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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔五‐2〕 素顔

『そうか、〈DUST-2(エノロバ)〉がな……』


 ボタン電池型の通信機器〈MT〉を通して届けられたその声色はいやに感傷的だった。

 相手は情報部長官コイル。ボスの歳の離れた弟か、それでなくても親類縁者か、あるいは一族か、ともかく仮面で本音を押し隠すポーカーフェイスっぷりが瓜二つの無感情な男だ。仕事一筋、ジョークの一つも言えない非社交的な態度はとても近寄りがたく、ロボットとして接したほうがいくらかこちらの気が楽になりそうな人間性で、今のように呟くように声を震わせるような真似は、少なくとも彼に対して幾度となく行なわれた身辺調査や精神分析からは決して導き出されるようなものではなかった。

 情報部第一諜報部隊(チーム〈DUST〉)所属のクートヘッドは上官の雰囲気に違和感を覚えた。これは演技だろうと芽生えた猜疑心を摘むことができなかった。

 本部の内通者から聞かされた状況から鑑みるに、第一諜報部隊の懐柔策に乗り出したと考えるのが妥当と思える。そもそもシステム上、第一諜報部隊は情報部長官の直轄、私兵も同然の扱いで懐柔の必要などない。しかしその部隊にのみ下される門外不出の情報部極秘作戦コード〈シグナル・ブラック〉の存在がボスに筒抜けになっていることが発覚したことで、今一度〈DUST〉の忠誠心を確かめる――いや、自分こそが忠義を立てるべき絶対の王であると再認識させようという算段なのだろう。

 先日エノロバは彼に対して、次期ボスへ後押しするという口約束を交わした。コイルがそれを信じているとは思えない。もしそうなら、評価を改めざるを得ないだろう。

 いずれにせよコイルが、ガラにもなく焦っていることは疑いようのない事実だ。

 クートヘッドは間を置いてから、「えぇ」と相槌を打っておいた。今は仲間を失い途方に暮れる上司と部下を演じればいい。化かし合いだ。それならコチラに分がある。


『〈DUST-4(クートヘッド)〉、市外にいると言ったな。どこだ』

「ニューヨークとコネチカットの州の境界です」


 クートヘッドはバイクに跨っている。顔はヘルメットで隠し、その視線はバイラム川の河口から南西に広がるマナーシング・アイランド・リーフを越え、地平線の彼方マンハッタンに向けられている。


『電波障害は市内のみか』

「障害そのものはタイムズ・スクエアを中心に半径三〇キロメートルほどです。〈DUST-3(ヘナ)〉からの報告では、市の北方に位置するインディアン・ポイント・エネルギーセンターをはじめ、州内の数十にも及ぶ発電所は依然として稼働中とのことです。彼女曰く、変電所とそれを管理する電力公社へのサイバー攻撃だと断定できるようです」

『根拠は』

「彼女が当該施設へのハッキングに利用した既製品のコンピューターに、マルウェアの感染が認められたようです。彼女が開発した既存のワクチンでは除去できない新種のようで、その特徴がまた恐るべきものです」


 コイルがわずかに眉をひそめ、息を呑む様子が思い浮かんだ。




 国道九五号線を時速二六一マイルというネズミ捕りも追いつけない超高速で駆け抜けるワゴンがある。しかしその車両は人の目には見えず、監視カメラでもその存在を捉えることはできない。

 ステルスシステムの究極系とも呼ぶべき〈DEM〉が搭載されているからだ。

 超高速で前方の車両を追い越し、見えない故に咎められることも脚光を浴びることもない。車内は耐G措置が施されているので快適と言っていい乗り心地だ。しかし渋滞に掴まるとそうもいかない。時速二六一マイルだ、普通の感覚で普通にブレーキをかけていたら大事故は必至。しかもチンタラと足を止めている場合でもない。

 そこで完全自動運転のこのワゴンの運転席にドライバー然として座っているヘナ・サパラダランマが、お飾りのように設置されているシフトレバーをDレンジからFへと切り替えた。すると車体が左右に揺れ、何やらガチャガチャと忙しない機械音を奏でると、前方の景色がずいと競り上がった。何事かと窓の外を眺めたエリ・シーグル・アタミは白目を剥いた。

 車がお空を飛んでいた。揚力を得るための翼を広げることなく、車本来のフォルムを壊さず宙に浮き、群がる車列の上空を飛んだのだ。FレンジのFは、FlyのFだったのだ。


「ヘナちゃんヘナちゃん、何コレ」

「何って、空飛ぶ車だけど」

「……いや、あのね、すんごい速さで走ってるときから思ってたんだけどね、誰よこんな馬鹿みたいな車作ったの」

「馬鹿って酷いわ。私だけど何か問題ある?」


 アレ、この子、天然と天才のハイブリッドかな?

