〔五‐1〕 彼方より憎しみを馳せて
「システム・オールグリーン。今回も成功です、これでまた次のステップに進めます」
「だが進行状況は全体の五〇パーセントか。急がせなさい」
は、と艦橋のスタッフが敬礼で応じる。上官は返礼もせずに扉を押し開け、通路を渡った。スロープを下って、気密扉から甲板へと出た。気圧の変化で吹き上がった南半球の熱風が、彼の長髪をふわりと舞い上げた。
強い日差しと晴天に白い雲、コバルトブルーの海が四方を埋め尽くしていた。彼は民間船に偽装したこの船舶の艦長代行である。
「航行システムの試験運転は合格しましたよ、お坊ちゃん」
金糸を織り込んだような艶やかな髪が風と戯れている。同じく長い時間をかけて研磨されたような金の瞳は、くっきりと見える水平線をジッと眺めて揺るがない。
お坊ちゃんと呼ばれるその美少年は、手すりに身体を預けながら、「当然だ」と冷ややかに言った。
「設計には僕も関わっている。試験運転すら必要ない」
「お言葉ですが、一世一代の悲願を達成されるのです。万に一つのネガティブな可能性も潰しておくべきです」
「一世一代と言ったか、アンテロープ?」
如才ない笑みを浮かべる長髪男アンテロープは頭を垂れると跪いた。
「親子二代の宿願だ。二度と間違えるな」
「申し訳ありません」
「それはそうと、さっきからどうにも奇妙な感覚が僕を苛立たせる」
そう言って美少年レーン・オーランドは北東を振り仰いだ。途端、アンテロープのスマートフォンに着信が入った。主に一礼してからそれに出ると、彼の顔が少し固くなった。
「何か起きたか」
「通信士より通達です。どうやらニューヨークで何かが起きているようです」
レーンは顔色一つ変えず報告を受けると、一つだけ深い瞬きをしてから呟くように、「今しかないだろうな」
「はい?」
「帰るぞ。しばらくラボに籠もる。お前は父の護衛に戻れ」
そう告げて去っていくレーンの背中が見えなくなるまで、アンテロープは頭を上げられなかった。
と言うのもあの日、カラコルム山脈でのネイムレスとの戦闘からずっとレーンの神経はナーバスを極めているのだ。何か深い屈辱を受けたようで、その詳細を何ら口にしてくれない。訊いてみようとも考えたが、その瞬間に命を奪われるのは目に見えていた。
今だってそう、間の抜けたことを言えば狂気を全身に滾らせる。
殺されることがあるとすれば一瞬で、知覚すらできないだろうとアンテロープは生唾を飲み下した。それでも苦い笑みを湛えられるのは、少しくらいの無礼では殺されないという自負があるからだ。
レーンはアンテロープの戦闘力を頼りにしている。宿願が達成されるそのときまでは生かされるはずだ。
それまでは少しの楽しみも余さず享受しよう。天才レーン・オーランドに雇われたその幸運と不幸を両立噛み締めながら、アンテロープは言い知れぬ高揚感を堪能していた。