人の存在でないという予感はあった。いくつも身代わり(スケープ・ゴート)を用意して、各々にバーグという人格を刷り込んでいるのだろう。

 絶の問いに隻眼の男(サイクロプス)は答えなかったらしいが、彼がバーグの指示で動いているのは歴然たる事実に違いない。そしてフードの男という、《催眠》を使うヘレティックも。

 諜報員は倒壊したばかりのグラン・アメリカへ立ち寄った。五つ星もただの星屑(デブリ)か、勝ち得てきた栄光の面影は露と消えていた。

 早河誠の姿は見えなかった。〈MT〉の赤外線カメラモードや集音マイクを起動してやっと、瓦礫の下に人の姿らしいものを見つけられたが、諜報員一人では救い出すことは困難だった。手筈どおりに事が運んでいれば、まもなく少年の仲間がやってくるだろう。バーグの指図で少年の拉致を決行せざるを得なかった不憫な男達が、もう一度彼を戦場に引きずり出すのだ。少年もきっと自ら望んで一歩を踏み出すだろう。

 そうして私は、そんな彼らから目を背けるのだ。

 諜報員は純白のオートバイに跨ると、ロック解除済みの二つのジュラルミンケースを置き去りに走り出した。マンハッタン南西、ニュージャージー州ジャージーシティ市を結ぶ海底トンネル――ホランド・トンネルを時速四二〇キロメートルで通り抜けた。ボス、そして現大統領ミリードの差し金だろう、トンネルは立ち入り制限が行なわれ、状況を知りたがるマスメディアや市内に親族や友人、恋人を持つ者達でごった返していた。マンハッタン方面に背を向けながら彼らの相手をしている警備スタッフらを飛び越えたバイクは、一路ベイヨンを目指した。




 グラン・アメリカから南南西に一三・七(八・五)キロメートル(マイル)。かの有名な自由の女神像聳えるリバティ島を経た先、ニュージャージー州ハドソン郡南部ベイヨンにその巨大なコンテナ・ターミナルはある。

 諜報員はバイクをターミナルの入り口付近に止めると、脇下のホルスターからハンドガンを抜いて侵入した。赤・青・白、カラフルな大型コンテナも深まった闇に覆われていて、しかも碁盤目状に整列していることから方向感覚が乱されているようだった。

 情報は緊急活動部隊(ESU)の無線から齎された。ヘレティックの戦闘の邪魔になる彼らを気絶させたときに拾っていたそれは、電波障害が解かれると堰を切ったように喋り始めたのである。多くは部隊や警察からの連絡が途絶えているというもので、それは仲間の活躍と同義であったから諜報員にとっては嬉しい知らせだった。次にはテロリスト関連の話だが、それはマフィアの起こした暴動によるものではという私見が真実を隠してしまっていた。

 それらに紛れて一つだけ気になる情報があった。所属不明のタンカーが一隻、アッパー湾に侵入したというものだ。緊急事態により、航行中のタンカーは港へ引き返すよう命令が出されていたが、その一隻だけはいくら通話を試みても応答がないらしい。保安部隊がクルーザーで接触を図り、危険を顧みず乗り込んだとも言っていた。

 そして、彼らとも連絡が途絶えたようだ。「誰もいないぞ」という言葉を残して。

 諜報員からの一報で周辺には諜報部隊(ウォッチャー)が展開済みだ。実行部隊(アタッカー)も一足遅れて到着予定だが、どうにも間に合いそうもない。情報部による越権行為と理解しているが、事態の詳細を掴むべきだという焦りが、彼の足を忙しなく動かしていた。

 こうしてコンテナで組まれた路地を走っていると、今年の夏を思い出す。とても良いとは言いがたい、散々な結末の思い出だ。多くの命が失われた。もっと上手くできなかったかと後悔が募る。


「カササギ――か。そんなものになれるものならなってみたいけれど、無理な相談かもしれないね」


 男はコンテナの影に身を潜ませた。腰を落とし、銃口を上に向けたハンドガンを両手で構え、開け放たれたベイ・エリアを覗き見た。

 停泊する巨大なタンカー。それに乗り込む大勢の男達は、皆が皆、みすぼらしい恰好をしている。見ているだけで臭ってきそうなその姿がタンカーの甲板(デッキ)に消えていく。


「こちら〈DUST-1〉、タンカーの様子が分かる者はいるか」

『こちら〈MOLD-1〉、NAVを飛ばす。映像のリンク・コードを送信する。オーバー』


 無人航空機(UAV)、通称ドローンと呼ばれる中でも七五ミリメ-トル以下で最大離陸重量一〇グラム以下と小さく軽い物をNAV――Nano Air Vehicle――と呼んでいる。〈MOLD-1〉が飛ばしたのは三枚の小さなプロペラで風を掴んで高空から対象を撮影する物だ。

 高画質で捉えられた映像では、ホームレスと思しき連中の姿をハッキリと捉えることに成功していた。それは〈MT〉のホログラム映像を通して黒人諜報員〈DUST-1〉のもとにも届けられていた。その映像で彼は見つけてしまった。フードを目深にかぶり、パーカーのポケットから何かを取り出す男の姿を。