 エリは苦笑を浮かべて、「どうやって飛んでんの」と訊いてみた。すると天才は一考し、「機密事項です♪」とウィンクを返した。エリは咄嗟に彼女の胸ぐらを掴むと前後に揺さぶった。その目尻には涙が浮かんでいた。


「教えなさいよおおおっ! チョー怖いんですけどおおっ! すんごく不安なんですけどっ、不安でお漏らししちゃいそうなんですけどおおおっ!!」

「あらら、エリって高所恐怖症だったっけ?」


 情報と違うなとヘナは顔を引きつらせた。


「何かよく分かんないから怖いのよっ! 事前に一言かけてくれてもいいじゃない!? シートベルトをおかけくださーい、とか! 上に上がりまぁす、とかぁっ!?」

「そ、それはゴメンなさいね、ハハハ。じゃあ、しばらく降りませぇーん♪」


 エリはそっと窓の外に目を向けた。ハイウェイを灯す街灯よりも、電線よりも高い上空一〇〇メートルの夜景が広がっていた。後部座席の彼女はできるだけ真ん中に座ると両手で顔を覆った。


「心配しなくても落ちないわよ。自動運転のシステムよりも自信はあるんだから」


 答えない組織一の女流剣士に嘆息を漏らしつつ、「さっきの話の続きだけど」と天才科学者兼諜報員は話頭を繰り戻した。彼女は助手席に置いていたラップトップを起動させた。


「コレがその、マルウェアに感染したコンピューターよ」


 触ってみてと彼女はエリに渡した。ようやく頭を起こしたエリは、「え~~~」と汚物を前にしたような嫌悪感を丸出しにした表情で、ラップトップを両手の人差し指と親指で摘み上げた。


「アナタには感染しませんよ!」


 それでも不満タラタラの彼女は目を細くしながら、モニターに表示されたデスクトップ画面を隅々まで眺めた。しかし、「んん~、これホントに感染してんの?」異変らしいものは見受けられなかった。


「してるわよ。ただ、どこをどう触っても、どのファイルを開いても、存在を確認するのは難しいけど」

「じゃあ何で判るの?」

「コレを挿してみて」


 ヘナは青いUSBを彼女に渡した。言われるままに挿してみると、すぐに外部メディアの読み込みが開始された。


「中身は去年私が作ったワクチン。そしてこっちが今年私が作ったワクチン。そっちよりもワクチンの種類は豊富で、質も高い」

「うぅん?」


 赤いUSBを受け取った彼女は、モニターと交互に見比べた。するとラップトップのコンピューターが青いUSBの認識を完了し、ファイルを開いた。しかし、「お? お、おお?? おおおっ!?」USB内にインプットされていた無数のファイルがたちどころに、颯爽と、一つずつ消失していった。

 エリはマウスを操作して、USB内の容量を確かめた。すると使用領域はほとんどゼロを示していた。


「こっちの赤いUSBも同じように中身を吸われて空っぽだわ。いえ、代わりにマルウェアの胞子が忍び込んでいる」

「つまり、それがマルウェアの新しい感染源になってるってこと?」


 ヘナは確信をもってうなずくものの、エリはどうにも懐疑的だった。


「でもどうしてウィルスに吸われたって判ったの?」

「電力消費量が爆発的に上がって、フリーズしたのよ。マルウェアに感染した際の典型的な症状ね。機能停止(シャットダウン)にも再起動(リブート)にも応じるけれど、立ち上げたら一瞬だけファイルの転送が行なわれたわ。私の作ったワクチンが、〈.code-y〉という見たことも聞いたこともない拡張子のファイルに転送――吸い込まれたの」


 それはまるで掃除機でゴミを吸い取るような手際の良さだった。


「こうまで一方的じゃあ、手も足も出ない。クラッカーの思う壺。まるで、操り人形よ」

「吸い込まれたワクチンはどうなるのかな」

「想像で話していいかしら」

「え、うん」

「この〈.code-y〉というウィルスが、ワクチンのプログラムから学習を重ねているのだとしたら、どう思う?」

「学習……って、え、まさか?」


 エリには、いや組織の一員なら誰しもが思い浮かべるフレーズであり、導き出されるに相違ない可能性だった。


暗号(code)“y”の正体が私達の想像どおりなら、この国の、いえ、オンライン上に存在しているほぼ全ての知識――情報はすでに、それに食い潰されているということになるわ」


 ゾッとして、それでいてあの日、あの無人島で取り逃がしてしまった後悔の念が重く圧しかかった。

「解決策はないの!?」とエリは運転席まで身を乗り出した。


「全てのコンピューターを破壊し、それに依存してきた通信プロトコルを放棄すること。一からコンピューターのプラットフォームを作成して、新たなネットワークとそれを運用するための通信インフラを再構築することでようやく解決できる」

「ちょっと待って、そんなのできっこないでしょ」

「そうよ。でも、相手は世界そのものよ。歴史そのものであり、技術そのものであり、兵器そのものであり、そして人類そのものよ」


 生唾を飲み下すエリを脇に置き、ヘナは目を伏せた。


「私達組織はスタンドアローンのネットワークだから感染の可能性は限りなく低いけれど、守るべき人類の生活基盤を乗っ取られた今、これは私達の敗北以外のなにものでもないわ」

「何でここでアレが……、〈ユリオン〉が出てくるのよ!? 首謀者は誰、メギィドじゃないとしたら、一体誰が……!?」


 ヘナは答えず、渋滞の原因となっていた事故現場を越え、車道に下りるようDレンジに戻した。ゆっくりと下降し、タイヤがハイウェイに接地する中、エリはヘナの胸ぐらを掴んだ。


「アナタ、《ギフテッド》なんでしょう? だったら呑気に車なんて走らせてないで、さっさと新しいワクチン作って止めなさいよ! 最期まで抵抗しなさいよ!!」

「無茶言わないで! このウィルスはこちらの干渉を逸早く察知してすぐに逃げてしまうの! そんなの相手にどうやってワクチンを生成しようって言うの!?」

「逃げるなら追いかけなさい! 追いつけないなら有利な場所に追い詰めなさい! 《天才(ギフテッド)》なら、敵の思考を読み取りなさい! 考えることを放棄したら勝てるものも勝てないわよ!!」


 強い瞳が弱気なヘナの心を現実から逃がしてくれなかった。




 突然目の前がブラックアウトした。瞬きをすると《ライト・ライド》によって視ていた風景は失せ、意識は指令室の中央で椅子に凭れかかる初老の男のもとへ戻っていた。

 ボスとしてこの組織を指揮してきた彼の背後に、男が一人近付いてきた。ボスの資質を疑い、あわよくば取って代わろうとする男だ。そんな者はごまんといるが、中でもこの男――情報部長官コイルは次期ボスの有力候補筆頭と言っても過言ではない。人物像としては現ボスに酷似しているが、秩序や規則にはより厳しく、一分の隙も見せないところは常人に真似できるものではない。人としては言わずもがな、その突然変異種たるヘレティックとしての情緒も、表世界への未練も完全に捨て去っているのだろう。

 彼がボスならば、こんな事態は起きなかったのかもしれない。そう思うと、後継の不在を理由にしがみついていた椅子が妙に居心地悪く感じられた。

 そんな心のうちが仮面の隙間から露呈したか、秘書官メルセデスの鋭い視線が容赦なく突いてきた。

 分かっていると無言のうちに知らせると、背後から口を寄せてきたコイルの言葉に耳を澄ました。


「申し訳ありません、コンピューター上のネットワークをオフラインに制限しました」


 現場での仔細を聞き、「〈ユリオン〉で間違いないか」と問い質した。


「もしくは、同等の脅威があるウィルスと考えられます」


 指令室がざわついた。

 それもそうだ。〈ユリオン〉の名を聞いて、沈黙を通せる者はこの組織にはいない。

 |完全自律学習型卓犖電算機《ヒューマニスティック・ハイパーコンピューター》〈ユリオン〉。《ギフテッド》として裏世界を震撼させてきた科学者メギィドによって開発されたその量子コンピューターは、完成すれば人の手を借りずに自分で兵器を立案・開発・実戦投入までする、“思考する造兵廠シンキング・アーモリー”として機能すると言われている。