「〈MOLD-1〉、NAVのコントロールを僕に」

了解(Roger)


 〈DUST-1〉は〈MT〉とセットになっているグローブ型マン・マシン・インターフェースを使い、譲り受けたNAVの操作を開始した。高度を落とし、甲板と同じ高さになると、タンカーの周囲を旋回した。そして男達の間から黒い手袋が見えた。親指だけが空いているそれには何かが握られている。先端のセンサーが赤く閃いたことで、それが電子キーであることが分かった。

 電子キーの信号によって、タンカーに積まれた複数のコンテナのロックが解除されたようだった。自動で搬入扉が開かれ、中身を見たホームレス達が歓声を上げてコンテナ内へ入っていく。

 五〇人近い男達が甲板から姿を消す。残った男の容姿を捉えたとき、すでにNAVの映像は他の諜報員には見えなくなっていた。


「エノロバ、ありがとう。やっと見つけたよ。やっと、彼女達の仇を……」


 ゆらと立ち上がる〈DUST-1〉の容姿は酷く歪んでいる。爛れているというべきだろうか。輪郭や鼻筋の凹凸はちぐはぐで、四肢も胴体も目も当てられないほど崩れている。しかし辛うじて二本の足で立つ彼の目は暗く、とても昏く淀んでいる。

 心の深い場所に溜まり、こびりついた澱が、骨を、肉を、皮を、神経さえをも溶かし崩しているようだった。

 それは怨念である。彼が今日まで抱えてきた、復讐の発露である。

 別の生き物のように動く指を何とか制御して、ハンドガンのスライドを引いた。足を一歩踏み出して、息を吐くように、「殺す」と呟いた。脳裏には作戦のことなどなくなっていた。“散々あれだけのことをしておいて”、今日までのうのうと生きているあの男を、人のものとは思えぬほどの肉塊(ミンチ)にしてやることしか考えられなくなっていた。


「殺す。貴様だけは殺すっ」


 〈DUST-1〉はNAVをコントロールした。フードの男の顔まで接近させた。

 耳障りなモスキート音が彼を驚かせたことだろう。手で振り払うも執拗に近づくそれは《催眠》の対象外、彼は甲板で踊るように後退を繰り返すと、手すりに背中を預ける格好となった。

 ちょうど〈DUST-1〉の真上だ。彼はタンカーのすぐ傍まで近づいていたのだ。手すりから肩が、フードで隠れた頭が覗く。〈DUST-1〉は銃口を真上に掲げた。レーザー・サイトの赤い光が男の後頭部を捉える。引き金に指をかけ、脳裏にかつての凄惨な記憶を走馬灯のように蘇らせながら引い――ガタン、大きな音が立て続けに鳴って、〈DUST-1〉を割れに戻した。

 甲板からの音だと直感した彼は、すぐにコンテナの影まで引き返した。NAVを再上昇させ、俯瞰した映像で状況を確認した。コンテナから、一辺一・五メートルほどの黒い正方体が次々と姿を現した。底面には半球状の小さな車輪と思しき物が四つほどつけられており、それが回転することで正方体を前進させているようだった。


「すでに見つかっているらしい、急ぐぞ」


 甲板上に整列する五〇台ほどの正方体に向かってフードの男はそう言った。すると了解を意味するものか、正方体の全面部分が赤い光を横に走らせ、途端、海に飛び込んでいった。飛沫が上がる中、男の前に一台が静止した。しかしそれは高さ同じく一・五メートル、長さ五メートルほどの長方体だ。横面が一部開き、男は中に入ったきり出てこなくなった。車のように人が操縦するのか、男を乗せたそれも海に向かってダイブしていった。

 応答を求める〈MOLD-1〉以下、諜報部隊の声を鼓膜で受け流した〈DUST-1〉は、闇夜の青黒い水面に目を泳がせた。潮騒が夏の悪夢を想起させた瞬間、タンカーが赤く光るのを目撃した。その光は球状に肥大し、タンカーを丸ごと呑み込むと、その巨大な手の塊を凄まじい音と速度で溶かし尽してしまった。

 空気が爆ぜ、〈DUST-1〉はコンテナと共に吹き飛ばされてしまった。

 〈AE超酸〉、全てを溶かす危険化合物。それは組織が開発した物。主に実行部隊のボディアーマーに内蔵され、戦死時に起動する仕掛けになっている。身内のヘレティックの肉体を回収されないようにするための措置である。

 だがそれの開発者はメギィド博士である。《ギフテッド》として〈ユリオン〉を開発して永らく組織と戦い、組織への潜入工作を続けていた稀代の国境なき反乱者(REWBS)である。

 メギィドとバーグは繋がっている。

 だとすればあの黒い正方体と長方体は……。

 最悪の事態を網膜に過らせながら、〈DUST-1〉の意識は途絶えてしまった。

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