 組織はこれを幾度となく破壊しようとしたが何度も取り逃がしてきた。そして二〇年あまり前、雪町セイギによって破壊されたと思われてきた。しかし今年の春の暮れ、再び存在が発覚した。第一実行部隊を主軸に据えた作戦では首謀者のメギィドの殺害は達成できたが、〈ユリオン〉自体は彼の協力者と目されるREWBSによって運び出されていた。

 その後の所在は不明。情報部は総力を挙げて捜索を行なったが、今日まで痕跡らしいものを見つけることはできなかった。

 もしも今回ニューヨークを大停電に陥れたウィルスが〈ユリオン〉が生み出した兵器と言えるならば、それは由々しき事態である。さらに〈ユリオン〉が当初の目的どおり人の手を借りず、自ら思考した結果に基づいてこのような行動を起こしているとしたら、人に、生物に生き残る道はない。

 〈ユリオン〉の支配を受け、延々と繰り返す新兵器の実戦投入の的となるのは想像に難くない。


「兵站部、打開策は」


 ボスの言葉に、「技術開発部につなげます」と通信士が応じた。ホログラム・モニターに、兵站部第一技術開発室の映像が表示された。

 しかしそれは下から現れた大きな目に隠された。ギョッとする一同に何度も謝罪の言葉を並べて、カメラの調節をする男の顔が適切な距離で映し出された。先端が焦げてより細くなったマッチ棒のように貧相で頼りないその男は、「は、はい。メ、メイサン、です、はい」としどろもどろな口調で自己紹介した。

 彼の白衣には最高技術責任者代理の肩書きが名札としてつけられている。

「どう見る」とその肩書きを任命した男が問うた。

 メイサンは少し肩を強張らせたものの、顎に手をやって少しばかり一考してみせた。腕組みをして人差し指で二の腕を叩くコイルや、あからさまに貧乏ゆすりをする作戦部長官ギャバンを尻目に、ボスはただジッとして彼の見解を待った。

 テーブルの上に置いてあるドリンクで喉を潤すと、彼は言った。


「こ、この、ウィルスは、その、ブラ、ブラックホール、ではなく、えと、食いしん坊の、ようです」


 何だコイツは、散々待たせておいて何を言ってるんだ。

 ギャバンが愚痴をこぼす中、「続けたまえ」ボスは彼の言葉を聞き漏らさぬよう全ての神経を動員した。


「ひと、ひとまずは、自分の口に、入れまして、それから、新しい情報だけを、養分にしている、ようです……」

「新しい情報だけ――と言ったな。それ以外はどうなる」

「は、はい。その、おそらく、不要な情報は、つぶさに、ファイル内で、削除されるかと。それくらいの、新陳代謝は、できるかと。でも、ですね、ウィルスの、現物がない、ので、確証は……」

「兵站部が開発しているワクチンで除去は可能か」

「今、ある、ワクチンでは、その、無理、かと……」


 そんなとスタッフが不安を耳打ち合う。ボスはすかさず、「展望はあるか」

 メイサンはまたしても思考し、「あり、ます……!」と眉間に力強くシワを寄せて答えた。


「メイサン。コレはただのウィルスではないと理解しているな?」


 脳裏に過るのは白頭翁の顔だった。尊敬すべき科学者で、彼の発明にいつも驚かされてきた。次々と新しい発想を生み、実際に形にしてきた彼の背中は巨大で、神々しいとさえ思えた。

 あの今は無きマリアナ旧本部基地の技術開発室では、四人目の助手として彼を支えることしかできなかった。他の三名である諸先輩の足下にも及ばず、結局は殺される価値さえも見出されなかった。

 《ギフテッド》として生まれ、組織に参画したものの、いつも引け目を感じていた。天才など称するに値しない、《ギフテッド》の中の凡人だと卑下しない日はなかった。

 しかしあの日、全幅の信頼を寄せていた博士が裏切ったあの日、憧憬を注いでいた先輩達の訃報が届いたあの日、メイサンの心には確かに一つの感情が芽生えた。

 屈辱と呼ばれるそれは、今の彼の原動力の全てと言っても大袈裟ではない。


「博士の、夢は、止めます。壊し、ます……!」


 ボスは固く強い意思を胸に覚え、「時間は」と訊いた。


「ひと月も、あれば」


 素直にどよめく指令室だったが、〈ユリオン〉のウィルスはそれほどまでに強力な毒性を秘めているとボスは理解した。メイサンの目が揺らいでいないのが何よりの証拠だ。彼は必ずウィルスを駆除するだろう、しかし時間だけは必要なのだ。

 ならば、優先順位を変えるまで。


「了解した。兵站部は随時報告をコチラに」


 歯を食い縛り、拳を固く握る彼に、「良い。最善を尽くせ」とエールを送った。「は、はい……っ!」と応じて安堵の花を咲かすと、通信は切れた。

「よろしいのですか」と問うたのはコイルだ。判断を確かめる以上に厭らしい意味を持つその問いに、ボスは不敵な笑みで答えた。コイルはピクリと頬を震わせた。


「まずは枷を外す。〈LUSH-3〉の到着と同時に人質の救出を開始させろ」


 右上に浮遊する通信士が応じようとしたが、「〈サード・アイズ〉から通達! 〈アルパ〉本拠地から〈LUSH-4〉が運び出されている模様! 〈LUSH-4〉の意識はあるようですが……」


「どうした!」

「〈アルパ〉の手に、落ちたようです……!」


 口惜しそうに彼女は伝えた。

 身を乗り出し、動揺を隠そうともしなかったのはギャバンだ。彼は悲壮感を満面に湛えると叫んだ。


「マズいぞ! 〈LUSH-4〉――ウヌバのセンスが暴走すれば、町一つ消し飛ぶだけでは済まんぞ!!」


 ウヌバは炎と氷を生み出し、自在に扱うセンスを発動する。その名も《ウヌバ》、彼の生まれ故郷で信仰されていた神の名である。彼は生誕の折、母を消し炭にし、父を雪像に変えた。さらに古い習わしに従って生贄に捧げられた際は、あまりの恐怖にふるさと全土を炎と氷の地獄に変えてしまった。

 以降彼は、己の力をセーブして使ってきた。それは仲間を助け、自分をも守ってきた。

 しかしもし、その箍が〈アルパ〉の洗脳によって外されてしまったのであれば、彼は歩く天変地異とも言える暴威を米国に齎すこととなるだろう。


「静粛に! ギャバン長官、みだりに不安を煽るのはお止しください!!」

「しかしだなっ!!」

「俺様の出番だなっ!!」


 メルセデスの叱責にギャバンは食い下がろうとした。そんな悲観的なムードを、おそらく組織一空気の読めない男が打ち破った。


「カズン!」


 作戦部第二実行部隊〈ROWDY〉隊長――カズン。実行部隊の序列はその力量で左右する。こと一桁部隊の長ともなれば、第一実行部隊の面々と実力伯仲するほどだ。

 歓声が上がった。元よりデヴォン島に配属しているスタッフはヒーローの登場に勝利を確信した。ビッグマウスでありながら有言実行してきた彼はデヴォン島基地が誇る最高の戦士なのだ。


「連中には俺様も煮え湯を飲まされたからな。それに、ファルクとネーレイの仇も討たなきゃならないしな」


 そうだそうだと声援を送られ、調子に乗ったカズンは手を振って応えた。するとまたワッと人々の喜びは爆ぜ、指令室はお通夜から一点、お祭り騒ぎとなった。

 そんな騒々しさに両耳を塞ぐ少女が、「でも、《不殺》、絶対」と呟くように言った。ゴシック・アンド・ロリータ調の戦闘服に身を包む小柄な彼女は、じっとりとした視線をカズンに送った。


「何だぁ、アリィーチェ? あのガキに感化されちまったのかぁ?」

「そうだ、感情を押し殺す必要はねぇよ。姉代わりだったネーレイを殺された恨みは晴らすべきだ」


 少女アリィーチェは、姉御肌の女性スナイパー――バラージュの言に大きく何度も首を横に振った。


「それでも、《不殺》。死んで、逃がしたり、しない」

「……ほぉう。確かにそういう復讐もあるにはあるか。アリィーチェ、お前顔に似合わず結構エグいこと考えるな」


 感心したと言わんばかりのカズンに苛立ったアリィーチェは、「《緘黙》」と呟いた。途端、「んんっ、んんーんっ、んんー!」とカズンは口を閉じたっきり声を出せなくなった。

 彼女のセンス、《ネガティブ・コントロール》による作用である。彼女は命令を発することで任意の相手をそのように従わせることができる。しかしそれはネガティブな命令に限られる。また作用する時間はごく短く、連呼しなければならないケースが多分にある。さらに対象が言葉の意味を理解しておく必要があるなどの欠点がある。

 だが、「《緘黙》」今のカズンにはこれさえ言っておけば充分だった。


「んんんーーーっ!」


 止めろと叫んでいるらしいリーダーを置き、バラージュはサブリーダーとしてボスに直談判した。


「ボス、アタシらだけじゃねぇんですよ。この基地、いや、実行部隊の全員が事態の収拾を望んでる。皆、第一実行部隊の力になりたがっている。組織が一丸となれば、〈アルパ〉だろうがバーグだろうが敵じゃねぇはずなんスよ」


 自然、ボスに衆目が集った。ボスは一人ひとりと視線を交わらせ、「プランはある。そうだな、参謀長官?」と最後にメルセデスに問うた。

 彼女は眼鏡のブリッジを中指で押し上げると、微笑を湛えた。


「はい、時期を見計らっていましたわ。コンピューター・ウィルスによるサイバー攻撃が発覚した時点で、その後に起きるであろう最悪の事態も想定できています。チーム〈ROWDY〉にはその対抗策の主軸を担ってもらいますわ」

「よし! 作戦部は血の気の多い奴ばかりだ、持てる力を最大限生かせる作戦を立てるぞ!」


 ギャバンがいつもの様子に戻ると、カズンが肩を揺らし、両手を腰に当て、眉を山なりにして、胸を突き出し腰を反った。


「んっんっんっんっ♪ んーーーんっんっんっんっんっんっ!!」

「これは笑っているのですか」

「そうッスね、嬉しいんでしょうね」


 メルセデスの問いにバラージュは肩をすくめて応じた。

 カズンは拳を突き出し、親指を立てると、それを自分の胸に押し当てた。


「んんん、んんんんんんんんん……んんーんっ、んんんんんんんんんんんん!!」


 何か決め台詞でも吐こうとしたのだろうが、背後で《緘黙》と呪文のように呟き続けるアリィーチェによって阻止されてしまっていた。

 カズンにしては子供の遊びによく付き合ったほうだった。彼は人差し指と親指を寄せる仕草を彼女に向けた。するとセンス《念動力》によってアリィーチェの唇は不可視の何かに抓まれたように閉じてしまった。これでは《ネガティブ・コントロール》は発動しない。

 その隙に、カズンは存分に勝ち名乗りを上げる武将のような仰々しさで叫んだ。


「ついに、俺様の時代が来たってことだな! シュテンさんには悪いが、実行部隊は今後永久に俺様の手足となって働いてもらう!! 組織史上最強最高のヘレティックである、このカズン様のな!! ぐわっはっはっはっはっはっはっはっ!!」


 相変わらずの自己中心的な思考回路に嘆息を漏らしたメルセデスは、「大統領にはどのように」とボスに問うた。


「不要だ。彼は全て理解している。その上でのあの選択だ。我々はその彼の英断を無碍にしないよう、全身全霊でもって作戦を遂行しなければならない」


 ボスは椅子を降り、まだ天井に向かって笑い続けているカズンの元へ歩んでいった。肩に手を置かれてようやく気付いたカズンは、鉄仮面の奥に潜む、生気ある瞳の輝きに気付いて口を閉じた。

 振り返るボスの視線はコイルに向けられた。正対する彼に、「長官、全ての基地とつなげてほしい。可能か」コイルは何も語らず、情報部の通信士に目配せした。

 ボスは語った。

 メルセデスには彼の足もとに鉄仮面が転がっているように見えた。

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